30. 西の名探偵vs黒づくめの女
平次の言葉が、リビングを凍りつかせた。
予想もしない台詞を耳にし、哀は思考が停止する。
「な・・・に言ってるの?」
辛うじて返された彼女の言葉に対して、平次は当たり前といわんばかりの顔をして答えた。
「こっち来てからのあんたの言動を見とったら、そんなんすぐにわかったわ。」
依然反応のない哀をそのままに、平次は自分の第六感で感じ取ったことを口にする。
「あんたの行動は、前から気にはなっとったんや。最初は、工藤への罪悪感がそうさせてるんやと思っとった。
そやけど、オレがここに来た時の話を聞いて確信したんや。あんたは工藤を想ってるってな。」
確かにあの夜の哀は、突然決まった彼の危険な計画を聞いた後で、感情が昂っていたのは事実だ。
彼を死なせたくなくて、何とかやめさせたくて、その一心でしゃべっていたことを覚えている。
でも、その様子を彼への愛情に繋げられるとは、思ってもみなかった。
自分でさえ、これが『愛』なのかどうかはっきりと認識できていない感情。
哀のことをよく知らない平次だからこそ、そう思ったのかもしれない。
しかし、今それを議論することは不毛だと思えた。
「で?もし、そうだったとして、それが何なの?」
結局哀は、否定も肯定もしないという手段を取る。
「もし仮に、私が工藤君のことを好きだったとして、それがあなたに何か関係あるの?」
「それは、そうやけど・・・。」
彼女の正論に、平次も思わず言葉が詰まった。
さして親しくもなく、お互いの名前を知っているだけの関係。
その人が誰を好きだろうと本来なら関係のない話で、彼自身も通常なら首を突っ込むことはありえない。
でも、平次のなかに芽生えていたある予測が彼を深入りさせていた。
「だいたい、彼には大切な彼女がいるじゃない。他の人なんて、入る隙間すらないんじゃないかしら。」
さらに追い討ちを掛けるように言葉を続ける哀に、平次が反論する。
「そんなん関係ないやろ。相手がおろうとなんだろうと、好きになるんは自由や。それに恋愛の結果に、絶対は
ないとも思うしな。」
新一と蘭との間に第三者が入り込めないのは、火をみるより明らかだ。
それを他の誰よりもわかっているだろう平次の意見には、哀も一瞬たじろいだ。
結果、その動揺が作用して、哀に否定的な言葉を発言させる。
「どちらにしても、私は工藤君のことなんて、何とも思ってないわ。」
そう言って、自分から目を背けた彼女をみて、平次はため息をついた。
「あんたも、強情やな。別にええやないか。オレは工藤に言ったりせいへんし。」
呆れるような彼の声に苛立ちを覚えた哀は、思わず強い口調になる。
「あなたに言う必要もないじゃない!」
相手の語調に負の感情を読み取った平次は、ここで会話を打ち切られると誤解が生じると判断し、彼女の不在時に
考えていた予測を端的に話し始めた。
「オレは、これでも一応心配してんねやで。あんたにとっては、どっちに転んでもしんどい結果ってことやろ?
工藤の望み通り組織を倒せば、工藤はあんたの元を離れていく。倒せなければ、工藤に対する責任を一生
背負い続けることになる。まぁ、その場合は命がないって言うた方が正しいやろうけどな。」
哀は、目を見開いて固まっていた。
平次はその様子に、自分の推理がまったくの的外れではないことを確信する。
「あんた・・・それに悩んどったんやろ?だから、この3日間一人になりたかったんやないか?」
意外だった。
どうして、ほとんど話したことのない人に自分の胸中を見抜かれたのだろう。
いつも側にいる幼馴染の気持ちにも気付かないような人が、自分の苦しみに感付いている事が不思議だった。
(探偵ってそういう人種なの?)
