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第19話 戦い、そして限界

 ぴん、と金属が弾かれるような音とともに、ルルの方に何か飛んできた。

 ぱしり、とそれを掴んでみると、ひんやりとした冷たい感触がした。


 ルルは手を開いてそれを見つめる。

 レナード王国通貨として使用されている代表的な硬貨、レナード銀貨であった。

 表には初代国王の王妃の横顔が、裏には国を守護していると言われる聖獣ユニコーンが刻印されている。

 なぜそれを今ルルに投げ渡したか。


 その理由はルルの目の前、数歩先に立っている男、パトリックだけが知っている。


 夜も明け、朝靄が霞む中、誰にも気取られぬように木刀を手に家を出たルルとパトリック。

 その目的は、もちろん、昨日約束した真剣勝負のためであった。


 お互い本気で、と約束した以上、行う場所が一応問題になったが、結局村から少しばかり離れた森の中、あの古代遺跡近くの開けた空間に決まった。

 ほとんど人が来ることはなく、またある程度の被害が周囲に出ても困る人間はいないからだ。

 本気で戦うとはいえ、お互いに森の木々を焼き尽くすようなことをしないだけの分別はあるし、そういうことに気を配った上で戦えるくらいの実力はある。


 だから、森の生態系を破壊するようなことも、おそらくはないだろう。


 そして、二人が向かい合ったそのとき、パトリックはさきほどのコインを投げてきたのだ。


「……これは?」


 ルルが首を傾げると、パトリックは言った。


「試合の合図にいいかなと思ってね。それを上に投げて、地面に落ちたそのときに試合開始、ということでどうかな」


「……? それなら父さんが自分で投げれば良かったんじゃないか?」


 そう言うと、パトリックは、


「僕が投げてしまうと、君が準備万端じゃないのに戦いを始めてしまうようなことになってしまうかもしれないじゃないか。僕はあくまで、本気のルルと戦いたいんだ……ルルが、万全の状態になったそのときに、君がそのコインを投げてくれればいい。……僕? 僕はいつでも大丈夫だよ」


 それは余裕なのか、それとも剣士として、常に臨戦態勢にあるという自負からなのか。

 しかし、ルルはその提案に乗ることにした。

 魔族であるときより若干、魔力の扱いに不安な部分があることは事実で、その使用や、身体強化するときのタイムラグはそれなりの強者と相対する場合には、決して無視できないものだ。

 もしパトリックに試合開始の合図を任せてしまえば、まさにその準備が整う前に、体全体に魔力を通す前に試合が始まる可能性もなくはなかった。

 だから、これはルルにとってはむしろ都合のいい提案だった。


 そうして、ルルはゆっくりと自らの魔力を体に巡らせ始める。

 膨大な魔力の泉から、くみ出せるだけくみ出し、圧縮して体全体に通していく。

 生まれたときよりも、七年前よりも、ずっと体に魔力が通りやすくはなっていて、昔と比べるとその作業は楽だった。

 けれど、やはり魔族だった頃と比べると反応が鈍いというか、どこか詰まったホースに無理矢理水をそそぎ込んでいるかのような違和感がある。

 これが人間の体の限界なのか、それとも方法が間違っているのかは分からないが、とっさの事態に追い込まれたとき、この事実に足を引っ張られないように気をつけなければと思う。


 そんなルルを見つめているパトリックの目は鋭く、そして先ほどまでとは少し変わってきているようだった。

 ここに来るまでにも、魔力を使ったときのその身体能力の片鱗を見せていて、それに驚きを示していたパトリックであったが、あくまでもそのときに見せたのは一部に過ぎなかった。

