36. デッドライン
窓から見える空は、よく澄んで晴れ渡っている。
まさに、春を感じさせる陽気だ。
しかし、毛利探偵事務所の3階にある一室は、外界とは打って変わって重苦しい雰囲気に包まれていた。
平次の目の前には、真実に立ち向かおうとする果敢な女性達が、まっすぐ彼を見据えている。
そんな空気の中、彼はあまりにもストレートな質問に唖然としていた。
それ故に、駆け引きなしの勝負を挑まれた気がした。
(厄介なことになるかもしれへんな。)
平次は、この先の展開の傾向と対策を考え始める。
そして、とりあえずその結論に至った経緯を聞くことが先決だと判断した。
「なんでや?」
彼の返答にあくまでしらばっくれるつもりなのだと思った蘭は、少し口調を強める。
「じゃ、逆に聞くけど、服部君はどうして私が体調を崩したこと知ってたの?」
「それを知っとることと、工藤のことと何の関係があるんや?」
お互いに答えを言わず、質問を質問で返す攻防が続く。
次第に感情が顕わになっていく蘭は、1枚目のカードをきった。
「私が、3日前に会ったあの茶髪の綺麗な女の人から聞いたんじゃないの?」
彼女から初めて示された情報に平次の口の端が上がる。
(あのちっさい姉ちゃんのことやな。)
哀と蘭の会話の内容について、平次はここに来る前にひと通り確認していた。
哀の話を聞く限り、現状に結びつくような情報は何一つ語られていなかった。
それを、蘭はどう分析しているのか。
今日の説得のポイントとなる局面に差し掛かっていることを察知し、平次は意識を集中させる。
「彼女は、新一のことを知ってるって言ってた。そして、私に新一のことを待っててあげて欲しいって言ったの。
そんな事を言うってことは、私と新一の間に起こったことを知ってるってことだよね?私はあの時、彼女に
初めて会ったんだから、それは新一から聞いたんだと思うの。」
そこまで話した蘭は、自信がないのか少し不安そうな表情を見せたが、平次は無言のまま先を促す。
「私と彼女の唯一の接点が、新一なの。そして新一と服部君は、時々電話で話すくらい仲がいいんでしょ?だから、
服部君が彼女のことを知ってても何の不思議もないよね?」
相変わらず無反応の平次に向かって、蘭は畳み掛けるように質問する。
「彼女から、私のこと聞いたんでしょ?それで、心配してくれて和葉ちゃんを東京に呼んでくれたんだよね?」
平次は彼女の推理を聞きながら、頭を高速回転させていた。
どう答えれば、彼女は納得するのか。
しかし、それは昨日から考え続けていた難問だ。
なかなか答えが出るものではなかった。
「ねぇ、服部君。彼女と話してるってことは、新一とも連絡取ってるんでしょ?」
「平次、何とか言うたらどうなん?」
無言の平次に痺れを切らした和葉も、蘭の援護に加わる。
それでも黙然として話さない彼の態度に焦れて、蘭は必死に訴えかけた。
「服部君、お願い。新一は、どこにいるの?何をしようとしてるの?どんな些細なことでもいいの。知ってることが
あるなら、教えて!」
新一への気持ちをいつも意地を張っていた隠してきた蘭が、初めて見せた素直な態度。
彼女がどれだけ新一を想っているかが、平次にも直に伝わってくる。
「心配なの。あいつのことが。お願い・・・。」
瞳に涙を溜め声が掠れながら、蘭は平次に懇願する。
その彼女の横で、和葉は縋るような目で彼を見つめていた。
平次はそんな彼女達を無視できるほど、冷徹に徹しきることはできなかった。
(しゃーないな。)
彼は大きくため息をつくと、口重に話し始める。
「まぁ、当たらずとも遠からず・・・やな。」
平次からの初めての回答に、蘭はすかさず聞き返す。
「どういう意味?」
一旦間を置きデッドラインを決めた平次は、高揚している2人を落ち着かせるように説明する。
