第6話 巨人
森の木々の間をすり抜けるように走り抜けていく。
魔力によって強化されたルルの身体能力は、森を駆ける狼に匹敵する速度を彼に与えていた。
脚部にじんわりと輝く闇色の魔力光は、魔王だったときと変わらない煌めきを放っていて美しい。
突然森に現れた闖入者であるルルに、森の動物や魔物たちも無関心ではいられない。
ルルが通るたびにその耳をぴくぴくと動かし、顔を向けて襲いかかってくる。
しかし、ルルのあまりの速度に反応も出来ず、結果としてルルの背後に置いてかれていく。
そんなルルがいま向かっているのは、グランとユーミスが言っていた古代魔族の遺跡であった。
村の近くの森の中でも比較的深い位置にあるらしく、村の猟師たちくらいしかその詳しい位置は分からないらしいその遺跡。
ただ、その存在自体は村でも森に入る者の間では有名らしく、村人たちは実際、みんな知っていた。
本来なら、その場所がどこなのか、詳しく尋ねて正確な場所を把握してから向かいたかったところだが、事は一刻を争う。
そんなことをしている暇はなかった。
幸い、だいたいの方角は昨日耳にした冒険者二人と村人との会話で分かっているし、そもそもルルには魔力によって底上げされた高い感知能力もある。
そのおかげで、グランやユーミス、それにラスティたちの持つ魔力や気配、それに匂いなど、小さな手がかりを確実に掴んで進んでいくことが出来た。
ルルの足は止まらない。
生まれ変わって出来た、初めての人族の友人たち。
その命を、散らすわけにはいかないのだから。
◆◇◆◇◆
運がいいのか悪いのか、ルルがやっとの思いでたどり着いた遺跡近くのその場所には、グランだけでなく、ラスティとミィ、それにユーリまでもがいて、ルルは驚いた。
見れば、ラスティたちは怯えて抱き合って言葉も出ないくらいに震えている様子だった。
「お前、なんでここに! ユーミスはどうした!?」
グランの怒声が響く。
彼は大剣を構えながら、その背にラスティたちを庇っていた。
筋骨隆々の彼の背中は見るからに頼もしく、いかなる存在からも守ってくれそうな迫力が感じられる。
しかし、そんな彼をしても、分の悪い存在というのはいるのかもしれない、そう思わせる相手が、彼の目の前にはいた。
ラスティたちが震えているのもさもありなん、彼らを庇うグランの前方には、現代ではほとんど見ることのなくなったはずの、数体の魔導機械が立っていて、グランたちに対して赤く輝く無機質な瞳を向けているのだ。
「助けに来た! ユーミスは村で結界を張ってるよ!」
ルルはそう言って、グランの横に着く。
そんなルルにグランは怪訝な目を向けて、
「はぁ!? お前何言ってんだよ!? 無理に決まってんだろうが!? 来ちまったもんは今更とやかく言ってもどうしようもねぇが……お前も後ろに隠れてやがれ!!」
言いながら、グランは大剣を魔導機械たちに向ける。
戦いの最中であればこんな会話をしている暇はなかったかもしれない。
だが、不思議なことに魔導機械は動かずにこちらをただ見つめているだけのようであり、だからこそ会話をしている余裕があった。
目の前にいる魔導機械のデザインは、一言で言ってみれば巨人、と言った雰囲気で、おおむね人型をしており、その体は太く大きい。
手にはそれぞれ剣や斧と言った武器を所持しており、そのサイズは巨大で、一振りで人間などは簡単に肉塊へと変えられてしまうことだろう。
体の大きさは、だいたい、3メートルはあるだろうか。
その巨体のほとんどが、岩石で構成されていて、ひどく堅そうであるのも厄介に感じられる。
顔に当たる部分についているのは、赤く光る大きな目が一つ。
全体の特徴から見て、ルルはその魔導機械が戦争初期に大量に生産された"岩巨人"であると当たりをつけた。
