魔王城への許可証
「許可証?」
「あい、許可証」
裏返ってしまった声に、魔族の老人は相手の無知を示すように眼鏡を押し上げた。
四人連れの勇者一行が、艱難辛苦を乗り越えて、ようやく辿り着いたは魔王城。
ところが、その大手門。
巨大な鉄の扉はピタリと口を閉ざし、押そうが引こうが、打とうが、叩こうが、泣こうが喚こうが、一向に開く気配を見せなかった。
困った一行が仕方なく周囲を見てみると、扉から二十メートルほど離れたところに、小さなテントのようなものがあった。
幌状の屋根と、扉代わりの布のカーテンが、風に揺れて手招きしているように見える。
長いこと風雨に曝されているらしく、色はくすみ、布はぼろぼろの状態で、もはやテントとも呼べないかもしれない。
情報を集める為に、四人は其処を訪ねた。
黄ばんだカーテンを腕押し、中に体を入れると、すえた黴臭さが鼻をついた。
明かりは殆ど無い。
差し込む陽の光のみが頼りの中、先の見えない暗闇から表れたのが、この年老いた小さな魔族だった。
突然現れた勇者一向に臆する様子も見せずに、爬虫類顔(文字通り蜥蜴の頭をしている)の鼻先に、小さな眼鏡を乗せて、白い柔らかそうなヒゲをしごく。
そうして開口一番。
「あい、じゃ、許可証見せて」
やけに事務的な口調でそう言った。
「そんな物持ってない」
憮然としてそう答える勇者に、妙に人間臭い、愛嬌のある表情で魔族はため息を吐いた。
「最近多いんだいね〜、あんた達みたいの。許可証が無いと通れないよ」
戦士がその名に恥じぬ太い腕で、石造りのカウンターを叩いた。
カウンターには、こちらから見えるように古代文字で何か彫ってあった。
桃色の髪をした小柄なウィッチが、そこに書いてある文字を声にして読む。
「………受付…」
なるほど、と、勇者とプリーストが頷く。
「そんなものはいらん。いいからあの門を開けろ!」
「いるかいらんかは、こちらが決める事だいね。警察機関だって家宅捜索には令状がいるだいね。あんた達がやろうとしてるのは、立派な住居侵入罪にあたるだいね」
「なにおう!」
大声を上げる戦士にも欠片の動揺も見せずに、老魔族は飛んで顔についた戦士の唾をハンカチで拭う。
「待て」
その様子を見て、勇者が体ごと戦士を諌めた。
「確かに、お前の言う事は正しい。しかし、それはあくまで、人間の世界でのルールだ。魔族であるお前達に私達がそれを気にする理由は無い」
そう言って、背中に負った大剣の柄に手をかける。
後ろに下げられた戦士も、嬉しそうに腰の戦斧を手に取った。
「アッチを殺すかいね。まあ、かまわんが、しかし、どうしてアッチが殺されなきゃいかんのかいね」
武器を構えた二人を平然と見つつ、不思議そうに魔族は訊ねる。
「お前が魔族だからだ」
端的に答える勇者に、不愉快そうに眉を顰めたのは彼の仲間のウィッチだった。
受付に小さな体を乗っけた魔族のほうは、なんでもないように頷いてみせる。
「ふむ、魔族だったら理由も無く殺されなきゃいかんのかいね?」
「違う、魔族が悪だからだ」
「悪?」
「そうだ。魔族は田畑や村を焼き、子をさらい、人を殺す。これを悪と言わずして何と言う」
「うーむ、それは確かに悪だいね」
呻りながら神妙な顔で頷いてみせる。
不器用に組んだ腕には、役所人らしくアームバンドが巻かれていた。
「しかし、アッチは人を殺した事なんか無いだいね。村を焼いた事も、子供をさらった事もない。それでも殺されなきゃいかんのかいね?」
「魔族は皆一緒だ」
そう言った勇者の背中を狙って、魔力をため始めたウィッチを、プリーストが慌てて止める。
「そうかいね。…したら、あんた達は、人も殺さなきゃいかんのだいね」
「何?」
老魔族の言葉に勇者は眉をひそめた。
「だって、今言った事はみんな、人間もやってることだいね。あんた達が魔族をみんな殺した後、人間も残らず殺してくれるんかいね?」
「そ、それは。……に、人間は仲間で、魔族は敵だから……」
もごもごと口ごもる勇者に対して、一度はプリーストにキャンセルされた魔力をウィッチが再び溜め始める。
「なんか話がループしてるだいね」
ウィッチのほうを気にしつつ、プリーストが勇者に助け舟を出す。
「貴方のおっしゃる通りです。ですが、今の魔王はとても好戦的で、頻繁に私達に戦争を仕掛けています。これでは安心して暮らすことは出来ません。ですから私たちは、魔王を倒し世界に平和を…」
「世界って言うのはあんた達だけの物なんかいね」
「え?」
「いや。……しかし、王が戦争を仕掛けるなんてのは当然、と言わないまでも、普通の事だいね。今の魔王様は、一度も自分の為だけに戦争を起こしたことはないだいね。いつも、苦しんでいる民達の為にと思って、闘ってきただいね」
「それは……」
純粋と言えるほど真っ直ぐな目でそう言われて、プリーストは押し黙った。
「ええい、うるさい!とにかくお前達は敵で、敵は倒さねばいかんのだ!それがイヤならあの門を開けろ!」
後ろで様子を窺っていた戦士が、大声しながら魔族に詰め寄る。
