唯一彼女に勝てること
「大学生活も今日で最後か……」
屋上から桜舞うキャンパスを眺めながら、俺は一人ため息をもらす。
「はぁ……結局最後まで告白できなかったな……」
胸ポケットからスマホを取り出し画面を確認するが、当然のように彼女からは電話もメールもきてはいなかった。
履歴を見ていると最後に連絡を取ったのはもう半年近く前のことだった。
俺には幼馴染がいる。名前は城井絵里。
家が隣同士の俺と彼女は、俺がこの地に引っ越してきた小学二年生の時から、大学を卒業する今までに至るまでの長い付き合いだ。
そんな十五年というとても長い付き合いの中で、俺は彼女と常に張り合っていた。
サラリーマンの父に、パートをしながら家事をする母、そんな一般家庭の中で育った俺。対して社長の父に、モデル雑誌編集長の母を持つ城井。前提条件からして俺は負けていたのかもしれない。
初めて出会った日は今でも忘れない。俺は自宅前の道路で、当時小学生の間で流行っていた一輪車に乗っていた。といっても俺は一輪車があまり得意ではなく、数メートル進んでは足をついていたのだが。
彼女は二階にある自分の部屋から、それを不思議そうな表情で眺めていた。俺は彼女が一輪車を乗れないのだろうと思い、自慢げに一輪車に乗って数メートル進んだ。すると彼女はすぐに家から出てきて、俺の一輪車に乗り、いとも簡単に乗り回した。俺が返して、と泣きべそをかくまでの数分間、少しも危うい素振りも見せずに易々と、だ。
一輪車から降りた後の自慢げな顔はいつ思い出しても腹が立つ。それからというもの俺はことあるごとに彼女と張り合うことになる。
しかし、何においても勝てなかった。
俺は周囲から言わせれば中の上顔らしいが、彼女は誰が見ても可愛らしいという顔だった。彼女には多くの友達がいたし、推薦され生徒会会長を務めるほど周囲からの信頼も厚かった。
彼女はもちろん勉強もでき、彼女はいつもテストで俺より十点近く高い点を取っていたし、内申点平均4.8の優等生な俺に対して、彼女は内心点オール5の学校の誇りだった。俺が有名大学を目指して必死に勉強をしているとき、彼女はすでにその大学に推薦で合格していた。
運動についてもそうだ。俺が二重跳びを自慢しようとすれば、彼女は涼しい顔で三重跳びをしていたし、俺がクロールを習得した頃には、彼女は二十五メートルを泳ぎ切っていた。高校の時、俺がサッカーで県予選決勝で悔しい思いをした時には、彼女は走り高跳びで全国大会に出場していた。
中学の頃から自分が城井を好きなのだとわかっていた。ただ、何一つ彼女に勝てないということが大きな劣等感となり、彼女に告白することはできなかった。
何か勝てるものを見つけて自信を持ってから、と躊躇い、ずるずると引きずりに引きずり、今に至る。
大学四年になって、さすがにこのままじゃだめだろう、って思って告白しようとした。彼女の誕生日にサプライズでぬいぐるみを渡し、告白をする予定だった。
が、いざ彼女の誕生日会に行ってみると、彼女を狙う他の男が服や食べ物など、俺のプレゼントが小さく見えるようなプレゼントを用意していた。豪華なプレゼントを渡して告白してはフラれていく男達を見て、怖気づいた俺はプレゼントだけ渡すとそそくさと帰ってしまった。
それからというもの、気まずくて城井とは話せていない。そして今日俺の学生生活は終わった。
結局最後まで城井には勝てなかった。そんな小さなプライドがこの思いを伝えることの邪魔をした。
「ほんと俺って……かっこわりーな」
自らを嘲笑しようとするも、満足に笑みも作れない。
どうでもいいプライドさえ捨てれば、こんな惨めな思いもしなくて済むのに。
好きという気持ちは誰にも負けないはずなのに、それを伝えることができない。
「こんなに好きなのにな。……はっ!!」
そうか!! なんで気づかなかったんだ。この気持だけは誰にも負けない。城井にだって。
確かに気持ちだなんて主観的で不明確なもので勝負にはならないかもしれない。でも告白自体ならどうだ。城井が誰かに告白したことなんて一度もない。あれば俺は今頃こんな気持ちも抱いていないだろう。
告白の結果がどうであれ、先に告白したのは俺になる。それは、初めて城井に一歩リードしたことになるんじゃないか。
「そうと決まれば急いで連絡だ!!」
アドレス帳を開き、城井絵里の名前を選択する。そして、通話ボタンに指を伸ばす。
「……いや」
が、通話ボタンを押す寸前で手が止まる。
「こんなの勝ちっていっていいのかよ……」
本当にこれでいいのだろうか。こんなことで勝ったと言えるのだろうか。
そう思った瞬間、心が揺らぎだす。
「情けねえなあ……のわっ!?」
傷心の最中鳴り出した着信に驚き、手から滑り落ちそうになった携帯をなんとか掴み、画面を見る。
そこには確かに城井絵理という名前が書かれていた。心臓が止まりそうになる。息が苦しい。でもそれ以上にとても嬉しかった。すぐさま通話ボタンを押し、携帯を耳に押し当てる。
「も、もしもし?」
『もしもし、黒戸?』
「ああ、そうだよ……久しぶりだな」
『うん、久しぶり……』
会話が途切れる。久々に聞いた城井の声は相変わらず凛と澄んでいて、聞いているだけで心が安らいだ。
……ってダメだダメだ!! 折角電話をかけてくれたんじゃないか。彼女のこれからの進路は知らないが、自分と同じ道を進むとは思えない。恐らくこれが最後のチャンス。もうプライドなんてどうでもいい。当たって砕けろだ。告白してやる!!
