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短編いろいろ

私の幼なじみは異世界で魔王をやっていたらしい。

作者: はいあか

 私の幼なじみは異世界で魔王をやっていたらしい。


 ○


 八月某日。太陽が人類を焼き殺さんと燃え、人々が汗水たらして炎天下をそぞろ歩く夏。

 熱気と湿気と苛立ちに塗れた今夏も暑い。そして今日も暑い。そんな四方八方暑い中、サラリーマンは汗水たらして満員電車に乗り込むのだ。狭い車内で前後左右を汗に囲まれ、もはやどれが誰の汗だかもわからない。電車の窓は水滴で曇り、不快指数は上限を振り切る。人身事故で電車も止まるし、遅延証明だってもらい忘れる。

 そんな真夏のサラリーマンを嘲笑うように、我が幼なじみの部屋は、クーラーがガンガンに効いていた。


 私は、その二十三度に設定された冷房よりも、さらに低い声で幼なじみを呼んだ。

「レイちゃん。ちょっと話があるんだけど」

 時刻はちょうど午後十時。場所は幼なじみである玲治れいじの部屋。独り身の女が夜も遅くに男の部屋に入るのはいかがなものかと思うが、今回は緊急事態なのでしかたない。

 ベッドの上に横になりながら漫画を読んでいた玲治は、突然の私の訪問と、どう聞いても不機嫌な声色に驚いたらしい。寝転がったまま私を見上げつつ、幻でも見たかのように目をぱちくりとさせた。

「ち、ちーちゃん? どうしたのこんな時間に? 会社帰り?」

 ああそうとも。会社帰りである。入社三年目で新人特典もすっかり消え、残業に次ぐ残業に疲れ切り、十時前に自宅につけば割と早い方。非実在定時を夢見つつ、日付変わる前に変えれたら大ラッキー、などと感覚狂った社畜様のお帰りである。

「珍しいね、平日にうちに来るなんて。明日も仕事でしょ? いいの?」

 私の内心いざ知らず、玲治はそう言ってようやくベッドから起き上がった。

 ちらりと私を窺うのは、気だるげな美貌だ。くしゃりと癖のついた髪。いつも眠たげな瞳は挑発的で、それでいて妙にあどけない。寝乱れたシャツからは程よく引き締まった肉体が覗き、これがまた艶めかしいのである。

 だがしかし、見た目だけなら女子垂涎のこの一品。実はとんでもない地雷物権であることを、私はよくよく知っていた。

「レイちゃん、漫画おいて、こっち来て」

「え、ちーちゃん、……なんか怒ってる?」

 ああ怒っているとも。はらわたもすっかり煮えくり返り、やわらかモツ煮込になっているとも。これが腹立たしくなくてなんという。こちとらせっかくいつもより早い帰宅だというのに、玲治なんぞのために時間を割かねばならない事態になったのだ。

 私は息を吸うと、自身の短い髪を軽く掻き上げた。汗を含んだ髪は重たく粘ついて、憂鬱な気持ちを更なる暗黒面へと突き落とす。

 ――ああ腹立たしい。

 このクソ蒸し暑い中、長袖スーツとかいう拷問をマナーとする日本社会において、この男はなにをしていたか? 私が汗水たらして働く日中。同じ年頃の人間はみんな余さず労働に次ぐ労働。夏休みは概念となった昨今の日本にいながら、年がら年中部屋のベッドで寝ころぶこの男は――。

「レイちゃん――玲治。あのさあ、あんた異世界で魔王やってたんだって? ――――こっちでは働きもしないのに?」


 魔王をやっていやがった。


 ○


 私と玲治が出会ったのは、病院の隣り合わせのベッドの上。生まれたてほやほやの状態から対面した。

 首の座らぬ不定型な生き物から始まり、小中高大なぜか同じの腐れ縁。幸か不幸か就職先までは被らなかったが、なんだかんだとついに四半世紀の付き合いとなってしまった。

 二十五年間、不本意ながらも玲治の幼なじみを続けてきた私は痛感している。

 私の幼なじみは、少しおかしい。


「ち、ちーちゃん。魔王って、突然なに言い出すの」

 漫画かゲームのしすぎかな? などと漫画とゲームに埋もれた男がとぼけたように嘯く。やかましい。社会に生きる畜生に娯楽なんぞがあってたまるか。社畜にあるのは会社と、寝るためだけに存在する家。そして家路への道のりのみである。

