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短編集<そこから物語は生まれる>文学編

幼馴染とレアチーズケーキ

作者:papiko
 久しぶりに幼馴染で腐れ縁の高遠幸也たかとうゆきやが会いに来たのは、春間近の暖かい日だった。手土産にいつもの手作りレアチーズケーキ持参である。
 高階麻耶たかなしまやは膝にトイプードルを乗せ、ケーキをもぐもぐ食べながら、幸也が話を始めるのを待っていた。
「実はさ、逆プロポーズされた」
「さすが、紗枝ちゃん男前だねぇ」
 紗枝ちゃんとは、幸也が二年前から付き合っている町田紗枝まちださえという一つ年上の彼女である。身長百五十センチの小柄な女性だが、とにかくパワフルで明るい。
「そんで?ちゃんと返事したの?」
「いや、それは……ちょっと待ってもらってる」
 幸也はクッションを抱きしめて俯く。
「阿保だな。いいじゃん。逆プロポーズ。喜ばしいことじゃない?」
「だってさ、やっぱりプロポーズは俺がするべきだろう?」
「別にそんなの関係ないっしょ。もともと、紗枝ちゃんに口説かれたわけだし、むしろ紗枝ちゃんは正しい。乙男なあんたはプロポーズを素直に受けて、さくさく嫁に行け」
「嫁って……俺、男ですけど」
「家事能力高くて、趣味がお菓子作りのあんたは嫁に行くのが一番幸せってものよ。第一、紗枝ちゃんはあたしとあんたに嫉妬しないでいてくれる稀なる存在だよ。これ逃したら、一生後悔するぞ」
「それは……そうだけど」
「紗枝ちゃんと結婚したくないわけ?」
「そんなわけあるかよ」
「じゃ、不束者ふつつかものですがよろしくお願いしますでいいじゃんか」
「そうかなぁ……」
「そうだよ」
 困惑気味の幸也に麻耶は笑った。そして、幸也も何か納得したらしく、話題を変えた。
「ところで、お前、猫派じゃなかったっけ?なんでトイプードルなんて飼ってんだ?」
「いやぁ、なんか衝動買いしちゃったんだよね。茶々と目が合ってさぁ。もうこれは運命というやつだな」
「そうか、とうとう嫁に行くのをあきらめたのか」
「誰があきらめるかよ。年上、イケメン。絶対あきらめないね」
「相変わらずのこだわりだな。そんなに好きだったんだ。しのやんのこと」
 麻耶は少し頬をあからめた。
「だってさぁ。篠崎先生はあたしより背が高くて、優しくて授業も面白かったんだもん。それにイケメン容姿に相応しい甘い声で短歌や俳句を読み上げられた日にゃ……にやにやが止まらんっつうの」
 麻耶は中学時代を思い出して、にやけた顔でうっとりと言う。
「確かにしのやんの信者は多かったな。けどさ、本当にどっかで妥協しないとお前、一生独身だぞ。職場とかにいいやついないのか?」
「いないよ。コールセンターなんてほぼ女の職場だもん。それに恋愛に妥協なんかできるわけないじゃん。あんた妥協で紗枝ちゃんにしたわけ?」
「そんなわけあるか。そりゃ最初は紗枝から告られて付き合い始めたけど、前々からいいなとは思ってたんだよ」
「だろ?恋とはするものではないのだよ。堕ちるモノなのだよ。幸也君」
「はいはい、御高説はごもっとも」
 幸也は聞き飽きたと言わんばかりに適当に返事する。
「恋といえば、唯と舞もお年頃だね」
「な、なにを言う。あいつらはまだ子供だ」
「知らぬは幸也ばかりなり」
「え?なんだ?何隠してんだ!お前」
 幸也はクッションを放り投げて狼狽する。
「心配すんな。今のところ、恋愛相談は受けてないよ」
「なんだよぉ……ビビらせんな」
「相変わらず、過保護だな。まあ、二人とも初恋は玉砕で終わってるけどな」
「初恋っていつ!」
「小4のときだったなぁ。二人してお兄ちゃんには内緒でバレンタインチョコ作りたいって相談されてさ。唯は部活の先輩で、舞は同級生の子だったな。二人して振られて、大泣きしたのは今でもはっきり覚えてるよ」
 幸也はなぜだと頭を抱える。
「当たり前だろう。親に初恋の相談する子供なんて滅多にいないっつうの。恋愛相談は姉か友達にするもんだよ。おかんな幸也にいうわけがないだろ?」
「じゃあ、知らないうちにいきなり彼氏とか連れてくるのか?」
「楽しみだねぇ。どんな彼氏ができるのか」
 麻耶は意地悪な顔でにやにやと笑った。
「そうなったら、どうしよう。俺、冷静でいる自信ないぞ」
 幸也が真剣にうろたえているので、麻耶はまあまあとなだめる。
「もし、二人に彼氏ができたら、こっそり情報ながしてやるから、安心せい」
「本当だろうな」
 幸也はジト目で麻耶を見る。
「可愛い双子に変な虫がつくのは、あたしも嫌だからね。とはいえ、過干渉になると嫌われるからな。場合によっては黙秘しようかなぁ」
「黙秘すんな。ちゃんと教えろよ!」
「はいはい、まあ、現在気になる異性はいないようだよ。男子の馬鹿っぷりをよく愚痴りにきてるぐらいだから」
 幸也はそれを聞いて、そうかとほっとしたようにため息をついた。麻耶はそんな幸也を見て苦笑した。