そう思ったら、なんだか可笑しかった。
ほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がする。
持ちきれないほどの重い荷物に気付いてくれた平次に、頑なに閉ざされていた哀の心はわずかに動いた。
諦めたような、観念したような、そんな面持ちで彼女は彼の質問に答える。
「いいのよ・・・。自分で招いた結果だから。彼や彼女には、何の責任もないことなの。だから、私は罪を購わ
なければなければならない。彼らの時間を奪ってしまったことを償わなければならないわ。」
先程まで見せていた敵対心が消え、哀の口調は自然と穏やかになっていた。
「この3日間は、一人になりたかった訳じゃないの。実は・・・、蘭さんに会ってきたのよ。」
彼女の意表をついた行動に、今度は平次の声が思わず上擦った。
「何やて?!なんで、そんな危ないこと・・・。あの姉ちゃんに、あんたがまだここにおる事、なんて説明したんや?」
「この姿では会ってないわ。」
「は?!」
「本来の姿で会ってきたの。宮野志保として。もちろん、名前は明かしてないけどね。」
平次がコナンから聞いている彼女は、いつも地下室に閉じこもってパソコンと向き合っている内向的な少女
というイメージだった。
その彼女のどこに、こんな行動力があったのだろう。
(それも、工藤のためならできるってことなんか?)
推測を立ててみるも、動揺は隠せない。
そんな平次に、哀はさらなる驚くべき事実を伝える。
「そして、彼女に伝えてきた。『彼を待ってて欲しい』って。」
哀の話は、平次の頭脳を持ってしても理解しがたいものだった。
その言葉は、新一自身が以前彼女に伝えているはずだ。
それを哀が身の危険を顧みず、蘭に伝えたとはどういうことなのか。
話の脈絡が掴めない平次は、怪訝そうな顔で哀に問いただした。
「どういう意味や?」
彼の問いに、思いも寄らない答えが返ってくる。
「知ってた?工藤君は、蘭さんに別れを告げてたの。この1年待ち続けた彼女に『もう待たなくていい』って言ったのよ。
もちろん、理由も言わずに。それを偶然聞いてしまった時、耳を疑ったわ。だって・・・今まで彼は、彼女のところへ帰る
ために頑張ってきた。これまでの彼の原動力は、彼女だったのよ。それを断ち切るなんて、考えられなかった。」
哀は、そこまで言うと目を閉じた。
今でも忘れる事のできない、コナンの言葉を聞いたときの衝撃。
思い出す度に起こる身震いに、自分の腕を体に絡めて自身を落ち着かせ、再び話し出す。
「そしてその後、彼女は体調を崩した。学校にも行けないほど、普通の生活を送れないほどにボロボロだった。」
「それ・・・工藤は知ってるんか?」
「いいえ。私も彼女の状況を調べた後、すぐに会いに行ったから。彼にはまだ何も。」
そこまで聞いて平次は、今までのコナンの言動の理由がなんとなく納得できた。
「あいつ、そんなことしとったんか。」
(せやから、あないに片意地張っとるんやな。)
それを知らずにコナンを説得しようとしても、度台無理な話だったのだ。
真実を呑み込んだのと同時に、平次は自分の中に怒りが徐々に沸き起こってくるのを感じていた。
そして、尚も続けられる哀の話に耳を傾ける。
「このままじゃ、いけないと思った。彼にとっても、彼女にとっても、そして・・・私にとっても。私は、彼女に彼を
返さなくちゃいけない。例え、どんな犠牲を払ったとしても。だから、彼に生きて戻ってきてもらうためには、
『彼女が待ってる』ってことが必要だと思ったわ。それで、どうしても彼女と会って話がしたかったの。」
平次は、ここまでの彼女の話の中で浮かんだ一つの疑問をぶつけてみる。
「なんでや?オレがこんなん言うんも変やけど、そのままにしとったら、工藤があんたのものになる可能性も残っと
たかもしれへんのやで?最後にアイツがどんな決断をするかなんて、誰にもわからへんやろ?」
彼の言葉に自嘲気味に笑った哀は、首を横に振った。
「わかるわ。彼の頭には、彼女のことしかないもの。だから彼女が待っていないのに、彼が元に戻るために、自分の
命を大切にするわけないじゃない。このままじゃ、彼は生きて帰ってこない。そのことの方が、耐えられないわ。