「お断りだいね。アッチは魔王様に、許可証のないものは通すなと言われてるんだいね。あんた達こそ、通りたかったら許可証を貰って来るんだいね」
「黙れ!そうまでして命令を守りたいんなら、あの世に行って一人で守ってろ!」
「待って…」
プリーストの制止の声も聞かずに、戦士が戦斧を振るった。
全てを見透かすような表情で佇む老魔族の眼前に、鈍く光る刃が迫る。
「よせ!」
勇者が叫び、何とか戦士に取り付こうとする。
しかし、筋肉の塊のような腕を振るわれ、呆気なくテントの隅まで吹っ飛ばされる。
「死ね!」
狂気が一瞬で命を刈り取ろうとした瞬間、老魔族は見た。
迫り来る戦士の後ろに、不機嫌な表情でデカイ魔力の塊を抱えたウィッチの姿を。
「…………不愉快……」
ボソリと呟くように言い、無造作にそれを戦士に向かって放り投げる。
「いかん!……だいね」
戦士の振るおうとした斧を難なくすり抜け、老魔族は両手に魔力を掲げる。
転瞬の後。
光が大挙して押し寄せ、辺りを半円状の爆音が包んだ。
地面の巨大なクレーターに対して、射程内にあった魔王城と呼ばれる建築物は、傷一つ無く其処にたたずんでいた。
音の余韻と共に、テントの残骸がその場に振ってくる。
その一片が落ちた場所で、モコッと地面が盛り上がった。
「………死ぬかと思った……」
そこから顔を出したのは、魔力を放った張本人であるウィッチだった。
顔中を泥だらけにしながら、何とかそこから這い出る。
「頑丈なヤツだいね」
両手に勇者とプリーストを抱えた老魔族が、呆れたように地面から突き出た戦士の足を見ていた。
「良かった生きてた」
老魔族に礼を述べて、プリーストがそれに駆け寄る。
勇者と二人で引っ張り出すと、戦士は白目をむいて気絶していた。
しっかりと息をしているのを確認して、安心すると同時に老魔族と同じ感想を抱く。
「…………ごめんなさい……」
老魔族に向かってウィッチが頭を下げた。
「…………馬鹿ばっかりで……」
勇者が顔を赤くした。
しかし、照れくさそうに頭を掻くと、蜥蜴の顔をした魔族の方をしっかりと見つめる。
「今回は悪かった。とにかく一度戻ることにする。こいつの、治療もしなけりゃならないし。……それから、良く考える。もう一度ここに来るかどうかを」
「あい。分かっただいね」
老魔族が器用に笑顔と分かる顔を作ってヒゲを撫でる。
「行くぞ」
直ぐに踵を返し、戦士を担いで勇者は歩いていった。
ぺこりと頭を下げて、プリーストがそれに続く。
「……………貴方……」
ウィッチが何かを言いかけて、止めた。
「…………また……」
そう言って立ち去る小さな背中を、魔族は楽しそうに見つめていた。
「大丈夫ですか」
門の鉄扉が開き、武装した兵士達が大挙して来た。
「んー」
それに片手を上げて答える姿を見て、兵士長が呆れたように声を掛ける。
「また、そんな格好で」
「だって面白いんだいね」
おどけて見せるその姿は、兵士の大半にため息を吐かせた。
「大体あなた自身で見張りをする事はないでしょう」
蜥蜴の口が不満そうに尖がる。
「だって、お前達に怪我でもさせたら大変だろう。俺が一番強いんだからさあ」
諦めたように頭を抱える兵士長を見て、老魔族が満面の笑みを浮かべる。
「…とにかく、早い所元の姿に戻ってください」
「わかった」
そう言った途端、老魔族の小柄な体が一瞬で膨れ上がった。
ゴキゴキと音を立てつつ、風船の中で何かが暴れているように、突起したり、引っ込んだりを繰り返す。
兵士のうち気弱な何人かが、あまりの光景に顔を背けた。
グロテスクな変身は五分ほど続き、それが終わったときには、老魔族は逞しい青年の姿になっていた。
顔は人のものになっていたが、額に二本の雄雄しい角が生えている。
その姿を見て、取り囲んでいた魔族の中から「ほお〜」と感嘆の声が上がった。
「大丈夫ですか」
兵士長が駆け寄り、青年の顔を覗き込む。
「全身が痛い」
彼は美貌を情けなくゆがめて、目に涙まで浮かべていた。
「だったら、金輪際見張りは我々に任せてください」
手を差し出しつつ強い調子で言う兵士長に、取り敢えずは殊勝な態度で返事をしておいて、青年は立ち上がった。
「っし、帰るか」
その言葉に兵士達が一斉に駆け出す。
ゆっくりと歩き出した青年に、兵士長が隣についた。
小言をくれるつもりだった。
「……大体貴方はですねえ……ん」
城門をくぐった所で、兵士長は後ろを振り返った。
隣に居たはずの青年が、門の手前で立ち止まっていた。
キョロキョロと城下町の様子を見ている。
「……何やってるんですか?」
「ん……いや、いい国だな〜と思って」
ポカンとしていた兵士長が、姿勢を正して青年の方に向き直る。
真剣な表情が青年に向けられた。
「貴方の国ですよ。魔王様」
「………だな」
晴れやかに答えて、第二十四代魔王は城内へと入っていった。
………まるで、ソレこそが魔王城への許可証であるかのような満面の笑顔で。
たった、これだけの短い話を書くのにも、オチが二転三転するという事態に。小説書くのって難しいです。