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短編

少女と魔物と点字の手紙

作者: 福山陽士

 ある森の中に、魔物が住んでいました。

 その魔物の体は真っ黒で、ぎょろりと動く大きな丸い目は、血のように真っ赤でした。

 体と同じ色の黒い手から伸びるのは、紫色の爪です。とてもするどく、長い形をしています。

 そんな姿をしているからか、魔物は森の動物たちから不気味がられ、おそれられ、そして、嫌われていました。

 それでも魔物は、森の動物たちをおどしたり、暴力を振るったりなどは一切しませんでした。

 本当は魔物も森の動物たちがしているように「おはよう」とあいさつをしたり、お喋りをしたり、仲良くなりたいと思っていたのです。

 でも、魔物は動物たちに声をかけることができないでいました。

 魔物は、とてもおくびょうだったからです。


 ある日、魔物は少し遠出の散歩をしました。

 魔物は薄暗い森の中を、大きな足でずんずんと歩き続けます。

 森の動物たちはその魔物の姿を見て、慌てて木の後ろに隠れました。

 魔物は少しさびしく思いながらも、ただ無言で歩き続けます。

 やがて魔物は、森の入り口までやってきました。

 森の入り口には、一軒の小さな丸太小屋が建っていました。

 魔物は首をかしげました。

 百年ほど前にここに来た時は、こんな小屋など建っていなかったからです。

 魔物は小屋の中がどうなっているのか、すごく気になりました。

 でも、魔物はとてもおくびょうです。中を確かめる勇気など、水一滴ほどもわいてはきません。

 魔物はその小屋を、少し離れた場所からじっと見つめることしかできませんでした。

 その時、小屋のドアが開きました。

 魔物はビクリと体を震わせ、木の影に隠れて様子をうかがいます。

 小屋の中から出てきたのは、くり色の髪をした少女でした。

 少女は片手に小さなお皿を持っています。すぐに少女の周りに、小鳥たちがたくさん集まってきました。

 少女はその小鳥たちに向けて、お皿の中の物をばらまきました。どうやらパンくずを小鳥たちに与えているようです。

 小鳥たちは一粒でも多く食べようと、押し合いへし合いしながらパンくずをつつきます。

 ふと、少女が魔物の方へと顔を向けました。


「こんにちは。そこにいるのはどなたですか?」


 そしてあろうことか、魔物に向けてあいさつまでしてきました。

 魔物はとてもとまどいました。

 だってこのようにあいさつをされたことなど、今まで一度もなかったのですから。

 何も言えず、そして少女の前に姿も現すこともできず、魔物は木の影に隠れたまま立ちすくみます。

 さらに、少女は魔物に声をかけてきました。


「少しだけでもいいので、私とお話しませんか?」


 魔物は、本当に悩みました。

 どうして少女がこんなことを魔物に言ってくるのか、さっぱり理解できなかったからです。

 でも、このまま黙ったままでいるのも、それは何だか悪い気がしました。

 魔物は勇気をふりしぼり、木の影から少しだけ姿を出しました。

 夜の空よりも黒い魔物の姿を見た瞬間、パンくずをつついていた小鳥たちは、いっせいに羽ばたいて逃げてしまいました。

 でも、少女は魔物の姿を見ても、悲鳴一つ上げません。

 魔物は不思議で仕方がありませんでした。

 あの小鳥たちのように、森の動物たちは魔物の姿を見た瞬間、背を向けて逃げていくのに。

 でも、少女は魔物を怖がっている様子はありません。

 恐怖以外の感情を向けてくる少女が、魔物は不思議で仕方がありませんでした。

