第四十一話 放たれた臥竜
『……乙矢殿。私のことを守って下さいますか?』
乙矢の胸に残る弓月は笑っていた。必ず守る、と約束した乙矢を見て、満面の笑顔を見せてくれた。それを映したまま逝こう。
そう決めた乙矢の耳に、
『乙矢殿……お願いです。目を覚まして』
涙ながらに訴える、弓月の声が響く。聞き覚えはあった。遠く、記憶の底のほうで――これは、これは確か……
『乙矢殿っ!!』
彼女の笑顔が泣き顔に取って代わり、瞼に浮かんだ瞬間……
乙矢の、心の臓目掛けて放たれた空を裂く矢羽を、彼は右手で掴んだ。鏃は、着物を掠めたに止まる。
「ま、まさか……馬鹿な」
敵将は明らかな動揺を見せ、立て続けに矢を放った。しかし、その矢は、割り込んだ新蔵によって次々に叩き落される。
「し、新蔵……」
「お前には命の借りがある。剣士の面目に掛けて、俺より先には死なせん!」
「弓月殿に呼ばれた気がしたんだ。死ぬ前に逢いたいよ……一矢の花嫁だけど、せめてもう一度」
素手で放たれた矢を受け止めながら、その行動には全く相応しくない泣き言に、新蔵もとうとうブチ切れた。
戦闘中にも関わらず、乙矢の襟首を掴むと引き寄せ、どやしつける。
「いい加減にしろっ! 一矢様……いや、あの野郎がこいつらと万一にも通じてるなら、姫はどうなる!? お前……約束したんだろ。力の限り守るって。あの時の――織田さんを庇って神剣を抜いた時の、あの気迫は何処にやった!?」
「新蔵」
「認めるのは口惜しいが……俺はあの時、お前は勇者だと思ったんだ!!」
「お、おれは――後ろだ、新蔵!」
乙矢の声に、新蔵は振り返り、敵を一閃する。
「どうやら、悪い夢を見てたようだ。だが、俺も遊馬の剣士だ。必ず生きて弓月様の元に帰る。お前もだ! 担いででも連れて行くぞ!」
「お、俺は駄目だ。俺にはそんな資格はない。俺のせいで……父上も母上も殺された。姉上も攫われてあんな目に」
「だからまた逃げるのか? 何なんだその逃げ腰は! その負け犬根性をどうにかしろっ!」
新蔵は、乙矢に背中を向けたまま怒鳴りつけ、それでいて、敵を威嚇し遠ざける。
「弓月殿も俺を許さない。『白虎』を……神剣を奴らに渡した俺を、蔑んでるはずだ。俺は彼女に相応しくない」
「じゃあ、あの男に渡すのか!? 実の弟を殺そうとした男に」
「それでもあいつは本物なんだ。見たんだろ? 『青龍』を揮った奴の腕を。勇者の花嫁にこそ相応しい。俺は、一矢の出来損ないの複製品なんだ。水面に映った影……偽物に過ぎない。俺は一矢じゃない!」
それは……本当は一矢のようになりたかったという心の叫びだった。信頼と尊敬の眼差しで見られ、たった一人でもいい、誰かに必要な人間だと言われたかった。
「当たり前だ! 愚図で鈍間で優柔不断で、俺に凄まれたくらいで小便漏らすような……そんな情けない男だが――」
新蔵はそこで一旦区切ると、再び乙矢に向き合い、今にも泣きそうなその面を引き寄せ言った。
「爾志乙矢っ! 俺は貴様に手を貸してくれと……姫を守ってくれと頼んでるんだ。一矢じゃない! お前だ、お前! 聞こえたかっ!? ――乙矢、避けろ!」
バッと乙矢を突き飛ばし、再び敵の剣を払った。
新蔵の口調はボロクソで、とても、人を褒めてるようにも、モノを頼んでるようにも思えない……。
だが、乙矢は生まれて初めて、一矢ではなく自分を選んでくれる相手に出会ったのだ。無論、弓月も凪も正三もそう思っている。だが、ハッキリと言葉にしてくれたのは新蔵が初めてだった。
長い時間を掛けて、岩のように固められた心の奥底に眠る扉に、一本の矢が突き刺さった。それは見る見るうちに表面にヒビを入れる。
新蔵の放った熱い矢は、乙矢が自ら凍らせた心の檻を、淡雪の如く溶かし始めた。
今の乙矢は、新蔵と離れている。しかも、木偶のように、棒立ちだ。好機とばかり、斬りかかる敵に、気付くと身体が動いていた。
