第四話 『青龍』の姫君
――四天王家に生まれたことは、弓月にとって誇りであった。
それも、可能なら男として生まれて来たかった。
どれほど腕が立っても、鍛錬を積んでも、女の非力さは補えない。男でさえあったなら、家族を……『青龍』を守れたかも知れない。
長い黒髪を一つに結い、成人前の若武者風の装いで乙矢の前に立つ娘。遊馬弓月は十七歳、二千石相当の旗本の娘であるから、姫君である。
『護国の四神剣』を守る四天王家の一角、遊馬家に生まれた。神職に近い家柄といえば判りやすいだろうか。
父・遊馬渡は、二刀流を秘伝とする剣術、遊馬流の二十二代宗主だ。母は物心つく前に亡くなった。優しい父と五歳上の兄・満に守られて、真っ直ぐな心を持つ、可憐な少女に成長した。
そして、女ではあったが兄同様に剣術を習い、並みの男ではとても敵わぬほどの腕前となる。
「父上! 弓月は、強い殿方でなければ、嫁には参りません」
十になる前からそんなことを言っていた。しかし、そんな娘に、父は笑いながら答えたものだ。
「なら心配は要らぬ。そなたの許婚は神童と名高い爾志家の一矢殿だ。白虎の主やも知れぬぞ」
弓月には生まれながらに定められた許婚がいた。四天王家の筆頭にあたる爾志家の長男・一矢だ。一つ年上の彼が十八になれば、祝言を挙げることになっていた。
彼女が初めて一矢に逢ったのは十六歳の誕生日。一矢は正式な結納の品を持って、東国の遊馬家を訪れる。
弓月は、一矢をひと目見るなり、運命の人だと思った。
決して大柄ではないが引き締まった体躯。野生の狼の如きしなやかな立ち居振る舞い。そして、高潔さが漂う容姿は伝説の勇者を思わせた。
さらに、遊馬一門の最年少師範代・桐原新蔵をあっという間に叩き伏せた剣術の腕も、弓月だけでなく、一門の皆を唸らせたのであった。
その時、違和感のような『何か』が、ほんのわずかだが弓月の中に芽生えたのだ。しかしそれは、周囲の賞賛と羨望に舞い上がって霧散してしまう。一矢が旅立った後、その『何か』を思い出そうにも……その時にはもう、運命の輪は悲劇に向かって廻り始めていたのだった。
蚩尤軍――突如、四天王家に襲い掛かった幕府軍を名乗る一団の呼称だ。老中が裏で糸を引くとも言われるが、証拠はない。表立って連中を率いるのは、頭部を覆い隠す鉄兜をかぶり、顔を隠した男であった。
奴らは、『護国の四神剣』を集めて回っている。
弓月と共に逃げ延びた叔父・遊馬凪が言っていた。奴らは伝説を逆手に取り、鬼を作り出して、戦に使う気なのだ、と。そして、その妨げとなる勇者の誕生を阻止するために、四天王家の血統を絶やそうとしているらしい。
四天王家にはそれぞれに隠れ里があった。領内に点在するその場所を隠れ蓑に、弓月らは移動している。だが、そこの安全が保証されるのも、遊馬家の場合は領地である東国のみ。他三家の領地では、どこに隠れ里があるのか知らされてはいないし、辿り着いても助けて貰えるとは限らない。
その危険を承知で、爾志家の領地である西国に弓月らはやって来た。
この一年、もたらされた情報は全て悪いものばかりであった。
北国の喜多一門の宗主・喜多九拾朗は蚩尤軍によって惨殺された。妻と長男も殺され、わずか八歳の次男は行方不明だという。神剣『玄武』の所在も判らない。
南国の皆実一門は宗主・皆実宗次朗の死体こそないものの行方知れず。神剣『朱雀』も不明との連絡を受けた。
そして、一矢は東国からの帰路で待ち伏せに遭い、現場には、供の者全員の死体と真っ二つに折られた一矢の刀が残されていた。
一矢不在の爾志家も襲われた。宗主・和鳴と妻・茜、長女・霞が殺され、神剣『白虎』は蚩尤軍の手に落ちてしまう。そんな中、乙矢の死体はみつからないままとなっていた。
