Episode68 タワーロッジの幽霊
シアとユースティンを連れてグノーメ様の魔道具工房へと戻ってきた。
2人とも落ち着いた様子で荒れ果てた現場を見渡し、状況を考えてくれている。
静まり返った工房ではこちらの衣擦れ音や足音すら響き渡るほどだ。
「ふーむ……激しい戦いがあったと考えるのが妥当だ」
ユースティンは鉄柱についた焦げ跡を手でなぞりながら、検証をしていた。焦げ跡、つまりグノーメ様がこの屋内でレールガンを使った跡だ。
「何と戦ったんだろうな?」
「グノーメが工房を破壊してまで抵抗したんだ。相当の強敵だったのは間違いがない」
「強敵なんてレベルじゃない。グノーメ様だって精霊の一人なんだからな」
俺はユースティンよりも焦っていた。
嫌な予感がする。
何か大きな出来事が起こる予兆のようなものを感じる。
「ロスト、精霊ってのは言うほど大したものじゃねえぞ。あのチビ娘は引き籠りの魔道具愛好家だったからよ、俺様とは比べものにならねえぐらいに弱かった」
シアの肩の上に乗る赤いトカゲ―――サラマンドが、その堅そうな首をぐるりと向けて喋っていた。生み出す兵器の数々は最強だと思うけど。
「サラちゃん、グノーメ様が襲われた理由は分かりますか?」
シアは肩のペットに問いかける。サラマンドは態度こそ横暴だが、今ではペットでしかない。滑稽な姿だ。俺の私怨の感情も混じってそう見えてるだけかもしれないが。
「さてな、俺様もしばらくグノーメとは会ってねぇ。まぁ、あいつは人に恨まれるほど社交的じゃねーし。玩具目当ての強盗じゃねーか?」
「強盗にしては派手に魔道具も破壊してるからおかしい」
「甘いな。人間どもが俺様たちを付け狙う理由の大半ってのは、こんなガラクタなんかよりもっとすげーもんだ」
「……?」
サラマンドの言葉に、俺は一瞬理解が追いつかなかった。魔道具よりも優れたもの。その言葉の真意は、これまでの冒険の中に答えがあった。俺たちもそれを求めていろんな土地を巡った。特にユースティンやアンファンさんが固執していたものだ。
ユースティンも気がついたようだ。
「アーセナル・ボルガ?」
そうだ、他の魔道具なんて足元に及ばない。
神秘の力、ボルガ・シリーズ。
仮に強盗が襲ったとして、そいつらの狙いはアーセナル・ボルガだ。
「サラマンド、アーセナル・ボルガはこの魔道具工房にあるのか?」
「さぁ……俺様が知るかよ。だがグノーメの性格上、あいつが自分の作品を手元に置いておかないはずはねぇがな」
ってことは、ここを襲った強盗がボルガを狙ったと考えて良さそうだ。
結局、それから何時間か荒れ果てた工房を調べまわって痕跡がないか見て回ったが、グノーメ様の手がかりは見つからなかった。
それにしても、一つ気になったことがある。
この工房の電撃による焦げ跡……お手製レールガンによるものだけにしては、少々多すぎる。工房の至る所には山ほど電撃による焼け跡が線を引くように残っている。それほど連続で射出できるものにも思えないし、敵側も電撃系の魔法を使っていたと考えてもいいような気がする。
犯人は、電撃魔法を得意とするもの……?
○
それから魔道具工房を出て、周辺の人たちに聞き込み調査をかけたり、心当たりがある場所へと行って調べもした。だけど何のヒントも得られないまま時間だけが過ぎ去り、また数日経過してしまった。
シアとユースティンにはたまにグノーメ様の情報を探ってもらってるが、真新しい情報もなし。無力感に苛まれて、俺はダンジョンに行く気分でもなくなっていた。
日暮れ時、1人で安宿のベッドに寝っころがる。
もうちょっといろいろ考えてみよう。考え事するときは横になって何もしていない方がいい。まだこの時間だと他の客も部屋に戻ってきてないのか、静かな時間だけが刻一刻と過ぎていった。
行方不明者の捜索。
3年前のダリ・アモールでの事件を思い出す。あのときも子どもたちが何人も誘拐された。失踪した子どもたちの行先を見つけ出したのはトリスタンだ。
トリスタンは……楽園シアンズの戦いでその後の消息は不明だ。
本当は死んでしまったのか?
