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あの頃に戻れたら

作者:榛李梓
「小学生っていいよな」
「おまわりさんこいつです」
「いや、そういう意味じゃねえよ。」

 昼休み、会社の社員食堂のテーブルの向かいで俺と軽口をたたき合っているのは、同期の丸山だ。
 丸山とは部署こそ違うが、同期社員が少ないこともあり、食堂で姿を見付ければなんとなく一緒に昼食をとることが多かった。
 俺達も入社4年目になり、次第に責任も増えてきた。会話の内容に仕事の愚痴も加わったものの、やはりこんな風にくだらない話をすることの方が多い。

「そうじゃなくてさ、小学生に戻りたいとか思ったことない?」
 カレーライスをスプーンですくいながら丸山が続けた。
「あー、そうだな。仕事しなくていいしな。遊んでればいいもんな」
 友達とゲームしたり、公園を駆け回ったりして、くたくたになるまで遊ぶ。夕方家に帰ると晩御飯のいい匂いがして、テレビに夢中になっていると、早く寝ろと怒られたりする。
 明日が来るのが待ち遠しかった日々。
 たぶん誰もが一度は思うだろう。あの頃は良かった、あの頃に戻れたら、と。

「最近よく小学校の夢を見るんだよ」
 ノスタルジックな思い出に浸っているところを、丸山の言葉に現実に引き戻される。
「小学校の夢? テストで0点取る夢か」
 俺は茶化すように言って定食の生姜焼きを頬張った。
「テストもあるし、遠足とかもある。それに普通に授業もあるし、友達と遊んだり、とにかくリアルな夢なんだよ。あ、0点は夢でもリアルでも取ったことないから」
「あー、遠足ね。どこ行ったっけな。全然覚えてないわ」
「お前が遠足でどこ行ったかはどうでもいいよ。その俺の夢がさ、なんか変なんだよ」
 回りくどい話し方をしているが、要は丸山は自分の夢の話がしたいのだ。

「変って、どう変なんだ?」
 俺が訊ねると、丸山は少し考えてから口を開いた。
「まず小学校が、俺の実際通ってた小学校で、先生もクラスメイトも当時のメンバーそのままなんだよ。それはまあいい。夢って自分の記憶が基になってるわけだしな。で、夢の中で俺も小学生に戻ってて、授業受けたり昼休みに遊んだりして過ごしてる」
「それくらいならわりと普通にある気がするけど」
「そうなんだけど、起きた後もはっきり覚えてるし、夢とは思えないくらいリアルなんだよ。なんていうか、本当に小学生に戻って生活してるみたいな」
「仕事のストレスで無意識に現実逃避してんじゃないのか」
「……かもな」
 まだ何か言いたげな丸山の様子が気になったが、昼休みの終わりとともに夢の話はそれきりになった。


 数日後、飲み物を買いに席を立つと、自販機の横のベンチに丸山が座っているのを見つけた。
 丸山はこちらに気づくと軽く片手をあげて挨拶してくる。
 俺は当たり付き自販機の前に立って少し迷った後、小銭を取り出そうとポケットの中を探ったが、ポケットの中は空だった。
「奢ってやるよ」
 俺の様子を見ていた丸山が立ち上がって自販機に小銭を投入した。ずいぶん機嫌が良いようだ。いつもならただ笑って馬鹿にしてきそうなのに。

「この間の夢の話、覚えてるか?」
 コーヒーのカップを取り出して丸山の隣に座った途端、待ちかねたように丸山が話し出した。
「ああ。小学校の夢だろ」
「それが、中学になったんだよ」
「は?」
「この前まではずっと小学生だったんだけど、毎日ちょっとずつ進んで、今は中学に上がったんだよ」
 少し興奮気味で丸山が言った。
「毎日?」
「うん。中学もやっぱり俺が通ってた学校で、先生もクラスメイトも同じだな、たぶん。いやー、やっぱ中学は小学校と違って大変だな。部活もあるし、先輩はうざいし。昨日の夢でも、俺達が走らされてる時に先輩らは日陰で喋ってるだけだし、マジねえわ。ま、もうちょっとで先輩達も卒業するからそれまでの我慢なんだけど」
 丸山はよほど浮かれているのか饒舌に喋り続けている。
 しかし、何かおかしい。
 夢が毎日続いている? そんなことがありえるのか?
 それに丸山が話しているのは夢の話のはずだ。丸山の口ぶりは、まるでそれが現実にあったことのようではないか。

