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小説書こうぜ!
作:山吹 恭次


「小説を書こうと思うんだ」
「そうか。書けたら読ませてくれよ」
夕暮れ前の放課後の教室。
伊藤定兼いとう さだかねは、手元の文庫本から欠片も目線を逸らさずに言った。棒読みだった。
中村由生なかむら よしおがうだついたことを言うのは何も、脳が茹で上がる夏場に限った話ではない。年中無休で考えなしなのだ。長い付き合いでとっくに承知している定兼は、これも長い付き合いからくる優しさで受け流した。無関心さとも言う。
幸いかどうか、机を挟んで前、椅子に後ろ向きに座った由生は、相手の口調から心情を推し量ることの出来ない人間だった。
「音楽をやるってのはどうしたんだ?」
これも棒読み。興味があるわけでは全くなかったが、単に話のついでだった。
「あれなぁ、ダメだ。軽音のやつら、ポップだのヒップホップだの、反骨心が足りやしない」
「お前に反骨心だの語られる軽音楽の連中が哀れだよ」
と言うか軽音楽部なんてあったのか? 記憶をさらっても、活動停止の掲示の中でしか、部名を目にした覚えがない。
「それでだな、今度は小説を書こうって話なんだ」
「話を飛ばすな。そこにいく前に話すことがあるだろう」
つい呆れて定兼は顔を上げたが、由生は定兼が何を言わんとしているのか、まるで見当が付かないといった表情でいた。
「……」
定兼は顔をしかめて言葉に詰まった。
よく考えればこれもいつものことだ。普通なら、「読んだ小説が面白かった」だとか、「気になるあの子が小説好き」だとか、そんな思春期特有の、損得勘定やら向き不向きやらをあまり含めない、浅慮で緩い理由を動機にするものなのに、由生のそれは緩いだとか浅いだとかを遥かに下回っていた。そもそもそんなもの存在しない。
音楽を始める切っ掛けが、定兼の部屋で流れていたメタルの曲に影響されて、だったせいで忘れていた。むしろあれの方が希少な事例だったのだ。
「それで、何でそれを俺に話す必要があるんだ。小説が書きたいなら、文芸部にでも行けばいいだろう」
「いやそれが、なかったんだ、文芸部。あったのは漫研と、映研」
映研の方がニッチじゃないか? そもそも、地学研究会だとか電気通信同好会だとか、今時の学生を惹きつけられるとは、とても思えないものがあるのに、何で文芸部がないんだ。そんなにダメか、文芸。
ロックと文学は反体制の輩に残された最後の砦だぞ。今時流行らんか。反体制。
「で?」
「だからお前に聞きに来たんだよ。伊藤なら詳しいだろ? よく本読んでるし」
「お前なぁ、サッカーに詳しいからってドリブル突破が上手いってわけじゃないだろ」
「サッカー…?」
由生が、一体何を言っているんだという表情になったのかを見て、定兼はため息を吐いた。
「本を読んでるからって、上手く書けるとも限らんだろう」
「ああ、それなら、大丈夫、俺、信じてる」
お前が信じたら何でも出来るのか。じゃあとりあえず、担任の久坂ちゃんの婚期でも信じてやれ。
「そもそも俺が書けるかどうかとか関係ないだろう。まずはお前が書いてみろよ。そして俺は読書中だ、邪魔するな」
「じゃあさあ、何書いたらいいと思う?」
それは他人に聞くようなことじゃないだろうが。
「死環白を突いて放浪してから、初めに目に付いたものを題材にすればいい」
「しかん…何?」
「知らんならいい」
段々と定兼の受け答えが投げ遣りになってくる。いくら慣れているとは言え、長引いてくるとなると許容限界というものがあった。
苛立ちながらも文章に目を落として落ち着こうとする。そんな定兼の様子に、由生が先にしびれを切らした。
「ちゃんと話を聞いてくれよ! …あ」
軽くを本を押しのけようとすると、軽い文庫本はそのまま机から飛び去ってしまった。
