第四十七話 勇者の片鱗
里に近づくごとに、血の匂いが濃くなる。一度、神剣を抜いた者には何かが体に残るのだろうか? 乙矢の本能は、そこに鬼がいると告げていた。
「新蔵――鬼だ!」
夕闇の中、乙矢は目を細め、一つの影を凝視した。それは、そこかしこに転がる遺体の山を築き上げた『鬼』であった。
「まさか……織田さんじゃあるまいな」
少し遅れて乙矢に追いついた新蔵が震える声で尋ねる。
「いや……違う。正三はあんなに小さかねぇよ」
乙矢の返事に、新蔵はあからさまにホッとした。しかし、眼前の光景は、とても安堵の息を吐くようなものではないだろう。その時、新蔵の横でポツリと乙矢が呟いた。
「……助けねぇと」
「誰をだ? ――おいっ」
答えるより先に走り出そうとした乙矢の腕を掴み引き止める。周囲に里人の死体はない。全て蚩尤軍兵士だ。
「放せよっ!」
「どうする気だ!」
「助けるに決まってる」
「敵、だぞ。助けてどうするんだ? 第一、『鬼』を作ったのは奴らだ。殺されても、自業自得というものだ!」
新蔵の言うことは最もである。助けに入った途端、背中を刺されないとも限らないのだ。
これまでの乙矢なら、真っ先に逃げ出していただろう。だが……乙矢はキッと前を向き、姿勢を正した。
「嫌なんだ。もう……『鬼』で人が死ぬのは、もう嫌だっ!」
「乙矢っ!」
新蔵の手を振り払い、乙矢は駆け出した。
最早、人として、生きてはいない『鬼』だった。
背中に刺さった数本の刀は、一本は胸に、一本は腹に抜け、剣先が見えている。刃で抉られたのか、あるべき場所に左目はなく、耳の横にぶら下がる物体が目玉の残骸を思わせた。
……神剣を手にする骸と、戦い続けている。兵士らがすっかり士気を失い、怯えて逃げ惑う一方になっても仕方ないと思えた。
乙矢の目に彼らの姿がはっきり映った時、『鬼』は咆哮を上げ、逃げ損ねた兵士らを威嚇した。その声に、一人の兵士が味方の死体に躓き、尻餅をつく。それは、ちょうど奴の進路上だ。案の定、次の獲物を見つけ、唸りを上げながら斬り掛かった。
だが――不意を突かれた横からの体当たりに『鬼』はよろめき、動きを止めた。乙矢だった。
「立て! 逃げろよ、早く!」
およそ十代半ば、乙矢や弓月と歳の変わらぬ蚩尤軍兵士は、腰が抜けたのか座り込んだままだ。乙矢は脇に手を入れ、少年兵士を強引に立たせる。
「ほらっ! はや……」
「馬鹿乙矢っ! 後ろだ!」
新蔵の声から半瞬遅れて、『青龍一の剣』が乙矢の頚動脈を襲った。慌てて首を引き、薄皮一枚斬られたに止まる。だが、『鬼』は不規則な剣筋で、次々と乙矢に斬りかかった。どうやら、標的を変更したらしい。乙矢は、手近にある刀を拾い、応戦しようとするが――それすらも儘ならず逃げる一方だ。
「退けぇ! 乙矢っ!」
突如、地響きが足元から伝わる。それは、重い車輪が地面を転がる音だった。
何所から持って来たのか、新蔵がもの凄い勢いで大八車を押し、突進して来る。
「ちょ……待て。うわぁっ!」
『青龍一の剣』と大八車に挟まれ掛け、地べたを舐めるように転がり、乙矢は間一髪で逃げ出したのだった。
新蔵の大八車は『鬼』に正面からぶち当たった。そのままの勢いで家の壁を突き破る。あまりの衝撃に、梁も柱も屋根も見事に崩れ落ち……さすがの『鬼』も、瓦礫と共に埋もれ、動きを止めた。新蔵は倒壊家屋の下敷きにならないように、寸でのところで引き返してきたのだった。
「し、新蔵……お前、わざと俺を挟もうとしたんじゃねぇだろうなっ!?」
「逃げ足だけは早いんだろう? 丸腰で突っ込むお前が悪い。助けてやったんだぞ、礼を言ったらどうだ」
