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蒼穹にあるもの
作:灯夜


 高度五千メートルの空は青く、防護服を貫く寒さは人々の侵入を拒む様であった。その空を、数十機の零戦からなる編隊が流れる様に進んでゆく。胴体の鮮やかな朱に染められた日の丸、伸ばされた両翼が緩やかに雲を引いていた。

 発動機のたてる轟音に、叩き付ける様な乾いた金属音が混じる。
(燃料の質が悪い)
 恐らく、発動機内での不完全燃焼が起こっている。
 ミッドウェー以降急速に悪化していく戦況は、あらゆる面に影響を及ぼしていた。整備もままならず耐用限界を超えて酷使される機体、質の落ちた燃料、下がる航空機の稼働率、補給線はすでに延びきっていた。そもそも今回のスピンガン進駐にしても、本来は雷電が支給されるはずが、数が揃わずに零戦五二型に変更となっていた。
「ま、零戦に不満は無いんだが……な」
 前方の一番機が翼を振っている、パリクパパン油田防衛の要、スピンガンの滑走路発見のバンクだ。降下速度に注意しながら、着陸態勢に入る。今回の任務は油田防衛、少なくとも燃料の質は向上するはず。後は雷電がどれだけ早く到着するか。
(敵の来襲前に、十分な訓練が出来るかが鍵だな)
 十分に高度が下がったのを確認し、減速しながら車輪を出す。
 待ち受けていた南方の太陽は力強く輝き、風防を開ければ熱い風が流れていった。

 スピンガン到着後しばらくは、比較的静かなものだった。敵は通商破壊を中心に活動し、輸送船団を狙ってくる。海上の助っ人に出撃しても、敵はすでに撤退後の到着。基地へも偵察任務のB−24と護衛機が数度飛来しただけ。会戦する間も無く、敵は飛来し撤退していく。
 本格的な戦闘が出来なかった事からも、機体の高々度上昇性能、最高速度がまるで足りていないのは明らかだった。
 そんなまどろっこしい日々が過ぎ、やっと雷電が空輸され。やけに長い整備期間を置いた後、やっと搭乗訓練が始まった。搭乗員割の掲示板の前にたむろする人垣を押しのけて、前に進む。白いチョークで、搭乗機体の横に名前が書いてあった。
 俺は、午後からの飛行予定。飛行は胃に物が入っていると良くない、かなり早めに昼食を取り、しばらく時間を潰してからのんびりと移動するつもりだ。それに、上手くすれば先の連中から少しは情報が入るかもしれない、そんな風に少しのんびりと考えていた。
 昼食を終えてしばらくたった頃、飛行終了時刻よりだいぶ早いが、食堂に第一陣の連中が暗い顔で入って来た。口々に酷い機体だと喚いているのが、離れて座っている俺の所まで聞こえてくる。
「とにかく振動が酷い、まるでそのまま空中分解していく様だった」
「上昇速度なんてわからねえって、そんな余裕なんてなかったよ、本当に」
「新兵器なんかじゃないよ、あれは」
 俺は、男が不平不満を言うのはみっともないと思っている。
 何が悪いとかじゃなく、だったらこうすればいいという発想がなぜ出来ないのか。
(人員の質も下がった)
 零戦もそうであるが、帝国海軍の飛行機はとにかく被弾に弱い。防弾装備の実用化は、発動機の出力不足等と重なり大分遅れている。失われていく人的被害は、補いようが無い。
 これ以上は聞くに忍びなかった。
 予定時刻よりかなり早いが、俺は食堂を後にし、滑走路へと向かう。

