入学式2
生徒会に先導されてやってきたのは、五十メートル四方くらいの石造りの部屋だった。
その部屋は吹き抜けの二階建て構造になっていて、私たちが出てきた入り口は二階の高さにあった。
一階には黒い石でできた床以外には何もない。
二階はぐるりと壁際を一周する狭い通路と、入り口から部屋の中央を横切って反対側まで続く通路でできていた。
二階部分が「日」の字のようになっていること以外は、学校の体育館に似た造りだ。
通路の四隅には犢皮紙の束とペンを持った学園の職員が立っていた。
生徒会や監督生の一部は、新入生が部屋の外周に並ぶように誘導すると、職員の補助に加わる。
紙だけでなく、記録化石などの魔法道具も記録に使用するようだ。
新入生たちの列が通路を一周するのを待って、ブラドは中央の通路の真ん中まで進んでいく。
よく見ると、中央付近だけ手すりが途切れているようだった。
ブラドが長杖をかざし、数語の呪文を詠唱すると、空中に白色の薄い膜のような魔法陣が固定される。
あれは何度か見たことがある。軟着陸の魔法陣だ。
「君たちのうち何割かは、既に自分の持つ能力の特性を何らかの方法で判定したことがあるはずだ」
ブラドはそう切り出すと、ぐるりと生徒たちを見回す。
「例えば〈幻視の水盤〉〈虹の革紐〉〈夢占の香炉〉、そして〈レウクロコタのくるぶし骨〉。これらを総合的にまとめたものが〈審判の間〉だと言えるだろう」
〈虹の革紐〉か。
私は六年前のノットリードでの出来事を思い出した。
あれは錬金術師の阻害値だけを測るための道具だった。
他のアイテムも魔法使いや魔獣使いがその力量を測るための道具だと聞いたことだけはある。
この〈審判の間〉ではどのように魔力を測るのだろうか。
「この〈審判の間〉では模様が現れる。魔法使いの家系なら古代魔法を思い出すだろうが、ここでの模様は、個人の魔力特性を表すものだ。さて、これだけでは何のことやら分かるまい。君たちの先輩に手本を見せてもらおう。オーギュスト、こちらへ」
ブラドが呼びかけると、オーギュストが中央の通路に進み出る。
オーギュストが魔法陣の上に飛び降りると、羽根のような形状の光が彼を取り巻いた。
彼の体はゆっくりと下降し、黒い床の上に安全に着地する。
その瞬間に、オーギュストの足元から光が溢れた。
光は複雑に絡み合いながら黒い床の上を広がっていく。
揺らめいていた光はやがて安定し、次第に細密な模様を描き始めた。
数本の光の線が部屋の四隅に向かって伸び、対角線で四つに区画する。
それぞれの区画は更に小さな幾何学図形の集合によって分割されていた。
図形の中には竜に似た翼を持つ生物の模様や、花のように編まれた組紐、螺旋の模様が描かれている。
一番内側の四つの大きな四角形の中には、伝令の島の祭壇に描かれていた四体の大天使に似た模様が現れていた。
「……綺麗」
誰かが思わず呟くのが聞こえた。
まるで一枚の優美で荘厳な宗教画のような図柄に、生徒たちは息を呑んで魅入っていた。
「非常にバランスが良い模様だ。内部魔力生成量が安定して高く、変換能力の鍛錬も怠っていないことが見て取れる」
なるほど。
内部魔力の生成量や、外部魔力から内部魔力への変換能力がこの絵をみると分かるのか。
さっき〈虹の革紐〉についても言及してたし阻害値も分かるんだろうな。
ブラドの解説を聞いて、改めて床の模様を観察してみる。
オーギュストの能力は精神感応だ。
たぶん一番広い面積を占めている天使や竜の模様がそれにあたるのだろう。
「私は新入生からもオーギュストのように鍛え甲斐のある生徒が現れることを期待している」
