4-2 予約時間は守りましょう
「ああ、おかえり、愁」
封筒を、形成・義肢科の受付に出して診察室に戻ってきた愁に、そう言いながら医師は資料から顔を上げ、
「あれ、どっかで転んだ?」
怪訝な顔をして愁の顔を覗き込んだ。
「え、いや、なんでもないです」
無理矢理笑いながら、流石だといえるその観察力に内心で感心する。納得の行かない顔をしながらも頷き、椅子に座るよう示してから、彼は、受付から回ってきたレントゲンを眺めた。
二人で、ボードの強い光に浮かび上がるレントゲン写真を眺める。たいして医学的知識のない愁にはよく分からなかったが、いつでも見られるものでもないので、興味本意で見続けた。
「特に異常はないみたいだね」
しばらくして医師が口を開いた。
「金属義肢って生身のものとは全然重さが吊り合わないから、背骨なんかが歪みやすいんだけど……今のところ変わったところはないね」
「じゃあ、次は身長測ろうか」と彼は続けて、愁はさっさと部屋の隅にある計測器まで片足で跳んで向かう。できるだけ背中を押し付けて身長を測った。
再び、腕を外した台の前にある椅子に座って、医師が話すのを待つ。
「体重は比べようがないけど……身長も平均には足りないね。むしろ低くなってる」
「え、縮んだんですか」
「一ミリだからね、誤差の範囲だよ」
誤差だといっても、数値が小さくなっている事に変わりはない。
がっかりした様子で左手を台の上に投げ出すのを見て、医師は苦笑する。
「これから伸びる人だってたくさんいるよ」
「先生、保障してくれますか」
「それは言い切れないなあ」
気落ちしたように左手の指先を眺めている愁に、彼は外したばかりの右腕を、その肩にあてながら話しかけた。
「そういえば、今は他の科には行ってるのか」
「他のとこですか」
台に頭を乗せているので、舌を噛まないようにしながら愁は答える。
「眼科と皮膚科と……あと耳鼻科にも行ってたけど、かなり前から行ってない」
義肢を取り付ける作業をぼんやり眺め、続ける。
「他の科って行きにくいんですよね」
「行きにくい?」
「何かの拍子に見えちゃったらどうしようとか」
「……ああ、これのこと」
腕の形をした金属を指先で叩くのを見て、肯定した。
「だから、風邪ひいたときとか大変ですよ。自力で治すしかないから」
「最近風邪ひいたんだ」
そう聞かれて愁は頷いた。あまり詮索されても、冬の墓場に忍び込んで悪化しただなんて、それこそ悪い冗談だ。
「大分前に出された風邪薬とか出てきたんですけど」
「あまり古いのは使わないほうがいいよ」
「そうですね」
じゃああれは捨てたほうがいいのか。なんかもったいない気もするけど。
「抗生物質とか出してくれませんか」
「それはちょっとできないな。ちゃんと内科で診察してからじゃないと」
やっぱり風邪はひかないほうがいいな。それを聞いてそう思った。
ドライバーで肩と腕の付け根をくっつける。実際それが行われているわけだが、痛みなんかはまるでないので少し眠くなってきた。目を離せば、肩の辺りが何かに触れているという感覚があるかないかというくらいだ。
「そういえば、手のひらに傷があったけど」
「きず?」
「何かで引っかいたような傷」
少しの間悩んだが、やがてそれらしい記憶を引っ張り出した。
「多分、二ヶ月ぐらい前のやつですね」
「結構強く引っかいたね、これ」
「割と危なかったですよ」
眠たげな声で説明する。
「相手が物を飛ばせるOCだったときで、地面に刺さってた刃が首のここんとこに飛んできたんです」
左手で首元をさすって、その箇所を示す。
「だから思わず右手でそれを掴んじゃったんですよ。多分、その時できた傷です」
「僕が投げた刃だったんですけどね」と付け足して、愁は小さく笑った。しかし笑い返すことが出来ず、医師は数秒の間、その細い肩に腕を当てる手を止めて愁を見下ろした。
すぐに作業を再開し、彼はできるだけさりげない調子で訊ねる。
「ねえ、愁」
「はい」
「普通義肢に代えようっていう気はない?」
きょとんとした顔で、愁は医師を見上げた。
「これって、普通のやつとは繋げられないんですよね」
金属義肢と普通義肢とでは、体内に埋め込んである部品の種類が違う。だから、一度金属義肢を選択すれば、違う方は繋げられないし、その逆もまた不可能なはずだ。
「そうだけど、もう一度手術して部品を代えれば可能だよ」
一瞬、何のことだか分からなかったが、やがてその意味を理解して愁は首を横に振った。
「今更、代えられませんよ」
「でもそうすれば、こんなに隠さなくてもすむようになる」
そう言ってくれたが、あいまいに笑って愁はもう一度首を横に振った。
「せっかく許可がもらえたんだし。それに、ここで楽なほうに逃げたら、あまりにも申し訳が立たない」
申し訳だとか、そんなことを言っているのではないというのはよく分かっている。自分のことを心配してくれているのだということも。この手足がついているせいで、ひどく危険な事までしなくてはならないのだから。
しかし、それでも頷く事はできなかった。
「僕は、このぐらいしないと許されないんです。これで全部許されるわけはないけど、でも、ここで逃げられないんです」
「そうか」と返事をした医師に、
「それにずっとこれだったから、急に変わったら身体がついていかないかもしれない。内科に行けないくらい臆病もんだから」
そう言って愁は笑った。誰かの同意を求めなくとも絶対に崩せないと決めた、たった一人の笑顔で。
手を離しても外れなくなった腕の、肩との付け根に細い導線が差し込まれた。ビクッと指先が跳ね、それは再び持ち主の意思に従って動くようになる。
「前から思ってたんですけど、何でそれで動くようになるんですか」
目の前にもってきた指を曲げたり伸ばしたりしながら尋ね、
「電気で刺激を与えて、身体の神経と機械を繋げてるんだよ。だからこれをしないと、どんなにちゃんとくっつけても動かないんだ」
そう答えを聞いて、なるほどと頷きながら反対の手で腕をぐっと引っ張った。大丈夫、元通りになっている。やがて足の方も同じ様に繋げてもらい、再び自力で立てるようになった。
「よし。今日はもう帰っていいよ」
「うわ、真っ暗だ」
窓の外に顔を向けた愁は思わず声を上げた。とっくに日は落ちており、窓ガラスは室内の光を反射して、外ではなく部屋の中の方をよく映している。
「もう遅いから気をつけてな」
「はい、ありがとうございました」
そう言って愁はドアの前で頭を下げた。
そして出て行ったその足音がそのまま遠ざかろうとするのに、医師が疑問を抱いたとき、
「うわ、そのまま帰ってた」
と自分で自分に驚く声と慌てた足音が戻ってくるのが聞こえて、彼は思わず苦笑した。
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