 今は、違う。

 出来る限りのすべてをそそぎ込んで、その強化に回しているのだから。


 パトリックは未だ涼しげな表情を崩してはいないが、よく見ればその額からは冷や汗が垂れているのが見えた。

 ルルの力を、肌で感じているのだろう。

 しかしむしろ、それだけで済んでいることそれ自体が、パトリックの意志の強靱さを示していた。


 普通の人間がこの場にいれば、おそらくほんの数秒で卒倒する。

 それくらい異常な濃度の魔力を、ルルは今その身に纏っているのだから。


「……ルル。まさかこれほどとは……」


 のどから絞り出すようにそう言った父に、ルルは笑う。


「実のところ、まだ本調子じゃないんだけどな」


「……? まさかまだ本気ではないと言うことかい?」


「そうじゃない。そうじゃなくて……俺もまだ力を持て余している部分があるってことだよ」


 魔王としてのあの体なら、魔力も身体能力も完全に把握していたから、十全に扱えた。

 けれど、今はそうではない、ということなのだが、そんなことはパトリックには理解しようがない。


「よく分からないけど……本気なら、別にいい。……ルル、そろそろ、いいんじゃないかな?」


 パトリックを見てみれば、今にもその体は動きだしたそうにうずうずとしているようだった。

 ルルを見て、闘争心が刺激されたのだろう。

 いつでも動ける、どんな攻撃にも対処できる、そんな自信が吹き出すようだった。


 そんなパトリックを見て、ルルも自らの体に十分、魔力が行き渡ったことを確認した上で、頷く。


「……そうだな。そろそろ……やろうか」


 ぴん、とルルの手に握られていた硬貨が空に向かって弾かれる。


 くるくると、王妃とユニコーンの姿を交互に見せながら、その高度を上げていき、そして頂点で一度停止したそれは、重力に導かれて地面へと速度を上げて落ちていく。


 そして……。


 とん、と落ちる音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間に、ルルとパトリックの姿がぶれたのだった。


 ◇◆◇◆◇


 ガキン、と堅い何かがぶつかり合う音と共に、衝撃波が辺りに生える木々を揺らした。

 ルルとパトリックはたった一合、木刀を交わしただけでそれだけの影響を与えたのだ。


 もちろん、木刀であるからして、普通にやれば即座に折れてしまっていたことだろう。

 しかし、思い切りたたきつけ合った二人の木刀が未だ傷一つ無く無事な状態で、ギリギリとつばぜり合いをし続けていられるのは、二人の木刀に対する魔力的強化がほとんど神業の域に達しているからだった。