そう言って、ちらりとブラドは誰かを見つめたような気がした。
その方向にいるのは、クロエやベアトリスなどの王の学徒たちだ。
「……とは言え、これほど高水準の素養を持った生徒は、そうそう現れるものではないがね」
ブラドは言葉を締めくくるとともに、一瞬こちらを睨んだ。
私は思わず姿勢を正す。
なんでこのタイミングでこっちを見るんだろう。
ブラドはオーギュストに浮遊をかけて二階に戻す。
オーギュストが床から離れると同時に、床を覆っていた模様は光の粒子になって消えていく。
「それではもう一人、対照的な模様を見てもらうとしよう。クラウス、こちらへ」
「いいだろう。しかし俺には軟着陸や浮遊の呪文の必要はない」
生徒会の中からクラウスが進み出る。
彼はそのまま手すりを飛び越え、ふわりと床に着地した。
きっと予め飛行系の魔法を使っておいたのだろう。
クラウスは部屋の中央に向かってゆっくりと歩いていく。
その一歩ごとに、輝きの奔流と言っていいほどの光が溢れ出している。
彼が所定の位置についたとき、既に床全体が光に包まれているかのように見えた。
次第に光が模様の形に集束していく。
クラウスの立っている場所に組紐で装飾された円が描かれる。
そこから四方に直線が伸び、また円を描く。そして更に直線、円──
区画された図形の中にも、小さい直線と円の模様や、組紐による複雑な模様が描かれていく。
模様が部屋の端まで達しても、模様の増殖は終わらなかった。
壁によって阻まれた魔力の流れは再び内側に戻り、小さい模様の中に更に入れ子構造の模様を作っていく。
やがて模様の内側に魔力の逃げ場がなくなると、壁際でバチバチと火花が散り始めた。
あれ? 何だか組紐の模様が壁にまで浮かんでいるような気がする。
しかし、壁に描かれた模様は高さ十センチくらいで停止した。
黒石の床がもっと広かったら、あるいは壁も同じ材質だったら、どこまで拡大してしまうんだろう。
見下ろす新入生たちは、クラウスの描き出した模様の威容に息を呑んだ。
華美さはないものの、緻密さと迫力で見る者を圧倒してくる。
クラウスは外部魔力を内部魔力に変換する機能が高いはずだ。
おそらくは組紐の部分がその機能を表しているのだろう。
「ハーファン公爵家の息子ならば当然だ、と思った者もいるだろう」
鋭く響いたブラドの声に、新入生たちははっとして顔を上げる。
ブラドは眼鏡のブリッジを押し上げ、一呼吸置いて続けた。
「しかし、これは才能によるものではなく純粋な鍛錬の成果だ。全ての者に門は開かれているが、そこを通れる者は少ない。己を信じ、絶え間なく努力を続けることができた者だけが辿り着ける領域と言えよう。新入生のうち魔法を志す者は、これを一つの目標にするのも良い」
ブラドの説明が終わると、とクラウスは二階へ戻っていた。
「このように〈審判の間〉は対象の素養をほぼそのまま映し出す。君たちは在学中に何度もこの部屋に足を運び、成長をその目で確認するとともに、自己に内在する秘蹟と対話し続けることになるだろう」
ブラドは一度言葉を切り、生徒たちを見回した。
「さて、前置きは以上だ。これより新入生の魔力審判を行う。まずは王の学徒からだ」
いつの間にか監督生たちが列誘導を始めていた。
その順番を見るかぎり、王の学徒、東、西、北、南の順番になりそうだ。
王の学徒の列の先頭に誘導されてしまったベアトリスがなんだか緊張のあまり震えていた。
そんな彼女を鋭く細めた目で睨むように一瞥し、ブラドは告げた。
「ベアトリス・グラウ。早く一階に降りなさい」
「は、はいっ!」
