第四十四話 逢う魔が時
夜を待たず、里は百人程度の蚩尤軍兵士に囲まれた。
率いているのは武藤小五郎。そして、彼の手元には、鞘に納まり封印された神剣『青龍一の剣』があった。
「狩野様は一体何を考えておるのか!」
あの方の指示で、狩野が精鋭部隊を指揮し、乙矢と新蔵を襲う手筈になっていたのだ。ところが、部隊長に指揮を委ね、どこぞに姿を消したと言う。
つい先日も黙っていなくなり、舞い戻ったばかりであった。
武藤にはまだ、あの二人に部隊が叩きのめされたことまでは届いていない。時折見せる乙矢の剣才には、非凡なものを感じるが……それを勇者と繋げることはなかった。
「しかし、武藤様。この神剣は、いったい誰が、我らに……?」
判らぬことは狩野の行動だけではない。この『青龍一の剣』が届けられたのも不可思議なことであろう。『青龍』一対を奪い返すため、山狩りをして奴らの逃げ落ちた先を探す算段であった。そもそも、もっと素早く動けば逃がすこともなかったのだが……。待機が指示とあれば仕方がない。
そんな中、突如、神剣と共に奴らの居場所が伝えられ、襲撃の命令が下ったのである。
「誰が盗み返したのかは知らぬわ! だが、あの方の命令とあらば、従うまでのこと」
「しかし、我らが美作の山中で休み所として利用する里跡に逃げ込むとは……。笑止なことですな。辺りの地形だけでなく、内部も熟知しておりますれば、仕留めるのは時間の問題かと」
側近の兵は得意気に語るが、武藤の不満は別のところにあった。
「各個撃破が常套の策とはいえ、この武藤小五郎の獲物が遊馬の剣士一匹と幼子とは」
――せめて、遊馬の姫がいれば、楽しめたものを。
それは言葉にせず……神剣の入った白木の箱を指先で小突いた。
「鬼の用意をしておけ。里跡に解き放つ。弓兵も忘れずに待機させておくのだぞ。あの……遊馬の男は拙者が仕留める。それくらい、楽しみがなくてはな」
武藤は頬から顎の傷を擦りながら、殺戮の予感に口元を歪めたのだった。
〜*〜*〜*〜*〜
「ここら辺りにあるはずだよ……な」
「ああ。――言っとくが、迷子にはなってねぇぞ! なんで里がねぇんだよっ」
乙矢と新蔵の二人だ。山中を突っ切り、半日より早く里に戻ったはずだった。ところが、里があるはずの場所に辿り着けない。
さすがの新蔵も不眠不休が堪えており、乙矢は傷の痛みからか、二人とも集中力を欠いている。
だが、その時、乙矢が本道に多数の足跡を見つけた。五人や十人ではない。さすがに蹄の跡はなかったが、軽く三桁の兵力が里を襲撃したと見える。
「新蔵。なんかやべぇぞ」
「判ってる。――ちょっと、待て!」
不意に何事か閃いたのか、一つの木の根元を掘り起こし始めた。乙矢には訳が判らない。だが、立ち上がった新蔵が、
「来い、乙矢。これが迷子の原因だ」
「これって、結界、か?」
土中に埋まっていたのは、爾志のものとは違う結界札であった。
「多分、これは凪先生が張ったんだ」
「……俺らを里に着かせないためにか?」
「馬鹿者! 里人を守る為に決まっておろうが! 土中に埋める結界は、遊馬だけだからな」
「なるほど、敵が蚩尤軍であれ、他家の裏切り者であれ、侵入を阻める、と。どうせなら、お前が馬鹿ってとこも、少しは計算に入れて欲しかったもんだ」
「う、うるさい! 気付いたんだから、ごちゃごちゃ言うなっ!」
この結界が利いていたなら、大軍は里には着いてないはずだ。
なら、
「先生がこっちに結界を張ったということは、やはり美作の関所に向かわれたか。乙矢、これをこのままにして、我らは関所に向かおう。早く、弓月様に……どうした?」
札に触れぬまま、土を掛け元に戻そうとした新蔵の手を乙矢が止めた。
「お前、気付かんのか?」
短く言った乙矢の顔は、珍しく酷く真面目なものであった。
「何がだ?」
「――血の匂いだ」
森は静かであった。だが、微かに漂う鉄の匂いが乙矢の鼻孔をくすぐる。八年前に体内に鳴り響いた警告音が、再び胸を突き上げた。