確か、性能自体はそれほど高くない、単純な作りの魔導機械の一つだったはずだ。
しかしそうであるからこそ、大量生産が簡単で、かつ壊れにくかったため、土木作業によく使われたのを覚えている。
かつてルルが住んでいた居城も、大量の岩巨人が投入されて作られたものであり、なんとなく感慨深い。
ルルはそんな岩巨人と対峙しながらも襲いかかってこないこの状況の理由を考える。
土木作業用とは言え、緊急時には戦闘用に転用されることも少なくなく、人族との戦争が終わりかけていた頃にはほとんどすべての岩巨人は戦闘用に使われていた。
したがって、その攻撃目標は基本的に人族に設定されているはずなのだが、今、襲いかかってこないということは、それ以外の目的が設定されていることを示している。
ユーミスが逃がした、空を飛んでいたあの蜂型の魔導機械、"魔砲蜂"は明確に人を狙っていたのに、一体どういうことなのか……。
そこには何か行動原理となるものがあるような気がする。
ルルはそんなことを考えながら、グランに言う。
「俺は大丈夫だから、グランはラスティたちを守っててくれ」
「だから、そんなこと認められるわけねぇだろ! お前がどうにかなったとき、俺はお前の両親にその説明なんかしたくねぇ! だいたい、今回のことは、俺とユーミスのせいなんだ。黙って守られててくれ!」
グランは叫ぶようにそんなことを言う。
責任を感じているのだろう。
不用意にグランとユーミスが遺跡に入ったがためにこんなことになったのだ、と。
だからこそ、それによる被害は出したくない。
よく理解できる理屈である。
けれど、ルルはグランの懇願にあえて応えずに、一歩ずつ岩巨人に近づいていく。
どのあたりまで近づけば、あの魔導機械は行動するのか、それとも近づいても行動しないのかを確かめるためだった。
「おい!」
グランは尚も叫ぶが、ラスティたちがその背にいる手前、動くわけにもいかない。
いつ岩巨人が襲いかかってくるか分からない。
だからこそ、グランは岩巨人ほとんど活動していないにも関わらず、ここで足止めを食っていたのだ。
本来なら、ユーミスが結界を張って戻ってくる手はずだったのだが、なぜかルルが来てしまったために、他にとれる行動をグランは失っていた。
ラスティはルルの様子を見て、流石に幼なじみが危険に向かっていくことに耐えかねたのか、震えながらもルルに叫んだ。
「ルル! やめろって!」
しかしそれでやめるくらいなら、はじめからこんな行動に出てはいない。
そもそも何のためにルルがこんなことをしているかと言えば、魔導機械を止める方法を知っているのがルル一人だけだからだ。
その方法をグランたちに教えたところで、遺跡の中にあるだろう中央装置の扱いを知らなければどうしようもない。
それこそ一朝一夕で出来ることではなく、したがって彼らに任せる訳にもいかないのだ。
だから、ルルはそれが気休めに過ぎない言葉だとは理解した上で、言った。
「大丈夫だから、お前たちはそこでグランに守られてろ! 俺は……こいつらの相手をしなきゃならない」
魔導機械に近づく。
どこが境界だったのかは分からないが、岩巨人たちがその瞳の標準をルルに合わせ、その動かなかった巨体を稼働させ、ルルに襲いかかってくる。
一定以上の距離に近づくと襲いかかってくるタイプなのか。
そう確認したルルは、一旦、距離をとって、岩巨人が襲いかかってこなくなるまで下がる。
どこまでも追いかけてくる可能性ももちろんあったが、現実にはそうはならなかった。
ある一定以上の距離になると、岩巨人は途端におとなしくなり、すごすごとはじめにいた位置にまで戻っていくのだ。
そしてその一定距離の起算点は岩巨人から起算されるのではなく、遺跡から起算されているようであることが、何度か近づいたり遠ざかったりを続けることで理解できた。