ベアトリスは魔法陣を通らず、慌てて飛行系の魔法を使って降下していった。
その表情はなんだか怖がっているみたいだった。
まあ、ブラドの顔は至近距離で見たら怖そうだよね。
ベアトリスが着地すると、まず出てきたのは組紐型の光だ。
組紐は薔薇の花のような形に絡まると、そこから四方に蔦のように伸び、また同様の花を咲かせる。
それの繰り返しで、部屋の七割くらいの面積が組紐の薔薇で埋まった。
よく見ると、花の一部が螺旋の模様で置き換わっている。
全体的に素朴で優しい雰囲気の模様だ。
「平民なんてあんなものよね……」
そんなつぶやきと露骨なくすくす笑いが黒髪の人達から聞こえた。
確かにオーギュストとかクラウスに比べると規模は小さいけど、アレと比べちゃ行けないと思うんだ。
あの人たちは存在がチートだから。
わずかに気落ちしたようなベアトリスだったが、ブラドが何かを囁くとその表情が明るく変わった。
何かフォローかアドバイスがあったみたいだね。
厳しいらしいけど、ブラドは良い先生っぽい気がするな。
それから次々と他の魔法使い志望の子たちも挑戦するが、ベアトリスより遥かに小さくて部屋全体の三割くらい。
おや、むしろ、ベアトリスは十分に優秀なのでは?
やっぱり最初のお手本二人が破格なだけじゃないだろうか。
何人かの王の学徒の後に、クロエの番になった。
「クロエ・クロアキナ、待ちなさい。君は北方出身だったな」
「はい」
「何か雪銀鉱の装身具を持っていたら置いていきなさい。能力を正常に測れなくなるのでね」
「では、これをお願いしますね」
クロエはブラドに首飾りを渡す。
それは樹状六角形の雪の結晶を模した首飾りだった。
ブラドはそれを魔法道具らしい布に包んでローブのポケットに入れた。
ブラドがクロエを床に下ろすと、足元から、八方に小さな螺旋の模様が現れた。
その外側を絡み合った組紐が一周取り巻くと、組紐の上を走るように狼を思わせる獣の模様が描かれる。
獣の模様の外側には更に組紐の円、そして円にぴったり接する正方形の区画。
正方形の区画の外側には細長い長方形の区画が現れ、その中にもたくさんの狼が躍っていた。
細長い長方形の区画はどんどん外側に作られ、模様が拡大していく。
クロエの模様は壁から一メートルほどの空白を残し、床のほとんどを覆ってしまった。
拡大が停止すると、荊のように絡み合った組紐や、小さな渦巻が現れて模様の隙間を埋めていく。
たしかクロエは医術師志望だったはずだから、治癒能力が使えるはずだ。
おそらく狼の模様が北の異能なんだろうな。
これまでの感じからすると、動物や魔獣の模様が内部魔力生成量を表しているんだろう。
王の学徒の次は東寮が順々に審判を行っていく。
七割くらいの大きさの生徒も一人か二人はいたけれど、五割以下が大半だった。
なかなか厳しい結果に、何人かうなだれている生徒もいる。
やっと東寮が終わり、次は西寮だ。
何人か見ていたけれど、錬金術を表す模様がどれなのかよく分からないままだ。
そんなことを考えているうちに、ハロルドの番になった。
「ハロルド・ニーベルハイム」
しばらく見ない間に、ハロルドは更に背が高くなっていた。
もうクラウスやオーギュストより大きいんじゃないかな。
顔立ちも大人っぽくなっていて、体つきもゴツゴツして男らしい。
新入生の中でも群を抜いた長身に、ポニーテールにした燃えるような赤い髪、暗い色合いの緑色の目。
頬に灼き付いた十文字の傷は、故郷を救った彼の勲章だ。
外見こそ原作ゲームのハロルドと同じだ。
本来ならば、ハロルドは斜に構えた冷笑的なアウトロー然とした人物になっていたはずだった。