 なおこの唐突な魔王という発言は、このわずかな道のりより発生したものである。

「さっきそこで勇者さんに会って話を聞かせてもらった」

「ゆ、勇者?」

 訝しさのにじむ苦笑いを浮かべる玲治に、私はくそまじめに頷いた。私としては、冗談を言っているわけでもふざけているわけでもない。強いて言うならまじめに怒っているし、強いて言わなくとも怒っている。

「会社帰り、空から全身銀色で金髪の人が光りながらゆっくり落ちてきて、『私は異世界から来た勇者で、魔王レイジを倒しに来た』って言うわけよ。ねえレイちゃん、この近所で魔王やりそうなレイジって奴、他にいないんだけど」

「いやいやいやちーちゃん! そんな怪しい人の言うこと信じたの!?」

「ここまで怪しいと逆に信じるわ」

「銀色で光って落ちるくらい、誰でもできるよ!? そんな簡単に信じちゃ駄目だよ!」

「できねーよ」

 玲治は未来に生きている。彼の眼には、銀色に輝く人々が安易に落ちてくる世界が見えているのだろう。

 だが、一般人の私にはこれは尋常なことではなかった。なにせワイヤーなしに空から人が降ってきたのだ。ドッキリでもやらない大仕掛けである。

 かくいう私も最初は自分の目のほうを疑った。現代に生きる社畜人として、私も当たり前の常識は持っている。勇者や魔王はゲームの中にのみ存在する話。人は空から滅多に落ちてこないし、落ちてくるならばだいたい重力に逆らわない。超特急の落下は、あ、落ちた。あ、トマト。くらいのスピード感である。

 そこへきて全身光り輝く銀色とあれば、それはもう、疲れた人間に世界が見せる幻覚としか思えない。

 だが、何度目をこすっても、それは空からゆるやかに降ってきていた。やや光ってもいた。なぜだかふわりと私の前に降りてきて、道を尋ねさえもした。

「君、すまないがこの辺りで魔王を見かけなかったか?」

「え、あ、いや……知らねッス……ところでなんで光ってるんですか?」

 そんな会話を交わしてみれば、相手は夜道を照らす光魔法だとか言って、手のひらにポンと光の玉を出してくれた。別に街灯があるから光魔法なんてMP無駄遣いでしかないのだが、私に魔法というものを信じさせるには、十二分の効果があった。

 勇者、これが勇者か。どうしよう会社帰りに勇者来ちゃったよ。タンスの中身空にしておかないと。

「くそ……! 魔王レイジめ、どこに隠れている……! 私の世界を守るため、必ず見つけ出し、討ち取ってやる……!」

 つまり、そういうことだった。


 勇者曰く。

 異世界は危機に瀕していた。

 空は常闇に覆われ、魔物達は凶暴化。草木は枯れ、水は濁り、大地は腐っていくばかり。

 それもこれも、すべては魔王の仕業であった。闇を総べる魔物達の王は、その闇の力でもって世界を手に入れるつもりなのだ。彼は人々から住処を奪い、誇りと尊厳を奪い、そして今まさに、命さえも奪わんとしている。

 だが、そこへ立ちあがったのが勇者である。聖剣を抜いた勇者は、単身魔王城に乗り込み、魔王との最終決戦に挑まんとしていたのだ。

 ところがどっこいしょ。

 魔王城に魔王なし。どこにいるのかと探し回れば玉座の裏に階段が! 降りればそこは異世界へつながる奇妙な穴。魔王の魔力の残り香を追い、勇者はその穴へ後先考えずに飛び込んだのであった。


