14-2 記憶と傷痕
「でも、愁も、わざとやったんじゃないだろう」
励ますでも、なだめるでもなく、ただ確認するようにシオンが聞いた。
「それでも僕のせいでたくさん人が死んだ。それに、二回も」
「二回って」
「その後、夕さんの次に僕とよく仕事をした人がいたんです。濱瀬夢っていう、子供みたいで、優しくて、よく笑う女の人」
愁の瞳には、路地裏の地面ではなく、その時の記憶が映っている。
「三年ぐらい前、僕と一緒の場所を担当する事になったんです。そのときも、かなり危険な相手で、硬直状態が続いていて、それを破る切り込み役を僕がすることになってたんです。死ぬ覚悟もしてました。でもそのとき、怪我をしていたのを心配してくれて、私が代わってあげるって、言ってくれたんです」
血の流れる右腕に応急処置をしてくれながら、彼女はそう言って笑った。
「駄目だ、僕の仕事なんだからって言ったけど、聞いてくれませんでした。僕も、その手を掴む事ができなかった。……自分が死ぬのが怖かったんです。追い込まれてぎりぎりのときなんかを除いて、作戦を勝手に変えるなんてこと、あってはいけないのに。そのときは、それが許されるときじゃなかったのに」
ちゃんと規則を守っていれば。しっかり覚悟を決めていれば。あの手を掴めていれば。
「死ぬのは、僕だったのに、死ねなかった。生き残るのは……」
彼女のはずだった。この世に残っているのは、自分じゃなかった。
「僕は死に損なった」
「違う、きみは生き残ったんだ。死に損ねたんじゃないだろう。」
首を横に振る志田を見下ろし、愁は肯定するでも否定するでもなく、以前のように曖昧に笑った。
「そう、僕はそれでも生きていた。手も足もいろいろ失くしたけど、死ななかった。それでも、前を向けなくなったんです。これで、ちゃんと生きてるっていえますか」
「何を、言っているんだ。きみはちゃんと、前を見ているじゃないか」
「僕は逃げてるんです。誰かに否定されるのが怖くて、本当のことはずっと隠し続けて、そんな臆病なところを見透かされるのも怖くて、前なんて向けなくなった」
首を傾げる猫に笑いかけ、愁は立ち上がった。彼らと向かい合うように、反対側の壁へ背をつける。折れそうな心に、ひやりとした冷たさが、染み渡る。
本当のことを知られるのも見られるのも、怖い。その先で、相手に否定され、見捨てられるのが恐ろしい。
だから愁は、この思い出を誰かに話すことは今まで殆ど無かった。それも、聞かれたから答えるくらいで、自分から話すなんて真似はしない。この腕も、足も、全部隠し続けてきた。弱くて臆病な、どうしようもない奴だと見捨てられたくなくて。
この人達は、全てを知って、自分を見捨てるだろうか。情けない奴だと、呆れるだろうか。
そうでないことを願った。誰かに全てを知っていてほしかった。そして彼らの優しさを信じたくて、愁は自分のシャツを握り締めて上着を脱いだ。髪がその拍子に後ろへ撫で付けられ、普段は隠れている右耳の穴が姿を現し、思わずシオンやサラたちは言葉を失う。
首筋の右側から痩せた身体の横腹まで、醜くひどい火傷の痕が残っている。光源は月明かりしかない路地裏でも、そのにごった赤色ははっきりと目に映った。
「本当は、これもにせものなんです」
そう言うと、愁は自分の金属で出来た右手を目の高さまで持ち上げ、その指をそのまま右側の眼孔へ差し入れた。軽く指を曲げ、先程まで顔の中に収まっていたそれを手に摘み出す。哀しそうに、左目が右目を見つめた。
猫が、問う。
「どうして、そんなことに」
「さっき言った、死ねなかったときです」
死にはしなかった。ただ、継ぎ接ぎだらけの身体だけが残った。他には、何も無い。
元の場所に右目を戻し、数度瞬きをすると、再びシャツを着直す。髪で耳元が隠れると、先程の面影は欠片も残らない。
自分から人にばらしたのは、始めてだった。後悔はない。ただ、不思議な安堵と空の虚しさがじわりと広がる。立っているのが辛くなって、その場に座りこんだ。
「僕のせいで、たくさん人が死んだ。だから僕はちゃんと前を見て歩かなきゃいけないのに、できないんです。必死で本当のことを隠し続けて、隠さないと生きていけない。前なんて見られるわけがない。」
情けなくて仕方が無い。こんなに嘘ばかりついていて、生きているなんていえない。こんなこと、誰も望んでいない。
堪らなくなって顔を伏せた。泣きたかったが、人前で泣くなんてそんな弱いことは許されない。そして、少しでも強くなれるために、嘘をつく。嘘をついて笑う。
「大丈夫、私たちは捨てないから」
ふと、そんな言葉がすると同時に、頭を温かい手がなでた。優しく微笑むアオイを、愁の黒い瞳が見上げる。側にしゃがみこんだ彼女の肩越しに、クロを抱いているサラが見えた。
「言ったろ。今更捨てる気は無いって」
と、夕月に似た瞳で、シオンが笑った。その笑顔も、アオイの手のひらも、懐かしすぎた。
人って、こんなに温かかったんだ。
最後にこうやって誰かに触れられたのは、いつだったか、もう思い出せない。ただ今は、その懐かしさは、ひたすら優しかった。 |