Episode32 楽園シアンズ
水の都ダリ・アモール。
こないだケアとともに逃亡したっきり、もう二度と来られないかと思っていた。しかしここにまたしても来られたのはリオナさんによる変装のおかげだろう。
しかも女の姿……。情けなさ過ぎる。今度は顔だけじゃない。服装も女の子らしいふわふわとした衣装を着ている。
厚着をして、下に纏った戦闘服を隠している。隠密用の戦闘服ということで、タイトな漆黒のレザースーツだ。ワニ皮で作られていて防御力が高い。さらに仕込みナイフや、右腕にはスレッドフィスト用の切れ込みも施されている。マーティーンさんが特注で作ってくれた俺専用の戦闘服だ。
背中には質素なハンマーも背負っている。ハンマーの片面はバールになっていて窮地に追いやられた時の工作用の道具としても使える。内部はがちがちの戦闘装甲なのに、表面は完全におつかい中の女の子でしかない。
そんな感じで街をふらふらと徘徊していた。
誘拐してくれと言わんばかりに。
◆
作戦決行日の前日はバーウィッチのストライドさんの家に宿泊することになった。その日はパーシーンさんも屋敷にいて、アルフレッドとともに軽く挨拶をした。
パーシーンさんはイメージとは裏腹にかなりやつれた顔をしていた。見た目風来坊のようなマーティーンさんと違って髪も整えており、清潔な貴族の装いだったが、息子と娘を失った父親というのもあってかなり追い詰められていた。
瞳は生気を失っていて、その周辺には深刻な隈。
顔に艶やかさはなく全体的にぼそぼそとしていた。
「君がジャックくんか。お願いだ。チャーリーンとアイリーンをどうか……どうか助けてくれ……。あの子たちが取り返せるなら僕はなんだってする!」
俺はその依頼に全力で応えるつもりだった。被害者の子の父親とはこうして初めて接するが、俺が思っていた以上に深刻そうだ。父親に愛されて育たなかった俺としては、この父性という感覚はちょっと理解できない。
俺も子どもができたときに理解できるのだろうか……。
それからストライド家のメイドを一人ソルテールに送り、リンジーのお世話をしてくれることになっていた。妊婦と女神と頭のおかしい男を3人で家に残すのはちょっと心配だったのでとても助かった。
そしてその日の晩、アルフレッドとトリスタンと3人で部屋に集まって最後の打ち合わせをした。この感覚はリベルタ時代を思い出して、とてもわくわくした。
「ジャック、お前の長所は子どものわりに卓越したその戦闘能力と身軽さだ」
「うん」
「でもそれゆえに気配を断つことは難しい。少し暴れたら敵陣営に気付かれて数の暴力でいなされるだろう」
今回の敵は3勢力もいる、と考えられる。確定ではないが敵の数が多いのは間違いない。
「短い時間では潜入の極意を教えることはできないが、これをお前に託そう」
そうしてトリスタンから渡されたのは、変な形をした指環だった。輪っかがしなやかに曲がっていて銀色に光沢が輝いていた。大人サイズのため、俺の指ではぶかぶかだった。
「身に着けていればいい。鎖も渡すから首から下げていろ」
「これは何なの?」
「それは魔道具 "Presence Recircular"。気配が周囲に伝わるのを防ぐ。それがあれば視認されない限り気づかれることはない」
「魔道具!」
魔導具というのはその名の通りだ。マジックアイテム。つまりそれ自体に魔法の細工が施されており、使用者や装備した本人に対して魔法の付加価値を与えてくれるアイテムだ。
◆
そんなこんなで夕暮れの街を一人で歩いていた。行く宛てもないので海が見える高台まで歩いてきた。
夕陽が差し込む海は綺麗だった。本当にこの街は良い街だ。
観光シーズンは過ぎたから人通りは少ない。
夕焼けが俺だけを照らし出した。俺のこのふらふらしている姿も、アルフレッドはどこかで見届けているんだろう。
――――赤い、赤い世界。俺が戦いの最中に心臓が暴走したときの赤い光景と似通っていて錯覚が起きそうだった。
―――――バクッ、バクッ。
自然と心臓が高鳴り始める。世界が徐々にゆっくりになり始めた。
波の音が聞こえなくなる。世界がやけに真っ赤に染まり、周囲は焼け爛れた荒野へと移り変わってしまったようだった。いや、ここは赤土の荒野だ。街は消滅し、俺と荒野と夕陽だけの世界。
「あれ、なんだここ?」
いつもの感覚と違う。俺の体は至って普通。女装している時点で普通じゃないけど、そういうことじゃなくて戦いのときに何度も味わったスローな世界とは違っていた。この体験は初めてじゃない。
いつだったか……。
前にも周囲のたくさんの人が忽然と消えて、世界にたった一人になってしまった瞬間があった。だけど思い出せない。なんでだろう。自分の記憶がどんどん薄れていく。俺はただここにいて、何でここにいるのかすら思い出せない。
「どうしたの? 道に迷ったの?」
ある女性が声をかけてくれた。俺はこの女性に見覚えがあった。というかかなり親密な関係だった気がするけど、思い出せない。
「私がここより綺麗な場所へ案内してあげるよ。こっちへおいで」
「はい」
言われるままに連れられた。誘いの言葉には悪魔めいた魔術が込められているようだった。普段だったら少しは警戒するはずなのに、俺は何も躊躇することなく、その女性の白魚のような右手を取った。白い女性。その右手を握る俺の右手もまた、ただの少年の右手そのものだった。
ただの右手?