 魔物はおそるおそる、少女の方へと近付いていきます。

 そして「怖くないのか?」と、気付いたら魔物はそう少女に聞いていました。


「どうして? だってあなたからは、全然怖い気配を感じないですよ」


 少女はほほえみながら魔物に答えました。

 魔物は、そこでようやく気付きました。

 少女の視線が、自分の顔から少しずれてしまっていることに。

 少女の青い目は、まるで霞がかったようにぼやけていたのです。


 ――あぁ、この少女は目が見えないのだ。自分の姿がわからないから、人間だと思っているから、怖がらないのだ。


 魔物は納得しました。そして、思いました。


 ――人間だと思ってくれているのなら、もしかしたら友達になれるかもしれない――。


 魔物は、急に嬉しくなってきました。はじめて友達ができるかもしれないのです。

 少女はそんな魔物を、小屋の中に案内してくれました。



 目が見えていないはずなのに、小屋の中を歩き回る少女の動きは、まるで見えているかのように自然でした。

 イスにぶつかったり、つまずいたりなど全然しません。

 どうしてこんな場所に住んでいるのかと、魔物は少女に聞きました。


「私、病気で目が見えなくなってしまったんです」


 少女は魔物にお茶を出しながら答えます。


「見えなくなってから、周りの音がとてもよく聞こえるようになりました。そんな私に、あの町はにぎやかすぎたのです」


 色々な音がひっきりなしに聞こえてきて、気が狂ってしまいそうだった、と少女は苦笑いしながら答えます。


「だから、別荘としてずっと放置していたここに、一人で移住することにしたんです。最初はお父さんも反対していたけれど、でも私、どうしても一人になりたかったの」


 私の家は、結構お金持ちなのよ、と少女は少し寂しげに笑いながら呟きました。

少女には何か色々と事情があるようですが、しかし魔物はそれを聞くようなことはしませんでした。


「これでも私、町では自分のことは自分でやって生活していたんです」


 最初のうちは町からお手伝いさんがやってきて、少女の生活を手伝っていたそうです。

 でも少女が家具の配置や物の感触を完全に覚えた頃、もう大丈夫だから、とお手伝いさんを町に返したそうです。


「それでも食べ物だけは、一週間に一度、お父さんが送ってきてくれるのですけど」


 少女は魔物にお茶を差し出しました。


「お口に合うかはわからないけれど、どうぞ」


 そう言ってティーカップを差し出してきた少女の手を見て、魔物は目を丸くしました。

 少女の手には、たくさんの傷あとがついていたのです。

 きっと一人で生活をする練習をしているうちに、傷付いてしまったのでしょう。

 魔物は出されたお茶を、おそるおそる口に運びました。

 初めて飲むそのお茶は、とても不思議な味がしました。

 にがいような、甘いような。

 でも口の中に広がるその不思議な味は、何だかとても優しくて、温かくて――。

 魔物はあっという間に、お茶を飲み干してしまいました。

 それから、魔物は少女とたくさんお話をしました。

 少女が話すことは魔物にとってはすべてが新鮮で、興味深いものでした。

 長い間ずっと森の中で暮らしてきた魔物は、人間がたくさん住んでいる町のことなど、全然知らなかったのです。

 町の話が終わったころ、魔物は少女に、なぜ自分の存在に気付いたのか、なぜ自分に話しかけてきたのか、と少女に聞きました。


「目は見えなくなってしまったけれど、その分、良い人なのか悪い人なのかは、何となくわかるようになったのです。今までに感じたことがないほど温かくて優しい気配がしたから、ついつい話しかけてしまいました」


