かみにやどるは~かげにあるはやむこころ~
都は京、時の帝は・・・はて、誰だったか。
そんな時代に生まれた俺の生業は、明日どころか今日の食事もままならない薄給の陰陽師の卵。
友人にはきっと後世で有名となるであろう、安倍 晴明23歳、や、他にも賀茂家の御曹司やらがいたりする。
その中にひっそりと存在する俺は、陰陽寮が出来て以来の落ち零れで、未だに他の寮生の言伝や墨や紙などの補充係りを担っていたりする。
おっと、名乗り遅れてたな。
俺の名前は菅原 七仕26歳で、どうやら俺は菅原家の分家の恥晒し者らしい。
歌を読めば風流の欠片も無いし、楽を奏でてみても蛙の最期の断末魔の様な聴くに堪えぬ音だし、ならばと習わされた武術もダメ、おまけにお上の前で披露した稚児舞は、俺の失敗のせいで他の者達にも迷惑を掛けてしまった記憶がある。
が、なんとかどうにかこうにか陰陽寮に潜り込む事に成功して、今では気ままに暮らしていたりするのだが、世間はそう甘くはないようだ。
「はぁ、四条のお姫さんがか?晴明も大変だな。今からそんなに働いていてはいつ休むんだ?」
「何を他人事のように流しているのです、七仕殿。これは元々貴殿の案件でしょう」
「・・・、なんのことかな?俺にはそんな力などないよ。晴明でもないし、妙な言葉を口走ってくれるな、友よ」
墨をたっぷり含んだ筆ですらすらと暦を一枚一枚書き写しながら、秀麗な眉を眉間に寄せている生粋の美男子に耳を傾け、のほほんと微笑み返す。
決してここで隙を見せてはならないのが、晴明との上手い付き合い方である。
下手をすれば命を落とす可能性がある仕事を、こちらに回されてくるのだ。如何にそれを追求する相手が友であろうとも、それはそれ、コレはコレ。話は大違いである。
外では薄紅色の花弁が今が散り際と心得、ひらひらと儚く風に乗り、青空のもと、優雅に舞っている。
人によってはその散る姿が縁起が悪いと言われているらしいが、俺はそうだとは思わない。散り際を心得ているからこそ、ヒトの心や瞳を惹くのではないかと常々思ってはいるが口にはしない。
思ってるだけであれば俺はギリギリ常識人の仲間であると胸を張って言える。
はぁーっ。
と、そこで特大級の溜息が落ちてきて、隣に人が座る気配がしたので、普段上役達から糸目と呼ばれ蔑まれている横目でそちらをチラリと盗み見てみれば、なんと、わが友である晴明が、あの冷たい晴明が、俺の仕事を自分から手伝ってくれているではないか!!
うぬぬぬ、何がどうあっても俺を借りだすつもりだな?