確かめるためにも早く戻りたい、ラウダ大陸へ。
でもグノーメ様が誘拐されて、何か嫌なことが起こってる予感がする。
突然全てを投げ出して大陸を渡るなんて出来ないよな……。
あー、堂々巡りだ。
トリスタンはあの時、街を俯瞰して違和感に気づき、誘拐犯を探した。
そこから後を追いかけて、楽園シアンズの場所を突き止めたんだ。
戦闘能力だけじゃなくて洞察力も高い。
すぐに犯人を押えない冷静さも兼ね備えていた。
どんな能力を手に入れたとしても、俺じゃ、トリスタンにはいつまで経っても敵わないよ。
今回の事件だったら、トリスタンならどう動くだろう。
トリスタンだけじゃない。
アルフレッド、ドウェインだったら。
うーん、考えてもさっぱり検討がつかない。
やっぱり俺はまだ、あのヒーロー達の足元にも及ばないのか?
……あ、待てよ。この街にはリズベスが来てるじゃないか。
リズに相談してみるのはどうだろうか?
――――コンコンというノックの音
閃いた途端、乾いた音が部屋に響いた。
「誰?」
「わたしよ、入ってもいい?」
「あ、アイリーンか」
ノックを覚えたなんて彼女も3年前から成長したものだ。
アイリーンが日頃は着ないような質素な服装で、ボロ部屋に入ってきた。質素な服といっても、艶やかで豪華な黒髪が肩から流れ、凛とした立居姿は貴族のそれを感じる。
その見目麗しさは服で飾られてなくても煌々と輝いて、俺には眩しい。
だがしかし、まるで寝間着のような格好なのは何故だ。
「どうした?」
「………その、今晩一緒に寝てもいい?」
「は?!」
突然来てそれはない。
俺はベッドから起き上がり、とりあえず貞操の安全を確保した。
「何言ってんだ、急に」
「……お願い」
にしても彼女の様子がちょっとおかしい。ふざけて勢いで押しかけたような様子はない。いつもだったら押しかけ女房よろしく、ベッドにダイブしてきても不思議ではない。
だけど今日はちょっとしおらしい。
近寄ってよくよく見ると、目の下にも隈が出来てる。
寝不足なのか?
「眠れないのか?」
「……うん、そうなの」
「何があったんだ? 俺に出来ることがあれば――――」
言いかけて、押し留まる。俺に出来ることなんてたかが知れてるじゃないか。戦い以外で出来ることなんてそんなにない。
今も無力を実感していたところだし。
「実はわたしが寝泊りしてる部屋のことなのよ……」
「寝泊りしてる部屋? アイリーンって普段どこに泊まっているんだ?」
「冒険者ギルド近くの"タワーロッジ"よ」
タワーロッジって言ったら迷宮都市最大の高級宿だ。
だいたいの宿が2階建な中、タワーロッジに関しては7階まであるとかなんとか。最新の鉄骨式で建てていて、暴動が起きたときも安心。観光名所の冒険者ギルドから徒歩5分、立地条件も良い。各部屋に関しても贅沢の限りを尽くして装飾されている。さらにセキュリティも万全。
貴族連中にも安心の迷宮都市観光を提供していると聞く。
さすがストライド家の貴族令嬢!
いや、驚くべきことじゃない。
金持ちだったら間違いなくあそこに泊まっているはずなんだ。
「良い宿じゃないか。何が不満なんだよ」
「そ、それが………」
本当に元気がない。
いつもはその勢いに圧されてこっちが萎縮するばかりだったけど、落ち着いて見ると貴族令嬢らしい可憐さと魅力がある。
俺に好意を寄せてくれているのがもったいないくらいだ。
うん、何か悩んでいるなら相談に乗ろう。別にやましい事はない。困っている少女を助けるだけだ。やましい事なんて何もないぞ。
「それで、その高級宿で何があったんだ?」
冒険者ギルド近くすぎて騒音に悩んでる、とかだったらどうしようもないぞ。まぁ防音対策もしっかりしてるだろうが……。
「お化けが出るの……」
お次は幽霊騒動ですか。
○
高級宿"タワーロッジ"とは、冒険者ギルド前の大通りから少し歩いたメインストリート沿いにある。"アザレア王城"も観光したいという変わった観光客もいるらしく、冒険者ギルド近くが立地として好まれるらしい。
アザレア王城があるのは迷宮の30層付近だ。俺たちピクニックパーティーも随分痛い目にあった王城だが、あんなところに観光気分で行くような奴らがいるとしたらそれこそクレイジーだと思う。
観光には熟練の戦士がガイドとして着くようだが、でも身の安全の保障はない。
俺はとりあえず本当に幽霊なんかいるのかどうか確かめるためにアイリーンの部屋へと同行することにした。ゴースト系の魔物なら、反魔力弾を当てれば一発で爆散するんだろう。