彼が・・・死ぬなんて・・・。」
「そう思っとったんか、あんたも。」
平次もここに来てからのコナンを見て、哀と同じ思いを抱いていた。
自分の置かれている状況に苦しんでいても冷静な判断力を失わない彼女に、平次は感服していた。
同時に、哀が想像以上の罪悪感に苛まれているということも感じ取る。
不意に立ち上がり窓のそばへと足を進めた哀は、真っ赤に染まる夕日を眺めながらこの3日間で得た『結論』を
口にした。
「あの夜から、ずっと考えてた。そして、一昨日蘭さんに会ってわかった事は、あの二人が幸せにならないと、
私は前に進めないってこと。私が犯した罪が許される事は一生ないかもしれないけど、この闇から抜け出して
新しい道を歩くための必要最低条件が、あの二人の幸せなのよ。」
わずかに辛そうな表情で話す哀の言葉に、平次も彼女の心情を垣間見た。
「ほんまにそう思えるんか?」
「・・・ええ。前にね、彼に言われたの。『運命から逃げるな』って。だから、どんな結果が待っているとしても、
逃げないって決めたのよ。これ以上、後悔しないように。やっと・・・やっと見つけた答えだから、それが正しい
と信じたいの。」
言い切った哀を見上げて、平次はそのまま一言呟いた。
「そうか。」
張り詰めた空気がほんの少し和らいだ頃、再び平次の向かいに座った哀は1枚の白い紙を平次に差し出した。
「ここまで話したんだから、あなたにお願いしようかしら。」
そこに書かれてある、11個の数字。
それが何を意味するのか、彼にはすぐ理解できた。
「携帯の番号か?」
「ええ。これは、私が蘭さんに渡した携帯電話の番号よ。博士に頼んで、GPSを内蔵してあるの。彼のメガネで、
彼女の居場所を常に確認できるようになってるわ。それを渡して、工藤君に電話させて。そして、彼女に彼の
口から『待ってて欲しい』ってちゃんと伝えるように言って。彼女には、この携帯に彼以外から電話はくること
はないと伝えてあるから。」
平次は、並んだ数字を眺めながら彼女に尋ねる。
「そこまでしてきたんは、あんたやろ?なんで、自分で言わへんねや?」
「私は・・・どう話したらいいのかわからないのよ。蘭さんに会ってきたなんて言ったら、もう口も利いてくれないかも
しれないしね。だから、きっと彼は勝手なことをしてきた私の言う事なんか聞かないわ。それに、あなたの言葉の
方が同じ大切な幼馴染をもつ男同士として、彼に伝わるはずよ。」
その意見は腑に落ちないが、彼女の気持ちの整理は簡単にはつかないことも推し量れた平次は、彼女の申し出を
渋々受け入れることにした。
「まぁ、やれるだけやってみるわ。あんたの決意を無駄にせんためにもな。」
「ありがとう。」
哀は平次に承諾してくれた事に感謝し、安堵の表情を浮かべる。
そんな彼女に、平次は恐らくコナンに聞かれるであろう質問を投げ掛けた。
「ほんで、あの姉ちゃんはまだ具合悪いんか?」
「今日の午後の報告では、少し回復したみたい。まぁ、来週から学校も春休みに入るし、取りあえず今学期中は大事を
とって休むらしいけど。」
「そうか。そら良かった。」
顔を綻ばせながら言った平次とは対照的に、哀は遠い目をして呟く。
「彼を失ったと思えば体を壊し、彼を待てる希望を掴めば元気になれる・・・。本当に、素直な体よね。彼の影響力は
凄まじいわ。その点から言えば、工藤君も同じね。あの夜から、工藤君から笑顔が消えたわ。それを取り戻せるのも、
きっと彼女だけ。本当に、お互いがお互いを必要としているのね。」
その呟きにこめられた感情の切なさに、平次は彼女への言葉を見つけられない。
そんな哀に、平次に話したことによる安心感からか、成就することのない想いへの虚無感からか、疲労がどっと
押し寄せてきた。
急に重くなった体を何とか立ち上がらせ、平次に声を掛ける。
「さすがに疲れたわ。私、少し休むから。」
「ああ。今日はゆっくりしいや。後のことは、なんとかしたるさかい。」
笑顔とともに発せられた彼の力強い言葉に促され、哀はリビングを後にした。
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