「……城井!! あのさ、俺さ--」『待って!!』
電話越しにも関わらず、突然の静止に体をびくりと震わせてしまう。
城井のあんな声、随分と長い間聞いていなかった気がする。何かを決意しているような強い声。俺は次の一言を出すことが出来なくなっていた。
「……」
『……』
永遠にも感じる長い沈黙。城井がただならぬ覚悟の上で電話をしてきたであろうことが感じられた。
『私ね……海外に行くの』
「は?」
一瞬にして頭の中が真っ白になる。
海外? 誰が? 城井が?
じゃあもう会えなくなるてことか?
「……い、いつ?」
『明日。大学卒業したら、アメリカの大学院で勉強するって決めてたから』
「なっ、なんだよそれ!! 俺はそんなの聞いてないぞ!!」
『だって黒戸、誕生日以来私のこと避けてたじゃない。だから言うタイミングが無くて……』
「っ!?」
体から力が抜けていく。そのまま屋上のフェンスにもたれ掛って床にへたりこむ。
俺のくだらないプライドのせいで……俺は彼女と過ごせる残りわずかな時間さえも捨ててしまっていたのか。
声も出ず、涙が溢れそうになる。
『黒戸は私のこと嫌いになったの?』
「そんなことねーよ!! 寧ろ、寧ろ……」
お前のことが好きだ。
そんな最後の一言がどうしても出ない。こんな時になってもいらない感情が邪魔をする。
本当に俺はダメだな……
『……ならよかった。……私はね、黒戸のことが大好きなの』
「なっ!?」
『昔からずっと一緒にいてね。お互い張り合える関係って素敵だなって思ってたの。これからもずっと一緒にいたい、そう思ってた。でもその程度にしか思ってなかった。
好きって思ったのは、今年の誕生日。あなたがプレゼントをくれた時から。嬉しかった。今までもらったどんなものより。今まで経験したことのない感情が全身を駆け巡った。
でもそれからあなたは私のことを避けるようになった。本当に辛かった。でも張り合う相手ならあなた以外にでもいくらでもいるはず。それなのに私はあなたが離れていくことが辛かった。
それでわかったの。ああ、私はあなたが好きだから一緒にいたいんだ、って』
何度も耳を疑った。
ドッキリ? 違う。城井がこんなこと冗談で言うはずがない。
勘違い? ありえない。こんな都合のいい聞き間違えあるはずがない。
人違い? そんなことはない。小さいころから張り合ってきたのは俺だけだ。
つまり……夢でもなんでもなく、これは間違いなく現実な訳で。
「し、城井……俺--」『返事はいらない!!』
「えっ!?」
『私はあなたに最後まで勝ちたかっただけ。
勉強、運動、なにもかも。私はあなたに負けたくなかった。
今までの勝負は全部私の勝ち。恋愛面でも告白された数は私の勝ち。
そして、これで先に告白したのも私!! フラれたとしても、その経験を先にしたのは私だから!!
だからこれで終わり!! 私の全勝!!
……私からあなたが離れていってたのはわかってた。でもそれをあなたの口から直接告げられるなんて、そんな辛いことはされたくないの。
迷惑なことしてごめんね。でもこれで終わりだから。あなたもこれで私のことは忘れていいから!!
じゃあね。今まで楽しかったよ!!
大好きだよ、黒戸!!』
「なっ!? ちょっと待てよっ!! ……切られちまったよ」
昂揚感が止まらない。こんな幸せがあるだろうか。きっと俺は今世界で一番幸せだろう。
「……ったく。本当に迷惑だよ」
言いたいことだけ言って勝手に切りやがって。俺の言いたいことは一言も聞かずに。
「やっぱお前はすげーや」
俺が唯一勝てそうだったことを、いとも簡単に先に成し遂げて。その上、勝ち逃げして。
「くっそ……涙が……」
堪えていた涙がついに頬を濡らす。でも流れた涙は、城井と離れるのが悲しいからとかでは決してない。
「でもな……」
両想いだったからってのももちろんあるが、それが一番の理由ではない。
長年凝り固まったプライドが崩れ去っていく。
「好きだって思ったのは俺の方が先だよ」
俺は涙を拭い、城井の元に走り出した。