僕と彼女とよしゑさんの会話。あるいは考察の共有。PDFで表示縦書き表示RDF


僕と彼女とよしゑさんの会話。あるいは考察の共有。
作:マグロ頭


 その日、雲ひとつなく晴れ渡った清々しい青空に輝く太陽の下で、冷たい白雪は音もなく降り続けていた。
快晴の空に降る粉雪の午後だ。
僕と彼女とよしゑさんは、順番に並んで縁側に座り、静かにその不思議な光景を眺めていた。庭先には雪が薄っすらと積もっている。僕は息をする度に体の中が清められ、時が経つにつれて空気が荘厳になっていくように感じていた。吐き出す白い吐息だけはいつもと同じで、僕たちを現実に繋ぎ止めていてくれるかのようだった。
 僕たちが座っている縁側は、黒光りするよく磨き上げられた木の板で作られていた。そこに僕と彼女は直に座っていた。板はひんやりと冷たく、まるでどこかにひっそりと佇む神殿の大理石のようだった。もしかしたら今ここには神さまがいるのかもしれない。そんなことを考えてしまった。
 僕の隣に座る彼女は見るからに寒そうな水色のワンピースを着ていた。辺りには雪が降っているのだからそれなりに寒い。彼女の服装では、がちがちと歯を鳴らしてしまうのが普通のように思えた。でも当の彼女と言えば、輝く表情で降りゆく雪を楽しそうに見ていた。寒さなど感じていないようだった。
 そしてそんな彼女の奥で、よしゑさんは一人ふかふかの座布団の上に座っていた。半分閉じたような目で、さもつまらなさそうに降りしきる雪を眺めていた。そんな二人の様子を見た僕はと言うと、まあ不思議なこともあるんだなあと、妙に感心してその雪を見ていた。
「ねえ知ってる? 世界の半分は絶えず夜に包まれているんだよ」
 雪を見ながら、彼女は不意にそう口にした。
「今こうして私たちはこの景色を眺めているけれど、この裏側では寝苦しい夏の夜を過ごしている人がいるんだ。多分ね。ね、そうでしょ」
 そう彼女は僕を見た。まあ確かにそうだろうねと答えて、僕はこう続けた。
「今日じゃないだろうけれど、北極とか南極では一日中太陽が出続けたり、また夜だったりするらしいからね」
「うん。そうだね。カナダとか、ヨーロッパとかロシアとか、また逆にも言えるけど、極に近い場所だと夏場は遅くまで明るいものね。九時ぐらいまでは、まるで昼間のように明るいんだって。驚きだわ。でもね、私が言いたいのはそんなことじゃないの。例えどこかで白夜が起きていても、その反対側では明けない夜空の下でオーロラが揺らめいているかもしれないってことなのよ。分かるなか。世界の半分は絶えず夜に侵されているの」
「君はまるで夜を怖がっているみたいだね」
 僕はそう答えた。
「違うわ。そうじゃないの。私は夜を怖れてなんかいない。夜はあって当たり前なの。だって昼間があるんですもの。対立するものがなくてはならないじゃない」
「まるで太極図のようにね」
 ずっと黙って雪を見ていたよしゑさんが、しわがれた老婆のような声でそう言った。彼女はひとつ頷いた。
「そう、そうなの。まるで太極図みたいに世界は平等に二つに分けられているの。分かるかしら、このことが。昼と夜なの。それが普通なの」
 僕も頷いた。
当たり前のことだと思った。
でもその当たり前を彼女は強調した。
何かそこにはありそうだ。
僕は黙って彼女の話の続きを待った。
でも、どれほど待っても彼女はなかなかに話し始めなかった。
それどころか、僕から視線を外してまた雪を見始めてしまった。
その表情からは、今のところ彼女にはもう話すべきことはないように思われた。
やれやれ、だからなんだと言うのだろう。当たり前のことは当たり前なのだから、何も口に出して言葉にする必要はなかったのではないだろうか。僕は肩透かしを食らった気分で、何だか拍子抜けしてしまった。視線を彼女から雪へと戻す。しばらくの間、いかめしい沈黙が僕たちの上に覆いかぶさっていた。
「私たちはね、夜から逃げようとし過ぎているの」
 そう唐突に彼女はまた話し始めた。雪から視線を僕に戻した彼女は、噛み締めるようにひとつひとつ言葉を口にした。
「考えてみて。どうしてあんなに街灯が多いのかとか、どうして夜遅くまでみんな電気を付けているのかを。あれはね、昼を延長しようとしているからなの。夜の本質である、いえもしかしたら宇宙の本質なのかもしれないけれど、闇を追いやろうとしているの。それが何を意味するか分かる?」
 そう彼女は聞いてきた。僕はまっすぐに僕を見つめる彼女の視線をじっと見返していた。問掛けがあまりよく理解出来なかった。
「バランスの崩壊。理の消失だろうね」
 彼女の背後で、よしゑさんがそう答えた。彼女はよしゑさんの方は向かずに、ずっと僕を見つめたまま大きく頷いた。