 流す魔力の量や速度を少しでも間違えれば、その浸透する魔力の圧力に、ただの木刀は耐えきれず罅が入るか壊れるかしてしまっていただろう。

 しかし、蟻一匹ほどの隙間もなく魔力を巡らせられた木刀は、すでに木刀ではなく、金属で作られた剣と比べても遜色がないほどの強度に達していた。

 当たればただでは済まない。

 そんな破壊力を持った武器と化しているのである。


「……驚いたよ、ルル。まさかここまで差がないとは思わなかった……」


 パトリックがつばぜり合いの最中、にやりとした笑みを口に浮かべてそう言った。


「俺もだよ、父さん……やっぱり俺もまだまだだな……一撃で決めるつもりだったんだけど、受けられてしまった……」


 ルルがそう返す。

 正直なところ、本気でやる、と言った以上、ルルは一切手加減するつもりはなかった。

 その身に宿る力のすべてを使い、一撃で父の意識を刈り取るつもりでさえいたのだ。

 けれど、実際はその一撃は止められ、しかもどうやら今のルルと父の力は拮抗しているらしい。

 その原因は、思っていた以上に父が強かった、というのもあるが、それ以上にルルが自分の力を引き出し切れていないことにあった。


 やはり、人族ヒューマンの体になってしまっている影響は大きいらしい。

 実際に強者と戦ってみて、分かることもあった。

 魔王であったときのような、生まれついた身体能力頼りの戦い方をするのは危険なのかも知れない。

 とはいえ、それでも人族ヒューマンの強者であるパトリックと十分に近接戦ができるくらいの力はあるらしい。

 これに加えて、大規模魔術が使用できることを考えれば、ちょっとやそっとのことで敗北することはないだろうと思えた。


 いつまでもつばぜり合いをしているわけにはいかない。

 ルルにはそれほど長い時間はなかった。

 パトリックの集中が乱れる一瞬を狙って距離をとり、そこからすぐに脚部に力を入れてパトリックに向かい、踏み込む。


 離れた直後に一瞬にして助走を加えた突き込みをしてくるルルに脅威を感じたらしいパトリック。

 すぐに避けようと考えるが、昨日のことを思い出してそれは悪手であると思い至る。


 避けても次の一手を持っているルル。

 パトリックにはルルが次にどう来るのかは理解できていても、昨日とは異なる身体能力を持つようになったその二撃目を昨日のようにあしらえる自信は持てなかった。


 だから仕方なく、パトリックはルルの突きを正面からたたき落とすという賭けに出ざるを得ない。


 目にも留まらぬ、というのが比喩にならないほどの速度で向かってくるルルの突き、それを横合いからたたき落とすべく、集中して構えるパトリック。


 パトリックがまっすぐにルルを見て構えるのを確認して、ルルはパトリックが何を狙っているのかを理解した。


 しかしすでにつけた速度は容易に減速を許してはくれないし、たとえ出来たとしてもその一瞬をついてパトリックは一撃を加えてくるだろう。

 だから、ルルもまた、ここにおいてとれる選択肢は一つしか存在しなかった。


 そして、交錯する二人。


 木刀と木刀がぶつかり合う音がし、次の瞬間には片方の木刀が空を舞っていた。


 今度の賭に勝ったのは、またしてもパトリックである。


 彼はその瞬間に、勝利を確信した。


「僕の勝ち……ッ!?」


 ――けれど、その一瞬の間に、ルルと目があったパトリックは、その瞳が決して負けを認めた者のものでないことに気づいた。


 考えてみれば、おかしかった。

 木刀をルルの手から奪ったときの感触。


 あまりにも、軽すぎた。


 まるで、片手で握っていたみたいではないか。


 そう、パトリックは思った。


 そして、次の瞬間、ルルの手に、何か握られていることに気づいた。


 漆黒の闇が凝縮したようなそれは、形だけみればまさしく木刀と同じだった。


 しかし、ゆらゆらとその輪郭が揺れているその黒い木刀は、明らかに物質ではなく、魔力で形作られていることが分かる。


 ルルの顔がにやりと笑う。


「誰の勝ちだって?」


 パトリックは自分の木刀が高く振り上げられていて、すぐには反応できないことを理解した。


 そして、ルルはそんな隙を見逃すはずがなかった。


 黒い木刀は真っ直ぐに突き込まれて、パトリックの腹に思い切りえぐり込むように進んでいく。


 気づいたときには意識は暗闇の中へと落ちていき……


「父さん……俺の、勝ちだな」


 パトリックの耳には、そう言った息子の声だけが響いていたのだった。


 ◇◆◇◆◇


「やれやれ……体が痛いな」


 ルルはそんな独り言をつぶやきながら、気絶したパトリックを背負いつつ、村への道を歩いていた。

 とは言っても、その速度は一般的な大人が走っている速度とほとんど変わらないくらいなのだが、ルルからしてみればあまり速い速度ではない。


 というのも、ルルは今猛烈な筋肉痛、というべき痛みをその体中に感じていたからだ。


 本気で戦った後遺症、というべきか、パトリックが思いのほか強かったから、というべきか、ルルは身体強化の際に扱う魔力量を今まで使っていたレベルから数段階上げて使用する羽目になり、その結果として筋肉痛、という副作用の発生を余儀なくされていた。


 実のところ、小さな頃から、少しずつ魔力量を増やして身体強化をより強いものへとステップアップしていくべく努力してきたのだが、それでも人族ヒューマンの体というのは魔族のものより遙かに脆弱らしく、こうやってそのたびに強い痛みにさらされてきた。


 だいたい、そのときの最大出力の半分程度の力までなら、いつまで戦っても問題は発生しないのだが、それ以上を発揮しようとすると徐々に戦える時間が短くなっていき、そして最大出力を出そうとすると、十五分ほどがその限界となっている。


 地道にこつこつやっていけば限界が上昇することは経験則で分かっているし、今のところ限界も見えていないので際限なく強化していけばいいのだが、それでもそのたびにやってくる筋肉痛はルルをうんざりさせていたのだった。


 こうして人族ヒューマンとして生活していると、昔戦った勇者たちの努力のほどを考えてみて、尊敬の念すら湧き出てくる。


 ルルは肉体はともかく、魔力については魔王時代そのままであるから、その修練もこういう筋肉痛のたぐいさえ耐えればそれほど大変でもないが、勇者たちは魔力についても人族ヒューマンの限界に幾度と無くぶつかったはずだ。