いや、これは俺の腕じゃない。
今、俺の右手はこんなんじゃなかったはずだ。
でもどんな腕だったか。
なんでそんな風に一瞬考えたのかも分からない。
「楽園が待ってるよ」
「楽園?」
「そう。争いも差別もない、平和で綺麗な世界だよ」
へぇ、それは良い世界だ。
争いも差別も迫害も略奪も無い。
そこには一切の暴力は無い。
理想の世界だ。
理想の世界………。
理想の世界って?
俺にとっての理想ってそんなだったっけ?
昔読んだ物語の孤高の戦士。
己がプライドを賭けて戦っていた。
そこに一心の迷いもない。
そうだ。俺の理想はそんな姿。奔走する戦士。戦いは蔓延している。何人の血に濡れようとも、その信念は穢されることはなく……。
「さぁ、おいで」
「違う―――そんな世界なんてない……」
「え……?」
女性は戸惑っている。
俺の願いは平和じゃない。
全人類の救済だよ。
「俺はこの、戦いだらけの世界で、戦い続けるんだ……!」
○
「………は」
気づいたら移動中の馬車の中だった。大人しく座っている自分に気が付いた。
いつのまに?
周囲は朝のようだった。やけに肌寒く、馬車の荷車を覆う布の隙間からは雪が少し見えた。この時期でまだ雪が積もっているということはけっこう標高の高い山にいるということだろうか?
"山間の施設"……誘拐されることに成功したってことか。
「大丈夫かな? もうすぐ着くからね」
誰か知らない大人に声をかけられた。俺の左右にはそれぞれ兵士が2人いた。声をかけてきたのは右に座る兵士。あと馬車の操者が一人いるようだ。ちらりと声を発した男の顔を見た。そこには見知った顔の男がいた。
「どうしたのかな?」
クレウス・マグリールだ。
光の雫演奏楽団の一人。前夜祭で会ったっきりだ。そのときはヴィオラの奏者だった。かつて兵士をしていたと言っていたけれど、まだ現役ってことなのか。
「な、なんでもないです」
ちょっと声音を高くして返事をした。まだ声変わりしてないし、なんとか女の子で通せるだろう。屈辱的だけど仕方あるまい。まさかこの人もこの誘拐事件に絡んでいたとは。
メドナさん、大丈夫かな?
