人の世というのは不思議だ。
奴らはやたらと群れたがるくせに、その傍らで自分と違う誰かを跳ね除けようとしている。きちんとした制度や法律があるのに、その裏には必ず暗黙の領域が存在し、そいつはいつもブラックホールのように口を開けて、人間という種の汚い物を吸い込んでいく。
牙だらけの、暗い穴。飲み込まれたら最後、陽の当たる場所へは戻れない。
――なんともまぁ、重たい話だ。人種だの国境だの民族だの、そんなものは全部、白紙に戻ればいいのに。
そんなワケで、俺は世界を真っ白にしようと思った。
まるで誘蛾灯に魅せられたように、沈黙を破ろうとした。
ただ、それだけだった。
「痛っ」
唇から零れる赤が、シャツの上を苦い色で彩る。
口の中が切れてる。あれだけ殴られたんだから仕方ないか。むしろ歯が折れていないって事が、半ば奇跡的なぐらいだ。
「……」
見上げた夜空には星がなく、青く冷たい感覚が俺の全てを飲み込んでしまいそうだった。
「飲み込まれて、しまえばいいのに」
何もかも飲み込まれて溶かされるなら、どれほど楽になるだろう。俺をタコにしたあいつらを、今まで歩んできた道を、俺という存在自身を――そして、人種というステイタスを。
全部消えてしまえばいい。どいつもこいつも小綺麗な仮面の奥底に、言いようのない鋭い毒牙を隠している。笑顔なんてのは、その先にある奈落の予兆に過ぎない。
差別なんて大嫌いだ。
疎外なんて大嫌いだ。
命なんて、もっと嫌いだ。
なのに、どうして。
「人間なんて……」
大嫌いだ、と俺は言えないのか。
「……」
分かってる。答えは分かりきっている。ただ、認めることも否定することも、今の俺には出来ないだけで。
――何もかも無くなれば、楽になる。だけど、それは、幸せになる、って事とは違う。
もう一度、空を見上げる。相変わらず星の輝きは褪せたままだが、くたびれたビルの影から、煌々と輝く月が顔を出していた。そうか、星が見えなかったのは、こいつが明る過ぎたからだったのか。
否定できるものは全て否定した。要らないものは全て唾を吐きかけた。
だけど、いま此処に在るソレだけは、誰にも否定させてやらない。
「畜生……俺は人間だ」
奴らがそうであるように、俺だってそうなんだ。
俺がそうであるように、奴らだって。
だから、人間を嫌いになることは出来ない。
ましてや否定なんて、出来るはずがないんだ。
それを妨げるルールがあるなら、そんなモンは俺が引き裂いてやる。
少なくともその時までは、俺は俺の肌を愛し、俺の血を誇り、俺の全てを担いでいく。
いつしか空には星が煌き、俺を暖かく見守っていた。
「人間を舐めんな、人間ども」
掟破りの遠吠えが、夜の風に舞い、世の闇を揺らす。
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