18-1 Can you ……?
この近辺の入り組み具合は、ここしばらくで覚えこんだ。大通りへ抜けるまでに一番距離のある道を選ぶが、時折太めの道を通るようにする。目撃はされやすいが、こちらにはっきりしたと注意を向けさせておけば、相手がわざわざシオンたちの方向へ行き着くことも無いだろう。実際、幾度か相手の目に留まったが、気にせず更に入り組んだ道へと紛れて撒く。
「危険だな、このやり方は」
「一応考えてるんですけどね」
闇の中、二匹の猫の姿は、ともすれば見失ってしまいそうだった。うっすらと暗闇に浮かび上がる首輪と瞳と、絶え間なく響く微かな足音で、なんとかその位置が判別できる。
大分離れたところまで来てペースを落としたが、まだ追いつかれてはいないようで、何の物音も声もしない。路地を出た少し広いアスファルトの道を、塀に沿って歩くが、側に並ぶ民家の明かりも消えていて、耳の痛くなるような静寂が街を包んでいた。
「相手が政府の者だった場合、それは、その、犯罪対策部の人間になるんだな」
「そうですね。僕もちょっと前はやってたから」
「もしそうだった場合、きみはどうするんだ」
塀の上を歩く猫を、一度見上げた。決して大きすぎない声で答える。
「そりゃあ逃げますよ。捕まりたくないし」
「逃げられなかったらどうする」
「向こうがその気なら戦う」
「できるのか」
その意味を理解して、愁は困ったように笑った。自分だって戦いたくはないが、痛いのは嫌だし、捕まったらどうなるか分からない。
「それしかないんだったら、やるしかないじゃないですか」
「とはいっても、仲間だったんだろう」
「しょうがないですよ」
正直、百パーセントの自信はない。しかし、こう断言しておかなければ、いざというときに迷って何も出来ずにやられてしまう気がした。せめてもの自己暗示。
その心中を察したのかどうなのか、志田は探るように続ける。
「もし、それがきみの兄だったら」
唐突な単語に、一瞬目を丸くしたが、
「……しょうがないですよ」
と同じ言葉を呟いた。
「きっと向こうも同じだろうし」
「でも、兄弟なんだろう。いざとなったら戦うことなんて出来ないんじゃないか」
「出来ますよ。仕事だから。やれって言われたことはちゃんとやらないといけない」
「逆の立場でも、きみはそうするのか」
「仕事なら、きっと」
今度は、猫の方が目を見張って振り返った。
「仕事仕事って、そこまで大事なものでもないだろうに」
「大事ですよ、僕らの唯一の居場所なんだから」
「ああ、僕は過去形だった」と、口元に片手を当て苦々しい顔で愁は呟いた。その動作を、蒼く澄んだ瞳が眺める。
「いくら居場所だからって言っても、いざとなったら出来なくなるものだろう」
「だから、そうならないように頑張るんですよ。同情しないように、相手が痛いのを想像しないようにして」
「できるものなのか。特に、愁なんかが」
「僕だってできますよ。ずっとやってたわけだし」
志田は更に目を見開いて愁を見下ろした。戦っている現場を見たことがないのでなんとも言えないが、この優しくて臆病な少年に、そんなことができるとは思えなかった。
「それなら、仕事だっていえば何だって出来るのか、きみらは」
「だって、やらないといけないから。だから人を殺したことだってありますよ」
「ころし……おい、冗談だろう。いくらなんでもそんな……」
「本当ですよ。それも一回や二回じゃない」
数えたくないけど、と付け足して正確な数は言わなかった。
「相手は殺そうとしてくるんだから、危なくなれば同じ事をしないとこっちが死んじゃう。仕事だからってなんとか割り切ってますけど。まあ、その瞬間は必死で、そんなこと考えてられないんですけどね」
人殺しだなんて、愁には全く似あわない台詞だと志田は思った。こんなことをすらすら言っているのが不思議だった。
「割り切って、人を殺せるのか」
「……まあ、本当に割り切って忘れたりなんかできないけど、しょうがなかったんだって、仕事なんだからって思い込ませないとやっていけませんよ」
「それができなかったら」
「心が殺せなかったら、相手に本当に殺されるだけです。もしくは、戦闘能力が欠けていると判断されれば、切り捨てられる」
当たり前のように淡々と告げるのに、恐ろしさというよりも同情を煽られた。彼よりもずっと長く生きてきた筈なのに、自分には無縁だった世界の話。そこは決して、幸せだとは言えない。
「人を殺すのって、本当に嫌な感じですよ。どんなに悪い事をしててもね、大体の人は死ぬ直前に、ただの人間の眼に戻るんです。その瞬間にやっと気付く」
「何に、気付くんだ」
「僕はひどいことしてるんだなって。この人の今まで生きてきた歴史……っていうか、積み重ねっていうか。そういうものを全部壊そうとしてるんだって。それって、ひどいことですよね」
「……でも、向こうも今まで人を殺してきた殺人者なんだろう」
「それが、ただの人の眼に戻るんですよ。よっぽど覚悟してる奴じゃない限り、死にたくないっていう顔になって。それでも、僕はその人をナイフで突き刺すんです」
口調も、声音も変わっていないが、その瞳の奥に、氷のような冷たい光がこもっているのを見つけ、珍しいものを見るように志田はじっとそれを見つめた。それに気付き、愁は軽く頭を振って小さく笑い、いささか慌てながら、猫は前方へ視線を戻す。
「……それぐらいやるのだから、兄弟であっても戦えるというんだな」
「それに向こうは、僕のことを憎んでるって言ってたし」
「憎む、か……」
ふむ、と猫は針金のような細いひげを夜風に揺らし、
「きみは憎んでないのか」
と言いながら振り向いた。「へ?」と、とぼけた声を出した愁に、口を開く。
「きみだって好きで憎まれるようなことをやったんじゃないだろう。それなのに、憎むまで嫌われるのは少し理不尽なんじゃないか」
「……そうかな」
「少なくとも、わしはそう思う」
「僕のせいで死んだ人達は、僕らにとってすごく大切な人達だったんですよ」
「そうであってもだ」
困惑して片手で頭をかく。そんな考えはしたことがなかったので、すぐにはよく分からない。
「二度目のときなんかは、きみも手足を失くしたんだろう。それで幾らか許してもらえてもいいんじゃないか」
「いやー……。そんなわけにはいかない。だって、最初の切り込み役は僕のはずだったんだし。それを勝手に破ったんだから、僕の責任だ」
「でも、強引に破ったのはきみじゃないんだろう」
「止めなかったのは自分のせいだし、それで勝手に怪我したんだし」
苦笑しながら塀の上の猫を見上げた。
「もうね、周りからすごい非難でしたよ。またやったのか馬鹿だお前はって。もう駄目だって自分でも思ったんですけど、なんとかもう一度戦うってことで、おさめてもらったんですよ」
「……簡単にはいかないものなんだな」
「だから憎まれてもしょうがない。それに、昔から守ってもらってたんです。僕が憎む理由も資格もあるわけないじゃないですか」
「そうか……」
どうも感覚が少し違うらしい、と、志田は軽く首を傾げた。影響されやすい子供ならまだしも、きっと自分には一生納得出来ないだろう。 |