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ツギハギ
作:ふあ



1-2 睡魔の払いかた 


 軽々と塀に飛び乗ったクロは、いつの間にかどこかへ消えてしまっていた。日本の首都、東京の隣に位置する千葉県。背の高いビルの立ち並ぶ街を、少年は一人で歩く。数年間通い続けた道なので、目をつぶってでも行けそうな気がするが、いくらなんでもそんな事はしない。
 通りに面した場所にある一際高いビルの中へ向かう。「OC研究対策本部」、政府の機関だ。
 OCとはodd capacityの略称で、人間の限界を超えた非凡な能力を持った者のことを示している。彼らの能力は、職人だとかオリンピック選手だとか、そういう非凡さとは根本的に違う、先天性の非常に特異なものだ。ここは、その能力の開発や研究から彼らによる犯罪の対策までを行う政府機関の本部だ。東京ではなくそのお隣の千葉に本部が置かれており、全国に八箇所しかない支部の統制もここで行われていて、職員の数もかなり多い。
 急に暖かい所に入ったせいか、再度眠気に襲われながら二階に上がり、複数ある扉の一つに向かう。一階は一般人の案内用のホールなので、特に何の部署もない。
 壁に、縦横十数センチ程度のパネルが張り付いていて、その横に扉のあるところで立ち止まった。そのパネルはさらに等分に分割されており、テンキーになっている。左手の手袋を外して、覚えこんでいる十四桁の数字を指で押して入力した。始めは覚えるのに苦労したが、電話番号と同じで、使っているうちにいつの間にか覚えていた。
 照合が終わり、小さなカードが出てきた。それを取って自分のものかどうか確かめる。違うはずがないが、決まりみたいなものだ。
 片岡愁。同姓同名がいるかもしれないが、その隣にある年齢の二桁目に一がつく者は殆どいないから、間違いない。
 そのカードを、今度は扉の横にある、横長の小さな穴に通す。二度目の照合が終わり、カードが出てくると同時に扉が開いた。毎度毎度回りくどい作業だが、これが毎日だとたとえ無意識下であっても、今の愁のように脳が半分眠っている状態でも、出来るようになる。
 入るとすぐ横に受付があり、奥には幾つか部屋が並んでいる。背後の扉はすぐに閉まり、愁と、受付のお姉さんしかいないその場所は、外に比べて不思議なほど静かだった。
「おはようございます」
そう頭を下げて通り過ぎる愁に、彼女は挨拶を返して可笑しそうに言う。
「大丈夫?片岡君すごく眠そうだけど」
「……わかります?」
とは言ったものの、実際眠いのだから仕方ない。しかしそんなに分かりやすい顔をしているのだろうか。
「だって、目が半分しか開いてないもん」
「もとからこんなんです」
「嘘ばっか。眠いって顔にかいてる」
 そうか、それなら仕方ない。だが見た目だけならともかく、この眠気自体はどうにかしないとならない。
 小さくうめき声を洩らした。数秒後、眠気覚ましプラス見た目もごまかせる方法を思いついて、愁は右手で片頬をつまんで指で握った。痛い。が、臨時的にはいいような気がしないでもない。
「まだ目は開いてないけど」
「痛くて寝れないから、多分大丈夫です」
頬をつまんだまま笑って、後ろを向いた。ああ、こうしておけば寝ないですむかもしれない。そう思いながら、「2」のプレートがついたドアの取っ手を下げた。
 部屋のに中は、三十台ほどの事務机が並んでいる。実際フルに使われているのは二十五台だけだが。
 列の一番端の席に着くと、先に隣の席に着いていた男が顔を上げた。
「あ、おはよう、愁」
二十代後半ほどで、スーツをきちんと着て眼鏡をかけている。真面目なその身からは爽やかさがにじみ出ていた。OC犯罪対策部の、「ザ・ベスト・オブ眼鏡」とは彼のことである。
「おはようございます、高梨さん」
 一度頭を下げて言った愁に、彼はこの部屋の誰もが疑問に思っているであろうことを告げた。
「……虫歯でもできた?」
「いや、こうしてたら眠くても寝られないから」
「眠いのか」
なんか最近眠いんですよと、痛い頬を擦る愁の肩が、突然背後から結構な力で叩かれた。「お前来るの遅いぞ。何時だと思ってんだよ」
そんな言葉が聞こえてきたが、別に遅刻したわけでもないし、普段どおりのはずだ。
「あぁ四万しまさん、おはようございました」
「何で過去形なんだよ」
短い黒髪に、あまり眼つきの良くない四万というその男は呆れたように言った。数年前はまだ大学生だったという程の外見で、学生時代は運動部か不良、もしくはその両方かといった雰囲気をかもし出している。
「お前遅いんだよ。俺なんか二十四時間前からずっと出てないんだぜ」