アイリーンの案内でその宿へと辿り着いた。もう夜更けだが、シャンデリアがその1階ホールを煌びやかに照らしている。夜だからか、演奏者たちが併設されたステージでチェンバロやヴィオラを演奏してオシャレな雰囲気を作り出していた。
タワーロッジのセキュリティは万全だ。
一階の受付部分は宿のスタッフたちが監視している。さらにセキュリティカードと言われる魔道具の類のものが宿泊客に手渡されるのだが、そのカードがないと受付を通過することは出来ないし、万が一に盗まれたとしても宿泊客として登録された者以外が使っても効力を発揮しない。
マナグラムと似たような原理で作られた魔道具のようだ。
ずいぶんと金がかかってるな。
「こっちよ」
俺はアイリーンの案内でその1階ホールを通過し、螺旋階段を上がっていった。
アイリーンやダヴィさん、リオナさんの部屋は3階にあるらしい。タワーロッジの受付スタッフたちは、アイリーンの清楚な服装と俺の粗悪な服装の組み合わせに目を丸々させていた。
ここの受付スタッフ、冒険者ギルドのスタッフと似たような黒いベストを着ている。
正装の一般的イメージがあんな感じなんだろう。
「すごい世界だ。俺みたいな野蛮人には場違いじゃないか」
「ジャックは野蛮人じゃないわ! いずれストライド家の貴族の一員になるんだからっ」
貴族。
実際、俺も勘当されてなければストライド家と同じくバーウィッチに居を構えるオルドリッジ家の貴族だったわけだからな。
確かに場違いではない。
場違いではない、が……幼少期のトラウマなのか、貴族の雰囲気を感じると落ち着かなくなってくる。
…
廊下を歩き、1つ1つの扉の派手さに度肝を抜かれる。レリーフ模様が掘られて、宝石も散りばめられている。俺がこんな宿に泊まったら落ち着いて寝れたもんじゃないだろう。
アイリーンの案内に付いて、その部屋へと辿りついた。
中も扉と同様、装飾兼備だ。
広い間取り、大きな天蓋付きのベッド、ふかふかそうだ。枕もぶ厚い。俺が好む藁で編んだガチガチに硬い枕とは別物だった。調度品の椅子やテーブルも、木の彫り込みに職人のこだわりを感じる。座り心地が良さそうだ。
「あれ、ダヴィさんとリオナさんは?」
「この部屋はわたし1人用よ」
そ、そうか……。
広さ的に6人くらいは寝泊りできそうだが、3人で相部屋してるわけじゃないのか。
「それで、お化けってのは?」
「………うん」
幽霊が怖いなんてアイリーンも可愛らしいところあるな。
この子は普段、気高く振る舞ってるからあまりそういう素振り出さない。
そういう弱い所見せてくれれば俺も心変わりしてしまいそう……いや、違う。それは違うぞ。
「きっとしばらくすると……」
アイリーンは天井を見上げ始めた。
事前に聞いた話によると、夜寝ている最中に天井からガンガンとラップ音が響き渡るのだという。そんなの上の部屋の住人が騒いでるだけじゃないのか、と思う。アイリーンもそう思ってスタッフにクレームを付けたところ、この部屋の真上にあたるフロアには誰も泊まっていないのだという。
それを聞いた瞬間からアイリーンは恐怖で眠れなくなり、寝不足となった。ダヴィさんやリオナさんに相談しても茶化されるだけに終わったとかなんとか。
「もうわたしは怖くて怖くて、ジャックの部屋に寝泊りする決意をしたわ……」
「そこでなんで俺の部屋って結論になるんだよっ!」
「どうせ夫婦になるんだからいいじゃない。ちょっと前倒しで一緒に寝始めるだけよ」
「そんなの決まってない!」
「ジャックはわたしのことが嫌なの?」
ぱっちりとした目をうるうるさせて俺に視線を投げかける。
そんな目で俺を見るな。
嫌じゃない。嫌じゃないぞ。
むしろ嬉しいくらいだぞ。だけどタイミングというか、運命というか、俺は3年も冒険生活を共にしたハーフエルフの事が好きなんだ。
そんな心揺らぐような事を言わないでくれ。
「嫌じゃないけど、なんというか……その……」
「あの泥棒猫のせいねっ」
「いやいや、そんな言い方するなよっ」
「あの子の何がいいのよ! ジャックだって本当はわたしの方がいいんでしょ!」
凄い剣幕だ。
またこれである。
前にも思ったことだが、アイリーンは欲望に素直だ。それはアイリーンが、というより貴族や成功者が持っているような共通の素直さに思ってる。俺やシア、ユースティンみたいに一度、投げ捨てられた人間にはない素直さを感じる。
「だいたいあの泥棒猫がいなかったらわたしたちは――――」
―――ゴン、ゴンゴンゴン。
きた。
天井から物音がした。
「………!」
アイリーンは顔を歪めて、不安そうに天井を見た。
そして俺と顔を見合わせる。
―――ゴンゴン、ゴンゴンゴン!