軽く睨み合う乙矢らの後方で、人の動く気配がした。
そこには、立って動ける蚩尤軍の兵士らが、わらわらと集まって来ている。
「だから言わんこっちゃないんだっ!」
乙矢に悪態を吐きつつ、新蔵は刀を抜く。
だが、乙矢のほうは彼らから、これまでのような殺気を感じることは出来ない。
「落ち着けよ、新蔵。こいつら――」
その時、一人の兵士が乙矢の言葉を遮った。
「貴様らは、神剣の力を悪用して、幕府転覆を企む輩ではないのか? そう言って幕府を脅したために、密命を受けたあの方が狩野様や武藤様を従えて、お前達を仕留めようとされてるんじゃ……」
「違う! 我ら四天王家――爾志・遊馬・皆実・喜多家とも、謀反など欠片も企んじゃいねえ。……むしろ逆だ。あの仮面の男が、幕府乗っ取りの為に、四神剣を利用するつもりなんだ。目ぇ覚ませよっ!」
困惑の表情で問い掛ける敵兵らを、乙矢は一喝した。
これには新蔵も驚くばかりだ。初めて、彼の目に、乙矢の姿が一矢と重なる。いや、目眩ましのような強烈な光を放つ一矢とは違い、穏やかで優しい乙矢の光は心地良い。これが爾志家嫡流の証か、それとも勇者の――。
ガラガラッ。
瓦礫が崩れ落ちる音と同時に、兵士らの顔が凍りついた。最悪の予想をしつつ、乙矢らも振り返るが……。
「なあ、新蔵……鬼って丈夫なんだな」
「そう、だな」
いささか間の抜けた感想ではあるが……これを余裕と捉えるべきかどうか、お互いに微妙であった。
家一軒、見事に潰れて下敷きになったはずなのに、それでもまだ『青龍一の剣』を手放していない。しかも、どうやら時間が経つほどに、鬼と同化する仕組みのようだ。
「神剣から引き離さねば、鬼は止まらぬ、ということか……」
新蔵の脳裏に先代宗主の最期が浮かぶ。
先代は、弓月と嫡男 満を逃がしたが、満は妹の手に『青龍二の剣』を押し付け父の元に戻った。実は、師範代三人も満の後を追ったのだ。だが、
「弓月は女ながら、底知れぬ力を秘めている。どうか『二の剣』と共に妹を守ってくれ。頼む」
満の言葉に、戦わず、背を向けた時の彼らの苦悩は、乙矢には決して判らぬものだろう。突入した満の最期。夫を救おうと飛び出した妻に斬りかかる舅の剣。一斉に火縄銃の放たれた音と匂い。宗主が首を落とされる姿は直接目にすることはなかったが……。
あの時、駆けつけたのは幕府の正規軍だとばかり思っていた。だが、軍を統括していた男の顔には、確かに仮面があった。仮面の男が宗主の首を落としたと聞く。弓月が高円の里で「仮面の男を呼べ」と言ったのは、敵討ちの思いからであった。
「なんで正三が里に残ってるんだっ!」
乙矢の声に新蔵はハッとして顔を上げた。
立ち上がった『鬼』の姿を見て、兵士らは、
「武藤様も卑怯な……我らを鬼の餌食にして、側近のみを連れてあの遊馬の男を追われるとは」
「遊馬? 誰のことだよっ!?」
「あの……神剣を手に鬼になりかけた男のことです。おきみと言う名の幼子と、その男を殺せ、との命令で。この、里跡に逃げ込んだ高円の里の連中も皆殺しに、と」
ここまで聞いた時に、乙矢は声を上げたのだ。
「しょう……織田さんがここにいるのか!? どこだ! どこにいる!?」
掴みかからんばかりになる新蔵を押さえつつ、乙矢は、
「新蔵黙れっ! 里跡って言ったよな? お前らこの里を知ってたのか?」
「ええ……美作の山中を移動する時は必ず使う里跡ですから。確か……数年前に飢饉と流行病で無人となった場所だと」
(やられた!)
二人とも同じ心境で、顔を合わせたのだった。
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