「搭乗確認」
 尾翼動作滑走路に順に並んだ機体、自身の鼓動がやけに大きく頭に響く。
(余計な事を、大声で騒ぎあがって)
「尾翼動作確認」
 いつもそう、こうした始まりの瞬間は嫌で嫌で仕方がない。
「回せ!」
 整備兵がは発動機を始動させ、気体から離れる。回り始めるプロペラ。
「?」
 発動音の割に、揺れが酷い。
(ま、少し振動が強いが、さっき聞いた程じゃない)
 腕の悪いやつらだと悪態をついている心の中、少しの安心と油断が生まれていた。
「一番機発進せよ」
 滑走路の先頭の機体から順に、速度を上げて離陸していく。
 俺も速度を上げていき、十分に加速したのを確認してから操縦桿を引いた。
 刹那に浮かび上がる機体。
「何だ! これは」
(発動機? いや……違う! 機体全体がひどい振動だ)
 操縦桿も、座席からも直に響いてくる振動。翼がぶれて、軌道が安定しない。離陸前の違和感はこれだったのだ。地面というある種の安定板を失い、機体の全てが不気味に震えている。機体の軸か重心に、不具合があるのは明らかだ。
「クソッ! このポンコツが!」
 腹いせにぶっ叩いても、治りはしない。離陸後も上昇をかけ続け、現在高度は五千メートル、予定の一万メートルまで昇れる気なんてしない。むしろ、空中分解が起こる確率が高そうだ。
「各機……ザ、ザザッ……えるか?」
(聞こえてねえって)
 心の中で突っ込みながらも、命令が不明な以上、予定通りの飛行を続けるしかない。
(上昇角、約45°)
 とりあえず、上昇性能を試さないことには始まらない。攻撃目標のB−24は高々度から飛来するのだから。
 搭乗員に支給されている防寒着は、発動機に繋げ電気抵抗を利用して温める機能がついている。それでも、上昇する程に低下していく気温を補い切るのは不可能だった。
 そんな悪条件の中、前方に広がる雲への反応が遅れた、振動が邪魔で操縦がおそろしく難しい。回避する余裕はない。
 だから、突っ切るのみ。
「まだだ、まだ九千メートル」
 風防の一部に、霜が付いているのが見える。残りの千メートルが、やけに遠く感じる。操縦桿が重い。投げ出されそうな振動に、体の節々が痛む。
 それでも、まだ届かない。
「ただ、俺は見たいんだ。その果てを」

 光が再び溢れた一瞬、全てから開放されて身一つで空を飛んでいる気がした。

 雲を突き抜けた高度一万メートルの空は、とても黒い蒼で、さらに深遠な空を湛えていた。
 幻の様な時間の後、急速に引き戻される不快な操縦席。
(速度が出ていない)
 速度計を見れば、報告を受けていた規定速度を大きく下回っている。
 とりあえず今は、もう機体も自分も限界だ。今回の飛行訓練で行う事は、残すところ機銃の試射だけ。
「さっさと済ませて帰るか」
 そう思った矢先、また現れる問題点に、もはや笑いさえこみ上げてくる。機銃の弾道が不規則なのだ。軸からずれているという問題ではない、二基の弐拾ミリ機銃の片方が放物線を描きながら下方にずれ、もう一方は比較的真っ直ぐに進む。
「ふざけやがって」
 おそらく、型番の違う旧式の一号銃と二号銃の混在する状態だ。悪態をつきながらも、機速を抑えつつ下降を始め、着陸の準備に入った。

