3-4 そして黒猫はかく語る
土曜日の昼下がり、大きめの肩掛け鞄をかけて、愁は上りの電車を待っていた。二月上旬なんてまだまだ寒い季節だが、空は晴れていて比較的天気は穏やかだ。ほどなくしてやってきた電車には、数えるほどしか人は乗っておらず、席の隣にその鞄を置いて側に寄せる。なにしろ、猫が二匹も入っているのだから流石に緊張する。ばれたときのことは、敢えて考えないようにしていた。
変わる景色の中を一定のリズムで振動しながら進む電車に乗っていると、ようやく落ち着いてきた。人の少ないその車両には、小さな女の子とその母親、イヤホンをつけている大学生風の若者、背もたれにもたれて居眠りしかけている老婆の姿しかない。
静かな車内。突然、男の低いくしゃみの音が響いた。
乗客は驚いて一斉に辺りを見渡すが、当然その犯人らしき人物はいない。イヤホンをしていても気付くくらいだから、結構に大きな音だったはずだ。四人とも首を傾げ、不思議がったり、気味が悪いという顔をしている。
愁はさりげなく鞄に手を差し入れて、大きいほうの猫の口を塞いだ。
「はな、鼻まで塞ぐな。息ができん」
苦しげなかすれた声に、そっと手の力を抜く。しかし、その猫の身体は微かに震えており、次の一撃がすぐそこまで迫っている事は明白だった。
咄嗟に、一つだけ思いついた打開策を告げる。
「僕もくしゃみするんで、それに合わせてください」
小声でささやいて、猫がこくこくと大きく頷くのを横目で確認し、「せーの」とタイミングをはかると、
「くしっ」
「ぇぐしっ」
絶妙なタイミングでずれた二つのくしゃみが響いた。
無駄な注目を集めた上での、この上ない失敗。もうどうしようもなかった。
「危なかった……」
「すまない」
ホームの隅に二匹の猫を放し、大きく息をついた。
「もはや心霊現象ですね」
「だな」
いないはずの男のくしゃみが聞こえるという、怖いというより気味の悪い話。
寂しくなったのか、小さく鳴いてクロが擦り寄ってきた、その頭を撫でて、
「もう一回、入っといてくれな」
鞄の口を向けた。一匹の猫が、その中に収まる。
「え、まだあるのか」
「あと少しですよ」
そう言って、もう一匹の方にもそれを向けた。
今度の電車は先程よりも混んでいるが、半分ばかりの空席が目立つ。ドアの脇にある、三人ほどしか座れない短い椅子の端に座って、再び鞄をその横に置いた。
規則的に電車が揺れ、男のくしゃみも聞こえず、横の壁にもたれて愁が夢と現の狭間をさまよっていると、ふいに声がした。
「あと七つです」
と、同じ様に小声で返す。
不特定多数の人の会話等から生まれる音で、その小さな声を気に止めるものはいなかった。電車の立てる音がまず大きいから、大丈夫だろう。
しばらくすると、
「あといくつだ」
先程と同じ声がする。
「あと六つです」
残りの駅の数を答えた。何度かそれを続けるうちに、だんだんとその間隔は短くなっていく。
「あとどれくらいだ」
「五つです」
また少しして。
「あといくつだ」
「あと四つ」
「いくつ……」
「三つ。あ、間違えた、四つです」
結局ゼロまでカウントし、鞄をかけ直して、ようやく一人と二匹は電車を降りた。 |