それを後ろから危なっかしそうに見ていてグランも同じように理解したようで、警戒を解いた。
「……どうやら、遺跡に近づかなきゃ襲ってはこないらしいな……?」
「そうみたいだ。ただ、村に飛んできた蜂型の魔導機械は有無を言わさずに襲いかかってきたからな。たぶん、あっちとこっちでは目的が違うんだろう」
ルルはグランに応える。
グランは首を傾げて、
「なんだよ、目的って」
「だいたい想像できるんじゃないか? この岩巨人が遺跡を守ってることは明らかだ。あの蜂だってそうだと考えるのが自然だろう」
「だったらどうしてここから離れたんだ?」
「あっちの蜂は、この巨人よりも警戒する距離が広いんじゃないか?」
「あぁ……なるほどな。そう考えれば一応納得はいくか。ただ、問題が残ってるだろう。なんでこいつはらここを守ってる?」
それは確かに疑問だった。
ルルはこの遺跡を知らない。
遺跡の外観は、小さな円形の平べったい建物であり、遠目だが入り口から少し行った場所に階段があるのが見える。
その階段の手前には崩れ落ちた石材が重なっているので、本来その部分は露出しておらず、隠されていたのだろう。
階段は下るもののようなので、おそらくその先は、地下に続いているということがわかるが、そのような建物をルルは建てた覚えがない。
用途にも心当たりはなかったし、岩巨人や魔砲蜂を警備用に配置するようなことも戦争当時にした覚えはなかった。
必然、これが作られたのはルルが魔王として死んだ後だという事になるが、その理由を想像してもなにも思いつかない。
古代魔族は意外と長くしぶとく生き残ったのだろうか?
遺跡の中身が、気になって仕方がなかった。
だから、ルルは言った。
「それは今から遺跡に入って調べに……」
しかし、その台詞はグランに即座に否定される。
「おい。それはダメだ。認められない」
当たり前の台詞だった。
子供が無茶をしようとしているのを大人が止める。
至極当たり前の。
しかし理屈としてはルルの方が正しいはずである。
「早くしないと危ないぞ。あの蜂型の魔導機械には何体か逃げられてるんだろう?」
そう、魔砲蜂の行動領域がどこまでなのかわからない以上、その稼働を早く止めることが先決のはずなのだ。
そのためのヒントないし、それに準ずる何かが遺跡にあることは間違いないのだから、早く遺跡を調べるのが必要なことは正論のはずだった。
「それはそうだが……そもそも、お前は子供だ。わかってるのか? お前に戦える力があるのか? ないだろう?」
しかし、当たり前のことだが、グランにとって、ルルはどう考えても子供だった。
その子供に、そんなことが出来るはずがないし、危険な目に合わせるわけにもいかないというのが彼の理屈だった。
いくら先ほど岩巨人の行動範囲を確認できたからと言って、それはただ近づいたり離れたりを繰り返しただけの、言うなれば鬼ごっこの延長にしか見えなかったのだろう。
実際、やっていたことはそれにほぼ等しい。
グランにとって、今のルルはただの足の速い子供に過ぎない。
そしてそれはルルにとってもよく理解できる話で、言葉で説明してもどうにかなることとは思えなかった。
だから、ルルは言った。
「つまり、俺の実力が確かならいんだろう?」
「まぁ、有り体に言えばそうなんだが……」
「だったら、見ててくれ」
「あぁ……? ……お、おいっ! ばか止めろ!」
それから、グランが止める間もなく、ルルは岩巨人に向かって行く。
そしてそのまま、拳に魔力を纏って、岩巨人に殴りかかった。
グランにしてみれば、信じられない行動だっただろう。
七歳の子供が、3メートルの岩の巨人に素手で殴りかかるのだ。
どう考えても自殺行為以外の何者でもない。