「そう、つまりはそう言うことなの。私たちは私たち自身でこのサイクルを断ち切ろうとしているの。蝋燭とか、かがり火とか、そう言った灯りの時はまだよかったの。闇が絶えずそばにあったから。と言うよりも、灯りのお陰でより一層闇は強調されていたの。でも今は違う。明かりになってしまった。真っ白で闇を追いやる明かりにの。私たちは夜なのに昼を求めるようになってしまったの。夜でも昼を続けることはとても便利だったから。でも、それは長い目で見ればひどく危ないことなのよ」
「それはどうしてなんだろう」。僕は尋ねた。
「わからない」。彼女は答えた。
「けれどそんな気がするの」
 そうして彼女はまた視線を雪へと戻した。僕もそれに倣った。雪は相変わらずしんしんと降り続けていた。その奥に広がる青空は、実はたくさんの青を隠し持っていて、知らない間にちょっと前までの青とは違う青になってしまったようだった。
「ねえ、よしゑさん、どうしてなんだろう」
 沈黙をまた彼女が破った。
「どうしてそのことが危ないのかな」
 僕と彼女はよしゑさんの方を見る。よしゑさんはじっと雪を見ながらしばらく黙っていた。そしてひとつ、つまらなさそうにあくびをしてこう答えた。
「理が消えてしまうからだよ」
 そしてよしゑさんは黙った。
 なるほど、そうなのかもしれない。僕は一人納得した。何ひとつ具体的には分からなかったし、そもそも何が問題なのかもよく分からなかったけれど、とりあえずそこには問題があって、それがなぜ問題なのかというと理が消えてしまうかららしかった。そういうことなのだと言うことは分かったし、納得出来た。
 見れば、彼女はぼんやりと宙を見上げていた。目の前に広がる不思議な雪の景色ではなく、どこか、そう例えば今この瞬間、ちょうどここの裏側に訪れているのであろう夜を見つめているかのようだった。
 そんな彼女がまた唐突に口を開いた。
「私たちは、今ここにあるこの星のことを地球と呼んでいるけれど、地球ってほんとは何なんでしょうね」
 それはまるで感情をなくした人形が呟く独り言のように抑揚のない声だった。そして妙に心を揺さぶる音色だった。だからなのかもしれない。僕は自然に今ここにある、この地球と呼ばれている星のことについて考えてみた。
 真っ暗闇の宇宙に浮かぶ、青い星。
雲があって、海があって、陸地があって、人が、生物たちが生きているところ。時折晴れているのに雪が降ったりするけれど、結構天気ははっきりしている。地震とか台風とか、恐ろしい自然災害が起きる。火山があって、血のように紅い溶岩が内部に隠している。そんな場所が僕が考えた地球だった。つまり、それが僕にとっての地球の全てだった。
「ねえ、太郎。あなたはこの地球と言う星について何か知ってる?」
 そう彼女は僕を見て聞いてきた。僕は今しがた考えた僕にとっての地球のことを彼女に伝えた。出来るだけ分かりやすく、同じ映像が浮かぶように丁寧に説明した。そして最後に、僕の名前は太郎ではないといつものように言った。
「ふーん、それが太郎の地球かあ」
「全く、君は何度言えば分かってくれるんだ。僕は太郎じゃない」
「ははは、ごめんね。確かにあなたは太郎じゃないよね。でも私の中でのあなたは太郎なの。ごめんね。でもそれは事実なのよ」
 朗らかに笑い答えた彼女に、僕はいつものようにふてくされた。
 僕の名前は太郎じゃない。
そんなちんけな名前じゃないのだ。僕にはもっとかっこいい、きりりと決まる名前がしっかりとある。彼女には再三に渡ってその名前を教えてある。それにも関わらずまた間違えるとは一体どんな了見なんだろう。僕は出来るだけ厳しい目をして彼女のことを睨んだ。彼女はさもおかしそうに、声をあげて笑った。
「そんな顔するから太郎って呼びたくなっちゃうのよ。仮にも女の子でしょ? もうちょっと考えなさいよね」
 大きなお世話だ。僕はそっぽを向いた。彼女の笑い声が、嫌に耳に染み込んできた。
「だが、名前とは概して大切なものだよ」
 そうよしゑさんは口を開いた。僕と彼女はよしゑさんの方を見る。よしゑさんは僕のことをじっと見つめて話し始めた。
「お前にはちゃんとした名前がある。私はそのことを知っている。そしてその名前があるお前を表していることも。でも、よく考えてごらんよ。お前に付けられている名前はそれだけかい? たったひとつ、お前が認めたものしかないのかい? 違うだろう。お前には知らず知らずのうちにたくさんの名前が付けられている。それこそお前が知っている大好きなものや、大嫌いなもの、そして知らないものまでたくさんある。お前は一生のうちにその全てを知ることが出来ないのかもしれない。それほどたくさんの名前が私たちの周りには溢れているんだ。もちろんこのお嬢ちゃんに対してだってたくさんの名前がある。お嬢ちゃんが嫌いな名前もある。お前と私だけが使っている名前もあるじゃないか。もちろんそれは私にも言えるのだろうけれどね」
