Epilogue 決別
ルクール大森林の森の奥地。
怏々と生い茂った大木の葉がざわめいた。森にはその安寧を謳歌するかの如く、風が吹き荒んでいる。そして近くからは小川のせせらぎの音も聞こえてきた。
……平和だ。
これほど清々しいほどに澄み渡った平和というのも、世界中でただ一つかもしれない。
俺はその大木の幹に背を預けて、ある人物を待っていた。
暇つぶしに、その円月輪を、指でピンと弾いた。
宙で高速回転して、やがてゆっくりと落ちる。あれほど巨大だった銀製の輪は、今はコイン程度のサイズまで小さくなっていた。
その光景をぼんやりと眺めていた。折り重なった3つの輪っかが、回転することで各々の軌道で遠心して球体を創り上げる。
しかしその球体の内部には、もはやあの赤黒い魔力は微塵もない。
"リゾーマタ・ボルガはもう力を失ったようです"
シルフィード様はあの戦いの後に、そう言った。
俺の反魔力を宿した剣が、本来のエネルギーを打ち消した。
だから記念にどうぞ、という軽いノリで渡されたのだが……。いくら力を失ったとはいえ、そこまで怖れられていた神の兵器を、そう易々と渡してしまっていいのかと疑問で仕方がない。
物騒なものを押し付けられたと考えれば辻褄も合うけれど、シルフィード様の性格的にそんな意図はないだろうし。
まぁ機能を失った以上、そう簡単に復活するわけないか。
もしまた力を宿しても、俺の力で打ち消してしまえばいいんだろうし。
ここで勝利を納めた戦利品として、ありがたく頂戴しよう。
少ししてから大木の裏からハーフエルフの女の子が姿を現す。
「ロストさん……おわ、終わりま……終わったー」
「おかえり、シア」
「はい、ただいまなさい」
あの戦いから1ヶ月が経ち、アザリーグラードやルクールの森にも落ち着きが見え始めた。そんな折、シア・ランドールにも変化が起きた。別に俺がそうしろと言ったわけじゃないけれど、彼女は俺に敬語を使うのをやめだした。
しかも無理やりだ。
無理やり感があるから、言葉遣いが不自然だった。
きっと、彼女の方から近づいてきてくれているんだろう。
それ自体は嬉しいから、変に揶揄することなく、俺は受け入れることにした。
今日、俺たちがここにきたのは、言わばお別れの挨拶のようなもの。
あらためてその祭壇を見納めた。
エアリアル・ボルガを納めていた旧祭壇。
その祭壇は、シアの両親の墓標のようでもある。ここで戦い、破れ、そして亡骸もこの祭壇の下に埋まっていた。
だからシアにとってここに来たのはお墓参りである。
これほど澄み切った空間で眠れるのなら、ご両親もきっと安らかだろう。
そして、その両親にお別れの挨拶をするとともに、エアリアル・ボルガを本来あるべきこの祭壇に返上することにしたのである。
俺もエアリアル・ボルガには何度も助けられた。
風の力で標的を追尾し続ける必中の弓矢。他のボルガ・シリーズと比べても最強クラスの能力だ。創り出したシルフィード様本人が、その能力を付け狙う魔術師が多くて困るほどに。
でもそんな能力を宿した弓矢、さすがに俺たちがいつまでも持ち続けていいものじゃない。だから、俺たちはシルフィード様に弓矢の返上を願い出て、今こうして二人でその祭壇に納めた。
今回の事件でボルガ・シリーズの恐ろしさも知れ渡り、そして諸悪の根源であるリゾーマタ・ボルガもなくなった。他のボルガ・シリーズも精霊様たちの間で守護してくれるらしい。だから、ボルガの力を付け狙う輩は以前よりかは減るだろう。
争いは終わったんだ……。
「じゃあ、街に帰ろうか」
「はい」
返事はまだ敬語でいくようだ。
俺はシアと肩を並べて、その祭壇を後にした。
シアにとってしばらく両親とはお別れだ……。
俺がこの大陸を離れると知り、シアも俺に付いてきてくれる事になった。その決意の言葉は、最後"必中の弓矢"を放つ前にシアの口から聞いている。
―――化け物同士、お互いのダメな所は補い合いましょう。
つまり、これから俺の向かう先々でも支えますよ、という意味だろう。
あれは言ってしまえば彼女なりの告白か?
そう捉えていいのか?
だとしたら、パートナーとしてそれらしい振る舞いをしても文句は言われないだろう……という事は、これからシアともっと深い関係を……?