 その後、私は勇者の話の詳細を聞き、玲治宅へ直行した。切羽詰った異世界の危機におののき戦慄きながら駆け込んでみれば、社畜殺しの熱帯夜もどこ吹く風。冷房の消えることない部屋の中、魔王がベッドに寝転がって漫画を読んでいたのだから怒りもするというものだ。

 むしろ怒鳴らず殴り掛からずの私の我慢強さを褒め称えるべきだと思う。


 ○


 その鬼畜魔王がこちらである。

「い、いやあ、ちーちゃん珍しいね。そそそそそそ、そんなファンタジーな冗談いうなんて。びっくりしちゃったよ」

「こっちもびっくりしたわ。魔王だなんてふざけたこと、玲治がニートになるって宣言した時くらいびっくりしたわ」

「その程度なんだ!?」

 その程度とはなんだ腐れニート。私は冷たい瞳で玲治を睨む。先ほどから私の視線が氷点下を上回らない。

 まったくこいつは、ご両親が長期出張中なのをいいことに、堕落の突き抜けた生活を送りやがって。毎日毎日、真昼間にラインで「今起きたにゃ。ねむみ。。。(pω-)」とか送られてくる私の身にもなってみろ。こっちは仕事中だというのに、気の抜けたメッセージを見るたびに、その顔文字をディスプレイごと叩き割ってやりたくなる。

「ちーちゃんにとって、魔王ってニートと同程度なんだ……あ、いや、べべべ別に俺は魔王じゃないけど」

「ニート以下だけど」

「以下!?」

「当たり前じゃ」

 ニートはギリギリ人間だけど、魔王は人外の迷惑だ。批難の目を玲治に向ければ、彼は目に見えて落胆していた。俯き、口をひき結ぶ今の玲治には、強冷房の風は冷たかろう。

 打ちひしがれる玲治の姿に、魔王らしさはまるでない。どう考えてもただのニートである。何度も何度も真面目に働けと言い続けたにもかかわらず、目先の堕落を追い求めた結果、部屋から一歩も外に出なくなった腐れニートである。


 果たして鬼畜魔王とはなんなのか。熱帯夜が見せた幻だったのではないか。そんな思いを打ち壊すのは、すっかり忘れていた例の勇者様である。


「魔王レイジ! やっと見つけたぞ! 私たちの世界では飽き足らず、この異世界まで侵略するつもりか!」

 冷風(強)の吹きすさぶ部屋の中、夜の近所迷惑もなんのその。些末なことを気にかけず、高らかに声を張り上げて勇者が部屋に乗り込んできた。その手には抜身の剣を持ち、その足は乱暴に部屋の扉を蹴り破っていた。

 破っていた。ドアノブは壊れ、蝶番は外れ、哀れな扉は軋んでいる。おばさんたちになんて説明しよう。なにもかも玲治が悪いと説明しておこう。

 私の扉への心配をよそに、部屋の中央では剣を構えた勇者と漫画を構えた魔王が睨みあっていた。

「魔王め……! 私はお前を倒し、世界に光を取り戻す……!」

 抜身の剣が、勇者に呼応するように輝く。切っ先はまっすぐ魔王もとい玲治に向かっているが、対する玲治はそちらを見もしない。どっちかというとこちらを見ている。

 ちらちらと窺うような視線を何度か私に投げかけた後、玲治はため息をつき、観念したように勇者に顔を向けた。

「こっちの世界まで来られると迷惑なんだけど……」

「貴様の迷惑など知ったことか!」

 勇者は剣を握りしめ、一歩強く足を踏み出す。まさに最終決戦に挑まんとする勇者は凛として、勇ましくも美しい。しかし場所が六畳間のニート部屋とあっては、締まらないものである。部屋に溢れる漫画、ゲーム、つけっぱなしテレビ、勇者。最後の違和感が途方もない。

