12-2 残された道
四万が、短く椋の推測だけを語り、代わりに、灰色の眼をしたOCの話を聞き終わるのに、そう時間はかからなかった。
「やっぱあいつの言ってたことは当たってたんだな」
極端に性格が異なり、衝突も幾度か繰り返してきた相手だが、その洞察力のよさに素直に感心した。だが、今の四万には、同じ様な言葉を繋げることしか出来ない。
「いいか、絶対逃げ切れよ」
『大丈夫ですよ。逃げるのは得意だから』
予想通りの言葉が返ってきたが、愁の意に反して、少しも安心させる要素にはなってくれなかった。愁の笑い声が返ってきたが、いつもと同じはずのそれが、普段よりも大分弱々しく聞こえたのは気のせいではないだろう。
『わざわざ、ありがとうございました』
普段の口調だが、過去形である事が、異様に不安感を助長させる。
『みんなに、お礼、言っておいてくれませんか。あと、ごめんなさいって。明日香さんにも』
「分かった」
正直、そう答えるのは嫌だった。愁は、明日戻ってくることは出来ないと、犯罪者の肩書きを背負わされるのだと認めたくはなかった。だが、そう答えるしかできないのだ。
四万は指先が白くなるほど強く通信端末を握り締め、反対の手で手すりを握り、行き場のない感情を押し込めた。屋上を吹き抜けていく風は強かったが、それらを吹き飛ばしてくれるほどに強くはなかった。
通信の切れたそれを左耳から離し、液晶画面を数秒間だけ見つめた。数度指を動かして、今までやったことのない操作を行う。「ALL DELETE」の文字を眺め、それをゆっくりと裏を向けて机に置いた。手に握ったナイフの刃先をカバーの下に差し込んで、てこの原理で柄を下へ下ろすと、案外簡単にそれは外れ、複雑な回路が姿を現す。その中から、親指の爪ほどの大きさをした平たいメモリーカードを取り出し、右手の親指と人差し指で立てたまま挟んで力を入れると、それは音も立てずに真っ二つに割れた。
データは全て消えた。もうこれは使えない。意味の無いことだと分かっているが、再び同じ位置に破片を入れなおし、カバーを乗せ、表を向けて机の上に置いた。もうこれを持っていても意味は無いし、こうしておけば最後の会話の相手が四万だとすぐにばれる事もない。
どこに行くかなんて、何も考えてはいない。しかし、今まで捕まって生きている者がいないのだから、もし自分が捕まったとき、どうなってしまうのかということへの見当もつかなかった。
それでもいいような気がしていた。四万からの通信がなければ、このままここにじっとしていようとさえ考えていたのだ。彼には悪いが、逃げて逃げていった先に、それ程の意味があるとは思えない。そこまでして生きていく価値が、自分にあるとは思えない。
だが、これで逃げる事を決めた。そうしてでも生きていてほしいと思ってくれる人がいるのだし、黙って捕まるのも馬鹿馬鹿しい。
ただ、ずっと絡み付いていた罪悪感が、これでようやく消えた。自分の知っている真実を隠し続けて、周囲の人の笑顔を見るのが、堪らなく辛かった。いつも通りに笑ってくれる度に、自分はこの人達を騙し続けているのだという事実がはっきりと形を為し、その度に心の中で謝り続けた。だがもう、嘘をつく必要もない。
電気も点いていない暗い部屋。そこに立ち尽くす足元に、小さな影が擦り寄った。その緑の瞳を見下ろし、
「行こっか」
と、愁はクロに笑いかけた。 |