「確かに、姉ちゃんの体調のことを聞いたんは、あんたの言う茶髪の姉ちゃんからや。それは当たっとる。そやけど、
工藤がどこにいるんかは、オレは知らへんってことやな。」
「そんなの、嘘よ。」
やっと掴んだ手掛かりを簡単に諦めたくない蘭は、平次の言うことを鵜呑みにするわけにはいかなかった。
蘭に疑いを持った眼差しを向けられた平次は、厳しい声で彼女を諭す。
「あの、茶髪の姉ちゃんからも言われてるはずや。何も教えられへんって。それは、オレも同じや。」
(やっぱり、何か知ってるんだ。)
蘭の確証のない確信は、当たっていた。
それが、彼女のもう一つの不安の的中を予感させる。
「ってことは、新一が何をしようとしてるのかは、知ってるってことだよね?」
「・・・そうやな。」
これが平次の決めたデットラインだった。
『新一がどこにいるかは知らないが、何をしようとしているかは一応知っている。が、それを言う事はできない。』
これ以上の事は話せないが、それでも新一がひとりではないことを知れば、蘭が安心するだろうと踏んだのだ。
「それって、新一がずっと言ってる『厄介な事件』ってやつ?」
「ああ。」
平次の返事を受けて、蘭は2枚目のカードをきる。
「FBIが関わるような、危険なことなんだよね?」
蘭は平次に対して、鎌を掛けていた。
普通に聞いたところで答えてなどもらえないのだから、知っている振りをしてみた方が効果が現れるかもしれないと
思ったのだ。
その思惑通り、彼女の言葉はさすがの平次をも驚かせた。
(こら、想像以上に気ぃついてんのかもしれへんな。)
これ以上の追求を避けるべく、平次はここに来る前から心に決めていた彼女への誓いを提示する。
「なぁ、姉ちゃん。約束するわ。工藤は必ずオレが連れて帰って来たる。そやから、何も言わんとあんたの事、オレ
に預からせてくれへんか?」
突然の話の方向転換と思わぬ彼の申し出に、蘭は目を丸くする。
「どういう意味?」
「春休みの間、大阪のオレの家に来て欲しいねん。」
「え?」
それでも、意味がわからないという顔をしている蘭に向かって、平次は真実を少しだけ明かした。
「工藤から頼まれてんねん。あんたの事。」
その言葉に、蘭の全てが一瞬止まった。
固まっている蘭へ向けて、平次は新一の想いを代弁する。
「工藤の頭ん中はな・・・ほんまにあんたの事しかないねん。あんたが無事でいてるように、幸せでおれるように
そればっかりや。」
(新一が、私のことを?)
彼が自分のことを心配してくれていた事実が、蘭を困惑を含んだ至福の光で包み込む。
「あんた、工藤を待つて決めてくれたんやろ?」
平次の言葉を受けた蘭は、感情の戻っていない顔で僅かに頷いた。
「それやったら、ただ待つだけではあかんねん。あんたは無傷で工藤を待ってなあかんねや。そやからオレに、
あんたの事任せて欲しいんや。それが、今の工藤の望みやし、あいつにとって一番の安心材料になるはずや。」
彼の話の内容が徐々に消化され始めた蘭は、垣間見えた彼の意図を尋ねる。
「ここにいると危ないってこと?」
彼女の勘の良さに苦笑しながらも、平次は首を横に振る。
「ちゃうちゃう。あんたの両親はそれなりに忙しゅうて、ずっとあんたと一緒にはおられへんやろ?オレん家
やったら、おかんが傍についてあんたの看病もできる。それに、一人で東京にいてるより和葉が一緒におった
方が、あんたも気が楽なんとちゃうか?」
平次の言い分に不満そうな表情を浮かべている蘭に、黙って事の成り行きを見ていた和葉が声を掛ける。
「蘭ちゃん、あたしも平次の意見に賛成や。今の蘭ちゃんを一人にしておけヘんもん。蘭ちゃんが大阪にいてくれたら、
あたしも安心やし、そうしよ?」
「毛利のおっさんにはオレから話させてもらうし、オレの両親も了承済みやから、心配せんでええで。」
大阪の2人が蘭を説得しているにも関わらず、蘭は消化しきった彼の言葉からある予感を感じていた。