「貴様のせいで一体どれほどの人間が嘆き苦しんだと思っている!」

「……さあ?」

「とぼけるな! 国を追われ、土地を追われ、爛れた大地をさまよう人間たちのこと、忘れたとは言わせない!」

「いいから早く帰ってほしいんだけどな……」

「貴様ァ―――――!!」

 煽るような魔王こと玲治の声音に、勇者が怒りの咆哮を上げる。同時に剣を振り上げ、憎き仇敵に向かって足を踏み出した。

 その直前。

「人々の苦しみ、思い知れ! 魔王―――――え?」


「まじめな話はちゃんと聞けって小学生のころから言ってるだろうが!」

 私のアッパーカットが魔王ニートの顎を直撃した。


 ○


 玲治はベッドから引きずりおろされ、床の上に正座している。

 その隣で、なぜか勇者も正座をしている。座るのに邪魔そうな、大きな剣は横に置いたようだ。淡く輝く不気味なインテリアとして、六畳一間で異彩を放っている。

「だいたいまじめに話している人に対してその態度はなに。馬鹿にしているのと同じでしょ」

「……はい」

 玲治は俯いたまま、神妙に頷いた。

「…………は、はい」

 なぜか勇者も神妙に頷いた。

「せっかく異世界からここまで玲治に会いに来てくれたんでしょう。それを迷惑だのさっさと帰れだの、私は人としてどうかと思う」

「はい……」

「はい……え、人だったんですか」

 勇者が目を剥いて玲治を見た。たしかに人としてどうかと思うほど非常識な男だが、残念ながら人なのである。あまりの非常識さにたまに私も「これは同じ人類なのか」と思わなくもないし、実際耐え切れずに病院で検査させたこともあったが人間だった。正真正銘のホモサピエンスである。もっとも、異世界人と、この世界の人が同じものであるかどうかは、私にはわからないのだが。

「勇者さんの話を聞く限りだと、異世界にずいぶん迷惑をかけているみたいだね? 親に散々迷惑かけておいて、さらに異世界にまでとは、大きな態度に出たもんじゃない」

「ごめんなさい…………」

「何度も言ったはずだよね。人に迷惑をかけるなって。玲治が裏社会でマフィアの鉄砲玉していた時に、もう二度とするなって言ったよね? 宗教法人立ち上げてカルト教団の教祖になった時に、次はないって言ったよね? 覚えてる?」

 ちなみに鉄砲玉をしていた理由は、「ちょっと不良っぽい方がモテるから」だった。カルト教団を作った理由は、「偉くなればモテるから」だった。

 そしてすべて怒りの右ストレートでねじ伏せた結果、「ちーちゃんはなにをしても怒る!」と泣きながらニートになってしまったのだ。思えばニート宣言の一端は私にあるのかもしれない。