 幸也が帰ったあと、麻耶は何か一仕事終えたようにふっとため息を吐いた。
 幸也とは、母親同士が友人で家も近かったから、ほとんど兄弟のように育った。兄の透と三人で、いろんないたずらをしては、どちらかの親に怒られたり、些細なことで喧嘩してはすぐに仲直りしたり。ただ、小中高まで同じ学校で同じクラスだった幸也と麻耶は、さすがに大学だけは別々の道に進んだ。それでも、お互いの家を行き来することはしょっちゅうだった。そのせいで、幸也の彼女にはさんざん関係を疑われた。麻耶の存在がネックになって、幸也の恋愛は長続きしなかった。麻耶は麻耶で初恋を引きずって年上のイケメンに恋しては玉砕していた。
 ただの幼馴染で腐れ縁なら、彼女に関係を疑われることはなかったのだろうが、それ以上の関係が二人にはあった。それは、二人が小学校五年のときだった。一年前に双子を出産した幸也の母が、交通事故で亡くなったのだ。葬儀の日、幸也は麻耶に泣きながら言った。
「泣くのは今日で最後にする。これからは俺がお母さんの代わりになるんだ」
 麻耶はただ、手をつないでその宣言を静かに聞いた。そして、麻耶は決心する。唯と舞の姉になろうと。

 商社で働く幸也の父は、なんとか育児休暇を半年とったが、その間に双子を預ける保育園を探して奔走し、保育園が見つかるまではちょくちょく幸也と双子は高階家で預かっていた。麻耶の母は看護師で父は公務員だったので、透と麻耶はある程度の家事はできたが幸也は母が専業主婦だったので、一から家事を覚えることになった。幸い、幸也は物覚えがよかったので、あっという間に料理以外はできるようになった。そして、透や麻耶が双子の面倒を見ている間に、着実に料理の腕を上げ、中三になるとお菓子作りが趣味と化したのだ。
 幸也の母が亡くなってから十七年。麻耶にとっての高遠家も、幸也にとっての高階家も安心できるかけがえのない家族の居場所だった。
 麻耶は懐かしそうに目をほそめて茶々を撫でる。
「プロポーズされたってことは年内には結婚するよね。茶々」
 茶々はくうんと鼻を鳴らして首を傾げた。
「結婚式……参列できるといいんだけどなぁ」
 麻耶は茶々をわしゃわしゃと撫でながら、ぽつりとつぶやいた。

