12-1 残された道
地上は数え切れないネオンの光やビルから漏れる明かりに照らされ、その元を車や人々が行きかっている。夜であっても、人通りは絶えそうになかった。しかし、一度夜空を見上げると、そこには誰もいない群青色の世界が広がっており、その地上と空の合間にあるビルの屋上には、穏やかな風が吹いていた。
その風の穏やかさとは正反対の明らかに焦燥している表情で、屋上の手すりにもたれて下を見下ろしながら、彼は通信端末を握り締めていた。反対を向いて手すりに背を押し付けると、やがて、耳に当てたそれから『はい』と言う声が聞こえた。
「俺だ」
小さくそう呟くと、
『……四万さん?』
不思議そうに答えた。眠たげだが、いつもと変わりのない声音に、やけにほっとする。
「ああそうだ。今どこにいる」
『どこって、家に帰ったままですけど』
「そうか。この話が終わったら、すぐにそっから出ろ」
『出たら、どうしたらいいんですか』
すでに予想していた事なのか、その声は唐突な四万の言葉にも、落ち着いていた。
「逃げろ。とにかく」
『逃げるって、どこに』
「どこでもいい。とにかく、最後の一人が捕まるまで逃げろ」
最後の対象者が捕まれば、彼らによる犯罪も終わる。そうして、再び安全性が表の人々に認識されれば、愁が犯罪者の側に回る事もなくなる。
そのことを手早く説明すると、すぐに「分かりました」と返ってきた。それを聞き、彼の中から言いようのない苦しさが込み上げ、それを吐き出すかのように呟いた。
「部長も最後まで粘ったんだが、無理だった。もうお前は帰ってくるな」
そして、思わず言葉が漏れる。
「何で、こうなっちまったんだろうな」
『仕方なかったんですよ。僕に運がなかっただけだから』
緊張感のない、むしろ明るささえ滲ませる声に、逆に励まされているような錯覚を覚えたが、それが本心からの言葉なのかは分からない。
「最後に、一つだけ教えてくれ」
少しだけ声を低くする。
「この事件の前に、お前はフリークスの奴に会っていたのか」
何の脈略もない質問に対し、奇妙な間が空き、それに確信を抱いた彼は強い口調で再度訊ねる。期待はずれの答えであってほしいと願ったが、それすらも上手く運んではくれなかった。
「会ってたんだな」
『……はい』
先ほどとは打って変わった沈んだ声へ、思わず怒気がこもる。
「どうして今まで黙ってたんだ」
機械を握る手に、不要な力を込める。返事は返ってこない。
「それが分かってたら、まだ対処できてたかもしれねえのに」
『……ごめんなさい』
電気信号に変えられて伝わった悲しさになんとか怒りを押さえ、一呼吸置いた。
「脅されてたんだろ」
『……はい』
「もう、黙っておく必要もない。全部話せ」
冷たくそう告げてからふっと力を抜き、四万はいつもの調子を取り戻す。
「まあ、これを予想したのは、俺じゃないんだけどな」
『え?』
「椋だよ」
そう言いながら四万は苦笑した。
なんとか廊下で椋を見つけ出した四万は、その場で彼を問い詰めた。問い詰めたというのも、問いかけるというには一方的過ぎたからなのだが。
フリークスの今回の一連の動きについて聞くためだった。当然、彼が確かな全貌を知っているわけが無いが、愁のたった一人の兄弟として、彼自身が何を考えているのかが知りたかった。
椋はただ黙って、透明な水面を思わせる、落ち着いた黒い瞳で四万を見上げ、話を聞いていた。子供のような明るい光はないが、大人のような疲弊した年季も入っていない、深く透明度の高いその瞳で。
四万が話し終わると、椋は少しの間考えるそぶりを見せたが、一度ゆっくり瞼を閉じて開く頃には、再び見上げて口を開いた。
「ただ、向こうの気まぐれでやってるだけなのかもしれない」
「それはみんな言ってるんだ。そうじゃなくて、お前はどう思う」
一瞬不思議そうな顔をしたが、言葉を返すのは早かった。
「もし、これまでにあいつが一人で「フリークス」の奴らと接触していたなら、別の可能性が出てくる」
「別のってどんなだよ」
「自分達に手を貸すように声をかけられていた。もし断ったとしても、このことを喋れば他のやつを殺すとでも言っておけば、口を封じるのなんか簡単だ」
「本部の人間だったら、そう簡単にやられはしないんじゃねえか」
「不意打ちを掛ければ十分だし、部外の、戦ったことの無い民間人だったらすぐに殺せる」