「四万はただ泊り込みだったんだろ」
高梨の言葉に、
「まぁな」
と四万は答え、首を曲げて鳴らした。
「それより愁、眠いときはボールペン使えばいいよ。顔引っ張るより手に突いた方が目が覚める」
「もう寝てるけど」
 代わりに四万が呟いた。
 ペンをノックして高梨が振り向いたときには、既に愁は机に突っ伏していた。背中が僅かに動いていて、一定の間隔で呼吸をしているのが分かる。一番長いところで肩辺りまである髪がかかっていて顔はよく見えないが、寝ているのは明らかだった。
「一瞬だな……」
「こんぐらいの時は俺もよく寝てたな。学校で」
「学校で寝たら駄目だろ」
「なんだよ。まさか、学校で居眠りしたことなんてないとか言うのか」
「そりゃあるけど、シャーペン腕にさして頑張ってたよ」
苦笑する高梨に、ボールペンを指で廻しながら四万が口を開く。
「すげぇな。俺なんか刺しすぎて芯が折れて手ん中に残っちまったときから諦めた」
「なんだよそれ」
「ほんとだって。日曜なんかもっとひどかった。三度寝して起きたら夕方だもんな」
「何に疲れてたんだ」
四万はペン回しの手を止め、遠くを見る目になり、
「日々生きることに疲れてたんだな」
しみじみとそう言った。
 一瞬以上の間があり、やがて高梨がそっと視線をそらした。
「お前今笑っただろ」
「笑ってないよ」
「その目は笑ってる。俺を馬鹿にしてる目だろ!」
「だから違うって。自意識過剰だよ、四万準一くん」
「いや、だから」
声を荒げて立ち上がりかけた四万の頭が、突然何かに高速ではたかれた。テニスのスマッシュ時によく似た音が響き渡る。
「うるっさい!朝から何騒いでんの」
そう怒鳴られたが、四万はあまりの衝撃にしばらく返事が出来なかった。ようやく、
「ちょっと騒いでただけじゃないすか……」
と相手の方に視線を向けたが、語尾はしぼんでいく。
「そんなに騒ぎたいなら外に行って好きなだけ叫んできなさい」
先程彼をはたいた、丸めた紙束で扉の方を示し、彼女は告げた。
 長谷川明日香、OC犯罪対策部長兼二班班長。茶色の髪を背中まで伸ばし、常識で分けると美人の部類に入りそうな容姿だが、いかんせん女性とは思えない威厳やなんやらがにじみ出ていて、元不良だと言われる四万でも紙束だけで黙らせてしまう。
「いきなりそんなことしたら、捕まるじゃないすか」
すねたようにぼやく。
「仕事中に騒ぐ人間はここにはいらないの。分かる?」
半眼が冷たい。
 大人しく椅子に座る四万を見下ろし、明日香は彼の向かいに視線をスライドさせた。
「机によだれ食って寝てる奴なんかは論外だけどね」
次の犠牲者へ高梨が警告を発するより速く、愁のこめかみを紙束がひっぱたいた。一方通行のスマッシュの音が響く。
 顔も上げられず、痛そうな呻き声だけを上げて愁は頭を抱えた。こめかみを擦りながら上げた視線は焦点が定まっておらず、本気で寝ていたらしい。
「あんたねぇ、これで居眠り何度目だと思ってんの。うとうとする人間はいても、ここまで寝る人間はこの建物にはまずいない。しかもそれを何度も繰り返すやつがいるっていうのは、結構な問題なんだけど」
これは結構にまずい状況だと高梨は思うのだが、見事に寝起きな愁にはまだよく分かっていないらしい。
「明日香さん……」
「なに」
しかも説教の最中に口出しだ。完全に寝惚けている。自分が怒られてるわけじゃないのに、彼は緊張して二人を見ていた。
「あんまり怒るとしわが増えるって、この前誰かが言ってましたよ……」
そう眠たげに呟いた。
 寝惚けるにもほどがある。他の人ならまだしも、長谷川明日香という人に使っていい台詞ではない。いや、使ってはいけない。
 高梨は、タイミングがあれば助け舟を出そうと思っていたが、完全に諦めた。四万は「おいっ!」と思わず声を出したが、それ以上介入する勇気は出なかった。反対に、それまで「触らぬ神にたたりなし」の掟に従っていた周囲の無数の職員が振り返ったが、だれもなにも言わない。というより、言えない。
 明らかに異常な空気に、ようやく愁も正常な判断力を取り戻し始めた。と同時に、激しい後悔に襲われる前に慌てて言葉を繋げる。
「あ、いや、そういうことじゃなくて……えっと、増えるじゃなくて出来るって言って……あれ、そういう問題じゃない?」
救いようがなかった。しかたなく、みんな目をそらした。
 それから一週間、愁は睡眠恐怖症に悩まされ、職場でうとうとする者はOC犯罪対策部二班では一人として出現しなかった。
 十二月に入ったばかりの、寒い日の出来事だった。












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