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ツギハギ
作:ふあ



10-2 窮猫やはり犬に怯え、黒鉛は折れる


 シャーペンの芯が折れて、どこかに飛んでいった。中に残っている芯は既に大分短くなっていて、いくらノックしても出てきてくれない。しかたなく、最後の一本を芯入れから取り出して補充しようとしたが、不覚にも手の中で折れてしまった。と同時に、祐輔の中にある目に見えない何かも折れた。
「あーもう、うるっせえ!」
勢いよく立ち上がった彼は、ばっと振り返る。
「いい加減にしろよ、それすっげー耳障りなんだよ!」
「教科書なのに」
「だからよけー耳につくんだよ!」
声を荒げて愁が手にしている本を指差した。
 背表紙に、世界の子供達の写真が載っている英語の教科書。今開かれているページは、とある犬の生涯を綴った感動すべき物語。しかし、それをところどころありえない発音で、しかも聞き取れるかどうかという微妙な声量で背後から朗読されれば、祐輔でなくとも何かが折れていただろう。
「そんなこと言うなよ。サンディーが不治の病に倒れたところなのに」
「そういうことじゃねえよ」
「あれ、シックって病気って意味じゃなかったっけ」
「そうだよ病気だよ。……だからサンディーは関係ねえ!」
投げつけられた消しゴムを避け、愁は立ち上がった。
「アレンも寝ずに看病してるって」
「飼い主も関係ねえ、お前に言ってんだよ!」
無数に飛ばされる消しゴム等を、ドアの方へ下がりながら器用に避ける。
「頼む、一発でいいから当たってくれ。俺の気が済まない」
「嫌だ。痛そうだし」
「しょうがねえな」祐輔が振りかぶった途端、唐突にドアが開き、驚きのあまり、彼はバランスを崩して後ろ向きに床へ倒れこんだ。
「何してんの」
「ね、姉ちゃんこそ、何だよいきなり」
「えー、私?……あ、そうだ」
寝ぼけ眼をこすりながら、彼女は不思議そうに尋ねる。
「あんたさ、お経のCDでも持ってんの」
「は?」
立ち上がる事も忘れ、祐輔は間抜けた声を出した。思った事をそのまま口に出す。
「そんなもん持ってねえよ」
「ほんと?」
「ほんとだって」
「でもさ、こっからなんかお経みたいにぶつぶつ言うのが聞こえてたけど。さんでぃって漢字でどう書くのよ」
「……気のせいだって。姉ちゃんにしか聞こえなかったんじゃねえの」
とことんとぼけることにした。しばらく目をしばたたかせた後、彼女は露骨に顔をしかめる。
「ちょっと、怖いこと言わないでよ。明日朝早いのに、これで寝れなくなったら祐輔のせいだからね」
こういうことに弱い彼女は、そう言い捨ててさっさとドアを閉めて出て行った。遠ざかる足音が聞こえる。
 と、足音がいきなりUターンし、再びドアが開いた。
「寝る前に、イブの水があるか見といてよ」
「分かった」
机に手をかけ、立ち上がりかけた姿勢で硬直したまま答えた。
「じゃあそういうことで」
今度こそ、遠ざかった足音は聞こえなくなり、それから一分はたった頃、どちらからともなく大きくため息をついた。
「あーびっくりした」
ドアの蝶番と壁に挟まれた空間で、愁が呟く。開いたドア一枚隔てた場所にいる人間に気付かれないようにする為、ほぼ息まで止めていた。
「なんだよあの不意打ち」
そう言いながらやっと立ち上がった祐輔の足元に、本棚の陰に潜んでいたクロがまとわりつき、大きくあくびをした。時刻は、あと少しで一時になる。
「そういえば、明日は昼からバイトがあるって言ってたな」
「僕と逆だ」
「え、明日午前だけなのか」
「なんか午後は帰っていいって言われた」
椅子に座り、祐輔はにやっと笑って言う。
「なんだよ、もう来なくていいってことじゃねえの」
「だったりして」
そう返して、愁も口の端を吊り上げた。
「辞めたらさ、俺んとこの学校来いよ。お前来たらいじめてやるよ」
「祐輔そんなことしてんのか」
「俺はしない。敢えてお前に言ってんの」
「なんでだよ」
悪意のないやりとりに、二人とも笑った。ふと時計に目をやった愁が軽く目を見張り、それを見た祐輔が声を上げる。
「もう一時なんだよ。お前いつまでいるつもりだよ」
「どうりで眠いと思った」
「眠いんなら帰れー」
「来いって言ったの祐輔じゃんか」
「言ったけどさ、帰れよー。ほら、帰れー」
理不尽なようだが、帰るタイミングを計っていた愁には丁度良かった。まだ水曜だということを考えれば、もう両者共に限界だ。外に出て靴を履いた愁の頭に、
「ほれ、忘れもん」
と、祐輔がクロを乗せた。クロは乗っかったまま、ふらふらと尻尾を振っている。
「またな」
祐輔が手を振ると、闇に溶けかけていた愁が笑顔のまま手を振った。その上で、クロも尻尾をゆっくりと振り続けている。
 玄関前まで戻ってくると、元気なイブがぶんぶん尻尾を振りながら迎えてくれた。その頭をなで、軽く手を振って愁は夜の道を歩いていった。












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