 俺は落ち着こうとコーヒーを一口飲んだ。
「なあ、それって、夢の話なんだよな? 妄想とかじゃないのか?」
「夜寝てる時に見る夢だよ。……妄想ではないと思う。夢の中の俺はさ、今の俺の記憶とかはなくて、本当に小学生とか中学生の俺なんだよ。どうせなら強くてニューゲームの方がいいんだけどな」
 丸山は夢だという自覚があるようだが、俺にはやはり信じられない。
 それとも俺が知らないだけで、他の人にもそういうことがあるのだろうか。
 俺は手元のコーヒーを飲むのも忘れ、頭の中で納得できる仮説を必死に探していた。

 丸山は黙っている俺のことなど眼中にないようで、夢の世界に思いを馳せるように虚空を見上げて話を続ける。
「実はさ、夢で、彼女ができたんだよ」
「彼女?」
「そう!クラスは違うんだけど、すっげえ可愛いの。この前一緒に水族館行ったんだよ」
 俺が訝しんでいるのを興味があると勘違いしているのか、丸山はいっそう興奮したように早口になった。
 「彼女」との惚気話を続ける丸山を無視し、俺は考え込んだ。

 やはり変だ。
 夢は所詮夢だ。いくら夢の中で可愛い彼女ができたといっても、それは現実ではない。
 丸山の喜び方は異常だ。
 いつもと同じはずの丸山の笑顔が不気味に思える。

「丸山さん、打ち合わせ始まりますよ」

 廊下の先から投げかけられた女性社員の声で、俺の思考と丸山の話は中断された。
「じゃあ、俺行くわ」
 丸山は上機嫌のまま立ち上がり歩いていった。
 氷の融けきったコーヒーを飲む気にはなれず、俺はほとんど減っていないコーヒーを捨て、考えの纏まらない頭で仕事に戻った。


 その夜、風呂上がりに冷蔵庫からビールを取り出しているところに、彼女の美咲から電話がかかってきた。
 開口一番に繰り出される上司の愚痴は適当に流し、ずっと考えていたことを聞いてみることにした。
「なあ、連続する夢って見たことある?」
「何それ」
「毎日見る夢の中で小、中学校生活送るんだってさ」
「ふーん、面白そう。もう一つの人生みたいな? 漫画か何かの話?」
 彼女の感覚でもやはり現実的な話ではないようだ。
 彼女は夢の話にはさして興味がないらしく、その後は最近出来たカフェの話や彼女の友達の彼氏がひどいなどといった、俺にとってはどうでもいい話を延々と聞かされ、ようやく電話を切った時には日付が変わっていた。

 俺はベッドに横になると、また丸山の話を思い出していた。
 自分の通っていた小学校はどんなだったっけ、と記憶を探ったが校舎の造りも曖昧だ。
 たしか校庭で兎やインコ、鶏、孔雀を飼っていた。中庭には大きなタイヤの遊具があった。
 二階に図書館があったのは、小学校だったか、中学校だったか……。
 考えているうちにいつの間にか眠りに落ちた。
 夢は見なかった。


 それから2週間ほどは仕事が忙しく、昼は食堂に行かずに自分の席で簡単に済ませることが多く、丸山と顔を合わせることもなかった。
 ようやく一段落ついた頃、帰ろうと自分のデスクで荷物を纏めていると、丸山とは別の同期の北川がやってきた。
「繁忙期終わったんだろ? 飯食いに行こうぜ」

 俺と北川は駅近くの居酒屋に入った。
 注文したビールが運ばれ、軽く乾杯してからジョッキを傾ける。仕事の後のビールは格別だ。
「最近どうよ」
 喉を湿らせた後で、お互い軽く近況などを報告し合った。
 北川と話すのも久しぶりだ。アルコールも手伝って会話が弾む。

