Episode51 恋の予感Ⅰ
夜更けのシムノン亭―――もはやここに通うことが毎晩の日課になっている。カウンター席で空いてしまった皿をぼんやりと眺めながら、ここ最近の繰り返しの日々に空しさを感じていた。
だけどこのシムノン亭に通うのは止められない。
冒険者が集い、毎晩むわっとした熱気が漂うこの酒場が、寂しさを紛らわせてくれる気がするからだ。
なんといっても俺は独り。
家族はいない。
仲間も知らない。
冒険者パーティーも組んでいない。
記憶とともに自分自身を失ってしまった、寂しい野良猫ちゃんだ。
あああ、臭い台詞はやめよう! 最近数少ない知り合い連中から変な影響を受けて台詞だけじゃなくて発想自体おかしくなりつつある。
俺は孤独な戦士。ピンチに陥ったときその右手の力が発動する。しかしその力は世界を暗黒へと一転させる闇の力。く……沈まれ、俺の右腕……まだ……まだその時じゃ……。
そしてわざと右腕を押さえつけたり、包帯アピールをして、ちらちら周りの反応を伺う。
全然孤独じゃないし。俺の周りには変な友達がいっぱいいるじゃないか。そいつらのことを忘れて「孤独の戦士」なんて言ったらそいつらに失礼だ。
さて、ここ最近の俺の毎日を紹介しよう。
朝起床してから宿を出て、筋トレと心象抽出スキルのトレーニングとして剣を複製する。
それから川で汗を流し、朝市で賑わうマーケットへ。マーケットで適当に目新しいものがないか見て回る。最初は衝動買いをして無駄なアイテムやくだらない魔道具を買い込んでいたけれど、すぐに無駄遣いだと気付いて止めた。
以下、くだらない魔道具の例。
・川に浮かべると水流に逆らって動く水鳥のおもちゃ。
・背中を押すと目が光りながら、ヴェっと鳴くカエルのおもちゃ。
・振り回すと手の形をしたスライムがびろーんと伸びて壁に張り付くおもちゃ。
初めて見たときは感動して衝動買いしたものの、すぐに飽きた。
今や宿屋の俺の部屋で埃を被っている。スライムおもちゃなんか埃を被ってからというもの伸縮性はなくなってガチガチに固まり、もう遊びようがない。別に生きたスライムじゃないけどなんだか可哀想だ。
そんなものを掘り出してから、宿屋へ戻って装備の点検。冒険者ルックに身を包んでから、冒険者ギルドへ行って、野良パーティーを探して迷宮攻略。夕方頃に帰ってきて読書をしたり、シムノン亭で飯を食いながらぼーっとする。
そんな毎日だ。
記憶探しの旅は、もうどうでも良くなっていた。初めてこの迷宮都市アザリーグラードに来てから、彼此もう1年以上経過している。そこまでやって以前の仲間に巡り合えなかった。分かってた事だけど、そんなのはいないんだ。
俺はロストとしてこの地で生きていければそれでいいや。
退屈な毎日だけど。
そんな感じで生活が落ち着いてくると、心にゆとりが出来たのか最近気になって気になって仕方がないことがある。
―――ギィ……ギィギィと留め金の軋む音。酒場のスイングドアがゆっくりと開かれてから閉まり、それがスイングスイング。
ほら、現れました。
あの子だ。
流れる川のように青い髪、琥珀色に輝く瞳。寡黙で、気転が利いて、あどけない顔で、よくお腹を空かしていて、目がぱっちりしていて、たまに悪戯にニンマリ笑う、ハーフエルフのあの子だ。
シア・ランドール。
小首を傾げる仕草、「気のせい」という口癖すら愛おしい。初めて会ったときはそこまで意識してなかったけど、長い間一緒にいて完璧にその魅力にやられた。
はぁ、これが恋というやつなのだろうか。
「気のせいというやつです」
「―――うわあっ!」
ぼーっとしていてシアが近くまで来ていたことに気づいていなかった。もしかして俺の心の声、漏れていたのか?
「溜息ばかりついて、なにか悩み事ですか? だいたいの事は気のせいですよ」
「気のせい……だったらいいんだけどな」
シアは俺の隣のカウンターに腰を降ろして定番メニューを注文した。
近づかれると意識してしまう。
俺はそっぽを向いた。
「あら、あらあら?」
シアはその様子を見て、俺のことを訝しんで……ないか。ただ面白がっているんだ。もしかしたら俺の気持ちに既に気づいている可能性だってある。シアは小悪魔で、俺のことをいつもからかう。でもそんなに弄られたらこっちだって意識してしまう。
だってそういう年頃ですから。
「ロストさんは変わってます」
シアに言われるとなんだか自信なくす。変わり者はそっちだろう。なんだよ「気のせいというやつ」って。他にも俺の観察眼から引き出すと「なんとなくです」「~~です、多分」とかが多い。
会話をはぐらかして、本心がどこにあるのか紛らわせてるのか?