そんなに仕事が嫌なら貴族共を脅してやればいいモノを。
ま、それが出来ないから晴明はヒトが良いんだろうな。俺と違って。
俺はそんな友が好きで一緒にいるし、これから先も一緒にいると思う。
だから今回は俺が大人になって俺が折れてやろう。
サラサラと筆を紙の上に走らせる晴明から目を逸らし、ポツリと呟く。
「そういえば、そろそろ宮様に挨拶に伺いに行かないとなぁ~。今夜あたりにでも行くとするか。月も出ないというし。」
ここで気を付けなければならないのは、独り言のように呟く事だ。わざとらしく聞こえてしまうと、俺が怒られてしまうし、苦労するのが目に見えている。
かたり、と、筆を文台において腕を伸ばし、背伸びをすれば、バキボキッと骨が鳴る音が辺りに響いた。
いかん、こんなに体が凝っていたとは。年は取りたくないな。などと割とどうでも良い事を考えつつ手元にあった陸奥紙を適当な大きさに割き、梵字で仮初の生命を注ぎ、外に放つ。
これで四条のあの姫さんは夜までは平気だろ。
問題は宮御前だ。
あの宮様は本当に傲慢で、厳しい。
あの人が俺の伴侶だなんて冗談でも笑えないし、誰にも言えやしない。
それもこれも全ては酒のせいだ。――否、この世に溢れる人の心が産み出す闇のせいだ。
「・・・七仕殿、何故貴殿は上を目指されない。貴殿の様な方こそ出世すればこの世はもっと過ごしやすくなると思うのですが」
ビリビリと紙を裂いては字を連ね、外に放つ俺に、晴明は焦れたような声音で俺を責め立てる。その横で賀茂家の也房は干し棗を噛みながら、コクリコクリと無言で頷いている。
どうやら、也房も俺が出世をしないのが不服らしい。自分はわざと晴明より下の実力しか発揮していないクセに、強かだ。
コイツの様な奴が一番狡賢いと言わず何と言う。
「晴明、言葉には気を付けろと俺は言ったよな?俺達は曲がりなりにも闇と影の呪術を扱う術者で、言葉遣いでもある。そんな俺達が言葉に力を込めればどうなると思う?」
「・・・っ、ですが、」
「――晴明、今はまだその時ではないんだ。時が来れば俺もやるさ、ま、いつかはな。」
出る杭は打たれる。
今は俺達が表立って動く時ではない、と諭していた時、それは現れた。
五色に彩られた、大陸にいると言い伝えられている鳳に似たそれは、俺が宮御前宛てに放った式で、宮御前に何かがあれば知らせる様にとの呪を掛けていたのだ。
その式が今俺の目の前に現れたという事は・・・。
「何があった、彩琳」
《四条の姫を諌めに参れ、猶予はないものと心得よ》
「み、宮様・・・っ?」
《妾は報せたぞ?ではな》
そこまで言葉を発するなり、彩琳は一瞬にして炎に包まれ、消え失せた。
どうやら思いの外例の姫君は病んでいたらしい。
これは一刻の猶予も無いと判断した俺は、仕方なしに覚悟を決めた。
あの宮御前がわざわざ俺に彩琳を遣わせたという事は、今日は《渦》の日なのだろう。
実は宮御前こと宮様である俺の伴侶は、青銀色に煌めくとある沼の主で、元は水神の一角を担っていた存在だったのだが、運悪く《渦》と言う力が発揮されない日に、沼の主としての神通力の一部を奪われたらしく、瀕死の状態で沼近くの路でヒト型で倒れていた所を、珍しく酒に酔った俺が通りかかり、まぁ、その何だ。
酔いに任せ宮様が神の1人とも知らずに、情を重ねたことで俺の精気を宮様に別けてしまったというワケで、その後(押し切られる形で)夫婦としての契りを交わしてしまったのだ。
それが今から10年も前の話で、その時から俺は純粋なヒトではなくなってしまった。
宮様は仮にも水神を担っていた御仁である。
その伴侶が徒人である事など許されない。
俺はおそらく晴明や也房が死した後もこの世にひっそりと生き続けるだろう。それが神と交わってしまった俺の罪であり、贖罪。
じゃらり。
左手首に絡めるように巻き付けていた青瑪瑙で作られている数珠を外せば、途端そこいらに充満する人在らざる者の妖力と神通力、そして張りつめた空気。
それらに伴い、俺の髪は闇の色から宮様の眷族である証の青銀色へと変わり、瞳は茶色から真紅へと変わり、身に纏っていた衣は自然と白い水干の様なモノへと変化する。
「な、七仕殿、そ、その姿はっ、」
《ナニヲオドロクコトガアル、ハルアキラ》
「――ッ・・・!!」
