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東北関東大震災の惨状を見て

 三月十一日、東北関東大震災が発生しました。

 あれから、十日が過ぎます。

 次々と届く報道を通して地震の驚異を感じずにはいられません。

 これほどの大災害になるとは思ってもいませんでした。

 これからの文章は小説とは言えません。

 自分の気持ちを書き留めておきたい。そのために書きます。そのため、私感が多分に入ります。ご了承下さい。

 私は十一日のその時間、東京千代田区の事務所で仕事中でした。

 そこで、地震に遭いました。最初はよくある地震だろうと軽く考えていましたが、ゆっくりだった横揺れがしだいに大きくなり、本棚からは本が崩れ、机の上は資料が散乱し、それでも揺れは治まらず、なにをすることもできず、ただ立ち竦むばかりでした。その後何度かの余震。しかし、業務に納期は付きものです。地震があったからといって仕事を投げ出すわけにはいきません。本棚を片付け、机を整理して、その日の業務に戻りました。

 その日、仕事を終えたころには二十二時を回っていました。地震により鉄道はほとんど動いておらず、路線によっては運休するところもありました。鉄道を使って帰宅することができなくなった人々は、タクシーを利用したり、自宅から迎えの車を頼む人もいるため、道路は車で溢れ、大渋滞となりました。まったく動きがありません。横を歩く人のほうが遙かに早く進んでいます。

 私の家は埼玉県にあります。すでに家に向かう鉄道は運休になりました。ここからタクシーで帰るにも車が動ける状態にありません。とにかく、まだ動いている鉄道に乗り込み、できるだけ都心から離れた所まで移動しようと思いました。結果的に、鉄道を使い台東区蔵前へ、そこから車が動いている荒川区南千住まで歩き、そこで偶然タクシーを捕まえられたので乗り込み、国道四号線を使い自宅へ向かいました。 タクシーの中からはひたすら歩道を歩く人々が見られ、その数は数え切れないほどです。人の流れは南千住から荒川を越え足立区まで伸びています。人が途切れることはありません。まるでお祭りか、初詣の帰りのようでした。

 自宅に帰ったころには、深夜四時になっていました。

 とんだ災難だと思い、不平の中、床に就きました。

 ところが、朝起きてテレビを付けたら愕然をしました。

 宮城、福島の海岸線の町が一変しているではないですか。今回の地震の規模に目を疑いました。襲い来る津波の破壊力に恐ろしさを感じました。次々とつぶされていく家々を見ているとなんとも辛く悲しい気持ちになりました。流されるあの家の中には人が取り残されているのではないかとか、流される車のブレーキライトがついているということは、中で必死に車を止めようとしている人が乗っているのではないかなど、想像すると辛くなります。

 家族を失った人や消息不明の家族を捜し続ける人々を写す報道カメラ。家族の死を知り、号泣する遺族にインタビューするテレビ関係者。辛い人になぜコメントを求めるのか、そっとしてあげたほうがいいのにとも思えました。しかし、それらの報道を見て被災地の状況がつらいほど分かり、自分たちもなにかできることはないのかと感じることになりました。

 地震、津波のあと、続いて原子力発電所の事故を知ることになります。今も続く危機的状況は被災地の生活を脅かし、ついには県外脱出する事態にまで進んでいます。

 土地を失い、家を失い、物資は届かず、燃料もない。被災地に今も暮らす人たちを考えると、その辛さと共に、力強さに、頭が上げられません。

 自分がその状況に陥ったら絶望するかも知れません。恥ずかしい話しですが、仮に家族が全員無事だとしても、銀行カードを失ったらお金を下ろせなくなるのではないかとか、住宅ローンはどうなるのかとか、保険証券を失っても保険は下りるのかとか、天災だから何の保証も下りないのではとか、明日からの仕事はどうするのかとか、これからの収入をどう得ていけばよいのかなど考えてしまいます。また、家族を失った場合は、まったく想像も付きません。

 今、私は悲惨な現状を見て、申し訳ないと思いながらも、あの中にいなくてよかったと感じてしまう。そんな自分が残念でなりません。

 埼玉は計画停電により電力の使用を制限されたり、流通の問題から不足している商品はありますが、そのほかは平穏無事に暮らしています。スーパーに品がないとか、ガソリンスタンドでなかなか給油ができないなど、平和な悩みしかありません。

 こんな平和な日常にいる自分は被災地の人々に対して、なにができるのだろうと考えます。

 もちろん、義援金が良いことはわかっています。しかし、多額の義援金を送ることは躊躇してしまいます。今も続く不景気のなか生活資金において余裕がありません。昇給もなく賞与も削られる中、家計を切りつめて必死になっている人は私だけではないはずです。

 それではなにをするべきか。私は、普通に生活をして、普通に買い物をしようと思います。

 普通に仕事をしなければ、収入もありません。収入がなければ義援金も作れません。会社は社員が働いてくれなければ利益が上がりません。会社に利益が上がれば、そこから法人税が支払われ、国の経済に役に立ちます。そのお金を被災地のために使えます。また企業も利益が上がれば、その一部を義援金に回せます。買い物も買ってくれる人がいなければ店の売り上げが上がらず、そこで働く人たちの収入が確保できません。大手スーパー、百貨店も売り上げが上がれば義援金に回せます。

