坩堝通り1
交易都市ノットリードに訪れて二日目の朝。
私は頬に当たる何かの感触で目を覚ます。
払いのけても何度も触れてきた毛皮っぽいものの正体は、猫の尻尾だった。
私の枕元に、いつの間にか帰宅していたパリューグが大股開きで寝ていた。
人型だったら目も当てられないところだったが、猫の姿なのでセーフである。
いや、どっちにしてもアウトかな?
とりあえず、上から適当な布をかけておいた。
寝相につっこみたいのが本音だが、お疲れだろうし我慢する。
「にゃー……天使の長として、毎年の聖天使の祝日における……イケメン奉納舞踊を要求するわー……にゃーん」
「いや、それはどうなの」
おっと、思わず寝言につっこんでしまった。
パリューグは前肢で顔をこすりながら起床する。
「あら、おはよう、エーリカ。今日は早いのね」
「おはよう、パリューグ。たまたま目が覚めちゃったのよ」
あえて尻尾のことや寝言には触れず、スルーしておく。
身を起こし、お行儀よく私の足元に寝ているティルナノグにも挨拶だ。
「おはよう、ティルも起きられそう?」
『ん……うむ、俺はいつでも問題ないぞ』
まだ侍女が朝食を持ってくるまで時間はありそうだ。
昨晩の調査結果報告をパリューグにしてもらうことにしよう。
「昨晩はどうだったのかしら、パリューグ」
天蓋付きのベッドから降りて、備え付けの書き物机へ移動する。
ぱらりとまとめ用の手帳を開き、羽ペンとインクを用意する。
「エーリカの買ってきた本に書いてあった巡礼先に行って来たわ」
『たしかヴァルナリス河の別の支流の辺りだったな』
「……面白い結果だったわ。昨晩回ったのは三つほどなんだけどね」
面白いと言う割りにパリューグは面白く無さそうな声色だ。
わずかな苛立ちと怒りが聞き取れる。
「聖なる主とその御使いの祭壇があったんだけどね。
信者の詣でる表層部分はそれはもう美しく保たれていた」
「表層部分?」
「霊的な力を供物として捧げるための真の祭壇は下層部に隠蔽されているの」
「へえ、そうなんだ」
「その大事な真の祭壇が一見普通なようでいて祭式が歪められて偽装されていたの」
これは予想外の情報だ。
もともとは祭壇の重要性が下がって破棄されたりしていないかの確認だったのに。
「集めた霊的な力は海に撒かれていたわ」
「そんなことして大丈夫なの!?」
「さあねえ……でも海洋生物、とくに魔獣の類には変化があるでしょうね」
私とパリューグのやり取りをしばらく黙って聞いていたティルナノグが口を開いた。
『魔獣か。そう言えば俺は例の店主にこんなことを聞いたぞ。
ここ三年くらいノットリード周辺の近海で大蛸被害が増えているそうだ』
薮を突いて蛇をだした予感。
なんだこれ。
「へ〜〜ええ。ほんと楽しい話ね」
ぜんぜん楽しくなさそうにパリューグが言う。
まあ当然だろうなあ。
例えるならばみかじめ料が上納されずに、適当に捨てられてた訳だし。
「あとはおそらく地元の神代わりだった幻獣の祠もあったけど全て機能は停止していたわ。
こっちは数百年以上前に幻獣含めてきちんと滅びたみたい」
「そちらの方は今のところ安全な訳なのね」
私は昨晩リストアップした巡礼者のための寺院リストを開く。
その横にチェックボックスを急いで書き入れる。
「昨晩は、ここよね」
各寺院に「偽装の有無」と「幻獣」の二種類のチェックを入れるためだ。
「偽装の件は、あとでイグニシアの教会に連絡して修理してもらわないとよね」
「そうしてもらうと、妾も助かるわ」
そのような話を続けていたら、ノックの音が聞こえた。
侍女が朝食を持ってやってきたみたい。
昨晩確認した予定をもう一度復唱してから、朝食をとる。
着替えを終えて侍女が去った段階で、パリューグとの入れ替わりだ。
☆
昨日と同様の手順で、〈水の宮殿〉を抜け出す。
黒尽くめの怪人ティルナノグと手を繋いで人ごみの中へ紛れる。
「杖の受け取りが主な目的だけど、ハロルドとギルベルトさんに会ったり出来ると良いわね」
『うむ、そうだな』
豪華な箱馬車とすれ違った後に〈百貨の街〉へ向おうと歩を進めると、背後から呼び止められた。
「おーい! もしかして、エーリカじゃないか!?」
聞き覚えのある声。
振り向くと箱馬車から少年が手を振ってきた。
金髪の少年は、ひょいっと馬車から降りるとこちらへ近付いてくる。
少年は深紅の袖なし外套を羽織って、三匹の竜を引き連れていた。
三匹の竜の色は、それぞれ金と白と赤だ。
「オーギュスト様! お久しぶりになります。その子たちが孵化した子なんですね!?」
「ああ、赤いのがブライアで白いのがブランベルだ」
「良かったですね、おめでとうございます」
オーギュストは本当に嬉しそうに微笑んだ。
竜の孵化が成功していたことが、私も自分のことのように嬉しい。
オーギュストの肩にいた金竜ゴールドベリが、ティルナノグの顔を覗き込んで、ぱっと明るい顔になった。
これは正体がバレている?