あと光の雫演奏楽団のメンバーにも子どもがいたような。アリサとラインガルドだ。心配だな。
ん、待てよ。
ラインガルド……と、光の雫演奏楽団。クレウス・マグリール。元兵士。ダリ・アモール近衛兵。ラインガルドは俺を追っていたとき、ダリ・アモール近衛兵から様付けで呼ばれていた。
まさか。
「よし、着いたよ。さぁ私の後に付いてきて」
クレウスは先に馬車を降りて、俺の手を引いて馬車から降ろしてくれた。右腕を隠すために左手でつかんだ。
「ここは楽園シアンズだよ」
シアンズと呼ばれた施設はあまりに壮大な建物だった。
馬車が止められたのは既に門の中だった。山間と聞いて隆々と生い茂った草木があると想像していたが、植生が少ない荒涼とした山々だった。その山の崖に沿って作られたように巨大施設は姿を現している。
それを囲うように門と外壁が建てられていた。
「さぁ、他の子たちもみんな一緒だ。怖くないよ」
そのまま建物内へと案内されそうになる。今、トリスタンが門の外付近まで来ているはずだ。俺はここで一回抵抗を示して、俺が施設に入ったという合図をしなければならない。
「う……」
「ん?」
「うわぁぁあああああああ!」
俺はその場で滅茶苦茶に暴れ始めた。そしてその勢いで、右腕の隠しナイフを門の外へ投擲した。この隠しナイフというのは俺がストライド家から持ち出した宝石で作り出した即席の剣だ。
ナイフは赤黒い線を引きながら、弧を描いて門の外へと放り出された。けっこういい感じに外へ放り出せた。外では既に元の宝石の姿へ戻っているはずだ。もしかしたらナイフの存在に気づかれたかもしれないけど、護身用だったとでも言えばいい。実害がなければ、そんな気にもしないだろう。
「なんだなんだ?! この子、癇癪持ちなのか?」
クレウスが慌て始めた。周囲の兵士2人も俺の暴れっぷりに困惑している。
「はぁ……はぁ……ご、ごめんなさい」
あまりに不自然だったが、まぁこの際なんでもいい。後は素直で居れば騒ぎにもならないだろう。
「い、いいんだよ。おじさんたちは君に怖いことはしない。守ってあげるんだ」
クレウスが答えた。甘ったるい言葉をかけてきても、もはやこの人のことは悪人にしか見えない。
「はい」
「じゃあ入ろうか」
トリスタン、宝石見つけてくれよ。
…
施設の中は外の寒さとは相反して、ぬくかった。
巨大施設を両開きの扉から入った。
そしてまず目についたのが、巨大な人の像だった。
建物はサン・アモレナ大聖堂と構造が似ていた。ステンドグラスが煌々と照らし出されて、荘厳な雰囲気を醸し出している。正面には台座の上に像があり、その像は女神ケアの姿を表していた。
女神ケア。
今ではリベルタのマスコット的少女となっている。
その彼女にはあんな荘厳さ、神聖さは一切ない。
しかも返事は「あぅ」……犬か。
「今日はちょうど聖霊讃歌の儀式の日だよ。一緒に来るかい?」
クレウスはぼんやりと女神の像を見上げる俺に声をかけた。
「せいれいさんか?」
「みんなで歌を歌って、私たちに命を与えてくださった神様に感謝を捧げる儀式だ」
これは新興宗教か何かだろうか。俺の想像していた施設と違う。俺がイメージしていたのは、子どもを残虐にいじめる大人たちの姿。過酷な労働を強いられる子どもたち、あるいは性的なものも含めた虐待。そして臓器売買や人身売買、子どもを利用した人体実験……などなど。
そんなおぞましいものを勝手に想像していた。
「ところでキミの名前は?」
「ジャッ……クリーン」
「ジャクリーンか。いい名前だね」
女性名も打ち合わせ済み。
讃美歌が歌われている会場へと移動した。右の奥の方へと入っていったところらしい。近づくにつれて子どもの歌声が耳に届いた。ゆっくりと重たそうな扉をクレウスが開けて俺を促した。防音仕様の扉なんだろうか。扉の先に映る光景は異様なものだった。
その会場は画期的なコンサートホールのようだった。扉から下の方へと続く階段と、そこから真っ直ぐ何列にも並んだ観客席。ステージには大きなパイプオルガンを弾く女性が見下ろせた。もう一人指揮者台のような台座に立つ少女が一人、祈りを捧げるように両手を組んで直立不動で立っていた。大人の女性は背を向けていて誰だかはよく分からなかった。
各座席には多数の子どもたちが一心に讃美歌を捧げていた。
ざっと見ても100人以上はいる。
「…………」
あまりの光景に言葉を失った。
一言でいえば、気持ち悪かった。
まず俺が言えることではないかもしれないが、子どもたちはその無邪気さを失い、統率のとれた軍隊のように懸命に歌を歌っていた。確認できる少年少女の眼光を見ても、生気がないというか、意志が感じられない。
まるで憑依されているかのようだ。
「すぐみんなと仲良くなれるよ。今日は見学でいいからね」
この子たちは何でこんな怪しい儀式に参加して、誰も疑問に感じていないんだ。
親元へ帰りたいとか思わないのか? あるいは魔法の力?