シアの本心はどこにあるんだ。
シアの気持ちは―――。
あー、だめだ。頭がおかしくなる。
この子のことで頭がいっぱいだ。
「どちらへ?」
「帰る」
シアに目線を合わせられない。
お金だけテーブルに投げてカウンターを離れた。
余分に置いたけど、別にシアのために払ったんじゃないんだからねっ。
「では私も」
「なんでだよっ! 今来たばかりだろっ」
「む」
あ、ちょっと声張り過ぎた。
「確かに。まだお夕食も食べてませんでした」
そう言ってシアはカウンター席に戻ってしまった。せっかく2人で歩けるチャンスだったのに。
あーーーー。
やってしまった。嫌われたか?
まさか。一回声張り上げちゃっただけだ。
大丈夫、大丈夫。
明日になったらリセットだ。
よしよし、切り替えていこう。
気のせいだ。気のせいというやつ。
情緒不安定すぎて自分でも笑えてきた。
一緒にいたいのか一緒にいたくないのか、よく分からん。
……でも俺はその横顔から目を離せなかった。ふと、シアも俺の視線に気づいたのか、顔をこちらに向けてそのじとっとした目で牽制してきた。周りは他の冒険者の喧騒が漂う中、2人の間には静寂が走る。
そういえばシアって、笑わないし、泣かないよな。
何か喜ばせてあげられないかな?
○
別の日。今日はユースティンの一日魔術トレーニングに付き合わされる日だ。ユースティンは俺と同じ安宿に泊まっていて、宿屋の裏庭で2人で遊んだりする。ユースティンには突然思いつきで迷宮に連れ回されたりするけど暇な俺としては有り難い話だった。
今回は付き合わされるといっても、俺のトレーニングも兼ねている。
用意するのは葉っぱ数枚。
俺はそれを小さなナイフに変える。
材質は葉。硬質化したナイフ。
それをユースティンへと数本投げつけ、ユースティンはポータルサイトによって俺のナイフを転移。俺へと跳ね返して、どこから現れるか分からないナイフを俺が躱すというトレーニングだ。
凶器のキャッチボール。
名付けてキャッチナイフだ。
これによってユースティン自身はポータルサイトの開通先のコントロールの練習になるし、俺も心象抽出と瞬発力トレーニングになる。いつもだったら難なくこなすトレーニングだが、今回ばかりは俺はぼーっとしていてナイフが左腕に刺さってしまった。
「ロスト、なにをやってるんだ。お前らしくもない」
「あぁ、悪い……」
だけどこれぐらいの傷だったら自己修復能力で勝手に治るから別に気にしたことはない。ナイフを抜き出して放り投げると同時に、それは元の葉っぱに戻っていた。
俺の左腕もすぐ治った。
「まったく、人間の血が混じっているくせに能力は人外だな」
「はは……」
人外か……ユースティンは純血の人間だったか。その容姿だったら同世代の女の子からモテまくりなんじゃないか? 羨ましいぜ、まったく。待てよ、同世代の女の子。シアももしかしてユースティンの事が好きなんじゃ。
「おーい。ロスト、さっさと投げろ」
いやいや、それは早計すぎるか?
でもユースティンは言うことは痛々しいとはいえ天才だ。シアも元々は学者の子。その頭の良さに惹かれる、なんてことも考えられる。
「ロスト、最近シアのことが気になっているんだろう」
「……なに?」
「どうやら図星か」
思いも寄らないことをユースティンの口から聞いて驚いた。というか、知らないうちにユースティンが近くまで来ていたことにも驚いた。
「お前は分かりやすい。シアに惚れ込んでいるのは誰が見ても分かる」
「………」
小っ恥ずかしい話を大声でべらべらと。
ユースツンのくせに。
「さぁ、どうだろうな」
「僕の生まれたラウダ大陸の方では、意中の女の人にはサプライズプレゼントをするものらしい」
「サプライズプレゼント? なんだそりゃ」
「プレゼントを突然渡して驚かせる。女の人はそういうのに弱いんだ」
はー、なるほどね。
驚かせて笑顔を見届ける。シアも喜ぶし、俺も嬉しい。
Win-Winって奴だ。
いや、だけど渡す相手を考えろ。
「シア・ランドールだぜ? そういうの引くんじゃないか?」
「まさか。むしろあぁいう子に一番効果的だ。きっとイチコロさ」
そういうもんだろうか。でもユースティンがそうやって応援してくれるスタンスでいてくれる事はこっちも嬉しい。プレゼント……確かに何か送りつけて驚かせてやるのは面白いかもしれないな。
仮に喜んでくれなくても、驚かせてそのきょとんとした目だけ見られれば俺の勝ちだ。
いつもからかわれているんだから、それくらいの事はしても―――いやいや違う、戦いじゃないんだから、やったやられたの関係じゃない。どうもこの手の話になると俺の中のサディズムが芽生えて、気になる子を苛めたくなってくる。
俺の父親はサディストだったのかもしれないな。
○
というわけで、マーケット通りにやってきた。
さっそく何か贈り物を購入しよう!
