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ツギハギ
作:ふあ



4-1 予約時間は守りましょう


 午後五時半数分前、なんとか間に合った。呼吸を落ち着けながら、受付へ向かう。
「すいません、形義科の南先生のところに予約してたんですけど」
「南先生ですね。お名前は」
「片岡です」
受付の女性は手元のパソコンに何ごとか打ち込み、画面を覗き込んだ。まだ大丈夫だという事を聞き、軽く頭を下げて、示された方向へ歩く。今頃やって来るような人はまずいないらしく、周囲では会計を待つ人たちが暇そうに雑誌を読んでいたり、子供達がテレビの教育番組を眺めている。あとは、お見舞いに来た人が談笑しながら歩いていたりする程度だ。
 疲れた。なにしろ、駅からこの総合病院まで走ってきたのだ。病院まで自力で走ってくるというのもおかしな気がするが、受付が締め切られていて帰るしかないというのも、虚しい。
 二月だというのにうっすら汗をかいてコートの襟元をぱたぱたやるのを見て、近くにいた子供が不思議そうな顔をするが、愁は気にしないことにする。二階の奥にある、形成・義肢科の前は静かなもので、他の患者はもういないらしかった。椅子に座って待っていると、すぐに名前を呼ばれた。
 廊下からドアの向こうに入ると、左手に短い通路があり、その右側の壁に一定の距離を置いて三つのドアがある。一番奥の前まで行って、左手にあるカーテンを開けて数秒で診察用の青色をした半袖半ズボンの服に着替えると、そっと通路の様子を伺う。看護師もだれもいない。すぐに正面のドアをノックし、返事が聞こえると同時に中に滑り込んだ。
「こんにちは。じゃなかった、こんばんは」
どうでもいいことを訂正しながら、愁は後ろ手にドアを閉めた。
 「こんばんは」と返しながら、医師が机の上のカルテから顔を上げた。二十代後半ほどで、医者らしい温和な雰囲気を持っている。
 その近くの椅子に愁が浅く腰掛けると、彼は口を開いた。
「夕方でも大分暗くなるけど、大丈夫だった」
「ええまあ、無事でした」
全力に近い速さで駆けてきた愁は、曖昧に答えた。
「早速だけど、最近調子は」
「やっぱりときどき痛みますね。付け根とか」
「付け根か。寒いとどうしてもね。……まだ冬だし、慣れてもらうしかないな」
そう答えて医師は苦笑し、さて、と机上の書類に目を落とす。
「そろそろレントゲン撮ってみないとね」
「え」と愁は思わず声を漏らして、眉を寄せた。
「じゃあ、あっちの椅子の方に座って」
 のろのろと立ち上がり、別の椅子の方に座りなおす。
「そんな顔しても、いつかはやらなきゃならないんだから」
そう言われて、前にある、特に横に長い台に真っ直ぐ左腕を前に伸ばして乗せた。幅は腕よりもぎりぎり短いので、先の手首は下に垂れて見えず、右腕の方は横に伸ばして台に乗せた。
「ほんとにとるんですか」
「すぐに付け直すから」
ドライバーを手際よく右腕に差し込むのを眺めて、「うわー」なんて小声で言ってみたが、数分後には右足もろとも外されてしまった。
 松葉杖を使って立ち上がり、手渡された封筒を左手で掴んだまま眺める。すぐに、それを持ったまま器用に数歩歩くのを見て、
「大丈夫?僕も一緒に行こうか」
と医師が声をかけるが、大丈夫ですと愁は笑って答えた。結構前の事だが、なかなかやってこないエレベーターを待たずに階段を使って転落死しかけたこともあって言っているのだろう。が、自分でもあんな事は二度としたくないので、きっと大丈夫だ。バランスさえ思い出せば、意外と安定する。
 廊下にはもう誰もいなかった。元からそれほど患者数の多いところではないので、こんな時間になれば通る人は殆どいない。すぐ近くの突き当たりに、一階で止まったままのエレベーターがあるが、こういうことを想定してここにしたのだろうか。違うだろうな。
 金属義肢は法律で禁止こそされてはいるが、見つかっても愁は特例なので本来問題は無いはずだ。しかし、この病院でも主治医と院長クラスの人しか知らされていないのだから、いっとき騒ぎになる事は間違いない。そんな厄介ごとになるくらいなら、なんとか隠しているほうがましだ。
 愁はいつものように、エレベーターの壁にもたれて三階のボタンを押した。

「はい、ちゃんと右向いててねー。手は前に出しておいて、そうそう。じゃあ息すってー、はい止めて」
言われたとおりに息を止めてまだ苦しくならないうちに、レントゲン技師が閉めたばかりの扉から出てきて、今度は反対を向けと言う。台の上に寝転がったまま左へ身体を向け、細かく指示されたように体勢を調節してじっとそのまま停止する。昔は、何で息を止めるのか等いろいろ疑問があったが、今となっては、もはや何でもいい。異常ないから帰してくれと三度ほど胸中で呟いた頃、ようやく退室が許された。
 部屋を出たすぐ脇にある椅子に座り、名前を呼ばれるのを待ちながら壁にもたれて白い天井を見上げた。特に何をしたわけでもないのに、疲れた。目の前の廊下は、そろそろ面会時間も終わりに近づいているのか、お見舞いに来ていた人々やその見送りに行く人などが歩いている。横に立てかけている松葉杖が倒れないように左手で支え、ぼんやりと彼らを眺めた。
 母親とその娘が祖母のお見舞いに来ていた、という事態が明白なグループが前を横切っていった。階段の前で互いに手を振っているのを、何気なく視界に入れていると、その母親と思わしき女性と目が合った。一瞬、彼女は驚いたような顔つきをしていたが、階段を下りようとする娘に声をかけられ、目を逸らすとすぐに視界から姿を消した。
 後に残った祖母が、再び愁の前をゆっくりと横切り、病室のある廊下へ曲がっていった。愁はため息をこらえて、床に立てた松葉杖に額をくっつけた。
 驚かれるのは、しょうがないと思う。彼らとは異なった外見なのだから、それは仕方無い。だが、その後の彼女の目が、やりきれなかった。かわいそうな子どもを見る、哀れんだ目。何も知らないくせに、かわいそうだと決め付けて見下ろされる感覚には、未だに慣れることが出来ない。確かに自分は失ったものが多いが、そんな自分がかわいそうだと思ったことはないし、そんな無責任な哀れみはただうっとうしく、余計に惨めになるだけだった。
 愁は自分の名前が呼ばれたことに気付き、はっと顔を上げた。数分前よりも少し重くなった気のする身体を起こして、封筒を受け取りに受付へ歩いた。












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