 そうして、やっと地上に降り立っても、まだ先刻の振動が残っている様で、結局手足の感覚が戻るまでには更に数時間を必要とした。

 雷電の初飛行から数日後、朝食中なのにめっきり減った私語。ほぼ全員が一度以上の飛行を経験し、その扱いにくさを身をもって理解していた。
 だが、それでも、収穫もあった。零戦よりも確かに性能面では勝っている部分も多い。また、これは飛行訓練後に知った事だが、翼内タンクには自動消火装置が取り付けられ、空戦フラップも装備している。
(後は訓練と、実践改良か)
 けれど、そんな焦燥感を嘲笑うかの様に、今日の天気は雨。内地とは違い、叩きつけるスコールは全てを憎むかの様だった。
 当然、今日の飛行訓練は中止。
 これからどうしようかと考え始めた矢先、食堂の扉が音を立てて開けられた。
 きちっと軍服を着こなし、これみよがしに胸に勲章を付けた仕官が入ってくる。
 その後から、引き摺られ入ってくる少年兵。
「国へ、帰して下さい」
 泣きながら、そう弱く叫んでいるのが聞こえる。
「全員聞け! こいつは、無断で基地を離れ、脱走を試みた非国民である。国家一丸となって当たる本大戦において、臆病風に吹かれた貴様は屑だ。おい!」
 並んでいた二人の士官が、その少年兵の腕を押さえて、立ち上がらせる。
「たるんどる! その腐り切った根性、叩き直す!」
 手にしている棍棒を振り上げ、勢いよく尻に叩きつける。
「うあ!」
 ここに来る前にも相当可愛がられたのか、声というよりは肺から空気を搾り出すような感じの悲鳴。
「まだだ、立たせろ!」
 その後もしばらく声高に捲くし立てて、気紛れに叩く行為が続いていた。
 こんなのは、苛立ちが募るだけだ。どちらが……という訳ではなく、両方ともが愚かで哀れに見える。
 所詮何も変わらないのに逃げようとする不甲斐無さも。ただ体罰と恐怖、そして毎回同じ決まり文句『国のため、故郷の家族のため』でしか兵を縛り付けられない無能さも。
 外は雨。
 叩きつけるスコールの中、翼は凪げずに佇んでいる。

 その夜、兵舎の寝床では、だれとも無く話し始め、終には全員がそれぞれの論争を始めていた。
「国の為に死ぬならば、本望だ。だが、装備が悪すぎる。これでは犬死にではないか」
「貴様も叩かれるぞ、必勝の信念を持ってすれば打ち勝てぬものなど無い」
「そんな下らない話ではないだろう? 本土に敵が上陸したら、どれだけの非戦闘員がいると思っているんだよ。分が悪くとも、国にいる皆のために戦う事こそが」
「国の前で、一個人が重要なものか! 戦争に犠牲は付き物だ。そもそも神州日本は、開闢以来敗戦が無いではないか」
 そんな会話を、天井を見上げながら、聞くとも無く聞いていた。
「お前はどうなんだよ」
 そう話しかけられ、視線が集まる。
 悪いが、俺はそんな事に興味は無かった。
「話せば何か変わるのか?」
 誰も答えない。
「そうだな、ここにいる以上戦闘が全てだ。だったら、死ですら楽しめばいい。それだけの事じゃないのか?」
 それまでの熱が、急速に下がっていく室内。静かになった今、他の連中が眠っているのか考えているのかは分からない、おそらくその両方が半々といった所だろう。
(死さえも楽しめば良い、か)
 そう言った自分が、この戦場に来たのは生きる為だったのに、その言葉はとても場違いな気がして、自嘲してしまっていた。
 弱まりながらも続いている雨音、夜明け前にはそれも止むのだろうか。