「覚えてます……」

 玲治が青ざめながら頬を撫でた。よし、よく覚えているようだ。

「じゃあ、覚えているのにまたやったわけ? 定職にもつかないで異世界で遊びほうけてたわけ?」

「し、職はあるよ……! ちゃんと魔界で!」

「魔王は職業とは言わない」

 職業とは履歴書に書けるものだけを言うのだ。「経歴:2015年魔王に就職。2016年一身上の都合により退職」と書いて転職活動するつもりか。

「横暴だ! お、俺だって一生懸命働いてたのに……!」

「一生懸命? なにを働いてたって?」

「魔物を人類にけしかけたり、世界の邪気を強めたりです、姉御」

 魔王の隣で勇者が横槍を入れる。姉御って誰のことだ。

「勇者さんの言ってること、本当? なんでそんなことしたの?」

「……え、えっと」

 玲治が目を逸らす。そして歯切れの悪そうな口ぶりで、私を見ないままにしどろもどろと口を開いた。

「異世界の魔物達の……その……健康と発展の……ために……」

「健康ってなんじゃい」

 まったく信用できない玲治の言い分に白い目を向けると、すかさず勇者の告げ口が入った。

「ついでに世界中の城から姫を攫ったり、世界中の美女をはべらしたりもしていましたよ」

「やっぱモテるためじゃねーか」

 私の静かな声に、玲治は全身びくりと震えた。正座をしながら器用なものである。

 顔はこわごわ、目は涙目。全身に怯えがにじみ出ていても、これでも玲治は美男子である。それに、変人ではあるものの、大学までは成績も良かったし、運動神経もかなりのものだった。性格も今より大人しく、むしろ真面目な好幼年から好少年時代をすごしてきた。

 幼小中高と、玲治は普通にしていても十分モテたし、それどころかよりどりみどりのはずだった。なのに、どうしてこんなことをしでかしたのか。

「だ、だって……」

 玲治が震えながら口をもごもごと動かす。言い訳があるなら言ってみろ、と私は腕を組んでふんぞり返った。ニートが異世界で魔王をするための、私が納得できるような理由があれ場聞いてみたいものである。

「だって…………」

 玲治が顔を上げる。私をじっと見つめると、意を決したように唇を噛みしめた。強い瞳に、私は思わず息をのむ。だらしない玲治ばかり見てきたせいか、久しぶりの真面目な表情にぎくりとした。

 ――いつもこの表情で、きちんと就職すればいいのに。

 そうすれば、私もとやかく言ったりはしない。口やかましい幼なじみにがみがみ言われることもなくなれば、きっと玲治の望むまま、いくらでもかわいい女の子にモテただろう。

「だって――――悪くても駄目、偉くても駄目じゃ、悪くて偉くなるしかないじゃないか! 女の子を喜ばせるには!!」

 でも考えることは玲治だった。

 玲治は逆ギレと呼ぶにふさわしい憤りっぷりで立ち上がると、一瞬痺れた足によろめき、それから私をねめつけた。女にモテたい一心の真面目な顔に、返す私の視線は絶対零度の冷たさである。

「普通に就職して、普通に働くのが一番普通の人を喜ばせるんだよ」

「普通じゃ振り向いてくれなかったじゃないか!!」

「は?」

 とぼけた声が口から出る。いったい何が振り向かなかったのか。考える前に、玲治が私の肩を掴んだ。ぎょっとするほど強い力だ。

 顔を上げれば、玲治が目の前にいる。女にモテたいがゆえの真摯な顔は変わらず、しかしどこか苦しげに、眉間にしわを寄せている。

「普通に成績が良くても、普通に運動ができても、クラス委員とか生徒会とかやってみても、普通にがんばってもちーちゃんは振り向いてくれなかった……! 他の女の子が喜ぶことでも、ちーちゃんは気にも止めなかったじゃないか!」

 中高時代。玲治は非の打ちどころがなかった。

 性格は穏やかで、頭脳明晰スポーツ万能とどめに容姿も端麗とくれば、男女を問わず人気者になるのは致し方ない。玲治の周りはいつも人に溢れていて、私はその姿を、遠くから眺めているだけだった。

 仕方ないことだ。私は玲治と違って目立つ人間でもないし、お互い性格も交友関係も違う。玲治が普通にしていたら、彼の周りに人が溢れ、私があぶれてしまうのも仕方ない。

 それでも私は、真面目で人気者の玲治を見るのは、嫌いじゃなかった。

「普通の俺じゃ、ちーちゃんにとってはただの幼なじみと変わらない。それじゃもう、嫌なんだよ! 幼なじみのままなんて耐えられなかったんだ!」

「……玲治」

「だから不良になったんだ! 悪くて偉くなったら、ちーちゃんはこっちを見てくれたから……やっぱりちょっとくらい、刺激のある男じゃないとちーちゃんの心はつかめないんだ……!」

