第二十九話 告白
「凪先生。昨夜の一矢殿のお言葉に、間違いはないと思われますか?」
起き抜けの弓月の来訪に凪は慌てて身繕いし、寝間の横に座る。いささか、弓月らしからぬ、礼儀を欠いた振る舞いだ。しかし、あえて凪は不問にした。
弓月の姿を見ることは出来ないが、その息遣いから、彼女が一睡も出来ずにいたことは明白であった。
「それは、瀕死の重傷を負った、という言葉ですか?」
「はい。あの一矢殿が……むざむざとやられるでしょうか?」
「それは判りません。しかし、傷跡はございました。私には、かなり深手の刀傷に思えましたが」
「では事実であろう、と」
弓月の声は不安を形にしていた。勇者と目される一矢との再会以降、弓月の神気は下がる一方だ。
本来なら、許婚である一矢の傍に控えていて当然だが、この三日間、ほとんど乙矢か正三の枕元にいた。昨夜、乙矢が目覚めて部屋に飛び込んできた、あの瞬間、ここ数日で、最も弓月の声が華やいだ時でもあった。
「何に怯えておられます……弓月どの。何か、気付かれたのですか?」
「いえ……理由などありません。ただ、一矢殿は『青龍二の剣』を、あまりに慣れた手さばきで使われました。何の躊躇いもなく神剣を抜かれたのです。勇者の証と言われたら、それまでなのですが……」
「正三に聞いたのですが……乙矢どのも『二の剣』を抜かれたとか」
「はい! 正三の剣を左肩に受け、それを引き抜いて、新蔵が振り下ろした刀を払いました。そして、私に襲い掛かった敵も見事に斬り捨てられたのです。ただ……正三と同じく、敵がどうの、と口走ってはおられましたが」
「『誰も斬りたくない……誰も殺させない』そんな風に言っていたと、新蔵から聞きました」
「は……い。私の耳にもそのように聞こえました。私は、乙矢殿も神剣の持ち主では、と思ったのですが……。乙矢殿は、鬼になる前に意識がなくなっただけだ、と仰って」
「双子なれば、同じ力を授かっていてもおかしくはありませんが……」
そう言ったまま凪も黙り込む。
実を言えば、再会した一矢の気配があまりにも変わっていて、凪は即座に気付けなかったほどであった。鋭い剣気はこの一年で、更に凄みを増している。彼は、神剣をいとも容易く操ったと聞いた。自分には辿り着けなかった領域に、一矢はついに到達したのだ、と考えるしかない状況だ。
「皆、一矢どのの帰参を喜んでおります。加えて、眼前で神剣の威力を見せ付けられ……新蔵や弥太吉などは心服しております」
「判っております。水を差すつもりなど毛頭ございません。しかし」
「弓月どの、苛立ちはよく判ります。ですが、乙矢どのには、もうしばらく時間を上げてはいかがでしょうか? たとえ容姿が似ていても……或いは、神剣も勇者も関係なく、運命の相手はたった一人ではないかと、私は思います」
「なっ……凪先生。私は……」
真っ赤になって抗議しようとした、が……弓月は、自らを偽ることを善しとはしなかった。静かに息を吐くと、スッと姿勢を正す。
「神剣が選ばぬとも、私にとって、勇者はただお一人だと確信しております。……父上は嘆かれるやも知れませんが」
凪はいつもの笑みを浮かべながら、首を左右に振る。
「何を申されます。兄上は、弓月どのの幸せのみ願っておられました。よもや、反対はなさるまい。いや、仮に反対されても、弓月どのなら易々とは従いますまい」
「凪先生……それは意地悪な言い様です」
十七の娘らしく、はにかんで微笑む弓月であった。
〜*〜*〜*〜*〜
正三から『神剣の主』と認めれたことも、弓月に『運命の人』『ただ一人の勇者』と称えられたことも知らず、まるで自覚のない“他薦の勇者”乙矢は、この時、兄と向き合っていた。
「私が何故、お前の噂を聞いても西国に戻って来なかったか判るか?」
兄に呼びつけられ、突然こんな質問をぶつけられる。
「それは……怪我が原因だって」
乙矢は相変わらず俯き、小声で返答した。どうも再会以降、正面から一矢の顔を見ることが出来ない。色々な感情が入り乱れ、後ろめたい思いが乙矢の中で渦巻いていた。
それを察してか、一矢は真っ直ぐに斬りこんで来た。
「お前……私の許婚に懸想しておるな」
「と、突然、何を言うんだ!」
いきなり話が飛んで、乙矢はどう答えていいのか判らない。
「誤魔化さずとも良い。だからこそ、弓月殿の前では言わずにいてやったのだ」
「え? それは、どういう……」
「乙矢……『白虎』を蚩尤軍に渡したのはお前であろう」
それは、乙矢にとって息の根を止められるような言葉だった。
「――どうして、そう、思うんだ」
心の臓が壊れそうなほど疾走している。ようよう一言口にして、乙矢は生唾を飲み込んだ。
「『白虎』は最強の神剣。父上すら不用意に触れようとはなさらなかった。お前も『青龍』を手にしたなら判っただろう? 鬼は容易く人の心に入り込む」
そうだ。最も力の弱いと言われた『青龍』、しかも『二の剣』だけで、あれ程の力持つ。それが『白虎』や『朱雀』となれば、心に邪気を抱えたものが近づくだけで、鬼の影響を受けると言われている。『白虎』は一瞬で狂気し、『朱雀』は徐々に侵される、と。
基本的には、安全装置の役目を担う“鞘”から抜かぬ限りは鬼にはならないはずだが……。
四天王家の歴史を紐解けば――その役割は、神剣に心を惑わされた『鬼』を鎮めるのが務めのようだ。乙矢に言わせれば、神もこんな危険なものを作らなくてもいいのに……といったところである。
だが、乙矢が死に掛けた毒……『附子』にしても、使い方さえ誤らなければ強心・鎮痛の薬となる。
ただ、得てして間違った方向へ進みたがるのが、人の性と言うものではあるが。
「爾志家が守護する神殿には、幾重もの結界を張ってあった。その中に、厳重に保管されていた神剣が易々と盗まれるはずがない。――乙矢、お前も覚えておろう? かつて、私たちはその神殿に忍び込み、あの神剣に触れたことを」
「あれは……あの時のことは……よく」
覚えていない。と、乙矢が言う前に、
「『白虎』に触れ、鬼にならず戻ったのは我ら二人のみ。私はあの時、西国には居なかった。さすれば、あの剣を持ち出せる者は一人しかおらぬ」
一矢の声は苦悩のせいか震えていた。乙矢には反論する術など残されてはいない。
「……」
「お前が一門を裏切ったと知れば、弓月殿はどう思われるか……それでも、お前を庇うと言われるであろうか?」
「違う! 裏切ったんじゃない! 目の前で、あの武藤小五郎って奴に姉上を攫われて……妙な仮面の男が出てきて言ったんだ。欲しいのは『白虎』のみ、と。神剣さえ手に入れれば、姉上も返すし、領地より立ち去る。俺は……俺には、神剣より姉上のほうが大事だった! だから……」
それは、乙矢の罪の告白であった。
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