「起床!」
 いつもより早い時間、警鐘とともに聞こえてきた声。
「航行中の民間輸送船より、当基地へ向かう編隊発見の報が入った。直ちに滑走路へ向かい離陸せよ! 搭乗員割りは無視、手近な機に乗り込み、一機でも多く上げよ」
 取るものも取らず、ひたすらに滑走路へ向かって走る。
 到着時に残っていたのは、零戦五二型に雷電。少し躊躇したが、今の俺の腕では雷電は使えない。零戦五二型へと向かい、乗り込んだ。
 車輪の固定具を外し、発動機を回す整備兵。直ぐに滑走路へ入り、一気に加速し離陸した。
 機影を確認、第一波はB−24、P−38、P−47の二〜三十機の編隊。
 俺達がここに来てからの、初の本格空襲だ。
 双発のP−38は、爆装している戦闘爆撃機だ。高々度の敵は雷電に任せるとして、俺は爆撃する前のP−38を低空で迎え撃つ。
 俺は、編隊を先導するP−38に狙いを付けて、飛び込んだ。
 速度の優れるこの敵機は、一撃離脱戦法を得意としており、のんびりと反転していれば的になってしまう。
 こちらを見つけ機首を下げて降下してくる敵機と、機首を上げ向かい合う。敵の機銃らから光が迸ったのを確認し、フットペダルを強く踏み込み機体を回転させる。その後、速度を落とし失速させる、そうすると質量の大きい機先が重力で下がろうとして、機体は斜めに滑る。
(決まった)
 僅かに安堵し、息を大きく吐いてから再度歯を食い縛る。
 さっきまでの場所を吹き抜ける弾幕、敵の射線を脱したのを確認し、再び上昇を掛けた。先程の敵機と、お互いの機体下部を合わせるようにして、すれ違う。
 俺は、そのすれ違いざまに、操縦桿を思いっきり引いた。
 速度では敵が勝るが、回転半径はこちらの方が小さい。その旋回性を生かし、後ろに付けてから、減速して照準に捉える。
(貰った!)
 翼の弐拾ミリ機銃の携行弾数は少ない。だから俺は、機首の機銃のみで射撃を開始した。数秒間の射撃で、尾翼から右の胴体を抜け発動機を撃ち抜く。機首への装備は銃の口径が小さいものしか出来ないが、その分狙いが翼装備よりも正確だ。
 火を噴いた敵機の直上を通過し、少し離れてから、機体を横転させ、旋回させた。今まで気が付かなかったが、飛行手袋が汗を吸っていて、指を動かすたびに不快になる。味方の対空砲火に巻き込まれないように注意しながら、敵味方の入り混じった空に視線を巡らせた。
 交差し複雑な螺旋を描く飛行機雲、爆装に火が回り巨大な花火となった敵機、翼から火を噴き味方陣地へと堕ちていく友軍機、対空銃座の放つ射線、方々に咲いた対空焼散弾。
(その、一つの灯に――)
 V字型の三機編隊で、こちらに向かってくる敵機。俺はフラップを掛け、機体を急降下させた。低空をジグザグに飛び、斜め上方からの敵の射線を逸らす。そして、後方に回り込もうとした瞬間を見計らって、機体を宙返りさせる。
(数え切れない命の煌きが)
 本来ならば背後を取る予定だった敵機は減速しており、彼らが今から旋回を始めても間に合わない。真後ろにつけた俺は、照準を合わせ機銃掃射をっけた。
(飲み込まれていく)
 連続して浴びせかける弾丸、散開しようとする敵機。軽快な零戦の旋回性を生かして、その動きを掻き乱す。
 そうして弾を撃ちつくした頃、最後の敵が西へと消えていった。
 時間にしては、一時間程であったであろうか。
 もっと長いようであり、過ぎてしまえばほんの一瞬だったような気さえする戦闘が終わったのは。
 今日も生き延びて、地上に降りる。
 そうして機体を見てみれば、銃弾の貫通した痕、溝のように抉れてしまっている装甲板、相当傷んでしまっている機体が背筋を冷たくさせた。