なにか目的ができると毎日がちょっと新鮮になって楽しくなってくる。シアを驚かせてその笑顔を見る、それが目的だ。なんだか浮き浮きしてきた。プレゼントは選ぶ側も楽しくなるもんなんだな。ユースティンには良いことを教えてもらえた。
とはいえ、シアが喜びそうなものってなんだろう。
弓師だから弓に関連したもの―――いや、専門職の人に素人がプレゼントしても迷惑か。
廃屋に住んでいるんだよな。だったら掃除用品は―――地味だし嫌味っぽい。もっと部屋綺麗にしろよって意味に捕らわれるかも。
俺の選び抜いた面白い本――それこそ押し付けか。本自体が高価だし、プレゼントとしては重い。
1人暮らしだし、暇つぶしになりそうなもの――スライムハンドでびろーんとやってるシアの姿なんて想像できないぞ。
だめだ、選べない。
長い付き合いなのに、何が好きなのか、趣味は何なのか全然分からない。
そんなに無関心なつもりなかったんだけどな。
「ロスト、なにをしているのだ」
後ろから声をかけられた。振り返るとアルバさんが立っていた。褐色にブロンドヘアのアルバさん。その姿は以前、迷宮攻略したときより露出度は低く、冒険者然としていた。脇やら臍やらは相変わらず露出しているものの、前の破廉恥鎧に比べたらかなりまともな装備に改善されている。あの迷宮の深層潜入が、アルバさんをいろいろ成長させたようだ。
「アルバさんこそこんな昼間から何してるんだよ……いつも迷宮に篭ってるんじゃないのか?」
「今日は休みだ。最近は"お買い物"が楽しくてな」
「お買いもの?」
その言い方に何か違和感を感じた。アルバさんが「お買いもの」だって。この人がそんな丁寧な言葉使う輩じゃないことは知っている。
「こうして露店を見て周り、商品の目利きをして良い品を買う――オカイモノというそうだ。これがなかなかに楽しい。シアに教えてもらったのだ」
シア……またここでもその名前が出てきた。
どこへ行ってもシア・ランドールが俺の周囲を付きまとう。
意識しているからこそそう感じるんだろう。
というか、アルバさんとシアが2人でショッピングね。ちゃんと女友達らしいことしてるんだ。あんまり想像できないけど。仲良さそうなことで何より。まぁ、高かろう良かろう主義のアルバさんにはシアみたいなしっかりした子が付いていってちゃんと装備を見積もってもらった方が安心か。
「この露店は高級魔道具を扱う店じゃないか。ロストにはあまり高級品のイメージがない」
「そりゃ悪かったな」
俺はいつも安物ばかり買ってる。間に合わせの武器と防具。体一つで今まで苦戦したことがない俺にはそれで十分だった。
「俺のじゃなくてプレゼントだよ、プレゼント」
「な、なにぃ……」
アルバさんがなんか突然もじもじし始めた。
頬を赤らめてこっちをちらちら見ている。
「そ、そんな、悪いではないか……。だが好意は受け取ってやるというのが戦士としての流儀……仕方ない、ではそこの退魔シールドを―――」
露店に置かれている一番高い盾を指差し、頬に手を当てて嬉しそうにしている。なんで俺がアルバさんに魔道具を買ってあげるみたいな流れになってるんだよ……。
「アルバさんにじゃないからっ!」
「む? ここには私しかおらんではないか」
「なんでプレゼントを渡す本人の目の前で買うんだよっ! 俺はサプライズプレゼントで渡すつもりなの!」
「サプライズ? ほう、では後日どこか予期せぬところでその退魔シールドが突然私の前に現れるということか」
「だからアルバさん宛てじゃねえよっ! しかも退魔シールドなんか買うつもりないからっ」
そこまでして何でそんな盾が欲しいんだよ。てか一体いくらするんだ、退魔シールド……。
って1500万ソリド!?
