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ツギハギ
作:ふあ



26-2 さよなら


 ナイフの刃先が、身体にめり込む。刃と皮膚の境目から、赤い血が滴り地面に溜まっていく。
「ぐ、う……う……」
空気が震えた。
 手から離れそうになるナイフを握り続け、愁は力を入れる。少しずつ、少しずつだが確実に、鋭い刃が更に奥を目指す。更に強く柄を握り締める。
 力を入れるごとに、その顔が苦痛に歪んだ。奥歯を噛み締め、耐え切れない痛みに耐え続ける。歯の間から零れた、堪えきれない呻きが地を這う。
 黒の抜け始めた手は、代わりに刃を伝ってきた赤色に染まっていく。幾本もの赤い筋ができる。
 それを、椋はただ呆然と眺めていた。
 愁が全力で軌道をそらしたナイフの刃は、持ち手自身の腹に突き立っている。そして進行形で、その身を傷つけている。
 するりと黒が抜け出し、椋の後ろに元の人型が音もなく姿を現したが、愁とほぼ同じ場所から血を流すその姿を、椋は見なかった。それと同時に、ナイフの動きが止まった。
「伏せろ!」
怒鳴り声が聞こえ、向こうから走ってきた誰かが膝をついている二人を飛び越し、空気中に多量の砂塵を巻く。
 ごうと音を立て、椋の背後で空気が焼けた。それすらも彼は、見なかった。

 助けもせず、声もかけず、すぐに四万が戻ってきても、椋はじっとしていた。
「おい、こいつ、愁だよな。……何があったんだよ、どういうことだよ、これは」
血だらけの手で自分の身体にナイフを突き刺している愁と、呆然としてじっとその側にいるだけの椋。四万には、全く経緯いきさつが分からない。
「だれが。誰が刺したんだ、さっきの奴か。それとも、まさか……」
柄を握り締めたままのその肩を支え、側に片膝をついた四万は早口でそう言うと、座り込んでいる椋を見下ろした。見上げ返しもせず、彼は短く答える。
「自分で。自分で刺した」
 そんな馬鹿な。そう思いながら、四万は椋が続きを話すものだと確信していたが、彼はそれだけしか言わない。
「なんなんだよ、わけわかんねえ。早く説明しろよ!」
ようやく、短い言葉で椋がそれに答え、なんとか流れを知った四万は、無線機を握り立ち上がる。
「影渡り、だ」
代わりにその身体を支えながら、椋が呟いた。「だろうな。どう見ても」そう四万が返す。
 前へ倒れてこれ以上傷が広がらないようにと、支えているその肩は、あまりにも細い。そこに腕を繋ぐ金属が収まっているなんて信じられないほど、細くもろい。
 がっくりとうな垂れ、僅かに開いた瞼の奥の瞳は、何も見ていない。小さく開いた口の端から、血が糸を引き首まで伝っていた。それでも、微かな呼吸の音が聞こえる。ナイフの柄を握ったまま、彼は命を繋いでいる。
 頬に痣が残り、髪にも血がこびりついている。コートの袖の下には、似たような傷がまだあるだろう。どこでそうなったかは知らないが、いわれの無い傷には違いない。
 愕然とそれを見ていた椋が、「どうして」と、聞き取りにくい掠れた声で呟いた。唐突なその言葉に、通信中の四万が振り返る。
「どうして……こんな。ここまで……」
「お前はそういうとこだけ馬鹿なんだよ!」
荒げたその声に、椋は顔を上げた。
「なんでわかんねえんだ。こいつはな、お前に死んでほしくなかったんだよ!」
「でも、おれは……」
「関係ねえんだよ、お前が憎んでるだとかなんだとかは。たった二人の兄弟だろが!」
そう言い切り、四万は機械の向こうの相手との会話を再開する。もう一度、椋は愁を見下ろした。
 「愁は、きみを憎んでなどいない」志田の言った言葉を思い出し、さっきさよならを言った愁を見ると、不意に、どうしようもなく悲しくなった。本当に死のうとしたのだ。あのさよならは、そういう意味だったのだ。
 どうして、こうなったんだろな。
 声に出さず、椋は愁に問いかけた。何故自分達は、傷つき続けなければならないのか。愁がこんな目に合わなければならないのか。普通の人と違う道を選ばなければならないのか。
 俺らは、いつから間違っていたんだろう。病院で殴ったときか。濱瀬夢が死んだときか。憎んでいると言い切ったときか。夕月直哉が死んだときか。そのもっと前かもしれない。捨てられたとき、あるいは……。
 しかし、全てが間違いであっても、手を離すべきではなかった。犯罪対策部活動班に在籍するには絶望的なハンデを抱えて再び笑った彼を、よくやったと褒めてやる立場のはずなのに。それなのに、憎むことを選んだのは、間違いだったのか。
 それなら、どうしたらよかったんだ。どうするべきだったんだ。未だに、答えが見つからない。見つかってもどうしようもないが、見つけられない。
 それでも、一つだけ正しい事が分かった。愁は、憎んでいなかった。
 ああ、と誰にも聞き取れない声で椋は呟く。ああ、そうだったのか。自分が憎んでいたものの正体が、ようやく分かった。
 握った肩は、冷たくて、暖かい。












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