 それから、一か月後に幸也と紗枝は結納を交わした。翌日、幸也からメールで結納は無事に終わったと報告があり、その日の夜に紗枝から電話があった。高階家のみなさんにはぜひ結婚式には出席してほしいというのだ。
「うちの都合まで考えてもらってなんだか悪いな」
『そんなことないわよ。麻耶ちゃんたちは幸也の大事な家族なんだから』
 紗枝はさらりとそんなことを言った。
「そう言ってもらえてうれしい。ありがとう紗枝ちゃん」
『いえいえ、幸也を逃がさないためには大事なことですからねぇ』
 紗枝はおどけた口調でそう言った。麻耶は思わず、吹き出して電話口でげらげらと笑った。
「そういえば、初めて幸也の家であったときも、そんなこと言ってたね」
『そうだっけ?まあ、前もって話は聞いてたんだ。お母さんが亡くなってからのことをいろいろね。麻耶ちゃんに会うまでは正直ちょっと不安だったんだけど、高遠家にいても違和感がなくってほっとしたっていうか。幸也の妹が三人いるって感じがしてた』
「なるほど、それであのセリフか」
『え?あたし、なんか変なこと言った?』
「幸也と結婚したら、義理の姉ってことでよろしくおねがいしますって言った」
『あははは。そういえば、そんなこといったかな。あんまり覚えてないけど』
「不束な幸也でございますが、末永く尻にひいてやってくださいませ」
 麻耶がそういうと紗枝はうれしそうに了解と言って笑っていた。それから、いろいろ微調整があり、挙式は九月上旬となった。ドレス選びに誘われたが、それはさすがに遠慮した。紗枝のお母さんやお姉さん、それに唯と舞もついていくというのだから。お供が多すぎると決まらないわよと笑って断りをいれた麻耶だった。それに、その頃には麻耶は仕事を辞め、東京で美容師をしていた透がUターンしてきて、高階家もいろいろとバタついていたのだ。

 ドレス選びの日は、良い天気だった。幸也はドレス選びに参加するつもりでいたが、唯と舞に新郎は結婚式の日まで新婦のドレスはみちゃいけないのと言われ、留守番となった。それで、ぽっかり空いたその日、幸也は愚痴をこぼしに高階家を訪れた。手土産はもちろんレアチーズケーキ。麻耶の好物ということもあるけれど、幸也の母の得意なお菓子でもあった。だから、幸也が初めて作ったお菓子も、レアチーズケーキだった。麻耶と喧嘩したときの仲直りやお礼、相談ごとなどのたびに麻耶が食べたがるので、いつの間にか、幸也が高階家を尋ねる際の手土産と化している。
「あれ?透にい、帰ってきてたんだ」
 リビングに入ると、求人情報誌を読む透がいた。
「東京に飽きたから、帰ってきたんだ。あっちは忙しすぎてのんびりしたくなってなぁ」
 透は苦笑まじりにそう言った。
「で?結婚準備で忙しいはずのユキが、どうしたんだ?破談にでもなったか?」
「なってねぇよ。今日は女性陣でドレス選び。麻耶は参加しないって言ったから、息抜きにきたんだよ」
 幸也はぶすっと膨れる。そのとなりで、愚痴りにきただけだろうと麻耶が苦笑する。幸也は不機嫌なまま台所に入り、ケーキを切り分けて紅茶といっしょにテーブルに出した。勝手知ったる他人の家だ。手慣れたものである。
「まさか、ユキに先をこされるとはなぁ」
 透はふーっとため息をつきながら、紅茶をすする。
「彼女はどうしたんだよ」
「実家に帰るから一緒に来てくれって言ったら、振られたんだよ。帰ってきてみりゃこいつもプーになってるしな」
 透はちらりと麻耶を見た。
「え?お前、仕事辞めたの?」
「そ、クレーム係にまわされちゃってさ。精神的にまいっちゃって。医者からも休職するようすすめられたんだけど会社側がちょっと難しいっていうから、もういいやと思って自主退職したの」
 大丈夫なのかと幸也は心配そうに尋ねる。
「大丈夫よ。たまに寝込んだりはするけど、ちゃんと病院にかかってるし、軽い方だから一年くらいのんびりしてれば治るんじゃない?」
「お前ねぇ、他人事みたいに……」
「心配すんなよ。俺もいるし。無理はさせないから」
「……そうだな。うちの会社でも鬱で休職して結局やめちゃったやついたしな。とにかく、休養が大事だって聞いてるけど」
「そうそう、休養ってのは寝てろってことらしいんだよね。兄貴が帰ってきてくれたから、家事もやんなくてすんで、楽させてもらってるよ」
 麻耶はケーキをほおばりながら、助かると笑った。
「それより、俺の席は確保してんだろうな?」
「一応ね」
「一応ってなんだ。喧嘩売ってんのか、ユキ」
「違うよ。高階家のみなさまは絶対出席してもらいたいってのが、紗枝の意向だけど、透にいは東京にいると思ってたから難しいかなと思っただけだよ。ちゃんと確保してるって」
「ほう、ユキの嫁さんはいい人だなぁ」
 透は目を細めてにやにやと笑った。
「俺としてはジューンブライドがよかったんだけど、時間的にも無理だし、式場うまってるしで来年まで延ばそうかって話もしたんだけど。善は急げよっていわれて九月になりました」
「あいかわらずの乙男だな。ユキは」
 透はぶっと吹き出して大笑いした。
「そうなんだよ。こんな乙男もらってくれる、稀なる紗枝ちゃんには、感謝で涙でるわ」
 麻耶も笑いながらそういう。幸也は複雑な顔で紅茶を飲んだ。
「まあ、六月の花嫁は確かに女の子の憧れかもしれないけど、結婚式のジンクスはほかにもいろいろあるんだよね」
「え?そうなの?」
「そう、例えば花嫁は青いモノを身に着けると幸せになるとかね。調べれば、色々あるから用意できるものを用意してみるのもいいんじゃない?」
 幸也はなるほどと真剣な顔で考え込んでいた。高階兄弟は、そんな幸也を見て、くすくすと笑った。