「ほら!」
天井から打ち付ける音は勢いを増していく。
いや、絶対誰かの仕業だろ。
「これ、間違いなく上の部屋からじゃ?」
「で、でも誰も泊まってないのよっ」
スタッフがそう言っても、誰かが忍び込んでる可能性は……セキュリティ万全だし、違うかな。動物が忍び込んでる可能性は……上のフロアは4階だし、そこまで登れないか。
考えてもキリがない。直接確認した方が早いな。
「ジャック……! どこいくの?!」
「確かめる。この物音は絶対に上の階からだ」
◆
この数日で大迷宮へ2度潜入した。
ボルガ・シリーズを2つ携えて。
1つは雷槍ケラウノス・ボルガ。
そしてもう1つは氷杖アクアラム・ボルガ。
ジョバンとユウと3人での潜入だ。
そこで検証してみて分かったことがある。ボルガ・シリーズは必ずしも5つ揃える必要はないのではないか、ということだ。
アザレア城に侵入し、ユウの案内によって到達したボルガの台座。
そのボルガの台座には風の賢者シルフィードの像があった。どうやらそこにはエアリアル・ボルガを嵌め込まなければ意味がないようだ。
そこから探索を進めて、5つの賢者の台座全てを探し出した。
台座にはボルガの柄を嵌め込めるようになっている。
ここまではいい。
アンダインの像がある台座にアクアラム・ボルガを嵌め込んでみたところ、アザレア城全体が振動して動き出した。さらに雷の賢者ティマイオスの像の元へケラウノス・ボルガを嵌め込んだところ、アザレア城は城全体を上方へと浮かび上がらせたのだ。
封印とは、どうやらアザレア城自体の封印のようである。あの調子でいけば3つか4つ、ボルガを差し込めば、封印は解けるのではと考えている。
希望的観測となってしまっている。
しかし、誰も検証のしたことがない事なのだ。
グノーメもアーセナル・ボルガの在り処について口を割らない。
さらにロストくんの偽ボルカニック・ボルガも封印解除に貢献してくれるかどうか分からない。
不確定要素が増してきた以上、エアリアル・ボルガを奪い、3つのボルガで検証する必要がある。そして真髄に当るリゾーマタ・ボルガに近づかなければ。
「さてリズベス、ルクール大森林へは同行してもらう」
僕は部屋の傍らに立つリズベスに声をかけた。
彼女はこの数日の説教が堪えて、かなり萎縮してしまっている。
「ええ、もちろんです」
「バイラ火山への旅で時間をだいぶ無駄にしてしまったからな」
「……申し訳ありません」
リズベスはバイラ火山に既にボルカニック・ボルガが存在しない事を知っていた。かつて所属していた冒険者パーティーのリーダーの手元にあるそうだ。
だというのに僕たちにそれを共有することもなく、黙っていたのだ。仲間を売り渡すわけにもいかないという気持ちはよく理解できる。だが組織として動くギルド員としては失格だ。
もっと自覚を持ってもらわなければならない。
しかし、あそこへ行ったからこそロストくんがその複製物を作り出せた、というのもある。まったくの無駄足だったかと言われればそうでもないから、お咎めは抑えておこう。
今は目的達成が最優先だ。
「それに、エアリアル・ボルガならリズベスも興味があるだろう?」
魔術ギルドは今回のリゾーマタ・ボルガに狙いをつける何年も前から、エアリアル・ボルガの実用性の高さには関心が高かった。
それ故、数年前から何度もシルフィードには交渉に出かけていたものだ。その際、ギルド以外の魔術師、考古学者たちと衝突が起こり、ついぞ入手には至らなかった。
だから今回は、交渉などという悠長な事はせず、奇襲性を高める。
「興味はあります。でもシルフィードやグノーメに対しての横暴を知られたら、ジャック―――いえ、ロストやユウの反感を買う可能性はありませんか?」
リズベスはグノーメを監禁したやり口がどうにも気に入らないらしい。
冒険者上がりの人間は人情を重んじる傾向があるが、リズベスは頭で理解できているわりにどうもそれが捨てきれないようだ。
「ふむ、僕もそれに関しては注意しなければと考えているよ。子どもには理解できないかもしれないが、大人の対応というやつが時として必要になるんだ」
