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ツギハギ
作:ふあ



29 兄弟


『もう一度、コード1040A、ランクS、影渡りについて確認しておく。生態の影、もしくはそれと重なった影に入り込み、その対象を乗っ取る。早いものでは三秒以内に開始する事が可能。初期には筋肉の動きを捉え、時間経過と共に神経、思考まで到達する。特徴として、主に対象者の表面が影のように黒ずむ。対処法としては、影の出来ない光の下へ移動し、建物等の広い影には出来る限り入らないようにすること。取り合えず、光だ。自分の影を伸ばさないように気をつけろ……』

 無線機から流れる、通信班の高梨が全員に向けている忠告を聞きながら、発砲した。前方に固まっている奴等の隙間をすり抜け、その向こうにあったドラム缶に弾が当たる。
 広い影に入るなというのは、現時点で無理だ。後方以外の三方向を高い建物に囲まれたこの場所には、当然真っ黒な影が敷き詰められている。しかしそんな焦燥など表には全く出さず、勇敢にも後ろから殴りかかってきた誰かの拳を、僅かに身体を反らして避け、頭の横から伸びた腕を掴むと、椋はそいつを前へと投げ飛ばした。自分よりも大柄だが、相手が自らつけた勢いを利用すれば、これぐらい出来る。
 投げ飛ばされた誰かは、前にいた仲間にぶち当たり、似たような声を上げながら三人ほどがもんどりうって倒れた。
 別に誘導されていたわけではないと思う。ただ、自分の注意力不足と、ここ一帯の土地勘不足が原因だろう。しかし、地図はちゃんと覚えこんだはずだし、一度集中して覚えれば、迷ったりするなんていう支障は起こらない。現に、今までそうだった。今も迷ったわけではない、行き先をよく考えられなかったのだ。影渡りのことを考慮すれば、わざわざこんなところまで来るなんて真似はするべきではなかったのに。
 何を、どうして焦っているんだ。冷静に自問しながら、残りの装填数を計算する。何だか分からないが、焦っても無駄だ、集中しなければ死ぬ。死ぬ気にならなければ死ぬ。
 周囲に何人いるのか、気配はあるが正確な数は分からない。やはり素人らしく気配を殆ど殺せていないが、多勢に無勢。決して有利ではない。
 だが。椋は、闇よりも深い瞳で、周囲を見据えた。大丈夫だ、これぐらい。無理だと思うから無理になる、出来ないと諦めるから出来なくなる。それほど現実が単純でない事は知っているが、間違いではない。そんな不毛なことをしても、意味がない。
 前から一人、後ろから二人。避けた所で右から野球のバット。それが地面を叩いた音で、金属製だと知る。
 左から襟首を掴んだ相手の腕を逆に握り、ひねる。向こうの身体が空中で一回転して背中から地面に叩きつけられた。
「くそっ、ガキのくせに」
誰かが毒づくのを聞きながら、足払いをかける。これでガキなら、自分達も似たようなものだろうに。
 緊張の合間に、すっと素早く息を吸い、足を引く。と、誰かが落としたものか、それともただの石ころか。何かを踏みつけてバランスが変わった。
 隙を与えない腕をよけるのは難しかった。それも性質たちの悪いことに、その手は扱い慣れないナイフを握っていた。
 鋭い痛みが走り、切り裂かれた椋の左頬から零れた赤い血が、宙を彩った。そちらに意識が向いた瞬間、左肩に衝撃が走る。殴られたのか、蹴られたのか。それも分からず、地面に両手をついたまま、椋は誰かを蹴り上げた。立ち上がりながら、もう一度。距離をとりながら、威嚇の為に一度発砲。乾いた音。線のような傷口から、赤い血が流れる。
 こんな傷。構うようなものじゃない。
 もっとひどい怪我を、負って負わせてこの目で見てきた。これぐらい、どうってことはない。
 足元で、何かが爆ぜた。暗くて目には見えなかったが、音だけで十分、それが何かは分かる。