両耳を押さえる様に蹲る晴明に、俺はそんな場合ではないのに、少しだけ笑ってしまった。
と言うのも、眷族化した俺の声は耳からではなく、直接頭の中に語りかけて来るようなもなので、慣れない人間相手に使うと発狂するらしい。
そんな晴明の姿を瞬き一つで視線を外し、紙をヒト型に素早く仕立て、吐息を二度吹きかければ、それは瞬く間後に普段の俺の姿となり、黙々と働く。
《ナリフサ、ルスヲタノム》
「判った。宮御前によろしく。今度桃を届けますって伝えといて」
也房は耳も塞がずに、にっこりと微笑むと、未だに両耳を塞ぎ苦しんでいるもう一人の友人をズルズルと引きずりながら、周囲の人間から俺の存在を遠ざける為、遠ざかっていく。
晴明はヒトと妖の合いの子。
だが、俺は神と契ったモノ。
正直な話、俺は陰陽の術を習得してはならないのだと思われる。
神の眷族が術を習得したらどうなるか。結果は容易に想像出来るであろう。
この国に存在する、幾種幾万の神とヒトの力の均衡が崩れてしまう。それでも俺がこの道を突き進むのは、きっとヒトであり続けたいからなのだろう。
空に手を翳し、その場に星を描き、紙を翳せばそれは鴉となり、高く鳴き、宮様の元へ一足早く飛んでいく姿を見守りながら、呪を掛ける。
かみにやどるはいぶき、いぶきにやどりしは、かみのといき。
かみにこめしはかみのいし、かみのいしにやどりしは、あまてらすのかみのいなり。
かみにねがいしは、しゅごのことだま。
かみにのぞみしは、やみのせいし。
言霊を紡ぐたび、俺の青銀色に変わった髪が光を帯びて行く。
俺の武器は《紙》であり《髪》でもあり、《神》も関りがある。そこに吐息を吹きかければ、込められた力と反応し、俺がはなったモノは護るべきモノは護り、抑止するものは抑止する。
いわば《言葉》と言う《力》で《かみ》を使役しているという寸法だ。
呪を唱え終えた俺は、四条の姫を止めるべくして、屋敷へと急いだ。
***
ゆるせない、ユルセナイ、ユルセナイッッ・・・!!
ドウシテアノヒトハエラバレテ、ワタシハステラレルノ!?
ユルセナイ、ニクイ、ニクイ!!
(難儀なことよなぁ、たかだか男の一人や二人の事で・・・。)
時は間もなくヒトの世からヒト在らざるモノ達が入り乱れる逢魔が時。
力を持たぬヒトは、妖や荒神の妖気に触れるだけで、精神を病み、最悪黄泉へ辿るか、狂気に飲まれる。
それを食い止めるのが陰陽師や道士と言う存在。
今より前ならば、アマテラスの子孫でもある皇家のヒトも払えたが、今は神の血も薄まり、払う能力は無きに等しい。
だというのに、ヒトの心の闇は時代と共に増すばかりという矛盾。
(よもや怖気づいてはおらぬだろうな、あの男)
一昔前に拾われ、力を分け与えられた日、眷族とした男を思い出し、我知らず、妖に心を半ば奪われている娘を拘束する漆黒の鳥を睨み据えてしまう。
幾ら国一番の力と加護を持つ男でも、やる気さえ出さねばただの役立たずというモノ。
あの時の自分はどうかしていたのではないかと疑ってしまうのも仕方があるまい。
(じゃが、あの者の隣は居心地が良いのじゃ)
それがまたいけない。
本来ならばもう既に妾は生まれ持ち、与えられた住処へ戻らねばならぬのに、あの者の隣が居心地が良すぎる為に、元の住処に戻れずにいる。
まあ、《渦》の日に刃向かわれ追い出された元・神など必要ないとは思うが、あの地は妾の住処。
妾がこの世にある限り、あの地は妾のモノだと判らせてやらねばなるまい。
《ヌシサマ、マイラレマス。》
「――ようやっと来やるか。ん?この気配はもしや・・・」
ただならぬ気配を察した時には遅かった。
なんと、あの男は妾の眷族である出で立ちで姿を現した。しかも丁寧な事に徒人や見鬼の才を持つ者にも己の姿を見破られぬように術を施していた。
男の身体は青白く発光しており、真紅の瞳には浄化の焔を宿し、今にも妖に乗っ取られそうな娘を静かに見据えていたかと思いきや。
「――愚かだな」
抑揚のない声がその場に響く。
淡々と、しかし、清らかに。
「俺は無駄が嫌いだ。還るべき所へ還るというのならば見逃してやろうと慈悲を掛けてやったのにな・・・」
男が一歩足を踏み出す度、無風な筈の空間で男の青銀色に輝く、首辺りで括っただけの長い髪がふわっと浮く様に靡く。
「貴様は大きな過ちを犯した」
ナニヲイッテイル
オマエナゾコロシテクレル!!