「大人の対応、ですか……」
「そうだ。ユウやロストくん、他の子どもたちの事は騙す方向でいく」
「騙す?!」
リズベスが驚きの声を上げた。
それと同時に廊下の方から人の歩く音が聞こえた気がした。
このタワーロッジの4階フロアは貸し切っているし、従業員には誰も宿泊していないと告げるよう賄賂も掴ませている。関係者以外が訪れることはないと考えているが、少し声が大きいのは困るな。
「彼ら自身に危害を加えるつもりはないんだ。目的のために力を貸してもらうだけだ」
「ですが……」
「まだ反抗するつもりなのか?」
「いえ、すみません」
まだリズベスもジーナも20代だったか。2人もまだ子どもという事だろう。それにしてもジーナにはあそこまで今回の手段に反対されるとは思わなかった。本部へ帰ったら厳罰処分だな。
――――ギシ。
やはり廊下を誰かが歩いている。
僕は椅子を立ち上がり、部屋の扉を開けて廊下を眺めた。
「誰だ?」
廊下の闇に2人の人影。
隅の方で身をひそめているが、僕にはその程度の気配遮断は見破れる。
「………っ!」
そこにいたのは見知った2人だった。
「ロストくん……それに、ストライド家のご令嬢じゃないか」
「あ、あはは……」
まさか今のやりとり、聞かれていないだろうな?
「何故こんなところに?」
「なぜもなにもないわよっ! 上に泊まっているのって貴方たちなの?!」
「上……?」
「毎晩毎晩うるさいのよっ! ドンドンドンドンって。わたしはお化けだと思ったんだからっ……このわたしを寝不足にした罪は重いわよっ!」
「アイリーン、黙って」
ご令嬢は目尻に涙を浮かべながら、きぃきぃと叫んでいた。どうやら状況を察するに、僕たちの下のフロアにこの娘が寝泊りしているようだ。
ドンドンとうるさい……?
「すみません、アンファンさん、なんか上からの物音が凄いみたいで……」
「あ、あぁ………すまない。僕の悪い癖で、椅子で考え事してると足が竦むんだ」
隣のグノーメの仕業だな。
椅子への縛りつけで放置していたのがよくなかったか。
「なによ、そんな事なら早く言ってよねっ……ほんとに怖かったんだからっ」
「すまなかった。今晩からしないように"注意"するよ」
様子を聞くと、さっきまでの話は聞かれていなかったようだ。物事のタイミングとは恐ろしいものだ。聞かれたくない会話をしている時に限って、その彼らがすぐ傍に迫っている。例の大魔術師が研究対象としていた"因果律"とはこの事だろうか。
「ところで、ここに寝泊りしているのはアンファンさんだけですか?」
ロストくんが確信に迫るような事をついてきた。彼は決して計算高いわけじゃない。優れた直感が故の天然なのだ。僕一人と言った方が怪しまれる事はないだろう。だがまたしても彼らがこのフロアに来たとき、他のチーム員が目撃された時の事を考えると、正直に答えた方が後々のためだ。
「このフロアには僕以外のチームメンバーも寝泊りしている」
「ということは、リズも?」
「もちろん。それぞれバラバラの部屋だがね」
「あー、そうですよね」
ロストくんとその隣の彼女は、一通り疑問が解消されて満足したようだ。2人そろって夜の挨拶の後、踵を返して去っていった。
「そういえば」
だが、またその彼が振り返る。
「なんで宿の人はこのフロアに誰も泊まっていないと言ったんですか? アンファンさんたちが宿泊してるじゃないですか」
「……それは、僕たちは任務での長期滞在だから、漏洩しないよう口止めしているんだ」
「あ、そうか。仕事だといろいろ情報も洩れないようにしないといけませんよね」
なかなか苦しかったが、なんとか怪しまれることはなかったようだ。
やっぱり彼は要注意だ。
協力を取り付けるにはトラブルが生じそうだ。彼が造り出す偽ボルカニック・ボルガが迷宮の封印解除の能力さえ持ちうるのかどうかは不明である以上、火剣は無いものとして考えた方が良さそうだ。
あとからリズが廊下へと顔を覗かせた。
「アンファン、大丈夫ですか?」
「あぁ………どうも何かに嗅ぎ回られていないか心配でね」