25. 壊れかけの心
ジョディが志保を乗せた車を走らせている頃、毛利蘭は杯戸シティホテルの1室で深い眠りについていた。
その1時間程前・・・
彼女は、自分の部屋の窓から見える空を眺めていた。
学校を休むようになって、今日で3日目。
元来真面目な彼女が、こんなに長く学校を休んだのは初めてだ。
どこか体に表立った疾患があるわけではない。
でも、普通の生活をすることは不可能だった。
体が食べ物を受け付けず、日増しにやつれていく。
あの日。
最後に彼と話をしたあの夜から、自分が自分でなくなってしまった。
何をしていてもどんな状況でも関係なく、突然涙が溢れ出す。
自分をコントロールできなくなるのだ。
そんな自分を、両親が心配してくれている。
友人が気遣ってくれている。
皆の気持ちはわかっていたが、誰にも理由を話すことさえできずにいた。
あの出来事が自分にとって、どれだけショックだったかを認識させられる毎日。
辛い。
苦しい。
この3日間は、それ以外のことを感じることはなかった。
一体どうしたら、この状態から解放されるのだろう。
彼を忘れたら、楽になれるのだろうか。
(新一のこと、いっそ忘れてしまえたら。)
忘れる事などできないと心の片隅で解っているのに、悩みすぎた心が安楽を求めている。
そんな事を考えていると、事務所のチャイムが鳴った。
今日は、母親の英理が休みで事務所に来ていたため、来客の応対をしてくれているようだった。
しばらくすると、二人分の足音が階段を上がってくる。
その足音がドアの前で止まり、ノックと一緒に英理が声をかけてきた。
「蘭。起きてる?」
「うん。」
短く答えると、英理が顔を覗かせた。
「お客様だけど、どうする?」
「誰?」
「先生ですって。外国人の。お名前は・・・」
そう言うと、英理が振り返って確認している。
「ジョディさん。」
「え?!」
意外な名前に蘭は驚いた。
確か、彼女は英語教師と偽って来日していた、FBI捜査官のはずだ。
そして、アメリカに帰ったと聞いていた。
なのに、なぜその彼女がここにいるのだろう。
いいようもない不安が蘭を包み込む。
(この不安の正体を知りたい。)
そう思った彼女は、意を決して英理に言った。
「入ってもらって。」
その答えを扉の外で聞いたジョディは、優しい笑みを浮かべながら蘭の部屋に入ってきた。
「久しぶりね。毛利さん。」
高校教師だった頃とはうって変わり、流暢な日本語を話している事にびっくりする。
「先生・・・どうして・・・。」
唖然としている蘭に向かって、ジョディは穏やかに話しかける。
「あなたが学校を休んでいるって聞いて、心配になってね。それで、お見舞いに来たの。これどうぞ。」
そう言うと、手にしていた花束を蘭に渡した。
「だって、アメリカに帰ったんじゃ?」
当然聞かれるであろうその問いに、ジョディは用意していた答えを口にする。
「ええ。今回、また捜査で来日していたのよ。」
「そう・・・だったんですか。」
考えてみれば当たり前の答えに納得しながらも、蘭は先刻感じた不安を拭えない。
(捜査って何の捜査かしら?)
答えてはもらえないであろうその問いをジョディへ投げかけようとした時、彼女の方から問いかけられた。
「ところで、もう4日もこうして部屋に閉じこもっているんでしょ?少し外に出て、気分転換しない?」
「え?」
ジョディの突然の提案に、蘭は困惑する。
「でも・・・。」
自分をコントロールできない蘭は、家から出る事を恐れていた。
それを察したジョディが言葉を続ける。
「大丈夫よ。私がフォローするから。それに・・・あなたに会いたいって言ってる人がいるのよ。」
「私に会いたい人?」
一瞬、彼の姿が浮かぶ。
しかし、そんな事起こるはずがない。
もう二度と彼に会うことはできないのだ。
浮かんだ期待を慌てて消し去ると、蘭の瞳から涙が零れ落ちた。
それを見たジョディが、蘭の肩に手を添えながら優しい声音で語りかけた。
「ね。毛利さん。このままここにいても、辛いだけでしょ。外の空気を吸ったら、気持ちが落ち着く
かもしれないじゃない?」
そんな事はない。
この苦しみから救い出す事ができるのは、この苦しみを自分に与えた彼以外あり得ない。
答えは明確だった。
しかし、自分に会いたい人がいる。
それが気にかかった。
このタイミングで、自分に会いたい人とは一体誰なのか?
(もしかしたら、新一に関係があることなのかもしれない。)
彼女の第六感がそう訴えかけていた。
「わかりました。行きます、先生。」
その蘭の言葉に、ジョディは安堵の表情を見せた。
心配する英理をよそに、蘭は出掛ける準備を整え、ジョディの車に乗り込んだ。
「どこに行くんですか?」
「内緒よ。」
ジョディはハンドルを握りながら、助手席に座る蘭にウインクをした。
(私に会いたい人って誰なんだろう。)
ふと窓の外に目をやると、久しぶりの見慣れた景色が色褪せて見える。
まるで壊れかけの蘭の心が、見るものから色を奪っているようだった。
(こんな景色だったかしら。)
そんなことを考えていると、腕に冷たいものが当たった。
見ると、ジョディが缶コーヒーを差し出している。
「約束の場所に着くまでにちょっと時間が掛かるから、これでも飲んで。」
蘭は手渡されたコーヒーを開け、口を付けた。
(しばらくコーヒーも飲んでなかったな。)
久方ぶりのその味が、妙に新鮮に感じられる。
二口ほど飲み、また窓の景色を見ていると、蘭を突然睡魔が襲ってきた。
(あれ・・・どうして・・・。)
そして、そのまま蘭の意識は遠のいていった。
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