けれど、グランにとってもっと信じられないことは、そのルルの拳の一撃が命中した一体の岩巨人の胸部が、細かな岩の破片に粉砕されたということだろう。
そのままがらがらと崩れ落ちた岩巨人にルルは見向きもしないで、他の岩巨人に向かい、次々と撃破していくのだ。
「おいおい……なんだ、あいつ!」
グランにしてみれば、そういう他なかった。
「すっげぇ……」
「ルル、あんなに強かったんだぁ」
「信じられないわ……」
ラスティたちの驚きの声も聞こえてきた。
ルルが拳を振るうたび、粉々になっていく岩巨人たち。
ルルの小さな体が舞い、巨人たちを殴り、蹴り上げ、ただの岩の塊へと還していくその様は、まるで遊んでいるかのようだった。
あれだけやって、まだ余裕がある。
グランには、そう感じられたのだ。
そうして気づいた頃には、辺りにいた岩巨人はすべて岩屑と化しており、一体たりとも稼働しているものは残ってはいなかった。
そこまでしたルルは、グランに振り返って言う。
「実力に問題がありそうかな?」
「……いや。ここまでやられてそれは言えねぇ」
「だったら、中に入っても?」
ルルはそう言ってグランを見つめる。
グランはそんなルルの質問に、ため息をついて答えた。
「わかった……。けどなぁ、その遺跡はかなり大きな発見になる。さっきの魔道機械を見ればわかるだろう。だから、お前一人で入ると後々何かと面倒なことになりそうだ」
「と言うと……?」
「俺とユーミスも一緒に行くのが望ましい。だが、蜂型の魔導機械の問題がある。だから、お前、出来るならあの機械を止める方法を見つけたら、とりあえず戻ってこい。そして、もし遺跡にそれより先があったとしてもとりあえず奥まで入らないで待ってるか、一旦村に戻ってこい。あまり深入りするのはやめておけってことだ。あとついでというか、助言だが、魔導機械じゃないが、遺跡に残っている魔法人形の類は生き物が操っているものじゃない場合は、何かしらの装置から命令を受け取って稼働していることがあると聞いたことがある。複数の魔導機械が同じ目的にしたがって行動していたことから推測すると、今回のはおそらくその類だろう。その場合、装置をいじるか破壊するかすれば止まるらしい。だから、見つけたら壊せ。そしてそこで待ってろ。そうじゃなかったら、あまり深入りはしないで俺たちが来るのを待て。これが俺の妥協できる最低ラインだ。それと、俺はこれから村にこいつらを送っていく。……それでいいか?」
グランはラスティたちを見て、そう言った。
ルルとしては、とりあえず魔導機械を止められばいいので、頷く。
出来ることなら、隅々まで調べて古代魔族の手がかりを探したいところだが、ここで駄々をこねて面倒なことになるのも避けたい。
「わかった。それでいいよ。……じゃあ、ラスティたちを頼む。……ラスティ、ミィ、ユーリ。気をつけて帰れよ?」
そういうと、三人とも素直なもので、
「おう! お前も気をつけろよ! 流石に……着いていけないのはわかるからな」
「ラスティが珍しくしおらしい……ルル。無理はしないでね。ラスティみたいに無謀じゃないのはわかるから、こんなこと言わなくてもいいかもしれないけど」
「ルル、ごめんね。私、ラスティとミィを止めようとしたんだけど……結局一緒に迷惑かけちゃった。今度お礼するから」
そう言って、グランに連れられて、村へと向かっていった。
ルルは改めて遺跡を眺める。
材質は珍しいものではない。
ルルの魔王だった当時、よく作られていた建物と大差ない形をしている。
ルルが勇者に敗北してから、それほど年月が経っていない時期に作られたと見て間違いなさそうだ。
「……罠とかないと良いな。いや、岩巨人たちが罠だったのか……」
そうして、ルルは遺跡へと入っていったのだった。