 月日が流れるのはあっという間で、幸也の結婚式当日を迎えた。
 麻耶はワインレッドのふわりとしたひざ丈のドレスに、黒いレースのボレロを着ている。両親は礼服、兄はグレーのスーツだ。受付を済ませて、控室にいると唯と舞がロリータ風のドレスでやってきた。唯はピンクを基調にしたリボンがふんだんにあしらわれたひらひらのノースリーブ。舞は赤を基調にしたフリルを抑えめのパフスリーブ。二人ともお人形のように可愛いので、麻耶と母は可愛いだの、似合うだのと褒めちぎった。双子は照れながら、麻耶ちゃんも綺麗だよと嬉しそうに笑う。
「茶髪似合う。染めた?」
 舞がそういうので、麻耶は首を横に振った。
「いや、今日だけウイッグ。染めるとあとが面倒だからね。ついでに化粧は兄貴に気合いれてもらってナチュラルかつ美しくをテーマに仕上げてもらったよ」
 ふふっと麻耶は笑うと双子はいいなぁと言った。
「なんなら、ちょっとメイクなおししてもらう?」
 双子はうんと大きくうなずいたので、透に頼んでほんの少しアイラインや口紅をなおした。
「十代の肌はぴちぴちだな」
「おやじ臭いよ。兄貴」
「高校生からみりゃおやじだよ。もう俺、三十二だしな」
 そんなたわいもない話で四人は笑いあった。
「あ、そうだ。麻耶ちゃん」
「ん?」
「紗枝ちゃんのお色直し楽しみにしててね。舞と二人で選んだから」
「そう、とびっきりのやつ」
「ふふ、そりゃ楽しみだ」
 麻耶はにっこりと笑った。

 披露宴がはじまり、新郎新婦の入場ですというアナウンスが入る。紗枝の真っ白なウエディング姿は、とても綺麗で、隣にいる幸也は幸せそうに微笑んでいた。麻耶は幸せそうな二人を見て、瞳が潤む。
「どうした?」
「ん?ああ、おばさんがそばにいるような気がしてさ。ちょっと目が潤んじゃった」
 麻耶は兄の問いに、苦笑しながら答えた。ポンポンと透が背中を軽くたたいた。
「大丈夫だよ。泣いたらメイクが崩れちゃう」
「崩れないくらいがっつりメイクしたぞ、俺は」
 泣けばいいじゃないかと言わんばかりの透に麻耶は心の中で感謝しながら、やだよと笑った。
 新郎新婦の上司たちのスピーチは心からの祝福がこもった暖かいものだった。それが終わると、幸也たちはお色直しに席を立つ。高階一家は親族席へ挨拶へいった。
「このたびはおめでとうございます。おじさん」
「ありがとう。これで少し肩の荷がおりたような気がするよ。麻耶ちゃんや高階さんにはいつも助けられっぱなしで本当に感謝してるよ」
「やだなぁ。あたしは幸也のレアチーズ目的で協力しただけですよ。それに唯や舞は本当の妹みたいで、すごく一緒にいて楽しいんだから」
「そうかい?」
「ええ、今日も超可愛くて写真ばしばしとりましたからね。これからも家族ぐるみで仲良くさせてもらいますよ」
 幸也の父は、優しい笑顔でありがとうと言った。それから、紗枝の家族にもご挨拶したら、紗枝の姉二人には不束な妹ですがよろしくおねがいしますと言われた。麻耶はこちらこそとはにかむ。なんだか幸也の母親の気分を味わったような不思議な感じだった。
 席に戻り、しばらくするとお色直しを終えた二人が、キャンドルサービスで一つ一つテーブルを回り始めた。双子が選んだお色直しのドレスは紗枝のイメージにぴったりのライトグリーンで、腰から裾まで斜めに濃い緑のバラがあしらわれ、幾重にも重なりあうフリルが美しい。そしてアップした髪に飾られた青いバラがとても綺麗でまるで妖精の女王のようだなと麻耶は思った。
 それから、友人代表のスピーチが行われ、自由な歓談時間となると、麻耶と透は高砂たかさごに祝辞を述べにいった。
「紗枝ちゃん、すごい綺麗だよ。まるで妖精の女王様みたい」
「麻耶ちゃんたら、唯ちゃんや舞ちゃんと同じこと言ってる」
「ということは、あいつらの思惑通りってことだな」
 幸也がにやにやと笑った。
「あんたのそのタキシードもなかなかのもんよ。馬子にも衣裳よね」
 麻耶はダークブルーのタキシードをからかいまじりに褒めた。
「写真とるぞ」
 透がカメラを構えると、麻耶は二人の肩を抱いてにこりと笑った。そこへ、双子もやってきて一層華やかになる。なぜか、新郎新婦の友人たちまでシャッターを切っていた。それを機に、撮影会だ。そして、最後は全員が新郎新婦の後ろに並んで、プロのカメラマンが記念写真を撮ってくれた。
 それから新郎新婦の友人たちは、なぜだか競うように笑いを誘う出し物をした。披露宴は大いに盛り上がった。