○
街のメインストリートを歩く。
モンスターの進攻で荒れ果ててしまった建造物の数々と瓦礫の山々が並んでいた。道の舗装だけを優先して取り組んで、なんとか先に片付いた、という感じだ。
その先には迷宮都市の象徴ともされていた冒険者ギルドの本拠地があったはずだが、現在は影も形もない。そこも、今では荒れ果てた陸橋と、瓦礫だらけのアザレア古城跡地、そしてその中心の大穴が残っているだけだ。
俺とシアの2人は陸橋を渡る気すら起こらず、その戦いの爪痕をぼんやりと眺めていた。自分たちが繰り広げた熾烈の戦いが、今では他人事のように思える。
「ここもしばらく来ないんだろうな……」
誰に向けてでもなく、ぼそりと呟いた。
4,5年間お世話になったダンジョン。飽きずにたくさん遊んだもんだ。
崖下に広がる底の見えない暗闇やアザレア古城跡地中心に空いている大穴の様子を見ると、もうあの迷宮も無くなったと考えていいだろう。
魔力の源泉だったボルガの力も無くなってしまったし、もう二度とあの迷宮を冒険する事が出来ないんだと思うと、なんだか寂しさすら覚える。
実はあの後、この跡地でアンファンの遺体を発見した。
エンペドと融合してしまったために下半身は無惨なものだったが、上半身は奇跡的に綺麗に遺していた。やはり遺族に知らせようということになり、ユースティンに教えた。彼も父親の無惨な姿を見てしばらく酷い状態だったが、2,3週間で克服した。今は自ら氷魔法をかけて遺体を冷凍保存している。
大事な場面ではちゃんと乗り越えられるってあたり、あいつも男だなーと思う。
アンファンの遺体は、屋敷に連れて帰って家族と一緒に埋葬するらしい。
横暴だったり意気地なしだったりしたユースティンにしては、随分しっかりしていた。ここでの生活で成長したのはユースティンも同じようだ。
シュヴァルツシルト家の本家はラウダ大陸にあるらしいから、俺と同じタイミングで大陸を渡ることになっている。
ちなみにアンファンが率いていた魔術ギルドの2人――リズベスとジーナさんだが、彼女らはアンファンから解雇処分を食らっていたものの、ひとまず魔術ギルド本部へ事実を伝えに行くとのことだ。
だから一足先に大陸を渡っている。
まぁ、アザリーグラードで引き起こされた惨劇を考えると、悪いのはアンファンの方だ。おそらく彼女らの解雇は帳消しになるだろう。アンファンももしかしたらリゾーマタ・ボルガさえあれば起こった事実も改竄できるから、後先考えずに暴挙に出ていた可能性もある。
死人に口なし……本人の意図は最後まで闇の中だが……。
リズベスともせっかくゆっくり話せると思っていたのに、忙しそうで残念だ。だが、生きてる限りはどこかで巡り合えるだろう。
…
俺とシアが2人で感傷に浸っていたときのことだ。
「お前、たち」
「……?」
後ろから声を掛けられ、振り返る。
「あぁ、アルゴスさんか」
そこには巨人族の村―――ギガント村でお世話になった無愛想な巨人がひっそりと立っていた。
シアの目の前に立ちはだかると、身長差がありすぎて種族の違いをよく感じる。アルゴスさんは相変わらず長い黒髪を後ろで三つ編みにしていた。心なしか顔の傷も増えたように思う。
村に引き籠りがちな巨人族たちだが、俺とユースティンに対して恩義を感じてくれていて、アザリーグラード復興のためにこうして手伝いに来てくれていた。
力持ちの彼らが瓦礫撤去作業を手伝ってくれると、ずいぶん捗るもんだ。
「……これ……お前、頼む、届ける」
この街で手伝いをしてしばらく立つが、相変わらず言葉は上達しないようである。しかし、差し出してくれたソレを見て、彼の気持ちも理解できた。
「お、これは!」
慎重に摘まむようにして差し出してくれた物……それは氷で出来た一輪の薔薇。インテリア性と機能性を両立させた魔道具"Cold Sculpture"―――ではなく、それをモチーフにして作られた氷の髪飾りだった。
もうこの街とは決別するため、シアは持ち家を売却してしまった。だから置き型の魔道具よりも髪飾りの方がいいだろうと思って、俺はアルゴスさんにこっそりお願いしていたのである。
「ロスト、贈り物………エルフへ」
「……私ですか?」
シアへのプレゼントをと思ってネーヴェ雪原を訪れてから、すっかり遅くなってしまった。だけどこの白い精巧な髪飾り、絶対、この子に似合うはずだ。
シアはその氷の髪飾りをアルゴスさんから受け取って、さっそくその青い流れる髪に着けてくれた。事前に種族も伝えておいたから、シアの小顔に合うように小さいサイズで作ってくれてある。
青い髪に栄える白い彫刻……まるで雪解けの流氷のようである。
さすがだ。
やはり俺の狙いは間違いじゃなかった。
シアの天使度が増し増しだ。
まさに眼福!
