虫食べる姫君
蜂飼の名を知らぬ者はいないだろう。
日本有数の巨大グループ「蜂飼グループ」を支配しているのが蜂飼家の面々だ。
彼らはみんな優秀、敏腕、そして変わり者。
私がお世話をしている花枝様も例に漏れずかなりの変わり者であった。
彼女は蜂飼グループ会長蜂飼清隆の孫娘であり、父は蜂飼商事の社長。もちろん家は豪邸であり、家事などはすべて使用人が行っている。まさに超が付くほどのお嬢様だ。
私は花枝様に仕えている執事であり、彼女の身の回りのお世話をしている。
男が思春期の女性のお世話をするのは色々と不便であり本来は女性が彼女の側に付くべきなのだが、そうはできない理由がある。
それは彼女の「趣味」が関係していた。
「花枝様、なにを召し上がっているのですか」
学校からの帰り。
後部座席に座る花枝様をバックミラーで確認するとなにやら口をモゴモゴしている。
嫌な予感がして聞いてみると、彼女は予感通りの返事をして見せた。
「セミよ。旬だからね」
いつも通りのことながら、俺は思わずため息を吐いた。
そう、花枝様の趣味は「虫食」なのである。
花枝様は幼少の頃より一流の料理人が作る多様なジャンルの食事を摂ってきた。
しかし彼女が気に入ったのはフォアグラでもトリュフでも色鮮やかなケーキでもなく、その辺を這っている虫なのである。
花枝様は虫を見つけては鷲掴みにし、おもむろに口へ運ぶ。余計な調理はせず、できるだけそのままの味を堪能するのが花枝様のこだわりだ。
最近虫食がブームになっているとはいえ、まだまだ浸透しているとは言い難いのが現状。小奇麗な格好をした少女が虫を鷲掴みにしてムチャムチャ食べている様はホラー以外の何物でもない。新入りの使用人が虫を堪能なさっている花枝様を見て卒倒したこともある。
もちろん虫食をやめさせるよう努力したこともあった。しかし私が小言を言うたびに花枝様は
「どうして虫を食べるのがいけないことなの? 見た目が気持ち悪いというならエビやシャコだってそうだし、むしろ見た目が可愛い豚や牛を殺して食べる方が野蛮じゃない」
などと冷静に反論してくるのである。
せめて人前で虫を食べるのはおやめになるよう再三申し上げているのだが、おいしそうな虫を見ると我慢することができないらしい。
しかし花枝様も多少の努力はされているようで、虫を目にもとまらぬ速さで捕まえて口に放り込む術を身に着けている。その技術、そして「虫を食べる女がいるわけない」という固定概念のおかげで彼女の秘密はバレずにすんでいるわけだ。しかし危ない橋を渡っていることには変わりない。
他所の会社の方と花枝様がお会いになられるときは、胃に穴が開くほどのストレスを感じる。現にいま、私は逃げ出したくなるほどのストレスを感じていた。
私は後部座席に座る花枝様にこれからの予定を告げる。
「花枝様、予定通り7時からパーティーがございます。屋敷に着いたらすぐに着替えて会場へと向かいます。お父様のお知り合いの方も多くお見えになるパーティーですからくれぐれも失礼のないようお願いいたします」
「パーティーねぇ。食事も出るの?」
「ええ、もちろん。立食形式のパーティーです。きっと美味しいステーキやスイーツがありますよ」
「コオロギやカブトムシの幼虫はでないのかな」
「でません」
「つまらないパーティーになりそうね」
***********
「花枝様、先ほども言いましたが……」
「分かってるって、もし虫が出ても食べないようにするから」
「本当に、くれぐれもお願いしますね。まぁこんな綺麗な会場に虫なんて出ないとは思いますが」
綺麗に髪をセットし、唇に紅を引かれた花枝様はきらびやかな会場に負けないほどお美しい。まさか執事に虫を食うなと注意されているとは誰も思うまい。
そうこうしているうちに、一人のご婦人が花枝様に声をお掛けになった。
「あら花枝さん綺麗になったわね」
「まぁおばさま。お久しぶりです」
花枝様は愛想がよく、かつしっかりした会話をなさるのでお父様のお知り合いからとても評判が良い。本当に、あの趣味さえなければ完璧なお人なのだが。
「それにしても本当に素敵になったわ。女の子は成長が早いわね。おいくつになられたの?」
「今年で14になりま――ッ!」
その時、花枝さまの目の色が変わった。
嫌な予感がして視線の先を見ると、なんとコオロギが床の上を這っているではないか!