だが、結果的に人は死んだ。知らない人間であるが、そのことに間違いは無い。
四万は椋のこの推測が真実でない事を願いながら、尚もその話題を続ける。
「でも、そんな一人の為に、あいつらが貴重な手駒をここまで失わせる必要はないだろ」
「確かに、それだとあまりにも釣り合いが取れない」
椋は一度その目を伏せて、続けた。
「だがそれが、自分達と敵対する組織の人間だったら。その情報が得られるんなら、まだ傾くかもしれない」
「あいつは、そんな重大な情報は持ってねえよ」
「それでも向こうにとっては、価値のある情報になりえる」
こっちだって、フリークスについての情報はどんなつまらない事でも収集に専念している。それはきっと向こうにとっても同じなのだろう。
「それに本質的にはただ、この騒ぎ自体を楽しんでいるんだろうし」
「だよな」
娯楽にしては激しく度が過ぎるし、だいたい、ただ楽しんでやっているなんて推測、馬鹿馬鹿しいと切り捨ててしまうのが普通の考えだ。たが、これが彼らのやることだから納得出来る。彼らは「普通」の範疇に入れるには、あまりにも常軌を逸しすぎている集団なのだから。
「……つまり、あいつらの思い通りになったんだな」
「もしかしたら。唯一、法を無視して金属義肢が許可されている人間なんて、これほど厄介で面倒で、目に付きやすい奴はいないだろう」
だから、簡単に弾き出すことの出来ない、他の人間では駄目だった。
「そうだとしても、どうしてあいつは誰にも言わねえんだ」
「そんな細かい事、俺に分かるわけがない」
「だから推測でいいんだよ。お前はどう思う」
椋は愁ではないのだから、その心情など分からないのは当然だろう。しかし、誰が何と言おうと、何と否定しようと、椋と愁は血の繋がった兄弟だ。自分がどんなに考えても、椋の意見が最もそれに近いように、四万には思えたのだ。
「だから、予め釘を刺されているんだろう」
「それでも、対策部の力を使えば、その人質に宣言されているやつを守ることだって出来る。そうすれば敵をおびき寄せることだって出来るのに」
「向こうもプロだ。そう簡単にはいかないし、失敗するかもしれない」
自身の力をも否定する椋の瞳を見下ろしたが、相も変わらず、そこには悔しさも苦々しささえも滲んでいない。
「そうなれば必要以上の死傷者が出るし、その直接的な原因が自分自身だと決定したら、これ以上あいつ自身も生きていけない。だから、頼れないんだ」
分かるわけがないと言ったが、その冷静な分析は確かなもののように思えた。少なくとも、本質的に他人である四万が考えるよりはずっと。
「……頼れない、か」
「ああ。自分がそうする事で、確実に誰かが死ぬからな」
「ここまで考えられて、どうして何もしてやらねえんだ」
急に声音を変えた、その静かな怒りを内に含んだ瞳に、椋は過去に遭遇しているような気がした。しかし、それがいつ誰のものだったかを思い返す暇は与えられなかった。
「今言った事は、全部推測だ」
「それが当たってても外れてても、お前なら最後はこうなる事ぐらい分かってたんだろ。助けようとしてやればよかったじゃねえか」
「何で、俺が」
胸倉を掴む勢いで声を荒げる四万に、椋は眉をひそめ、彼の言葉を受け止める。
「お前は、たった一人の兄貴だろうが」
そんな繋がりは、とっくの昔に断ち切ったつもりだった。愁もそれは分かっているはずだし、今更他人にどうこう言われる筋合いはない。だが、それは言わずに椋は僅かに目を伏せた。
「そんなもの関係ない。それに俺が何と言っても、事態は変わらないんだ」
そう言い放った椋に、四万は感情に任せて怒鳴りつけてやりたかった。しかし、確かに、椋の力でもどうしようもなかっただろうし、そうして全ての責任を彼に押し付けるのは間違いだという事ぐらいよく分かっていたので、なんとか耐えることができた。それと同時に、自分がどう訴えようが変えられない事実を思い出すと、急速に怒りは冷めていき、代わりに、不思議と虚しさだけが浮かび上がる。
「そうか」と静かに呟き、
「愁のこと、憎んでるって言ってたよな」
答えの分かりきった質問を投げかけた。
「ああ」
と当たり前のように、椋も呟く。
その時、椋の瞳に苦しさが滲んでいた事に、ついに四万が気付く事はなかった。 |