「里に入りたい。どうすればいい?」
「結界を……解けばいいんだ。方法はどの家も同じだろう? だが、敵も里に入れるようになる。お前の判断が間違っていれば、危険に晒すことに――おいっ」
新蔵の警告など無視して、乙矢はさっさと掘り返し、結界札を取り出した。そして、更に短く告げる。
「借りるぞ」
返事も待たず、乙矢は新蔵の腰から長刀を抜いた。
結界札をフッと空中に投げると、迷うことなく一刀両断にする。次の瞬間には、刀は新蔵の腰に戻っていた。
「お前なぁ、少しは考えてから」
「少しでも考えたら、逃げたくなる。嫌な予感がするんだ。頼む、信じてくれ」
新蔵は軽く髪をかき上げると、
「判ってる、男に二言はない。お前に助けを求めたのは俺だ。お前を信じるし……第一、結界を破った後で言うな!」
「……すまん」
霧が晴れたように脇道が目に入る。二人は迷うことなく、その道を進んだ。
〜*〜*〜*〜*〜
「いたぞっ! 遊馬の男だ!」
「子供も一緒にいるぞっ!」
乙矢らが結界に気付く少し前、里に辿り着けず周囲を徘徊していた蚩尤軍兵士に、正三とおきみは見つかった。
正三は里人を警戒するあまり、里から離れ過ぎてしまったようだ。戻りたくても戻れない位置まで出てしまっていた。
夜の闇に紛れれば、おきみを連れて逃げ切れるかも知れない。そう考えていたが、夏の日没は遅い。酉の刻を過ぎてもまだ辺りは十分に明るかった。
「どうやら、我らを守る為、凪先生が張ってくれた結界が仇になったようだ。乙矢の無実を証明するには、お前だけは死なせるわけにはいかんのだがな。さて、どうするか……」
独り言のように呟く正三に、
「おとや……おとや」
おきみは乙矢の名を呼び、正三の袖を引いた。何事か訴えかける目をして、必死に首を振る。
「――おとやっ。おとやっ!」
「お前……乙矢が判るのか?」
おきみはコクコクと肯いた。
「じゃあ、乙矢と一矢の見分けが付くのだな」
「おとや、おとや、おとやっ」
とにかく、乙矢の名前しか口に出来ないらしい。これで決まりだ。
「では、おきみ。武器庫を襲い、里人を殺した下手人は、一矢で間違いないのだな」
おきみは、口を真一文字に結び、子供とは思えぬほど真剣な表情でコクリと肯く。
あの時、おきみは下手人を指差したのだ。だが、あまりに都合よく、乙矢がいなくなり……。そのせいで見事にすり替えられ、疑問を抱く前に、思い込んでしまっていた。まさか、真犯人が里人の前に堂々といるはずがない、と。
今思えば、都合よく消えたのではなく、一矢がその機を狙っていたのだろう。
弓月の件は弟に対する嫉妬から、と大目に見てもいい。だが、これは違う。凪は気付いているかもしれないが、長瀬はどうだろう? それに、一矢は新蔵にも何か仕掛けたのではあるまいか?
そこまで考えた時、敵兵の声が上がった。
正三は即座に草むらに隠れ、敵をやり過ごした。そして、見つけた木の洞におきみを押し込み、素早く数本の枝を折って被せ、すぐには見えぬようにする。
「俺か、乙矢の声がするまで絶対に出て来るのではないぞ。よいなっ」
一方的にそう伝えると、後ろで纏めた髪を縛り直した。以前は結っていた髷も、一年も経てばざんばら髪で伸び放題だ。
「いい男が台無しだな」
小声で呟き、正三は自らの緊張を解した。
そして――長刀の鍔を押し上げ、駆け出したのだった。
御堂です。ご覧頂きありがとうございます。
物語中に使っていた「嫡男」(長男・後継男子)という言葉ですが、完全に私の勘違いで、「嫡子」「嫡出男子」(正妻の産んだ子)の意味となります。
使用箇所は気付く限り「嫡子」「嫡流」などに変更致しました。
いきなり修正話数が増えて、驚かれたかも知れませんので、念のため…(ストーリーに修正はありません)
引き続き、よろしくお願い致します。
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