 そう言うと、少女は少し照れくさそうに笑いました。

 魔物はそれを聞いて、とてもうれしくなりました。


「今日は私とお話をしてくれて、どうもありがとう。久しぶりにお父さん以外の人とお話ができて、嬉しかったです。あの、よろしければ明日も来てくれますか?」


 魔物はうん、と返事をします。魔物も、またこの少女と話をしてみたいと思ったからです。




 次の日も、魔物は少女の住む丸太小屋に行きました。

 少女は笑顔で魔物を中へと招きいれます。

 そして少女と魔物は、またたくさんのお話をしました。

 少女の話を聞きながら、魔物はある物が気になりました。

 それは、大きな本棚です。本棚には、たくさんの本が並んでいました。

 魔物は不思議に思い、少女に聞きました。

 少女は目が見えないのに、どうして本があんなにたくさんあるのか、と。


「あの本は全部、点字の本なのですよ」


 点字――。

 聞いたことのない言葉に、魔物は思わずきょとんとします。

 人間が文字を使っているのは知っていましたが、そんな字のことなど聞いたことがなかったからです。

 少女は本棚から一冊の本を取り出して、魔物の前に広げてくれました。

 しかし、本には何も文字が書いてありません。全てのページが真っ白です。

 魔物はますます意味がわからなくなりました。

 少女は小さく笑うと、魔物の大きな手に触れてきました。

 魔物は少女が鋭い爪に触れないよう、とっさに軽く指を曲げます。

 少女は魔物の爪には気付かないまま、本の上に魔物の指を置きました。


「ボコボコしているでしょ? これが点字なんです」


 魔物は本の上を軽く指でなぞってみました。

 確かに、ボコボコとした感触が指先に当たります。


「点字は、目の見えない人のための文字なのよ」


 それを聞いた魔物は、深く感心しました。人間とは、何て知恵のある生き物なんだと思いました。

 この本を、読んでみたい――。

 魔物は少女に点字を教えてくれと頼みました。

 少女が見て(・・)いる世界を、魔物も知りたくなったのです。

 少女は魔物のお願いに、笑顔で答えました。


「いいですよ」


 魔物は右手のするどい爪を、全てペキリと折りました。

 そして誰も傷つけることのなくなった指を、少女のてのひらにそっと置きます。

 指で点を描きながら、この形は何て読むのだ、と魔物は少女に聞きました。

 少女は魔物の指の感触がくすぐったかったのか、少し笑いながら答えます。


「これは『アイ』と読むのよ」


 少女は一文字ずつ丁寧に、魔物に点字を教えていきます。

 そして魔物は一生けんめいに、点字を覚えていきました。




 しばらくの間、魔物は少女に点字を教わり続けました。

 そして一生けんめいに覚えた魔物は、少女に点字の本を読んで聞かせてあげられるほどになりました。

 少女はとても喜びました。

「すごい」と、魔物のことをほめてもくれました。

 魔物は少女と会うのが、ますます楽しくなっていました。

 でも少女と会うたびに、魔物の心の中にもやもやとしたものが広がっていきます。

 きれいなキャンパスの上に垂らされた黒いしみ(・・)のようなそれは、魔物を心を苦しめました。

 魔物は少女に、自分が人間ではないということを、言えないでいたからです。




 そんなある日、魔物は覚えた点字を使って、少女に宛てた手紙を書くことにしました。

 魔物は残っていた左手のするどい爪で、紙に穴を空けていきます。

 そして自分が人間ではない、本当は恐ろしい姿をした魔物なのだと、その手紙に書きました。

 魔物は、自分の正体を少女に明かす決心をしたのです。

 手紙という手段を選んだのは、自分の口で少女に真実を告げる勇気がなかったからです。




 次の日、魔物はいつものように少女に会いに行きました。

 でも少女の顔を見た途端、手紙を渡すのが怖くなってしまいました。


 ――せっかくできた友達を、失ってしまうかもしれない――。


 魔物はこのまま、少女に嘘をつき続けたくありません。

 でもそれ以上に、魔物は少女に嫌われてしまうことを怖れていたのです。

 少女という友達ができても、魔物はおくびょうなままでした。




 それから一年、二年、三年と、少女と魔物は一緒に時を過ごしました。

 けれど、魔物は少女にあの点字の手紙を渡すことができないでいました。




 さらに月日が流れました。

 少女と魔物は、たくさんお話をして、本を読んで、いっしょに料理を作って、花をつみに行って――。

 そんな穏やかで、楽しい毎日を過ごしていました。

 それでも、魔物は少女に手紙を渡すことができないままでした。




 そんなある日、少女は病気に倒れ、そのまま息を引き取ってしまいました。




 森を抜けた先にある小さな丘の上で、魔物は手紙を焼きました。

 手紙はあっという間に灰となり、高く高く、空へと舞い上がっていきました。

 魔物は蝶のようにひらひらと舞うその灰を、ただじっと見つめていました。

 やがて手紙は全て灰になり、風に運ばれて散り散りになりました。

 それらを全て見届けたあと、魔物は声をあげて泣きました。

 大きな声でわあわあと、空に向かって泣き続けました。

 日が落ちる頃まで泣き続けた魔物は、そのまま丘の上に横になり、眠りにつきました。



 * * * * * *



 魔物は、夢を見ました。

 夢の中で、魔物は少女と会いました。

 夢の中で少女は、魔物のするどい爪をなでながら言いました。


 あなたに何も言わないまま、いなくなってしまって、ごめんね。

 本当はもっと、あなたのそばにいたかった。

 ずっとずっと、一緒にいたかった。

 あなたが大好きだった。

 あなたの本当の心を、優しい心を、私は知っていたから。

 もう、直接お話をすることはできないけれど。

 でも、目を閉じたら、私とあなたはいつでも会えるよ。

 だからね、もう、泣かないで。

 泣かないで。



 * * * * * *



 朝、魔物が目を覚ますと、空に大きな虹が現れていました。

 空と空をつなぐ橋のような、大きな虹です。

 魔物はその虹を見て、まるで少女の笑顔のようだと思いました。

 色とりどりの美しい曲線は、少女が笑った時の目に似ていると、魔物は思ったのです。

 少女の笑顔に似た虹を見上げたまま、魔物の大きくて赤い目から、静かに涙がこぼれ落ちました。

 夢の中で少女に「泣かないで」と言われたけれど。でも、魔物は我慢することができませんでした。

 魔物は、ようやく理解したのです。

 あの少女は、すべてわかっていたのだと。

 魔物が人間ではないことなど、とっくに少女は知っていたのだと。

 手紙を使って真実を告げる必要など、なかったのだと――。




 森の中を歩きながら、魔物は動物たちに「おはよう」とあいさつをします。

 動物たちは最初はとまどっていましたが、やがて小さな声でおはよう、と魔物にあいさつを返してくれました。

 そして魔物は目を閉じて、少女(・・)にも「おはよう」とあいさつをしました。

 おくびょうだった魔物は、少しだけ、強くなることができました。



          Fin

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