「ありがとうございませ」
「いや、こちらこそだ!」
俺は惚れた相手にどうも貢ぐ癖があるっぽい。
○
街を離れるその日になった。
アザリーグラードでお世話になった面々がお見送りに来てくれている。
街の出口付近でお別れだ。
ラウダ大陸行きの船が出ている港までは、ストライド家一行が大型の馬車を借りてくれて、それで向かう。大陸を渡る組はけっこうな大所帯だ。
俺、ストライド家の方々、シア、ユースティン……そしてアンファンも。
「……ロストがいねぇなんて寂しくなるな」
「なに言ってんだよ、タウラス。お前だって、アルバさんと旅立つんだろ?」
タウラスはまだ松葉杖をついている。あの城での戦いで極度の重傷を負っていて、まだ完全回復には至っていない。ヒーリングをかけようが、限界というものはある。
俺のからかい混じりの言葉に、頬を赤らめて反応を示したのは隣に立つアルバさんの方である。
「ふん……! バカラスはもっと強くなってもらわなければならない。最強を目指す私と旅立てば、少しはマシになると考えただけだっ」
恋愛ごとには初心なアルバさんらしい言い訳だった。
「俺はアルバさんのおっぱいが傍にあればそれだけでいいや」
タウラスはまたデリカシーのない事を言って、アルバさんの肩を抱いた。
しかし即座にアルバさんに蹴り飛ばされる。まだまだ本調子じゃない怪我人に対して遠慮のない一撃だった。だが、これもお約束。きっとタウラス自身も、恥ずかしいのを破廉恥な言葉で誤魔化しているだけだろう。
精神年齢はいつまでもガキみたいなやつだ。
「私からもお礼を言わせてください」
ふわっと浮かんで出てきたのはシルフィード様だった。ルクール大森林で精霊力を取り戻したのか、体が少しだけ成長していた。今は幼女ではなく、12,3歳くらいの少女という感じだ。女の子の成長を短期間で見ているかのようで何だか悶々とする。
「ロスト、シア・ランドール……2人には何とお礼をしていいか……。ヒトである貴方たちにこれほどの苦労をかけてしまったのは、私たち精霊の力不足でもあります。本当にごめんなさい」
シルフィード様は地に足を付けてから、深々と頭を下げてきた。
「いえ、頭をあげてください。アレは……俺の責任でもありますから」
知らずにアンファンの手伝いをしてしまった。
もっとボルガの力を恐ろしさを認識して最初からおかしいと思っていれば、こんな事態にはならなかっただろう。
「リゾーマタ・ボルガ無き今、私たちの負担も少しは軽くなりました。本当に感謝します」
「これですよね? 本当に頂いてもいいんですか?」
「はい。それはもう、ただの銀細工でしかありませんから」
俺は首飾りとしてその小さな円月輪を提げていた。
……それなら安心かな。
お墨付きがあれば記念品としてこうしてアクセサリーにしておけばいい。
「それではお気をつけて。これからの貴方たちの旅路に、神の御加護があらんことを」
精霊様にお祈りされると本当にその恩恵も受けられそうな気がする。
というか、神ってやっぱりケアの事なんだろうけど。
「はい、シルフィード様もお元気で。いろいろとありがとうございました」
俺がお礼を伝えたタイミング。
シルフィード様がはっとなって周囲をきょろきょろと見渡した。
「……そういえばグノーメがおりませんね」
「あ、そういえば。というかサラマンドもいない……けど、まぁサラマンドはいいや」
グノーメ様、時間の感覚がおかしいからな。
出発の日取りは伝えてあるけど、忘れられてるんじゃないだろうか?