「まずはヒトの闇に漬け込み、ヒトの娘の将来を潰し」
ダマレ、ダマレ、ダマレッッ!!
「ふたつ、俺の忠告を無視し」
――じゃりっ。
男が踏み締めた砂利が物悲しく音を奏でる。
それにはなにも反応せず、男はヒトの娘の化けの皮を被った妖に確実ににじり寄る。
(愚かよの、ほんに。あやつの申す事を聞いておれば、呑まれずとも済んだモノを・・・。)
妾は、ヒトの娘が妖に呑まれた瞬間を見ていた。
恋しく、愛おしい男が、自分ではない女に睦言を囁いている所を見てしまったヒトの娘。
そこに、この妖が付け込んだのだ。
男は、夫である七仕はそれを見抜いていた。
そして全てを入念に調べ得た上で、娘の心の強さを信じていたのだが・・・。
(背の君よ、そちはまだ甘いの。)
じゃが、その甘すぎる所が妾には魅力的なのだが、と、紙と息吹で作られた鴉を肩の上に止め、地面を蹴り、空に浮く。
ここからは、己が伴侶に任せるほかないのだから。
***
ゆらゆらと揺らめく妖の気と、黒い靄。
それが意味する事は、残念なことに、四条の姫は既にこの世に亡いと言う事。
恋の狂気に、己が心の闇に負けさえしなければ、真の想い人に巡り合えたものを・・・。
だが、それもまた、その者の一つの定め。
星が一つ消えた時、俺は後悔した。
その後悔を少しでも薄める為に力を振るうのは偽善だろうか。
否、例え偽善であろうとも、それが俺に定められた義務であるのならば、俺はそれを全うしよう。
袂から呪符用の紙を出し、そこに吐息を吹きかけ、人差し指を噛み、その血で呪を込める。
血を使うのは未来永劫、妖を封じるため。
息吹を掛けるのは、ヒトの娘の魂の輪廻を願う為。
紙で作った式達に抑えられ、身動きが出来ない妖は怒り狂い、正気を失っていた。
俺はそれを見逃さなかった。
「《紙》は《神》に通じ、《神》は《髪》、《紙》にも通ず。
息吹は《神》の意思。
闇は宵へ
影は光となりて」
素早く印を結び、結びの言葉を放てば、妖は、グギャーッと、耳障りな断末魔を発し、黒い靄と共に消え失せた。
それと同時に、閉ざされていた空間が開き、俺の髪と瞳が元に戻る。そして式達は灰になる事も無く、綺麗に燃え失せる。
空を見上げれば、新月だと思っていた月は微かに中天に浮き、ヒトを嘲笑う様に下界を見おろしていた。
それを何となく不愉快に思いつつ、宮様の方へ視線を向けてみれば。
――ボカッ!!
「って、何をなさるんですか!!宮様。」
「五月蝿い。妾の眷族でありながら、なんという不甲斐なさよ!!これでは妾は何時になっても安心して沼に帰れぬではないか!!」
「宮様、怒ると皺が出来ますよ」
「お主っ、・・・よかろう、今宵は覚悟致せ、ヒトの子の分際で!!」
何故かギリギリと俺を睨んでくる宮様――妻であり、主でもある多々良姫頼姫から恐ろしい宣告を受けつつ、俺はもう一度空を見上げた。
せめて願わくば、来世はあの姫が闇に呑まれぬようにと願いながら。
かみにやどりしは、ひとのねがいて。
かげにかくれしは、ひとのやみ。
かげをはらいしは、ひとのおもい。