 報告を終えて、兵舎へと戻ってみれば、すっかり夜は暮れてしまっていた。
 被害は思ったほどの物ではなかったが、ゼロではないその数字が、失われた命と物資を示している。
 すぐに寝床へ入っても、昼の空戦の興奮が残っているのか、どうにも寝付けなくて俺は外に出た。昼の戦闘が、嘘だったかの様に晴れ渡った夜空。そこに輝く南十字、日本では見えない星。
 視線を空から戻し煙草をくわえ、マッチを擦り火を付ける。配給品のひかりは、相変わらずクソ不味く風味も香りもまちまちな煙草だが、それでも紫煙は重く肺に流れていく。
 そんな時、不意に格納庫の方から何かを落とす金属音が響いてきた。
 時計を見れば、すでに深夜十一時を回っている。
(こんな時間に何を……)
 敵かもしれない、そんな不安もあったがまずは確認しなければならない。
 月明かりを頼りに近寄ってみれば、扉は開けっ放しであった。そんな中、裸電球を一つ点けて機体の発動機を弄っている人影。
「こんな時間まで何をやっておいるか!」
 整備兵の制服に僅かに安堵するも、時間が時間であったために、俺は強く咎める様に言い放った。
 その人影は、機体から離れこちらに向かって敬礼してから、答えて来た。
「はっ! 雷電の高高度での性能向上のためにプロペラを変更しておりました!」
 正面から顔を見て気がついた、発動機の専門で幾度か俺とも顔を会わせた事もある。年が近いと聞いているが、最初と比べて日に焼けた顔が雰囲気を随分と変えていた。
「そうか、遅くまでご苦労」
 少しだけ流れる沈黙、特に用事があった訳ではないので、受け答えも微妙なものになった。
「はい!」
「ああ、前に言っていた弐拾ミリ機銃はどうなった?」
 確か、二号銃が揃ったという噂を少し小耳に挟んでいたので、そう問いかけてみた。
「九九式二号銃が揃いましたので、二号中に変更いたしました」
「よし」
 自分の割り当ての機体へと近寄り、銃身の長い二号銃を確認する。
「あの」
 おずおずと、さっきの整備兵が口を開いた。
「何だ」
「飛曹は昨日に、『死ぬ事さえも楽しめ』と仰っていましたが」
(お前にじゃない、がな)
 少しの沈黙のあと、俺は答える。
「……ああ」
「それは、本心でしょうか?」
 緊張した表情のまま、そう聞いてきた。
「なぜそんな事を聞く」
 分を過ぎた質問だと思ったのか、彼は起立したまま口をつぐんでしまった。
「話せ」
 少し空気を和らげようと、口元を少し緩めて俺は言った。
「自分は整備兵ですから、戦いの矢面には立っていません。ですが、日々の戦闘で死を間近に感じ怖くて仕方がありません! 自分は、どうすれば良いのでしょうか?」
 まだ、若さの見える表情。
「確かお前の生まれは東北だったな」
 この整備兵が自分とは何が違っているのか? 隔てているモノが何かを知りたくて、自分でも意外だったがそう話し始めていた。
「はい、宮城の――」
「俺も東北の出だ、福島の岩代を知っているか」
 言葉途中に俺はつい先走る。こんな場所でも、近い地方の生まれとの出会いは自然と心弾ませる。
「いえ、申し訳ありません」
(それもそうか、確かに宮城からはだいぶ遠い)
「構わん。お前、家族は?」
 苦笑いを浮かべながら、俺は続きを促した。
「はい、両親に兄と妹がおります。兄は内地の勤務で、家族は皆仙台におりますが壮健です」
 そう話す彼の表情は誇らしげで、少し嬉しそうだった。
「そうか、羨ましいな」
「飛曹は」
 そう聞かれて、俺は軽く笑ってから答えた。
「そんな恵まれた生まれじゃ無い」
 いつになく饒舌な自分。たまにはこんな日もある、そう自らに言い訳しながら、ゆっくりと長い話を語り始めた。
「俺は、農家の十人兄弟の六男として生まれてきた。上の兄弟が東京に出ていたから、暮らしぶりは悪くは無かったが、あの恐慌の影響をもろに受けたのだ。農家なら立つ瀬はあると言うが、それもほんの一部の連中さ。少ない田畑で食っていける余裕なんて無い」
 そこまで一気に話して、少し瞼を閉じた。山間に広がる田畑、田圃から家までの長い坂道、桑畑に牛小屋、そこに居る時はたいして気にも留めなかったのに、こうして離れていると懐かしくなる。
(そんなに良く記憶している訳ではにから、多分に想像もまじってはいると思うが、な)
「今、生きていられるのは、戦争のおかげだ」
 短い郷里への回想の後、目を大きく開いてそう告げた。
 そう、このままでは全員が飢えか病で死ぬ。食い扶持を減らし、収入も入る一石二鳥の方法。赤紙が来た時、少しの恐怖はあったが、同時に安堵している自分さえいた。
「それに、結局は同じなんだよ。この世界は酷く残酷に出来てる。たまたま戦争で目に見える形で死が近くにあるから恐怖する。……じゃあ、内地にいれば死なないのか? 戦争が無ければ死なないのか? そんな事は無い、死は生の持つ形態の一つだ。未来永劫背負い続ける。だったら、俺達が戦う理由は何だ? 守るべき未来でさえいつかは終わるのに」
 話す俺を、見返す悲壮感を湛えた視線。
 おそらく、戦場で『死』を強く実感したがために、その言葉の重さを理解し始めているからだろう。
「確かに死ぬ前に誰かを守り、その守った誰かもまた誰かを守り死ぬかもしれん。そうすれば、確かにその命は受け継がれ続いていく。だが、その死の螺旋に意味はあるのか? 考える程に分からなくなっていく……全てが不確かな中で、今唯一確かな事は戦闘だけだ、ならその中にある死でさえ楽しめば良い」
 全てを話してから俺は、まっすぐに視線をぶつけた。
「他にも生を表現する方法は」
「今、他に何か選べるのか、貴様は?」
 俺は、彼の言葉を遮って告げた。
「自分は……」
 彼はとても驚いた顔をしたが、何とかそこまで言って、言葉を詰まらせる。
「貴様は整備兵だ、生きて戦後を迎える事も不可能ではないだろう。これは課題だ、じっくり考えろ」
 最後にそう呟いて、俺は格納庫を後にした。
「はい!」
 背中にはっきりとそう応える声を聞きながら。