定兼はギリギリの自制心を保っていた。読書を妨害されたぐらいでは、怒鳴ったりはしない。無言で本を拾い上げた。だが、そこが限界だった。定兼は本の底に、はたいても落ちない汚れを見つけてしまった。
「本に乱暴するなバカヤロウ!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ!! いってぇぇぇえええ!!?」
文庫本の角が由生の頭に突き刺さる。西部の荒くれが銃床で殴りかかるが如く勇猛さだった。
由生が机に沈んだ。
「全く。 題材が思い付かんなら、模倣でもやってろ。古典のパロディでもすればいいだろう」
「ああ、それいい。それやってみよう」
「それぐらい人に言われる前に気付け。お前はバカか」
「バカって言う方がバカなんだぜー」
「……」
定兼は閉口した。この場合に置いて、由生の発言は全く正しかった。つまりは、目の前のバカがバカであるなどという、普遍的な事実を疑問系で発言するのは馬鹿馬鹿しいことであり、その馬鹿馬鹿しい行為を実行してしまう者はやはりバカにカテゴライズされた上に、大々的にレッテルを貼られてしまっても反論は出来ないのである。
そうした論理展開は、まず一人のバカが存在することによって成り立つことを、目の前のバカは知らない。
「よし、それじゃあランプの魔神をパク…参考にしよう。パパラパー!」
「それは指輪の大魔王だ」
定兼は気を取り直して文庫本を開いた。どこまで読んでいたか分からないが、由生に話し掛けられたあたりから読み直すのも悪くない。
「この先どう書いたらいいと思う?」
「俺に聞くな。…まだ何も書いてないじゃないか」
「意地悪言うなよ。俺、知ってるんだぞ、そのメガネが実は宇宙の波動を受信する機能を持ったハイテク機器だってことは」
由生は真顔だった。そうか、前に成績が良いのは別に頭が良いわけじゃないってのを、お前はそういう風に捉えたんだな。コイツにノンフィクションを書かせたら、そこそこウケるものが出来上がるんじゃないだろうか。
外からの物音に、定兼は開けっ放しの扉を見た。廊下から軽快な足音が聞こえたかと思うと、教室に人影が駆け込んできた。
「あれぇ、まだ誰かいるー」
肩までのものを後ろにまとめてしばった髪。おでこが魅力的に眩しい嶋木さんだ。
「どうしたの嶋木さん」
「忘れ物、忘れ物。と言うかそれはこっちのセリフだよ。そっちこそ何してんの?」
「見ての通り」
定兼は文庫本を掲げてみせた。
「ああ、中村君の子守なんだ」
「理解が早くて助かるよ」
定兼は肩をすくめ、由生は非難の声を上げるが、嶋木の朗らかな笑いを助長するだけだった。
何読んでるの? と嶋木が顔を寄せる。年頃の男子にその吐息を近づけるのは、条例で禁じられていますよ?
定兼はカバーを外して題字を見せた。
「みどり…へき? がん…んー読めなーい」
嶋木はケラケラと笑い出して自分の机へと向かった。定兼には何が可笑しいのか分からない。女の子は理解の及ばない生き物だ。
「エロい本?」
「カバーで隠したらエロい本ってのは偏見だなぁ」
「じゃあ隠さなくてもいいじゃん」
傷や汚れを防ぐため、というのは、読書の習慣がない人間には伝わりづらいのだろうか。まあわざわざ言う必要もないだろう。
「本ばっかり読んでると腐っちゃうよ。 たまには恋もしないと、恋はいいよー」
最早誰に言い聞かせているのかも分からない独り言を口にしながら、嶋木は机を離れて扉へと向かった。
「恋ねぇ。そうそう嶋木さん、コイツの世話見てやってよ。コイツバカだけど、いいヤツだぜ。恋を知ったら化けるかも」
「やーよ、今は独り身でいたい気分なの。…あ、でも伊藤君に迫られたら私、ダメになっちゃうと思う」
「ダメだよ。知ってるだろ、家の事情。命がけになるよ。それとも地獄の果てまで逃避行に付き合ってくれる?」
「アハハ、冗談ばっかり。それじゃあまた明日ね。中村君も」
嶋木は巾着を持った手を可愛らしく振って退室した。
由生は、嶋木の去った後の扉を、何か眩しいものでも見るように眺めていた。