 今、プロ野球の開催について揉めています。私はやるべきだと思います。たとえば東京ドーム球場で野球をやる場合、収容観客数は約五万人になります。指定席S五千九百円から外野席二千円、さらには立ち見千円まであります。それぞれの席の数を把握していませんので総売上は分かりませんが、仮に全席二千円だとしても、一日のチケット売り上げは一億円になります。この売り上げの一部、または全部を義援金に回せば復興への手助けになります。

 また、野球場で働いている人は選手や監督だけではありません。チケットを販売する人、売店でおつまみなどを売る人、ドリンクを持って客席を回る売り子さんなどいっぱいいます。野球開催がなければ、その人たちの利益もありません。

 同じ理由で、サッカーもゴルフやるべきです。自動車レースもフィギュアスケートもやるべきです。そこには人が集まり、お金が集まります。

 問題は電力です。たしかに野球をナイターで開催すると、そこで使われる電力は莫大なものです。計画停電が行なわれている中、煌々と照らす明かりは非常識にしか感じません。だからといって平日のディーゲームでは、ほとんどの人が仕事中のため球場に集まれません。結果チケットが売れず、球場側の売り上げが上がらないため、義援金を考えるなら効果が薄くなります。きっと、被災地の中には野球を楽しみにしている人たちも大勢いるはずです。避難所のなかで野球好きの人が集まって観戦を楽しむのではないでしょうか。スポーツは人に勇気と感動を与えます。電力節電において、首都圏の人々は大変な苦労をすることになりますが、最低限の電力と交通網の確保を条件にナイターの開催を考えてもらえればと思います。

 実は私は特に野球が好きだというわけではありません。もちろん嫌いではありませんが。私はただ、いままでの日常をそのまま可能な限り行なったほうがよいと考えるからです。

 原発事故も必ず収束します。町も復興します。

 災害にあって気づきます。今までいかに贅沢な暮らしをしていたかと。文明が発達すると生活が楽になります。食事の用事が面倒ならスーパーやコンビニに行けば、すぐに調理済の商品が手に入ります。米は炊かれた状態で売っています。キャベツも千切りで売られています。服が欲しければすぐ買えるし、洗濯だって乾燥まで全自動です。家はエアコンで空調管理され、入浴はいつ入っても快適温度です。つまり、だれに頼らなくても一人で生活していけます。ただ、そのために人とのふれあいがなくなりました。人としてそれは幸せなことなのでしょうか。助け合う心を忘れたら、それは不幸だと思います。

 今回の災害でそれを思いだした私は不幸です。

 被災地の人々は助け合い、みんなで生きようと必死です。被災地の状況は、けして幸せな環境ではありません。でも、みんな、人間らしい生き方をしていると感じます。

 テレビで力強いこどもの声を聞きました。「ぼくたちがかならず町を元通りにする」と。

 被災にあったこどもたちの中には、両親を失った子もいました。今だ親と連絡が取れず、それでも絶望することなく自分ができることを一生懸命に尽くしています。

 私は思います。この子たちは将来立派な大人になるだろう。そして、人にやさしい大人になるだろうと。

 こどもたちは技術を学び、新しい町造りに励むでしょう。身につけた技術は新しい技術を生みます。津波を止める今以上に高い堤防の建設。鉄筋構造による大規模高層住宅。電力の中心は太陽電池に変わり、電気自動車の量産によりガソリンを不要とします。船の動力もモーターにすれば電力だけで航行することが可能になります。そうなれば化石燃料に頼ることもなくなり、発電所自体も不要になります。そうして、この地区は国内初の無公害自主発電都市として世界に誇れる都市になるのです。

 私の勝手な構想で申し訳ありません。でも早く立ち直ってほしいからそんな夢も描いてしまいます。

 私事ですが、東北地方の東方海上上空を舞台に書いた作品を以前発表させていただきました。

 そこには、気仙沼市や南相馬市の地名や、福島原発の名称も書かせていただきました。

 市の様子をその市のホームページで調べたり、地図を調べて市の位置関係、施設の場所、海岸線の様子など確認したものです。被災地を舞台にしてしまったことに、今は後ろめたい気持ちでいっぱいです。

 私の作品は人が死んでしまうことも多くあります。別に死を面白がって書いているわけではありません。人の命は重いものと分かっているから、死を通じてなにかを伝えたいからと、格好付けて、テーマの一つにしてしまいます。

 私は先日まで、太平洋プレートが欠落して地球人類が滅亡してしまうところから始まる物語を執筆していました。物語の発端が今回の地震の震源地に近い設定のため、今はとても書き進める気持ちにはなりません。しばらく控えようと思います。

 しかし、それでもまたいつか書き始めたいとも思います。ここでもまた、死を通してのメッセージを届けられればと考えています。

 まだまだ人に評価されるお話を書き上げることはできません。でも、物語を作るのは大好きです。だから、いつもと変わらずにお話を考え続けます。これも変わらぬ日常を続けたほうが良いという自分の考えに基づくからです。できることなら被災地のみなさんを勇気づけられる作品が書ければと思います。

 私の気持ちは、日本に暮らす全ての人の気持ちと同じです。

 あの日までの、あたりまえだった日常を取り戻してください。肉親を失った人に言える言葉ではありません。それでも、立ち直って欲しいのです。みんなの笑顔を見たいのです。




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