 その日からも、俺は何も変わらなかった。冷たい態度も、ただ淡々とこなしていく訓練も。
 あの一日だけが、戦時にあって唯一見せた違う表情として薄く心の奥に張り付いていた。だが二度は無い、甘さも弱さも致命的になる。
 そう、俺は生きたいのだから。

 雷電は、慣れれば意外と戦える機体だった。癖を掴むのに時間は掛かったが、内地と比べて豊富にある燃料は、それを可能にしていた。
 高まった練度、あの空戦後も数度にわたり小規模な戦いが繰り広げられたが、なんとか敵を押さえ込む事に成功していた。

 そんなある日、訓練でほぼ全員が飛行場にあつまって居た時に、一つの連絡が入った。
「監視所より、百機に上る敵編隊発見の報が入った。その進路は東北東、攻撃目標は当基地及び油田関連施設と推察される。速やかに迎撃にあたれ!」
 重苦しい空気のなか、出撃命令が出された。

 最初の頃と違い、今となっては不平不満を言う声は聞こえなくなっていた。誰もが覚悟し、そして度重なる空戦により恐怖を麻痺させていった。
 俺も、あの始まりの前の嫌な胸の締め付けも、もう感じては居ない。そのかわり、やけに乾いた空洞が心の中にあった。

 慣れた気体の振動、離陸後に高度七千で編隊を組む。
 空の端に見えるゴマ粒のような敵機はすぐにその数を増し、空の一角を不吉な黒い染みが広がっていった。
 全ての機体が一丸となって進み、射程に入った瞬間、双方からの激しい銃弾が空を埋め尽くした。
 俺は、向かってくる敵機を牽制しながら、数機を引き付けた。後ろに回り込む敵機、ここまでは誘い通りだ。
 背後を確認してからの左捻り込み急降下、そしてぎりぎりの低高度での旋回。機体の腹が地面を擦りそうになりながらも、機体を立て直して最大出力で上昇を掛けた。
(高度六千までは、約七分半)
 護衛機に構ってはいられない。爆撃機の目標は、滑走路に格納庫、燃料貯蓄施設、戦争継続に必要な施設の破壊だからだ。
 煩わしい雑魚をすり抜けて、大型爆撃機へ向かう。低空に付いてきた馬鹿な敵は、もろに味方の対空射撃に晒され、思い思いに回避行動を始めた様だ。今は、背後からついてくる者は無い。
 爆弾をばら撒いている敵機群に、真下からの急上昇で迫る。功を焦ったのか、精度を重視してかは不明だが、喰い易い高度まで下がっている一機のB−24に狙いをつける。すれ違う一瞬で、腹の爆装に機銃弾を叩き込んだ。
 爆発で真っ二つになった敵機、その破片を周囲に撒き散らしながら堕ちていく。
 上部銃座を持つ爆撃機には、真下からの攻撃が一番効果的となる。周囲に注意を払いながらも、左上方に機体を捻じ込んで、更に一機の爆撃機を射程に捉える。敵機の左翼の二発の発動機から横腹が、順に射線に入るように角度を調整する。
「貰った!」
 この敵の装甲は、弐拾ミリ機銃でなければ貫けない。放物線を描く二号銃の弾道には慣れた。
 距離を一気に詰めて、至近距離から敵を撃ち抜く。そしてその後、後部に回り込む。
 その瞬間、背筋に走る悪寒。
(何か来る)
 撃ち抜いた敵機の後ろには、戦闘機が隠れていた。胴体下部の特徴的な開口部、これまでの敵と違い敵にしては細身の胴体。
「クソッ、P−51か! 敵機の後ろになっていて見えてなかったのか」
 この体勢からだと、正面からの撃ち合いとなる。防弾装備で劣るこちらにとっては不利な形となったが、そのおかげでこの素早い敵を射線に捉える事が出来る。