「たっけえええ!」
「当たり前だろう。この盾は魔道具としては最高級品。戦士ならば喉から手が出るほど欲しい品だ」
「一体どんな魔法効果が付与されてるんだよ……」
ちなみにアルバさんは何故か金回りが良い。
こないだまで来ていた破廉恥鎧やら最強の剣も相当高額だったようだが、なぜそんな高いものが買えるのかについてはいろいろと邪推したこともある。でも最近分かったのは、この人の場合、実力が最強というより、運が最強だということだ。
マナグラムに幸運というステータスがあったら少なくともAランク以上はあるだろうっていうくらいに強運。アルバさんと迷宮にいけば、だいたい目的の素材やレアドロップが手に入る。
それで金回りがいいんだ。
俺たちが店前でぎゃーぎゃーと騒いでいるのに耐え兼ねて、誰かがテント奥の方から出てきた。
「テメェら、あたしの魔道具に文句あんのかい?」
がさつな口調には似合わない幼女が大きな金槌片手に現われた。
声も幼女だ。
鍛冶師がよく刀を打つときに付けている大きな黒いゴーグルを頭に巻きつけて、短い緋色の髪を巻き上げている。アルバさんと同じように臍だしルックでその幼児体型を晒していた。
「あたしの? その退魔シールドは私のものだ。ロストが買ってくれるんだからな」
「いやいや、買えるわけねえだろ!」
もう自分の物のように振る舞うアルバ姉さん。これで買わされるハメになったら堪ったもんじゃないぞ……! そもそも1500万ソリドなんて出せないんだからな。
「ごちゃごちゃうるせえガキどもだなぁ。買うのか買わねえのかどっちなんだい?」
「ガキどもだと? そもそもお前はなんだ。ここにいるロストがこれから一番高い買い物をしようというのだ。客に対する無礼、躾がなっておらん。店主を出せっ」
アルバさんが幼女に掴みかからんというばかりに前かがみに威嚇している。褐色の野獣が幼女に迫る。危ない幼女。だが、その幼女もまったく怯むことなく、背筋をピンと伸ばしてアルバさんと睨み合っていた。
「あたしがこの店の店主グノーメだ。このバカ者どもめがっ! 営業妨害ならとっとと失せなっ」
グノーメ……グノーメってあれ、聞き覚えがある。ボルガ・シリーズの紹介欄にあった名前だぞ。
アザリーグラードの歴史本を隈なく読み更けた俺は覚えている。
アーセナル・ボルガを作り出した土の賢者グノーメ。
この幼女が?
「ええええ! グノーメ……グノーメってあの!?」
「なんだロストの知り合いか。それなら何とか言ってやれ。この手の性根腐った若輩は大人になったらもう遅いからな。そして私に退魔シールドを買うんだ」
アルバさん、もうとにかく黙ってくれ。
その偉そうな態度もやめてくれ。
相手は賢者だぞ。大魔術師エンペドを打ち破った賢者。つまりシルフィード様と同じ立場ってことだ。グノーメ様と呼んだ方がいい。
「そうともさ。あたしがグノーメだ」
「土の賢者グノーメ……様………ニヒロ砂漠に住んでるんじゃないのか?」
「賢者とか様とか、あんたいつの時代の人間だい」
グノーメ様は両手を腰に当てて、呆れ気味に溜息を漏らした。
「それに、誰が好きこのんで砂漠になんか住まなきゃいけねえってんだ。サラマンドと一緒にすんじゃねえやい」
「でもまさかこんなところに、グノーメ様がいるなんて」
「へっ……あたしはコレが全てだからな。物を作らなきゃ技も廃れるってもんさ」
片手に持つデカいハンマーをにぎにぎする幼女。まさかこんな姿だったとは驚きだ。しかもこんな露店まで開いて普通に人間の生活に混じっているなんて。
「ん?! あんたのその右手首っ」
グノーメ様は俺の右手首の機械を見て反応を示した。
「な、なんだこいつ……わたしも見たこともねえ兵器だ」
「俺もよく分かりません。元からこんなもの右腕にくっついてて―――」
それからいろいろとこの右手首の機械について聞かれたがまともに答えられず、俺もよく分からないということが分かってくれたのか、グノーメ様は腕を引っ張って、俺たちをどこかしらへ連れていった。