 幸也と紗枝が新婚旅行に旅立った翌日。麻耶は家族で温泉旅行にでかけた。父がペット同伴可能な宿をいつの間にか予約していたのだ。
「あたしたちだけの家族旅行っていつぶりかな?」
「そうね。たぶん十七年ぶりじゃない?」
「そっか、そういえばスキーとか海とかには、幸也たちがいっしょだったもんね。その間って、温泉旅行には行ってなかったけ?」
「行ってないわね。キャンプとかはやった気がするけど」
 麻耶はそうだったかなぁとのんびりと記憶をたどる。確かに、温泉旅行だけは行った覚えはない。そして母親と二人で風呂につかっていると、麻耶はちょっとしんみりしてしまいそうになった。
「あんまり長くつかるとのぼせるわよ」
「はーい。じゃ、そろそろあがりますか」
 麻耶は湯船から出た。一瞬、ふらりとしたが踏みとどまって脱衣所に入る。体を拭いてバスタオルを巻き、備え付けの籐の椅子に腰かけた。体は重くてだるい。後から出てきた母は、手早く体をふき身支度を整えると、麻耶の隣に座る。しばらく無言でいると、別の泊り客が入ってきた。
「立てる?」
「うん、なんとか大丈夫そう」
 そう言って立ち上がった麻耶だったが、着替えは手早くとはいかなかった。そして、部屋に戻ると座布団を枕に横になった。不安を押し殺したような顔の兄と父に、麻耶はくすりと笑う。
「いやぁ、ちょっとのぼせちゃった。父さんも兄貴も、お風呂いっといでよ。気持ちいいよ」
 母も二人を目で促す。茶々は、寝転がった麻耶のそばにちょこんと伏せる。
「ああ、じゃあ。行くか、透」
「そうすっか。じゃあ、行ってくるからゆっくりしてろ」
 そう言って、父と透は部屋を出た。
 母は看護師だからだろうか、顔にはまったく不安の色を出さない。
「夕飯になったら、起こしてあげるから少し寝たら?」
「うーん。眠くはないかな。さすがにちょっとだるいけど」
「まったく、だるいだけじゃないんでしょ」
「あ、バレた?」
「母親をあまくみるなってぇの」
 そう言ってカバンから薬を出し、麻耶を支えるように起こすとそれを飲ませ横にする。
「母さん……」
「なに?」
 母は優しく微笑む。
「あたし、先生の提案受けようかなって思うんだけど」
 一瞬だけ、母の顔が曇ったようなきがしたが、母は微笑んだままそうねと言った。
「麻耶がそうしたいなら、誰も反対しないわ。茶々の面倒は、ちゃんと見るから安心しなさい」
 母は麻耶の手をそっと握った。麻耶は安心したように夕食までぐっすりと眠った。