「吉と出るか、凶とでるか……」
 汗でべたついた飛行手袋が気持ち悪い。背中からも、じっとりとした冷えた汗の質量を感じる。
 敵の機銃が光を放つ。その発砲を確認したが俺はまだ撃たなかった、まだ距離が遠い。
 頭の中の警鐘が鳴り響く、不安に駆られ撃ち出そうとする指先を懸命に抑える。敵の操縦席が防弾ガラスなのは聞いていたし、その装甲は厚く貫くのは容易ではない。
 狙うは一点、大きく開いた吸気口。
 激しい弾幕、重い衝撃、周囲の空を流れる弾丸。
「まだだ、まだ」
 息をするのさえ忘れそうな恐怖の中、じっと敵を見据える。そすて、お互いの表情さえ見える程に接近してから、俺は射撃を開始した。
 そして、左に避ける俺と、吸気口から尾翼を吹き飛ばされて堕ちていく敵機。
 けれど、その避けた空は敵爆撃機の銃座の射線に入ってしまっていた。
「一難去ってまた一難ってか」
 そんな軽口を叩いても、余裕はまったくない。あちこちから銃弾が飛んでくる上に、敵の護衛機も集まってきていた。
「痛」
 もう、何発喰らったのかも分からずに、急降下で避退しようとしている瞬間。フットペダルを踏む左足に激痛が走った。見れば、太ももから少なくない出血をしている。おそらくプロペラを掠め、機体前部上方からの貫通弾だった。
「口径が小さかったのが、せめてもの救いか」
 大口径だったら即死でもおかしくは無い。そして、機体を良く確認してみれば、プロペラの回転が狂っている。着陸はどう贔屓目に見ても不可能で、そもそも周りの敵が手負いの獲物を逃してくれるとは思えない。

(死ぬのか、俺も)

 こんな時だけど、やっと気がついた。
 俺には空しか無かったのだと。
 こんな時でさえも、故郷に帰りたいとは思わなかった。
 郷里を離れ、自分で選んだ空。
 そう、俺が帰る場所は、生きてきた場所は、1つしかないから。

「俺は……俺は、その空の果てが見たいんだ」
 機体の鋲が緩み、装甲の一部が剥がれ落ちた。それでも渾身の力で、操縦桿を引いた。残燃料は少なく、操縦桿の重さはどんどん増していく。
 その上、未だに背後から喰らいついてくる敵機。
「うるせえな……しつこいっての」
 防寒着の加熱機構が稼動していない、発動機の出力自体が下がっていて、電気を供給しきれていない。手がかじかみ、指先の感覚が消えていた。
 それでも、ただひたすらに上昇を続ける。まだここじゃない、そんな想いが残った力を振り絞り、ただひたすらに俺を駆り立て続けている。
 ただ一つの、帰るべき空を捜し求めて。

 出血で朦朧とする意識の中、ただ果てにある蒼だけが、唯一の明確な答えとして広がっていた。

 届いた空の果ては蒼く、涼やかな風が吹く。
 美しく伸びやかな飛行機雲は――。
 どこまでも、自由に吹く風に乗って。


 いかがでしたでしょうか?
 今作は、これまでと比べ字数が大きく増えてしまいましたが、やはり自分の中では一つのストーリーですので、短編で投稿させて頂きました。
 前三作品とは、少しコンセプトを変えてみました。
 今後の参考といたしますので、ご意見ご感想などありましたら、宜しくお願いいたします













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