「服部君・・・新一から私のこと頼まれてるって言ったよね?」
不意に話が変わったことに驚きながらも平次が頷く。
「ああ。それが、どないかしたんか?」
「ってことは、服部君は新一が今抱えてる『厄介な事件』に、直接関わりがないんじゃない?」
蘭の言葉に嫌な展開になるであろうことを感じ取った平次は、表情を険しくする。
「新一に協力してくれているだけで、服部君には本来は関係のない事件なんじゃないの?」
(ええ着眼点やな。伊達に工藤の幼馴染やっとらんって訳か。)
蘭の勘のよさに感心しながらも、この場合はあまり歓迎できる話ではない。
再び頭をフル回転させて策をめぐらすが、蘭の攻撃は休まる事をしらない。
「でも、服部君が新一を連れて帰ってきてくれるって言ったってことは、服部君も新一と一緒に危険なことをしようと
してるんじゃないの?」
「いや・・・。」
歯切れの悪い平次に、和葉も青い顔で問い詰めた。
「平次、そうなん?」
同じような顔をしている蘭もさらに平次を追求する。
「そんなこと、新一が了承してるの?」
痛いところをつかれた平次は息を飲んだ。
その様子で蘭は自分の予測が外れていないことを確信する。
「してないよね?新一がそんな事、服部君にさせる訳ないもん。私だって、いくら新一のためでも、服部君に危険と
わかってることさせられない。和葉ちゃんに私と同じ思いをさせるなんて・・・。」
蘭の言葉と平次の身に迫った危険が、和葉の思考を停止させる。
止まったままの和葉を置いて、蘭と平次の会話は進んでいく。
「服部君。そんな危ないまねしないで。お願いだから、和葉ちゃんのそばにいてあげて。」
必死に訴えかける蘭から視線を逸らすことなく、平次は首を横に振った。
「できひんな。」
「服部君!どうして・・・。」
彼の返事に疑問を投げ掛けた蘭に対して、平次はきっぱりと自分の意志を伝える。
「あんたが和葉を思ってくれてるのと同じや。オレも工藤のこと、これ以上放っておかれへん。これ以上アイツが
苦しんでるとこ、見たないんや。」
平次から知らされた新一の胸中。
事件とあらば他の何をも置いて向かっていく彼のことだから、今も意気揚々と事件に取り組んでいるのだと
思っていた。
彼の電話の声がときどき切なく聞こえるのは、自分を待たせていることに対する負い目なのだと思っていた。
思いも寄らない事実に言葉を失う蘭の脳裏に、突然ある記憶が蘇える。
米花センタービルの展望レストランで、コナン伝えに聞かされた彼の言葉。
『いつか、いつか必ず絶対に、死んでも戻ってくるから・・・。』
(あれって、本当に言葉の通りの意味だったってこと?)
良く考えてみれば、彼の代わりにその言葉を言った少年も、やるせない顔をしていた。
もし、それが新一の心境をそのままトレースしたものだったとしたら。
(やっぱり新一は、すごく危険な事件に関わってるんだ。)
蘭が、答えを聞くまでもなく真実に辿りついてしまったことを知らない平次は、辛そうな表情のまま言葉を続ける。
「こんな事になったんは、工藤のせいやない。そやけど、そのせいでみんな苦しんでるやろ。そやから、ここで
終わりにせなあかんねん。」
そこまで言い終えると、平次は時を動かせずにいる和葉に目線を移した。
蘭が言いたいことは、十分わかっているつもりだ。
自分が新一に協力するということは、和葉のそばを離れなければならない。
彼女を不安にさせて、悲しませるかもしれない。
今の蘭と同じように。
それでも探偵として、男として、新一を一人で行かせるという選択肢を選ぶ事はできなかった。
それぞれの想いに身動きが取れなくなっている3人の耳に、携帯電話の着信音が響き渡った。
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