「…いい柄だな。あの巾着、どこで買ったんだろ」
「他に目に付くトコなかったのか?」
そうした後に、由生が黙り込んで何かを書き始めると、教室は静まりかえった。
定兼の知っているいつもの放課後だ。
ガリガリと、机の木目に従って汚らしい音が出る。下敷きぐらい引けばいいものを。
ようやく鳥が鳴くことを思い出したかのように、さえずりが聞こえてきた。
夕暮れ前の教室には、昼間と違う音が満ちている。鳥の鳴き声や、木々のざわめき。本当は昼間にも存在しているが、生徒の騒音に塗り潰されているだけなのだ。そう言う意味では、太陽と星の光の関係に似ている。うむ、何だか今の俺は詩的だ。後でメモしておこう。
「なあ…」
「何だ?」
定兼のロマンチック空間が乱れた。
少し不機嫌な声になってしまったかと思ったが、思い返してみればいつものことだ。
「伊藤は、願いが叶うなら、何を願う?」
突然何を言い出すのかと思えば、定兼は今、由生がやっていることを思い出した。
願いが叶うなら…。
脈絡からすれば、外的な要因で願いが叶うならば、という意味だろう。未来に願望を持つなら、自分で叶えるものだ。祈るように願う必要はない。杜子春のようになりたくもない。過去に悔いがあるとして、それが叶ったときに果たして有り難みを覚えるものだろうか。どうだろう。問題は目の前のバカがそこまで考えているかだ。
定兼は時計を見ると、文庫本をカバンに放り込んだ。
「恋を、してみたいね…」
「前に婚約者がいるとか言ってなかったっけ?」
「つまりは、そういうことさ」
「え? 何? つまりどういうこと?」
由生は、まるで分からないという風に尋ねた。
お前、向いてないよ。定兼はそう思っても決して口には出さない。向き不向きなんて、人から指図されるもんじゃない、というのも有り。毎日合わせてなければならない顔と険悪になるのも面倒だというのも有り。悪辣に扱うほど毛嫌いしてるわけでもないというのも有り。そして何より、定兼はわざわざ人の欠点を指摘してやるほど親切な人間ではないことを自覚している。
「帰んの? …あ」
定兼がカバンを掴んで立ち上がったところで、下校の放送が流れた。
「俺は図書館に寄って帰る。お前は陸上部、だろ」
急がなくていいと、定兼は手を振った。体験入部でフラフラしている由生だが、実は籍を置いているのは陸上部だけだったりする。
「あー、そうだなぁ、休み前に一度顔出しておかないと」
「じゃあな」
定兼は扉に向かう。
視界の端で何かが動いた。時代錯誤なことに、影に日向に忍んで定兼を護衛している連中だ。
そう言えば、今日は紫野が当番に入っていたような。あの女、他のヤツらと違って細かいことまで報告するから厄介だ。きっとつい先刻の、嶋木さんとの会話も一言一句違わずに、いや多少の脚色を交えて文書化するつもりなのだろう。そのせいで帰ってからまた説教を喰らうのかと思うと、我知らず柱を小突いてしまう。
「あ、そうだ。書けたら一番に読ませてやるよ」
「あぁ?」
荒んでいるところに、語尾だけ捉えたせいで、定兼のトサカにきた。
「アホか、お前の書いた小説なんざ読みたかねえよ」
「まぁたまた、俺の作り上げる名文に震えるがいい」
バカで良かった。定兼は心の底からそう思った。そして手を振るだけして教室を出た。
なかなか沈まない夕日を横目に、図書館を目指す。

その晩、定兼は予想通りに覚えのない内容について説教を喰らった。後で入手した報告書には、流し読みするだけで目が汚染されそうな愛の囁きが記されていた。それらの憂さを晴らすために紫野の背後から、両腕にチキンウィングアームロックをかけた。痛がりながら妙に嬉しそうにしていたせいで、むしろ腹が立った。
週明け、由生は教室にプラモを持ち込んで呼び出しを喰らっていた。
世の中アホばかりだ。














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