 翌朝、早朝に目を覚ました麻耶は、家族を起こさないようにそっと着替えて、茶々と二人で近くの砂浜まで散歩に出た。穏やかな風はもう秋だと感じさせた。茶々は砂浜を元気に走り回るが、麻耶のそばをあまり離れない。麻耶は棒きれを見つけて、おもいっきり投げてみる。茶々は嬉しそうに走ると棒切れをくわえて戻ってきた。
「茶々、偉いね」
 麻耶がほめると、茶々は後ろ足で立ち上がってピョンピョンはねた。しばらく、遊んでから携帯を見ると時刻は七時になろうとしていた。
「おなかすいたね。茶々」
 ワンっと茶々が返事したので、抱き上げて宿に戻った。
「おかえり」
「ただいま」
「散歩はたのしかったか」
 父がそういうので、麻耶は茶々が棒を拾ってくるのが可愛くてたまらなかったと笑った。
「体ひやしてないか」
 透がそういうので、朝風呂したいねと答えた。
「そうだな。朝食までまだ時間があるし、ちょっといってくるか」
「あ、俺もいく」
「じゃあ、あたしは部屋風呂使おう。お母さんはどうする」
「あたしはパス」
 母はそういいながら、眠そうにお茶をすすった。
 麻耶はゆっくり朝風呂を楽しんで、できるだけ朝食を残さないように食べきった。

 麻耶は旅行から帰ると、寝込むことが多くなった。そして、母に相談した通り、医師の勧めていたケア病棟に入院した。
「病院っぽくないんですね」
 部屋に案内してくれた看護師にそういうと、ええと看護師が笑う。部屋にはベッドとクローゼット、簡易のテーブルセットがあって、壁も優しいライムグリーンだった。トイレもついている。窓も広くて、カーテンも淡いグリーンだ。
「他の空き部屋もみますか?」
「いえ、ここでかまいません。あの写真とか飾りたいんですが、壁に張ったりはできませんか?」
「できますよ。専用のシールがありますから持ってきましょう」
 そう言って看護師は部屋をでた。
 麻耶はトランクをベッドの上で開いて、洋服をクローゼットにしまう。それから、シールをもって戻ってきた看護師といっしょに施設をまわった。お風呂とシャワー室は共用で、午前八時から午後十時までは自由に使ってよいという。近くにはコンビニがあり、看護師か看護助士同伴なら買い物にも出かけられるということだった。
「わからないことがあったら、いつでもナースコール押してください。どんな些細なことでもかまいませんから」
「はい、ありがとうございます」
 麻耶は丁寧な説明を受け、もらったシールで写真を壁に張った。幸也の結婚式や家族旅行、茶々の写真をぺたぺたと張り付ける。それが済むと、さすがに疲れてベッドで横になる。眠れないので、ただぼんやりと写真を眺めた。

 麻耶が入院してから三か月が過ぎた。幸也がまだ退院できないのかなとつぶやくと紗枝が首を傾げる。
「連絡は、ないよね?」
「うん、閉鎖病棟だから家族以外のお見舞いも連絡もできないって言われてるしね。透にいにも何度かメールしたんだけどさ。退院したら連絡するからってだけで、病状がどうなのかは教えてくれないんだ」
「幸也に心配かけたくないのかもね」
「あいつの性格だとたぶんそうだけど……」
「もうちょっと連絡待ってみよう。心配しすぎはよくないわ」
「そうだね」
 だが、一月になっても二月になっても、退院したという連絡は来なかった。
 三月になり、最初の週末に幸也は紗枝といっしょに実家に戻ると、唯と舞がなんか変だと言い出した。
「ネットで調べたけど、最長三か月がふつうだって」
「麻耶ちゃん、うつ病じゃないかもしれない」
「こっちにも連絡来てないんだ?」
 紗枝がたずねると双子はうんと頷いた。
「一度退院して、再入院した可能性はないのかな」
 紗枝がそういうと双子はわからないと言った。
「二人で何度かお家に行ったけど、ほとんど留守だったの」
「一日だけ、透にいがいたけど、大丈夫だから心配するなって言われた」
 なんか避けられてるみたいと双子はしょんぼりとした。
「そういえば、透さんって東京で美容師やってたんでしょ?急に帰ってきたのって何か理由があるの?」
 紗枝が幸也に問うと幸也は首を傾げた。
「確か、忙しすぎてのんびりしたくなったって言ってたな」
 幸也の胸に何か重たい不安が広がった。
「幸也、今日の夜にでもお家に行ってみましょう」
 紗枝は幸也の手をぎゅっと握りしめた。