気落ちする中、初めて届いた吉報が「爾志家の次男・乙矢が生きている」というものだった。
「一矢様にそっくりのお顔で、人からは『おとや』と呼ばれておいででした。丸腰で、町民のような身なりでしたが……」
弓月らは思ったのだ。それは、敵の目を眩ませるための策に違いない、と。皆も声を上げ、即座に彼を探しに行くことが決まった。ともすれば、一矢が敵を欺くために弟の名を騙っている可能性にすら、期待を膨らませたが……。
父と兄夫婦を殺され、『二の剣』と一対の神剣『青龍一の剣』を奪われた。挙げ句、反逆者の汚名を着せられ、巧妙に幕府軍を装った敵に追われ続けている。
今の弓月に仕える門弟はわずか三人、長瀬と新蔵、同じく師範代の織田正三郎だけだ。
十七歳の娘に託された神剣の重圧は並大抵のものではない。それでも――命尽きるまで、弓月は戦うつもりでいる。
血気に逸る新蔵を「蚩尤軍と同じだ」と引き止めたが……。本心を言えば、神剣も敵討ちもどうでもよいという、乙矢の気持ちは、弓月には到底、理解出来ぬものであった。
萎えそうな心を奮い立たせ、弓月は言った。
「判った。乱暴な真似をしてすまなかった。だが、一人で逃げるには限界がある。私と来るなら、そなたを守って差し上げるが……」
「姫、何を申されます! 戦力ならともかく、このような足手まといを」
長瀬が慌てて口を挟む。
「失礼なことを申すな。乙矢殿は本来であれば私の義理の弟。戦う術もなく逃げているというなら、お守りし、安全な里までお連れしたほうがよろしいだろう」
「ですが姫様……現実問題として、我々に人を守る余裕がありますかな?」
これまで後ろに控えてきた一段と背が高く美男子の男が口を挟む。彼が織田正三郎、普段は正三と呼ばれている。遊馬の遠縁にあたり、四天王家の血を受け継ぐ一人であった。言われれば、貴公子然とした面差しが、弓月に似てるかもしれない。
「しかし……」
「俺のことを思うなら、さっさと宿場から出て行ってくれ! あんたらのことが連中に知られる前に。ったく、おとなしく東国に引っ込んでりゃいいのに、なんだってこんなとこまで来るんだよ」
「貴様っ! 弓月様のお心が判らんのかっ!」
どうも、乙矢の言葉全部が、新蔵の神経を逆撫でするらしい。
「……姫様」
正三が弓月の傍でそっと耳打ちし、対岸を示す。そこには客を取る船女郎が、数人集まってこちらを指差しているようだ。これ以上、人目を引くのはまずい。
無言で正三に肯くと、乙矢に向き直った。
「そうか……では、最後に一つだけ。連中に話してない、一矢殿の行き先に心当たりはないだろうか?」
「ない。でも、死んじゃいねえよ」
「何故判るのです?」
「双子の勘だ。一矢は昔から、苛められてる俺を見たら飛んできて助けてくれた。今度もきっと助けてくれる。あいつは俺とは違って本物の勇者で剣士なんだ。必ず助けてくれる、そう信じてる」
目を瞑り、祈るように乙矢は「信じている」と繰り返した。
その姿を見た瞬間、弓月の心に透明な矢が刺さった。この時はまだ、その正体には気付くことは出来なかったが……。
「私も、信じています。一矢殿に再会し、共に蚩尤軍を討ち、神剣を取り戻す日が来ることを」
差し迫った現実に、小さな動揺など振り払うように、弓月は顔を上げた。
「明日の朝一番で宿場を立とう。東国に戻るぞ」
皆、唱えたい異論はあったが――それぞれに、心の中で乙矢を罵倒するに止めたのだった。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。