 そういうものを、乗り越えて、魔王を倒すまでに至った彼らには本当に頭が下がる思いがする。


 そしていつかは自分もあのときの勇者くらいには戦えるようになりたいものだと思うが、今日のパトリックとの戦い、そしてその後の体の酷使具合を考えるとその日はまだ遠いようだ。


 魔術砲台に徹するならそれなりに無茶苦茶なことも出来そうだが、抵抗レジスト出来る者に出会ってしまった場合のことを考えるとそれでも安心は出来ないだろう。

 魔法や魔術を無効化、ないしは極端に減衰する力や武具というのはあの時代、少なくない数存在していたことをルルはしっかり覚えている。

 だからこその近接戦闘能力なのだが……それは課題として考えておくことにしようとルルは思った。


 そろそろ、村である。

 その入り口が見えてくると、そこには誰かが立っていた。

 目をこらしてみると、どうやらイリスのようである。

 ルルとパトリックが村を出るのを察知したらしく、その帰りを待っていたのだろう。


「……お帰りなさいませ、おじさま。結果はいかがでしたか?」


 その言い方からして、目的もなんとなく理解しているのだろう。

 魔力も結構使ったことだし、古代魔族の感知にひっかからないとは思えない。

 ルルとしても隠す必要は感じないので素直に言う。


「俺の勝ちだな。完膚無きまでに……とまでは言えないが、苦戦したとも言えない。もう一度やっても間違いなく俺が勝つだろう。ただ……思いのほか、強かったけどな」


 イリスにはそのルルの言葉は意外だったようで、目を見開いて驚きを示した。


「……おじさまが戦った相手をほめるのは珍しいですわ。それほどまでの腕でしたの?」


「あの時代に生まれていれば、そうだな、武具にもよるだろうが、バッカスとはいい勝負が出来たんじゃないか? イリスは勝てないだろうな……」


「お父様と……なるほど。理解しましたわ」


 頷くイリス。

 それから、三人で屋敷の方へと歩いていく。

 途中で、パトリックが目を覚ました。


「……うぅ……ここは?」


「父さん、起きたか」


「ルルか……あぁ、そうか。僕は負けたのか……」


 ほう、と不思議そうに、けれど決して不満そうではなくそう言ったパトリック。


「世界は広いと思っていけど、まさか久々に味わった敗北が、息子によるものだとは思っていなかったよ」


 そういいながら、パトリックはルルの背中から降りようとする。

 しかし、彼もかなり体を酷使したようで、未だ足がおぼつかない。


「無理するなよ……」


 そういって、ルルがパトリックを支える。

 イリスも反対側から支えた。


「おや、イリス……気づいていたのか?」


 パトリックが不思議そうにそう言った。

 イリスは答える。


「お二人が早朝出て行かれたことには。そのあとは、村の入り口でお待ちしていました。お義母さまはまだ眠っておられますわ」


「そうか……イリス、きみはルルの強さを?」


「かつて遺跡より救い出された折りに、その一端は見せていただきました」


 そういう設定であって、それは事実ではない。

 が、この変はグランたちともしものときのために適度に口裏を合わせてあるので問題はない。


「なるほど……二人が冒険者になるのを心配する必要なんて、なさそうだ……安心したよ」


 パトリックはそう言って、目を伏せ、それから言った。


「けれど、強さだけでは解決できないことも、ある。そういうときは遠慮なく、誰かを頼るといい。僕や、グランたちのような大人をね……分かったかい?」


 その言葉に、ルルとイリスは頷いた。

 確かにそれはその通りで、だからこそ、あの時代の戦争はどうにもならなかったのだから。

 だから、強さ以外のものが重要であることは、深く理解していた。


 それから、頷いたルルとイリスに本当に安心したらしく、パトリックは悠々と館まで歩き出し、そして言った。


「じゃあ、これから君たちの荷造りでもしようか」


 今日、それが終われば、ルルたちは明日旅立つことになる。

 そのことに少しの寂しさを感じないでもなかったが、新しい日々が始まる予感にルルたちは胸を高鳴らせたのだった。

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