オーギュストに気づかれたらどうしよう。
そう思っていたら、ゴールドベリはオーギュストの肩の上で、跳躍寸前の姿勢のまま踏み止まった。
彼女は私とティルナノグの顔を交互に覗き込みながら、悩んでいるように見える。
あ、表情とか空気とか読んでるんだ。
お姉さんになったせいなのか、前に会った時より賢くなっているらしい。
ゴールドベリの様子を見て、ティルナノグがそっと彼女の前に手を差し出す。
嬉しそうな顔のゴールドベリが腕の上に飛び乗ると、ティルナノグは彼女を頭の上に乗せてあげた。
「キュゥ……」
『ふむ。話に聞く通り、お嬢様の作ったゴーレムが好きらしいな』
ゴールドベリはティルナノグの頭の上でご満悦そうだ。
ティルナノグはその様子を見て、ぽつりと呟く。
この方向性でミスリードするつもりらしい。
私はティルナノグとアイコンタクトしながら頷き合う。
「そっちはお付きの人かな? へえ、これってエーリカの作ったゴーレム義肢なのか?」
「はい、私の使用人です。
事故にあって体の幾つかをゴーレム化しておりますが身辺警護には十分の実力者なのですよ」
『うむ。俺は一度は死んだ身だが、エーリカお嬢様に命を助けられた。
それ以来、俺はエーリカお嬢様の守護者であることを存在意義としている』
完全人型ゴーレムや人工生命体は違法だからね。
面の皮の厚さ二割増しで、さらりと嘘をついておく。
ティルナノグがそこへ更に嘘ではないけれど誤解しやすそうな言葉を上乗せしていく。
気がつけば、いつの間にか赤と白の二匹が私の目の前でパタパタとホバリングを始めていた。
円らで澄んだ瞳が興味津々な様子で私達を見つめている。
二匹とも宝石のようにキラキラした瞳で、とても美しい。
「初めましてになるね。よろしく、ブランベルとブライア」
「ほーら、ちゃんとよろしくするんだ、二匹とも」
「クゥ……」
「キュ〜! キュ〜〜!」
赤竜ブライアと白竜ブランベルはぺこりと私に頭を下げた。
鳴き声に微妙な性格の違いを感じる。
赤い鱗に満礬柘榴石の色の瞳のブライアは控えめでおとなしい性格。
白い鱗に紅玉の色の瞳のブランベルが活発で元気な子なんだろうな。
「うわ、うわああ、可愛い! 仔竜かわいいですよ、オーギュスト様……!!」
「だろー?」
小型竜であるゴールドベリのすっきりしたスタイルの良さとは異なり、ぽてっとした質量感。
この「これからおっきくなるんです」って雰囲気の体の作りが愛らしい。
「よろしくね、ブライアとブランベル」
私は仔竜の足場になるように腕を差し出すと、ブランベルがささっと乗って来た。
この子のほうが動きが素早いんだな。
「キュウ!」
「ク〜……」
乗り遅れたブライアが余りにも悲しそうな顔をしたので、私はブランベルを頭の上に乗せてから、ブライアを呼ぶ。
するとブライアはおずおずと私の腕の中に飛び込んできた。
その様子を見ていたオーギュストが感心したような声を上げる。
「へー、もう懐いたのか」
「いい子達ですね」
私は仔竜の滑らかな鱗の感触を堪能しながら、オーギュストに質問をした。
「そういえばオーギュスト様も進水式のためにノットリードにいらしたのですか?」
「ああ、父上の代わりだよ。昨日の夕方に辿り着いたばかりだけどな」
「昨日ですか。あれ、イグニシアの他の方々はいかがなされたんです?」
そういえば、旧型空母でイグニシアの貴族が到着するのは今日だったはずだ。
早めにノットリードに到着したんだろうか?
「たしか今日の昼過ぎに旧型の空母で来るらしいよ。
私はリーンデースで調べごとをしてからヴァルナリス河経由で来たんだ」
なるほど、オーギュストは別ルートだったわけか。
リーンデースはヴァルナリスの上流にあるから、そこから河を下ってきた訳だね。
「それで折角のノットリードだから育児用品でも買いに出かけようとしたら」
「私を見つけたのですね」
「お前も買物のため抜け出してきたっぽいな。おっと、ダメだぜ、ブランベル」
やんちゃなブランベルが私の髪の毛を口で引っ張り始めたのでオーギュストが抱え上げる。
「ええ、私も錬金術の道具を少々買い揃えようとしておりました」
「そっか、よし、立ち話もなんだから目的地まで馬車で送って行くのはどうかな?」
「ありがとうございます、オーギュスト様」
せっかくなのでお誘いに乗る。
船で運河をゆくのも捨てがたいけど、積もる話もあるし密閉空間のほうがいいからね。