 そして幸也と紗枝は八時頃、高階家を訪ねた。チャイムを鳴らすとすぐに透がドアを開け、こんばんはという二人を見て、小さくため息をつく。
「こんな時間にどうしたんだ?」
「麻耶のことが知りたくて来たんだ」
「あいつなら、まだ、入院中だぞ」
「うつ病だって話だよな」
「ああ、そうだ。ついでに風邪こじらせて退院がのびてるけどな」
 透はがりがりと頭をかきながら、視線を逸らす。それで、幸也は嘘だとわかった。
「透にい……あいつほんとは何の病気なんだ」
「だから、うつ病」
「嘘だ。あんたが嘘つくときの癖が出てるよ」
 透がちっと舌打ちする。しばらく、二人がにらみ合っていると麻耶の父が出てきた。
「ああ、幸也君に紗枝さんか……透、もういいよ」
「けど、おやじ……」
「俺は言わないで後悔するより、言って後悔する方を選ぶよ。二人ともどうぞ、あがりなさい」
 透は幸也から視線をはずして、入れよと言った。

 翌日、朝から透がやってきて、幸也たちに麻耶が末期がんだと言うことが知れたと告げた。
「やっぱりバレたか……それで、見舞いには?」
「今、ロビーに待たせてる」
「仕方ないか。じゃあ、兄貴メイク頼むね」
 透は頷いて、少しでも元気そうに見えるようメイクをほどこし、ウイッグをつけさせた。それから、厚手のカーディガンを着せて、ガリガリにやせてしまった体を隠してくれた。
 そして、透は幸也と紗枝、唯と舞を連れてきた。双子の目は真っ赤だった。無言で立ちすくむ四人に麻耶はにこりと笑った。そして、唯、舞、おいでと両手を広げた。双子はすぐに抱き着いてきて、声を殺して泣き始める。
「黙っててごめんね。検査で見つかったときは手遅れだったんだよ。夏まで持てばいいほうだろうって医者からはいわれてたんだけどさ。人間って案外しぶといよね」
「じゃあ、もっと生きてよ」
 唯は泣きながら、無理を承知でそういう。舞も顔をあげて麻耶を見つめた。自分たちを抱きしめている腕は、ひどく細く頼りないのが分かっていた。もう、長くないのだとその身で感じるほどに。
「そうだね。もうひとがんばりして、花見に行こうか。お弁当は唯と舞が作るの」
「わかった。麻耶ちゃんの好きなから揚げいっぱいいれてあげる」
「うん、ちらしずしも作る」
 双子は涙を拭きながら、必死で笑った。
「紗枝ちゃんの手料理も食べたいな」
 紗枝は変わらない笑みを浮かべ、こくりと頷いた。麻耶は強い人だなと思った。そして心から安堵した。自分がいなくなっても、高遠家を支えてくれる人がいることに。
「少し、二人ではなしてもいいかな」
 幸也は力ない声でそういった。紗枝と双子は頷いて部屋をでる。幸也は椅子に腰かけ、麻耶の手を握った。
「お前、嘘つくの下手になったな」
「そんなに下手だったか?」
「ああ、唯も舞も気づいてるよ」
「そっか。まあ、仕方ないか。他に言いようがないからな」
 幸也は目が熱くなるのを必死でこらえた。
「まあ、寿命なんて医者が決めるもんじゃないからな。可能性はゼロじゃない。0.01くらいは残ってるさ」
「そうだな。そこに賭けるのはお前らしいよ」
 幸也は必死に笑って見せる。麻耶はすこしだけ弱音を吐く。
「正直、もうつらいんだ。生きてるのがこんなにしんどいって思ったことはないよ」
「薬は?」
「だんだん、効き目が薄れてる……」
 麻耶は疲れたように息を吐いた。
「まあ、あんたの結婚式出られてよかったし、あのあと家族で温泉旅行にも行ったし、紗枝ちゃんはいいひとだし……いろいろ安心したよ」
「……」
「うーん、幸也の顔見てるとレアチーズが食べたくなるなぁ」
 麻耶はふっと笑う。
「どこまでレアチーズ好きなんだよ……」
 幸也はそういいながら、紙袋からタッパを取り出した。レモンとチーズのいい匂いがする。
「ラッピングぐらいしてこいよ」
「嘘つきにはこれで十分だ」