 どこだ。周囲の闇を見渡す。どうやらプロではなさそうだ。手馴れた専門家なら、初めのチャンスで確実にしとめる。それがいないのが、唯一の救いだ。接近戦は一時中断らしい。仲間に撃たれたいもの好きはいないようだ。
 もう一度、今度は左数メートル先で銃弾が跳ねる。そして今度は、更に近くで。
 あれだ。銃弾の直線状には、必ずその相手がいる。建物に引っ付いている錆びた階段、その下の影に僅かに蠢く影。迷わず照準を合わせ、相手の頭上に向けて、引き金を引く。澄んだ音が響き、兆弾した可能性が生まれたが、そこまで気にしてはやれない。
 後ろから、椋の顔のすぐ脇を鉛玉が通過する。
 しまった。銃を持っているのは、一人とは限らない。
 咄嗟に振り向いた。
 しかし、すぐには見つからない。パンと破裂する音が響く。
 大きく目標をそれた銃弾が空気を焼き、ドサリと音がして、それを飛ばした誰かがくずおれた。何故かは知らないが、その狙撃手は、戦闘不可能な状態に陥ったらしい。
 聞きなれた音に振り向き、一度では懲りなかった階段下の相手へ向けて、再び引き金を引く。腕をかすった程度なのに、そいつは大げさな声を上げた。
 椋の背後から、跳ぶように誰かが駆けて来て、あっという間に距離をつめた。勢いあまって、ドンと彼の背中に自分の背を打ち付ける。敵ではなさそうなので、椋は顔だけ向けてその影を見下ろした。
 愁だった。流石に苦しいのか、息切れしながら左手で腹の傷口を押さえている。先程椋を狙った者を昏倒させたその右手に、ナイフを握っている。それに血はついておらず、まだ誰かを斬りつけてはいないようだった。
「何で、わざわざ戦いに来たんだ」
弾切れになった銃の弾倉を素早く入れ替えながら、椋が訊ねる。
「あいつを捕まえないと、僕はもう、生きられないから」
微かに肩を上下させ、苦しげだがはっきりと愁はそう返した。自分の駆けてきた暗闇を見つめて。
「ここは俺だけで十分だ」
「十分じゃない」
頬を流れる血が、遊底をスライドさせる手にポタリと落ちる。椋は僅かに顔をしかめた。
「お前、死ぬぞ」
一呼吸、間を空けて答えが返る。
「死なない。死ぬ為じゃなくて生きる為に来たんだから」
「理屈になってない」
「ここで逃げるくらいなら、死んだほうがいい」
何の根拠もない理由。だが、今更何を言っても無駄だという事は、椋にはよく分かった。
 前に、粗暴そうな若者の影が幾つも見え、隠そうともしないその空気は、分かり安すぎるほど殺気立っていた。しかしもう、後ろに注意を計る必要はない。
「俺、やっと分かったんだ」
愁がぴくりと反応したのが、背中越しに伝わる。
「俺が憎んでいたのは、お前のしたことで、お前じゃなかったってこと」
前を見据えたまま、椋はそう呟いた。確かに自分は、愁が夕月たちを見殺しにしたと、彼らがそのせいで死んだのだと、思っている。今もそれは変わらない。
 そのことをずっと責め続けていた。だが、ようやく分かったのだ。その過去を憎んでいても、愁自身を憎んでいるわけではないと。
 愁は返事が出来なかった。なんと言えばいいのだろうか。よかったなのか、それとも、ありがとうか。単純に、ただただ嬉しいが、手放しに喜べる状況でない事はよく分かっている。だから、声も出せずに頷いた。暖かい生きた背中が伝えてくれるのを願って、二度、三度と頷いた。
「怪我、大丈夫?」
始めに聞くべきだろうと思ったが、気になっていたので、改めて愁は問いかける。ワンテンポ遅れて、「ばか」と椋が返事をし、振り向く気配に、首を曲げて振り返った。
「お前より先に、やられるわけないだろ」
椋も、背を向けたまま振り返り、愁を見下ろしてそう言った。暗くて見えにくかったが、その顔が、昔見た懐かしい笑顔によく似ているようで、愁も笑った。苦しさなど、もはやどこにもなかった。












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