「いや、それは違うだろ」

 そっちを見たのではなく、見かねたのだ。ご両親も海外に長期出張の身とあって、私が更生させなければ玲治がどんどん誤った方向に進んでしまう。すでにどんどん進んだ結果、最深部に到達してしまったような気もするが、最終的に人の道に戻せば大丈夫。

 私はあくまで、玲治にまともな人間になってほしいのだ。だいたい、魔王は私には刺激が強すぎる。

 だが、玲治は私の否定をなにやら厄介な方向に解釈してしまったらしい。

 真顔で否定する私を見たまま、玲治はふらりとよろめいた。ひどくショックを受けたらしく、瞬きを繰り返し、顔を青ざめさせている。

「……魔王でも駄目なの!?」

 魔王「じゃ」駄目だというのだ。

「も、もっと悪く、もっと偉くならないと駄目なのか……!」

「どうしてそっちへ行く!?」

 なにゆえさらなる茨の道を行く。すでに人道を外れて久しい魔王道半ば。さらにはずれる道があるというのだろうか。

「く、くそっ! 魔王の次は――邪神だ! 邪神になってやる!」

「邪神!」

 思わず玲治の言葉を繰り返す。邪神。もうそれ人間辞めちゃってるじゃないか。

「見てろよ、ちーちゃん! 今度こそちーちゃんを振り向かせてやる! 誰よりもすごい男になって、好きにさせてみせるから!」

 強い決意を目に秘めて、玲治は私の肩を離した。不意に強い力が失せ、私は思わずよろめいた。そんな私に、玲治は一瞬だけ微笑みかける。

 と思うと、手のひらを虚空に向け、なにやらぶつぶつと呟きながら円を描く。玲治が虚空に描いた円はなぜだか光り出し、円の内側から冷たい風が吹き抜けた。クーラーの風とは違う、天然ものの風だ。

 ――あ、涼しい。

 そう思ったが最後、円から出る光が玲治を包み込む。「転移魔法です!」と背後で勇者が叫び、ようやく私は玲治が逃げるつもりだと悟った。

「待て玲治! 本気で邪神になるつもりか!」

「ちーちゃん、次に会うときには、ちーちゃんは俺のことが好きでたまらなくなる! 絶対だ!」

「馬鹿な事言ってるんじゃない! 前にカルト教団で一度神様やったのに、ネタが被ってるんだよアホー! せめて今までやってない新しいことをしろ!」

「そう言う問題じゃないと思います、姉御!」

 勇者が正座をしながら叫ぶが、私は聞かず、光に包まれた玲治に手を伸ばす。しかし私の手は玲治を掴むことはなく、ただ虚空を掻くだけだった。まるで玲治は光のホログラムのようにそこに居ながら実体がない。

「待ってて、ちーちゃん。必ず君を迎えに行くから」

 はっとするほど真摯な瞳で、玲治は私に頷きかけた。

 それを最後に、光はひときわ眩く輝き、六畳一間を埋め尽くし――――。


 眩しさに目を閉じたその一瞬の隙に、光は玲治ごと掻き消えていた。


 ○


 何もかもが夢だったみたいだ。

 玲治のいない部屋の中で、私は立ち尽くしていた。眩い光の痕跡はない。漫画もつけっぱなしのゲームもそのまま。ただ、部屋に玲治がいないだけだ。

「あ、姉御……」

 だが、勇者は未だここにいる。あれは夢ではなく、紛れもなく現実だった。玲治は邪神になるために、どこかへ行ってしまったのだ。

 私は息を吸い込んだ。人工的な冷房の空気が肺に充ち、熱を持った体を冷ます。

 そして一息に空気を吐き出すと、静かに口を開いた。

「…………勇者さん」

「は、はい! なんでしょう」

 勇者は未だ正座をしていた。

「勇者さん、転移魔法は使えます?」

「え、あ、はい。一応」

「わかりました。ちょっと待っててください」

 勇者の返答に頷くと、私はスーツの胸ポケットから携帯を取り出した。時刻を見ればすでに深夜零時過ぎ。せっかく早く帰れたのに、まったく余計なことに時間を使ってしまった。ため息をつきつつ、番号を押す。ワンコール、すぐに電話はつながった。