 幸也は憎まれ口をたたきながら、タッパをあけた。そこにはタルトのような小さなレアチーズケーキが三つ入っていた。麻耶は水を少し飲んで、あーんと口をあけた。幸也は一つ摘み上げて、麻耶の口にそっと運んだ。麻耶は懸命に咀嚼して飲み込んだ。
「やっぱり、うまいな」
 そういいながら、また、あーんと口を開ける。麻耶は吐き気を覚えつつも、三つともたいらげた。
「願わくば花のもとにて春死なん。やっぱり花見はいかないとなぁ……」
「西行法師か……」
「そう。なんかずっと憧れてたんだよね。おばあちゃんになって、桜の花をめでながらさ。お茶すすってぽっくりってやつに。現実はそうそううまくいかないけどな」
「本当に……うまくいかないな」
 幸也は声を詰まらせて、俯く。泣くな!と必死で自分に言い聞かせて。麻耶はそんな幸也の頭にぽんと手を置いた。
「茶々はさ。告知を受けた日に買ったんだ。トイプードルって賢くて甘え上手だからさ。あんたも茶々を見習って少しは紗枝ちゃんに甘えろよ。それから、唯と舞に彼氏ができても、騒がず怒らず見守れよ。あの子たちだって、少しは大人だって認められたいんだからさ」
 幸也が黙って頷くと、頭から手が離れていく。母が死んだ日のように、ひどく胸が痛んだ。
「最近さ、よく思い出すんだ。唯と舞が小っちゃかったときのこと。ほら、保育園に行くの嫌がって困った時期があっただろ?」
「ああ、あの時か。どうやって行かせたんだったかな?」
「他のお母さんたちがなだめてくれたんだよ」
「そうだったか?」
「うん、いやいや期だからそのうちおさまるわよって教えてくれて。いつのまにかけろっとしてた」
「ああ、そうだった。俺、育児放棄しそうになってお前に怒られたんだよな。お母さんになるって言ったのは誰だよって」
「そうそう、喧嘩したよな」
「したな」
 懐かしそうに麻耶は目を細めてしゃべり続ける。
「あと、傑作だったのが性教育。あんた困り果ててどうしようって泣きついてきて」
「そりゃ、サニタリーパンツとか生理用品とか二十歳そこそこの男子には厳しいハードルだぞ」
「あたしも慌てて週末戻ってきたんだよね。それで四人で買い物に行って準備して」
「準備した矢先にあいつら二人とも初潮がきて……赤飯たくべきか悩んだな」
「そうそう、あのときはおかしかったなぁ」
「結局、赤飯じゃなくてちらし寿司にしたんだよな」
 幸也はうつむいたまま、声が震えないように笑って言った。今、顔をあげたら泣いてしまいそうだった。
 麻耶は気づいているのかいないのか、懐かしい思い出ばかりを話した。双子は片方が熱をだすと、もういっぽうも熱をだして慌てただとか、中学時代に女の子に囲まれてあんた高遠君のなんなのとかつめよられたとか。麻耶は何かにせかされているようにしゃべり続けた。幸也は、俯いたまま、ただ頷く。
「さすがに、しゃべりすぎたかな。喉がいたくなってきた」
 幸也がはっとしたように顔を上げると、麻耶はどこかうつろな目をして言った。
「そろそろきついな」
 幸也は思わずナースコールに手を伸ばそうとしたが、麻耶に力なく止められる。
「大丈夫だから……楽しかったよ。幸也。またな」
 麻耶は力なく微笑んでいた。幸也はまたなと必死で笑い返す。そして、病室をあとにした。それから、唯と舞を実家に送り届けて、アパートに帰り着いたとたん何かが堰を切ったようにあふれだす。紗枝は何も言わずに幸也を抱きしめた。幸也は声を殺して泣き続けた。

 それから一週間後、麻耶は昏睡状態に陥った。そして、家族が見守る中、一度だけ目を覚まし、ああ、桜、綺麗ねと言って眠るように亡くなった。麻耶の葬儀の日、しとしとと泣くように降る雨の中、桜がぽつりぽつりと咲き始めていた。




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