敵を半身半立ちで受け、太刀取りで小手を返す。一転……さらにもう一転、手刀で叩き落とした。最後に、グッと力を入れ、手首をへし折る。
二人目も側面から懐に入り、手の平で首を叩く――敵の意識を一瞬で落とす。
その調子で、あっという間に五人は黙らせた。
「――爾志流無刀術、か。嫡子相伝と聞いたが……やはりお前も習ってたんだな」
それを見ていた新蔵が、感心したように呟いた。
「父上に叩き込まれた。実戦で使うのは初めてだし……それに、殺してないし」
「お、お前なぁ。この状況が判ってやってるのか!?」
「まあまあ大丈夫だって、しばらくは動けねぇから」
今ひとつ、緊張感に欠ける二人ではあったが……。
二十人からの部下は全員倒され、その場に立っているのは、乙矢に矢を放った敵将一人だけとなった。
男は新蔵に斬りかかるがあっさりかわされ、背後を取られる。
「さて……もっと色々話してもらうぞ。それと、狩野の居場所まで案内して貰おう」
咽元に突きつけられた長刀の刃に視線を落としつつ、男は答える。
「一つだけ教えてやろう。隠れ里は鬼に襲われる。そう、神剣を奪い、里人を殺し、逃げた男……爾志乙矢が鬼となり、里に残った者を一人残らず殺すのだ!」
「なっ! なんでそんな……」
理由を訊ねる間もなく、男は自ら新蔵の刃に咽を突き刺し、果てたのだった。
〜*〜*〜*〜*〜
「参ったな……お前の兄貴は、弓月様と共に里を出ると言ってた。向かったのは遊馬の領地、東国か? それとも、皆実の宗次朗殿を訪ねて南国に向かったのか? 里はもう襲われたのか? 今から引き返して間に合うのか? さっぱり判らん! くそっ、生きてる奴を叩き起こして、口を割らせてやる!」
新蔵の提案に、
「こんな下っ端じゃ意味ねえよ。お前さ、俺に追いつくのにどれくらいかかった?」
「半……日、くらいであろうか?」
「急いでそれ、か……でも、とにかく戻ろうぜ」
「里にか? 確かに里の連中のことは気になるが……弓月様はどうするのだ!? お前に責任を擦り付けるということは、弓月様はもう里にはおられぬということであろう?」
「弓月殿には、あのオッサンも凪先生も正三も付いてる。一矢が蚩尤軍を使ってまで、俺を殺したいほど憎んでることは判ったけど……でも、神剣に選ばれた勇者なんだ。いや、少なくとも可能性はある。奴が弓月殿を傷つけることはない。俺は信じる」
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだろう。
「お前……まだ、懲りてないのか? なんで、自分を殺そうとした奴を信じるんだ! この……」
そこまで言って、自分自身が乙矢の命を狙ったことに気付き、声を失った。
「なんだよ」
「いや、俺はなんでお前を殺そうとしたんだろう……。お前は敵だから殺さなきゃならない、ってそう思い込んでたんだ」
その言葉に、今度は乙矢がドキッとした。
神剣を抜いたとき、心の中に声が響いた。「敵を殺せ」と。正三も同じようなことを言っていた。そして、さっきの新蔵からは同じ波動が感じられたのだ。
だが、新蔵の持っていた、一矢から託されたという脇差、あれが神剣なわけはない。
なぜなら、あの長さで考えられるのは『青龍二の剣』だけだ。今、それを持つものは、里人を殺し、武器庫から盗んだ犯人に他ならない。偶然だ……考え過ぎだ。
乙矢は軽く頭を振ると、
「里に鬼が出るなら、そこに神剣があるはずだ。取り戻そう!」
自分を必要としてくれる人間がいる。
かろうじて、座して死を待つ生き方に終止符を打ったものの……乙矢はこの時、新蔵が話した重要な言葉を、聞き漏らしていたのだった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。