「あ、課長ですか? すみません、明日から三日間会社休みます。え? 理由? 弔休ですよ。叔母が急に亡くなりましてね」

 電話の相手は私の上司だ。さすがは課長、この時間まで余裕で働く社畜の鏡である。今日の帰宅は零時くらいだろうか。

「前も同じ理由で休んだだろって? 叔母さんが続けて亡くなることくらいあるんですよ。あ? 五回目? お前何人叔母がいるんだって? 五ツ子ですよ五ツ子。なんですか、それとも五人の叔母がいちゃいけないって言うんですか? ――はい、はい。じゃあ休みますね。よろしくお願いします」

 片手で通話終了ボタンを押すと、私は顔を上げて勇者に向き直った。不安そうな目をする勇者に、私は短く呼びかける。

「行きますよ」

「え、ど、どこへ……」

「玲治のところですよ。あのアホ、どこまでも人様に迷惑をかけやがって!」

 怒りを込めて携帯を握れば、みしりとイケナイ音がする。まるで、部下から唐突な休暇連絡を受けた課長が上げた悲鳴のようだ。横では勇者が、部下に電話をブツ切りされた課長のようにしょんぼりとした顔で、「わ、私もですか……?」とささやいている。当たり前だ。足がなければ玲治を追いかけられないのだから。

 観念したように、勇者は剣を持ち上げて、転移魔法の詠唱を始めた。彼が虚空に円を描くと、見覚えのある光の輪が現れる。

 私は光の輪をにらみ、すりつぶしたような怒りを口から吐き出した。

「――――なにが『ただの幼なじみじゃ嫌』だ」

 ただの幼なじみのために、どうしてマフィアの事務所に乗り込むものか。信者をかき分け、カルト教団の本拠地に挑むものか。五回も会社をずる休みして、震える足をたたきのめし、恐怖も外聞も投げ捨てて、玲治のもとに駆けつけたりなどするものか。

 私は玲治と違って普通の人間だ。特別な才能も能力もない。玲治の居場所ははるか遠くて、いつだって、逃げ出したいほど恐ろしい。それでも放っておけず、道を踏み外す玲治を追いかける理由を、玲治は考えたことがあるのだろうか。

 馬鹿な真似をする玲治を引きずり出すたびに、私は同じことを繰り返し言い聞かせた。人様に迷惑をかけるな、普通でいいんだ、と。

 ――普通でいいのだ。

 悪くなくてもいい。偉くなくてもいい。世界一すごい男になんてならなくてもいい。

 ただ普通に働いて、普通に生活して――――普通に、その言葉を言ってくれるだけで。


 私は唇を噛みしめると、深く息を吸い込んだ。玲治が消えた時と同じ冷気が、私の肺に流れ込む。いつしか淡い光の円は、まばゆい光となって六畳一間を照らし出す。

 異世界、魔王、勇者に邪神。常識外れの世界は、怖くて怖くて仕方がない。だけど玲治がそこにいるなら、私は必ず連れ帰す。

 そして――――。

「今度こそ真人間にしてやる! 待ってろアホ(玲治)――――!!」




おわり

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― 新着の感想 ―
[良い点] 有能なアホは厄介ですね! けど素敵なラブストーリーです! 姐御、かっこいい!
[良い点] すごく面白くて定期的に読みたくなります!! 途中でちーちゃんはだって~で、 予測ついたものの、天才肌の人パネェなぁ! と読み進めてワクワクしました!! ちーちゃんと玲治くっついて欲しいなぁ…
[良い点] 適度に改行してあるので読みやすく、何より内容が面白い! 5人の叔母さん......。 [気になる点] ストーリー上仕方ないかもだけど、ちーちゃんがレイちゃんを何だかんだで好きだっていう話の…
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