「そういえば、最近丸山と話したか?」
 程よく酔いも回ってきた頃、呑んでもあまり顔色の変わらない北川が言った。
「丸山? ここんとこ忙しかったし、そういえば見てないかも」
 焼き鳥の串に齧り付きながら、丸山と最後に話したのはいつだったか考える。
 そう、少し前の休憩の時だ。丸山の様子がおかしかった――。
「あいつ異動になるかもしれないって」
 あの時の丸山を思い出して何か嫌な予感を覚えたが、北川の口から出た言葉は予想と違う現実的なものだった。
「異動って? この前会った時はそんなこと言ってなかったけど。本人から聞いたのか?」
「聞いたのは本人じゃない。噂になってる。お前知らないのか?」
 営業の北川は社内にも広い人脈を持っていて、俺よりもかなり事情通だ。
「噂って何だよ」
 俺の問いに北川は少し声を落として答える。
「あいつ、最近でかいミス何回かやらかしてるみたいだ。それも知らないのか? このままだとたぶん来月あたりの人事で大阪に飛ばされる」
「遠いな。それって、暗に嫌なら辞めろって言ってんのか」
「だろうな。この前、一昨日くらいかな、ちらっと見かけたんだけど、あいつひどい顔してて声かけれなかったよ。ちゃんと寝れてんのかな」
 北川なりに丸山を心配しているらしい。それで今日誘ってきたのか。
 それにしても、北川の話は俺にとって寝耳に水だった。丸山も仕事の失敗なんて、そんな素振りは見せていなかった。

「あいつさ、……」
 俺は北川に丸山の夢の話をした。
「あー、部長に相当怒られたみたいだし、現実逃避かな。あいつ去年彼女と別れたって言ってたけど、その後そういう話ないし、そういうのもあんのかね。にしてもヤバいな」
 北川はうんうんと頷きながら独り合点している。
 確かにそんなことがあれば夢に逃げるのも分かる気がする。
 しかし――。
 俺はふと浮かんだ疑問を投げかけてみた。
「丸山がミスやらかしたのって、いつの話?」
「たしか先週だけど」

 違う。
 北川の考えは間違っている。
 因果関係が逆だったのだ。
 丸山が学校の夢を見始めたのはもっと前だ。
 仕事のストレスで現実逃避をしたのではない。
 2週間前に中学に上がったと言っていた、あの後も夢が続いていたとしたら。
 夢のせいで、丸山はミスをしたのだ。

 確信めいた考えに悪酔いし、その後は料理も酒も味がしなかった。


 翌日重い頭で出社すると、丸山を探した。
 丸山は出社していないらしい。丸山の部署の女性に聞いてみたが、彼女も理由は知らないようだ。
 嫌な感じだ。
 頭痛がする。
 纏わりつく不安を消そうと、丸山に電話をかけた。
 しばらくのコール音の後、留守電のアナウンスが流れる。
 きっと風邪か何かだろう。電話に出ないのは病院かもしれない。そう自分に言い聞かせる。
 しかし、仕事の合間に何度電話しても、何度メールを送っても応答はなかった。


 ようやく丸山に電話が繋がったのは、その日の夜だった。
「……何の用だ」
 電話越しの丸山の声は聞いたことがないほど暗く、顔を見なくても尋常ではない様子が窺われる。
「何の用だじゃねえよ。お前今日休んでたけどどうしたんだよ。……大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。前回は失敗したけど今度はうまくいく。前回はちょっと遊びすぎたんだ。今回はちゃんと勉強もしてる。彼女だって、あんな女よりもっといい女はいくらでもいるからな」
「な、何の話だよ」

 丸山は何を話している?
 前回? 今回?
 何のことだ?
 理解できない。
 ぼそぼそと抑揚のない声が気味悪い。

「……じゃあ、切るわ」
 戸惑う俺を残して電話は切られた。


 その後いくら電話しても丸山は出なかった。
 連絡が取れないまま丸山は会社に来なくなり、数日後に人事通達で退職したと分かった。
 社内では様々な噂が囁かれたが、すぐに話題に上らなくなった。
 北川が言うには、親が来て田舎に連れて帰ったらしいとの話だ。
 俺に分かるのはそれくらいだった。


 丸山の話を思い出す。
 夢の中の学校生活。
 本当に夢だったのだろうか。
 それとも心の病での妄想だろうか。
 今となっては分からないし、丸山の行方を追って確かめようとも思えなかった。

 最近はますます仕事に忙殺されてそれどころではなくなった。
 会う時間が減って美咲はいつも不機嫌で、喧嘩も増えた。


 もし、と考える。
 もし自分も丸山と同じように小学生に戻る夢を見たら。
 やはり同じように夢に囚われてしまうのだろうか。

 あの頃に戻れたら。
 どんな風に夢を過ごそうか。
私は「あの頃に戻れたら」とは思いますが、「あの頃に戻りたい」とは思いません。

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