一番お世話になった精霊様だけに、なんだか残念だ。かといって今更また街に戻って別れの挨拶に出るのも待たせている馬車に申し訳ないしな。
「グノーメには私から伝えておきます」
「はい、よろしくお伝えください」
仕方ない。まぁ死別じゃないんだ。またいずれこの地には戻ってくるつもりだし、そのときに会いに行こう。また「こないだ会ったばかりじゃねぇか」とか罵倒されそうだけど。それはそれで時間が空いても受け入れてくれるって事だろうし、気軽に訪ねられる。
「ちょっと……! ジャック、遅いわよっ!! っていうか―――」
停車中の馬車の方面から大きな声が上がる。
言うまでもなくアイリーンの声だが、その声は次第に近づいてきていた。
「ち か づ き す ぎ !!」
そしてシアと俺の肩を両手で押しのけて、間に入ってきた。その顔は非常に怒っている。俺とシアが仲良くしているのが相変わらず気に入らないらしい。
「なんか最近距離が近い気がするのよねっ! まったく、私のジャックなんだから図々しく近寄らないで!」
「それは失礼しましたー」
シアは余裕そうに俺との距離を取った。
その態度にアイリーンも余計に過敏反応を示す。
「え、なによその反応っ! 余裕ぶってる感じが気に食わないわ」
一体どうすればこのお嬢様は満足なんだろう。
○
そして馬車に乗り込んで、いよいよ長く親しんだこの迷宮都市を離れた。
幌の隙間から覗くその街がどんどん遠ざかっていく。
11歳に流れ着いたこの街だが、今ではもう15歳を超えていた。思春期を過ごす土地としてはとても充実した場所だったと思う。
たくさんの思い出が詰まった街―――アザリーグラード。
粗野な街にしっかりとした記録なんてつかないかもしれない。今は住人も冒険者たちも街の整備でてんてこ舞いだ。だけど、俺たちの戦いは、この地の人々の歴史にしっかり刻まれただろう。
「もう迷宮都市じゃなくなるもんな。地下迷宮もないし……」
「あれだけ暴れたんだから仕方ねぇ。でも今回の戦闘、次の改造に活かせるぜっ」
「えぇ……まだ改造するんですか………って!?」
振り返るとそこに緋色のショートヘアを黒ゴーグルで巻き上げた幼女がいた。どこから現れたのか知らないが、思わぬ出現に、馬車に乗り合わせていた面々が硬直した。
「グノーメ様?!」
「おうよっ」
片手を挙げて快活に挨拶をしてくる。
「おうよって、なんでここに?!」
「ここにって、あたしもお前らについていくぜっ」
「精霊としての役目はいいんですか?」
「んなもん、もう誰も気にしてねぇ。ティマイオスだって結局現われなかっただろ」
ティマイオス様といえば雷の賢者だったか。確かに最後の最後まで登場しなかった。どんな姿をされているかもよく分からない。
「それに言ったじゃねぇか。まだまだ改造させてもらうって」
「あぁ、そういえば、城に攻め込む前にそんな不穏な事を仰ってましたね」
「狩り場のなくなったあの街じゃ、あたしの魔道具も需要がねぇ。というわけで仕事場を移すぜ」
なるほど。
そのうちアザリーグラードも街の機能を徐々に変えていくだろう。
冒険者の街から、普通の商業の街。あるいは歴史の深い観光地。
どんな街になるかは分からないが、グノーメ様の戦闘用の魔道具も必要なくなっていく。だから鍛冶師として、別の地で生計を立てていくという事か。
「待てよ……もしかしてこのパターンは?」
俺はふとシアの肩を見やる。
そこには平然と赤トカゲが居座っていた。
「よっ」
「よっ……じゃねぇよ! お前もか」
「あまりにもシアの肩の乗り心地がいいもんでな」
「そんな小さい肩が?」
「このさらっさらの髪が背中に当たるとよ……撫でられているみたいで気持ちいいんだ……」
なんだかその言い方は、雌とはいえシアの髪を蹂躙されているようで腹立たしい。俺がギラついた目線を送っていることに気づいたのか、サラマンドは弁解するように両手を振った。
「いや、待て、冗談だ……俺様の目的はだな、ボルカニック・ボルガよ」
あぁ、そうか。
俺はアルフレッドに会いに行く。そこには本物のボルカニック・ボルガがある。サラマンドとアルフレッドの間にどういう因縁があるのか詳しく聞いていないが、きっとサラマンドにとって俺たちに付いていくのが都合いいんだろう。
まさかリバーダ大陸の五大精霊のうち2人が付いてくるとは。
斯くして、俺とシアとそのペット、そしてユースティンと父親の遺体、はたまた貴族の方々御一行は、時には感傷に浸りながら、時には小競り合いを繰り返しながら、大陸を渡るのであった。……向こうに着いたら、色々とやりたいことがある。
アルフレッドとリンジーに会いに行く。
オルドリッジの屋敷に―――肉親に1度会いに行く。
そして女神ケア……あいつ、どこにいるんだ?
(第3幕「家族」に続く)