だけど今の彼は陽気なお調子者で、下町育ちの杖屋の小倅のままなのだ。
ハロルドは少しも緊張していないような気安さで、ひょいと一階に飛び降りた。
その足元から伸びた光は、直線の姿をとり、整然と区画された四角形の集合を作った。
四角形が部屋の八割程度を覆った後、そのうちの二割程度が組紐によって敷き詰められる。
しかし、そこまでだ。
ハロルドの模様はその広さに反して、異常なほどに空白が多い。
更によく見ると、他の新入生には必ず数個は描かれていた渦巻模様がたったの一つもない。
その欠落が、いかにもハロルドらしさを表しているような気がした。
きっと渦巻は阻害値に相当するものなんじゃないだろうか。
「本当にあれで錬金術師なのかよ……」
そんな呟きが周囲から聞こえてきた。
ハロルドは西寮の生徒たちの困惑顔を見上げながら、どこか楽しそうな笑みを浮かべていた。
他人と違う事に慣れているハロルドの心は、もはやこの程度のことでは揺るぎもしないのだろう。
あれ? そうすると、ハロルドと逆に、私は渦巻が異常発生するのかな。
あまり変な結果にならないといいな。
私はハロルドほど鋼メンタルじゃないしね。
「エーリカ・アウレリア」
ああ、遂に私の番か。
私は返事をして、床に降りかける。
その時、ふと、ブラドのローブの裾からコウモリの羽根のようなものがチラリと見えた。
「どうしたのだね。エーリカ・アウレリア」
「いえ、何でもありません」
動きを止めた私に、ブラドは怪訝そうな表情をする。
あれはブラドの使い魔なのかな?
そんなことを心の隅に留め置いて、私は魔法陣を突き抜けて飛び降りる。
私が黒い床に触れた瞬間、足元にさざ波が立ったかのような錯覚を覚えた。
一瞬、黒い床にたくさんの光の点が現れる。
まるで星空のようだと思った瞬間、その星々は別の模様によって掻き消された。
私の足元から発生した無数の渦巻は、あっと言う間に〈審判の間〉全体を覆っていた。
螺旋の波は壁によって押し返され、波しぶきのような光の粒子が散る。
クラウスの時のように、壁にもわずかに模様が現れていた。
荒れ狂う渦は、そこから次々に小さな渦を発生させ、少しの隙間もなく埋め尽くそうとする。
その合間を縫うように組紐が伸び、ところどころで結び目を作った。
何となく想定内だ。まさかクラウスみたいな異常反応が発生するとは思ってなかったけど。
そんなことを考えていると、不意に新入生たちがざわつき始める。
喧噪の中から誰かの「怖い」という呟きが聞こえてきたような気がした。
(確かにちょっとおかしいけど、何が怖いんだろう?)
見回した私は、気づいてしまった。
そこに描かれていたのは、螺旋と組紐だけではなかった。
それは、巨大な怪物の模様の断片だった。
無数の螺旋を荒れ狂う海に見立てると、その波の狭間から水底に潜む巨大海獣の影が見えている。
そんないかにも凶悪そうな、禍々しい模様が描き出されていた。
私自身もちょっと怖いなと思ったし、怯えられるのも無理はないかな。
それにしても、今回と言い〈虹の革紐〉の時と言い、私の測定結果ってどれだけ荒ぶってるの?
そんなことを考えているうちに、ブラドの浮遊の呪文で二階まで浮上していた。
ブラドは目を鋭く細め、私のほうを睨むように見つめている。
おお、私も何かアドバイスを貰えるのだろうか。
「くれぐれも慢心せぬことだ。その力、使い方次第では災いをもたらすこともあるだろう」
ブラドはそんな忠告をぽつりと呟き、すぐに次の生徒の名を呼んだ。
なんだか不吉な言い方だけど、心配してくれてるみたいだ。
やっぱり見た目は怖いが、良い先生なんだろうな。