俺は近くの座席に行って、立ったままその気持ち悪い光景を見ていた。そしてパイプオルガンの演奏終了とともに、讃美歌は終わった。
「さぁ、みんな、心を一つにして女神ケア様へとお祈りするのよ! アーレル・ケア!」
オルガンの奏者はホールに響き渡る声量で振り向きざまにそう言った。それに追従するように子どもたちが「アーレル・ケア!」と声を発した。
その女性を俺は知っていた。
傍らに立つクレウスを見て以来、まさかとは思っていたけど……。
「良い子たちね! ケア様からの祝福があるわ」
そう言うとその声の主の女性は両手を頭上へ伸ばし、光の粒子を会場中に拡散させた。その光の粒が舞い降りるたびに子どもたちはキャッキャと歓喜の声を上げた。その瞳からは光が失われていて、誰しも病んだ目をしてヘラヘラと口元だけ笑みを浮かべていた。
……こいつは、俺たちが思ってた以上にやばい事態だ。
「それじゃあ聖霊讃歌はまた来週ね! 明後日は聖餐日よ。楽しみにしていてね!」
そう快活に声をあげた声の主、淡いブロンドの髪の綺麗な女性――グレイス・グレイソンは舞台裏から出て行った。その後を追うように、台座の上に立っていた頭から角を生やした女の子――アリサ・ヘイルウッドもその場から立ち去った。
…
讃美歌の儀式が終わった後、子どもたちはまたしても統率の取れた軍隊のように並んでホールを立ち去っていった。
光の雫演奏楽団……。
この子どもたちの誘拐の主犯が、まさか楽団だったとは。こんな事を裏でやっていたなんて。前夜祭でコンサートを務めたのも、子どもたちを誘惑するためだったのか?
よくよく思い返せば、前夜祭終了後の子どもたちの熱中ぶりは異様だった。あのとき既に何か魔法がかけられていたとか。
「さ、ジャクリーン、最初の洗礼を受けにいくよ。これを受ければ私たちの仲間入りだ」
クレウスは呆然とする俺に次の行動を促した。
最初の洗礼? あんな抜け殻のようにされるってことか?
冗談じゃない。あんな集団に仲間入りするなんて御免だ。でもここで怪しい動きをすることはできない。なんとか洗礼を回避する方法はないものか。しかし考えもまとまらずに、あれよあれよと言う間に洗礼の間へと案内された。
洗礼の間の扉は厳重な鉄格子がつけられ、純金製の扉にグリッド模様を作り上げていた。その格子の枠内には神々のレリーフがかたどられている。一番上にはケアのレリーフがあった。
――――カンッと槍の先端が床を叩く。
両脇の兵士が、俺とクレウスが目の前に来ると、手に握りしめる槍を下へ同時に突いて、何か合図をした。すると勝手に扉が開き始めた。扉の先は真っ暗だった。
「さぁ、行っておいで。すぐ終わるよ」
こんないかにも怪しいですよってところに素直に子どもが入っていくなんて在り得ない。だというのに当然のように促されても……きっと、さっきの操られっぷりを見た限り、きっと洗脳されていると言うことなんだろう。
扉の先には何が待っているんだ。恐ろしいモンスターがいるなら何とでもできよう。でももっと恐ろしい何かがいるような気がする。
もう無理やり暴れて逃げ出すか?
ここまで確認できればもう十分だろう。
でもあの子どもたちを放置するのも―――。
"―――さぁ、おいで―――"
「……わっ……」
頭の中で声がしたかと思ったら、何か強い意志によって体が引っ張られた。そのままスルスルと扉の奥へと導かれた。乱暴に入室すると、扉はバタンと勢いよく閉じられた。暗くて部屋の様子はよく分からなかった。
俺は恐怖のあまりに立つことができなかった。無様に地べたに座り込んで、正面を見ていた。同時に目の前の人影がぼんやりと光を帯び始めた。
その赤い瞳が俺の目を射止める。
「怯えているね」
――――バクッ、バクッ、と心臓の高鳴りを感じた。
こんな形で再会したくなかった。でも演奏楽団が関わっているってことは、そういうことなんだとは思っていた。思ってはいたが考えたくなかった。
「大丈夫、すぐ終わるよ」
赤い瞳がぎらぎらと光り始めた。
あれは魔眼の類だ。あれを見てしまったら多分さっきの子どもたちと同じような抜け殻になってしまうだろう。
「…………」
ぼんやりとした光が、目の前の椅子に座る魔女の姿を浮かび上がらせた。黒いドレスは暗闇に同化するようで、白い肌と白い顔、そして真っ白な長い髪だけが浮かび上がっているようだった。
――――ジャック君も冒険者になるの?
浮かんでその姿は、俺の思い出を容易に打ち崩す。。
――――そうか。それはもったいないね。
心臓の高鳴りは徐々に動悸になっていった。胸が痛い。そして、頭の後ろの血の気が引いていくのを感じた。
――――綺麗な手をしてるからさ。
「楽園シアンズへようこそ」
メドナ・ローレン……!
黒づくめの白い魔女……。