私は慌てて花枝様とご婦人の間に割り込んだ。
「も、申し訳ありません。実は花枝様はお体の調子が優れないのでございます」
「あらそうなの。大丈夫?」
「え、ええ」
「ささ、花枝様こちらへ……」
花枝様の手を取りコオロギから遠ざけようとするも、彼女の足はその場を動こうとしない。
「花枝様! ダメです!」
「ごめんなさい、でもあのコオロギすっごく美味しそう。食べないと一生後悔するくらいに」
「いけません、ここをどこだと思ってるんですか!」
「ああ、カリッとして中はトロリ。口の中で美味しいのが広がって……」
「食レポみたいにするのはやめてください! 気持ち悪い!」
「ごめんなさいやっぱり我慢できない!」
花枝様は凄い力で私の腕を捻りあげ、私を突き飛ばすとコオロギめがけて一目散に駆け寄った。
会場をドレスで走る少女はあまりいない。どうしたどうしたとばかりに花枝様に注目が集まる。
そんな中で、花枝様は床を這うコオロギを手掴みにし、口へ放り込んだ。そして一言。
「おいしい」
会場は大混乱。
悲鳴を上げるご婦人、完全にドン引きしている紳士、そして頭を抱える私。
このままでは「蜂飼家の娘は虫食いだ」と噂になってしまい、ご親戚の方にも多大なご迷惑がかかってしまう!
私は至福の顔でコオロギを咀嚼する花枝様の前に躍り出て、咄嗟に思いついたことを叫んだ。
「おっ、驚いていただけましたでしょうか! これは当社で開発中のジョークグッズ、ビックリコオロギちゃんです! お菓子で出来た精巧なコオロギ、見抜けた方はいらっしゃったでしょうか!?」
む、無理かな……
と思ったが、会場の皆様は驚くほどあっさりとこの咄嗟に出た嘘を受け入れてしまった。
「俺は気付いてたよ。テカリかたが偽物っぽいから改良したほうが良いんじゃないかな?」
なんて見当違いのアドバイスを言ってくる人間が出るほどだ。
人間は少々辻褄が合っていなくてもありえそうな方を信じる。床に這う虫を食う少女と精巧すぎるお菓子のコオロギでは、後者の方がリアリティがあったのだろう。
とりあえず騒ぎは収まったが一つ問題が。
「花枝さん、凄い演技だったわ。商品がでるの、楽しみにしてるわね」
ビックリコオロギちゃん、思いの外好評だった。
*********
「お父様に呼ばれたんだって? どうしたの?」
花枝様が「週間昆虫」を読みながら興味なさげにそう尋ねる。
「実はビックリコオロギちゃんの売上が凄いらしくて、特別ボーナスをいただけると……」
そう、実際に「ビックリコオロギちゃん」が商品化してしまったのだ。さすが蜂飼家。作れないものなどないと言われるだけのことはある。
週刊昆虫のページをめくりながら、花枝様はうんうんと頷いた。
「あれは素晴らしい商品よね。もし虫を食べてるのがバレてもジョークグッズだって言い張れるし。なにより擬似とはいえ虫食仲間が増えたみたいで嬉しい」
「……そうですか」
どうやら花枝様の虫食のお手伝いをする商品を開発してしまったようだ。どうせなら虫食をやめさせる商品を生み出したかったのに。
さらに追い打ちをかける様に、花枝様はポケットからカナブンを取り出しとんでもないことを口にした。
「これで堂々と虫が食べられる」
もちろん彼女が美味しそうに頬張ったのはジョークグッズなどではない。
私の苦労はまだまだ続きそうだ。