 よしゑさんは語り、視線を降る雪へと返した。彼女が僕のことを好奇心に輝いた目で見つめてきた。僕は彼女に、彼女の知らない彼女の名前を教えてあげる気はさらさらなかったから、無視することにした。軽く受け流した僕を見て、彼女は頬を膨らました。ざまあ見ろ。心の中で呟いた。よしゑさんが再び話し始める。
「さっきの話じゃないけど、地球にだってたくさんの名前がある。お前たちの身体のように、内部にたくさんのものを抱えて、そして地球になっているんだ。だからお前たちが考えた地球と言うものが果たして本当の地球なのかどうかは誰にも分からない」
「でも、地球は太郎が言ったようなものでしょ?」
 彼女がそう口を挟んだ。雪を見続けるよしゑさんは目を細めて、そしてしばらく黙った。辺りは驚くほどに静かだった。
「そうなのかもしれない。でも違うのかもしれない。それは外部の、言わば肉体だけがそう呼ばれているのかもしれない。何せ地球の中身のことは誰も分かっていないからね。ヒトと同じだよ。器としてのヒトと、精神としてのヒトは違う。二つ合わさって人になるんだれうからね」
 一呼吸置いて、よしゑさんは続きを話し始めた。
「どうやら地球の中心には核とか言う高温の超質量の物質があるみたいだけれど、そんなもの誰が見たわけでもない。確かに計算上、物理学上、または計測上、そこにはそれ相応のものが眠っていなければならないだろうよ。じゃないと困るからね。困ることを数字は嫌うんだ。でもね、誰も見ていないんだ。そこに何があるかなんて誰一人確認してはいないんだよ。もしかしたらそこには誰も知らない、まだ見ぬものがあるのかもしれないし、空っぽなのかもしれない。見てないから分からないんだ。でも、学問とは恐ろしいものでね、あたかもそれが本当であるかのように決めつけてしまう。そうじゃないと、次の事柄を思考出来ないからね。確かに全ての事柄はある法則に則って考えると収まりが付くのかもしれない。正しいこともたくさんあると思う。でも、それが真実かどうかは誰にも分かんないんだ。ただ一人を除いてね」
「それは神様のこと?」
 彼女がそう聞いた。
「さあ、分からない。あるいはそう呼ばれているものかもしれない。でもそう呼ばれているものでさえも、誰かに作られたのかもしれない。どんな物事でも、ある一定の場所でそれ以上の考察を不可能にするんだ」
 そうよしゑさんは答えた。そして最後に
「実につまらない」と口にした。辺りはまた静寂に包まれた。
 視線をよしゑさんから外に向けると、不思議な雪がまだ降っていた。
僕はどうしてこの雪は降っているのだろうと考えてみた。
だって空にはどこにも雲はないのだ。
それなのに降っている。
どこからやって来ているのだろう。
山の向こうから飛ばされて来ているのだろうか。もしかしたら遥か上空には目に見えない雲があるのかもしれない。いろいろと考えてみて、でも結局のところよく分からなかった。だから僕はよく分からないね、と口にした。彼女はうんと頷き、よしゑさんはそうさ、と言った。僕はそうなのだろうと思った。
「あー、寒い寒い。もう十分だね。あたしゃ部屋に戻るよ」
 そう言って、よしゑさんは座布団から立ち上がると、部屋の奥に置かれたコタツの中へと、頭から入っていった。猫はコタツが本当に好きなのだ。僕も好きだから入りたいのだけれど、よしゑさんがいるからなかなか難しかったりする。
「んー。私も帰ろうかな」
 そう隣の彼女は大きく伸びをして呟いた。そしと僕の頭を二度ほど軽く叩き、またねと言って綺麗に微笑んだ。彼女は足元からすぅっと消え始め、とうとう見えなくなった。
 一人縁側に残された僕は、降りしきる雪をじっと見ていた。そして何となくその不思議な景色に吠えてみた。
「わん」
 冷えた空気が、僕の鳴き声でちょっとだけ振動したように感じた。


はい、と言うことで、犬と幽霊と猫が登場人物でした。作中、いろいろと彼ら語ってますけど、物凄く穴だらけです。突っ込みたくなった方も多いのではないでしょうか。どんどん突っ込んでください。作者まで。あ、それに関連して、よしゑさんが物理などを完全じゃないと言ってますが、それは多分違います。物理学でかなりのことは分かると私は思います。凄いですよね、数字って。暴力的正しさを持ってますから。あと、今回文学としましたが、正直違うような気がするので参ってます。なんでしょ、これのジャンル。長くなりました。それではこの辺で。













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