第10話 現状とこれからと
「ええと、おじさま。今なんとおっしゃいましたか?」
さらりとした銀色の髪を横に流してイリスが首を傾げた。
ルルは、出来ることならこんなことは告げたくはない、とは思ったが、そういうわけにもいかない。
この世界、この時代で生きていく以上、最低限そのことについては納得しておいてもらわなければならないからだ。
だから正直に、はっきりとイリスに言った。
「……イリス。今は、あの時から、俺が勇者に殺されたその時から、数千年の月日が流れているんだよ。一応言っておくが、これは決して勘違いじゃない。しっかりと確認した、事実だ。とは言っても、文献や人伝の話で推測しただけだから、誤差はあるかもしれないけどな……」
話しながら、間違っている可能性も少しはある、ということを匂わせるルル。
それは、イリスに対する気遣いだった。
そんな風に話した方が、受け入れやすいのではないかとそう思って。
ルルとしては、間違いなくこの時代があのときから数千年の時が経過していると確信していたが、その確信を、いますぐに目の前の少女に抱けというのは無理がある。
とりあえず、可能性として頭に入れてもらい、そして徐々に理解して確信を強めていってもらえばと、ルルはそう思った。
しかし、ルルは少しばかりイリスを見くびっていた。
イリスはルルの言葉に驚きを覚えていたのは間違いないが、それでも決してその台詞を受け入れられない、とは言わなかった。
そうではなく、むしろはっきりと自分の中で咀嚼し、その上で質問をしてきたのだ。
「それは……何か、確信できるようなものを、おじさまは確認したのですね?」
これにはルルもゆっくりと頷きながら、驚いた。
イリスはしっかりとした言葉遣い、賢い頭脳を持ってはいるものの、それでもまだ小さな子供であるのだ。
ルルとは違い、正真正銘、十歳前後であると考えて間違いない。
ルルが最後に合ってから数年の月日を生きただろうとは言え、それでも成人には間違いなく達していなかった。
なのに、イリスは思案顔で、冷静にルルに言った。
「おじさま。おじさま。私、大丈夫ですわ……覚悟していた、とはとてもではありませんが言えませんけれど、親しい人がいつの間にか遙か彼方へ行ってしまうことには、悲しいですが、少々慣れてしまいましたから……」
その言葉には、深い哀惜の念と、何度も味わってすり切れてしまった悲しみの残滓があった。
そうだった、とルルは思う。
イリスが生きていたころも、ルルが生きていたあの時代も、同じなのだ。
人の命は、信じられないほどに軽く、自分のわずか数十センチ隣で同胞が散っていく姿を、二人とも何度も見た。
そんな経験をしているだろうイリスに、いかにまだ幼いとは言え、覚悟の在処を尋ねるのは、愚かに過ぎる行為だった。
「……すまない」
だから、ルルは謝った。
それは、魔王として、種族を守れなかった者として、そして、彼女の知人として、自らの命を守れなかった者としての謝罪であった。
イリスはそれをまっすぐな目で受け止め、それから柔らかな表情で微笑んだ。
「いいのですよ……おじさま。おじさまは、最大限の努力をなさったと思います。おじさまでなければ、おそらく、魔族はあそこまで長らえることすらもできなかった……旗印としても、そして誇れる王としても、おじさまは、私達魔族の、希望でありました。ですから……いいのです。……申し訳ありません。湿っぽくなってしまいましたわね。お気遣いまでしていただきまして……今は、それよりも、現状の把握をしなければなりませんわ。そうですわね、おじさま?」
そうして、イリスは即座に立ち直る。
ルルはここに、女性の強さを知った気がした。
すべてを受け入れて、前に進もうとする度量の大きさに、感動を覚えたのだ。
もしかしたらそれはイリスだったからなのかもしれない。
しかし、ルルはそのことについて深く考えず、今はイリスに伝えることを伝えなければと話を進めることにした。
「そうだな……昔話は、いつでも出来る。そう……イリス。改めて確認しよう。今は、あの時代から、数千年の月日が経っている。そして、これが大事なことなんだが、今の時代に、俺やイリスのような魔族という種族はいないみたいなんだ」
「……それは、数千年の間に、滅びてしまった、ということなのでしょうか?」
イリスが悲しそうに目を伏せて細い声でそう尋ねた。
魔族の滅亡。それはルルの頭にも過ぎったことのある、悲しい事実だ。
ただ、今は目の前にイリスがいる。
他にも、同じように現代まで生き残っている魔族はいるかもしれない。
今ではそう思っているのだ。
だから、ルルは首を振った。
希望は捨てるべきではないのだから。
「いや、それは分からない。分からないことが多すぎるんだ……俺たちみたいな魔族は、今の世の中では『古代魔族』と呼ばれて、神話の登場人物みたいな扱いになってるんだ。いるかどうかも分からない……夢や浪漫の象徴みたいな、な」
ルルの説明を聞き、イリスの表情が何とも言えない奇妙なものに変わる。
自分たちの種族が、神話上の存在になっている、と言われても変な感じがするのは理解できる。
イリスの表情も当然のものと言えた。
「それはまた……なんとも言えない存在になってしまったものですね。しかし、私はこうして存在しているわけですが……見つかったら捕まってしまうでしょうか?」
少し心配げにイリスはそう言った。
けれど、ルルはその質問にも首を振った。
「その心配はたぶんだが、しなくてもいいと思う。イリスが吹き飛ばしたあの冒険者……グランなんだが、眠っているイリスを見て、古代魔族だと分からなかったんだ」
その事実がある以上、おそらくイリスは人族である、で押し切れるとルルは考えていた。
種族について判別するような道具がもしかしたら存在するかもしれないが、今の時代、そう言った技術力については低下している。
そうである以上、ルルは抜け道を見つけることも容易かもしれないとすら考えていた。
けれどイリスは思った以上に慎重で、もっと細かく質問を重ねる。
「それはあの方が知らなかっただけ、ということでは?」
確かにその可能性はないではない。
本当なら、大きな街で、もっと多くの人間に確認したいところだが、今のところはそれも難しい。
ただ、グラン、それにユーミスと言った冒険者はつまるところ何でも屋が基本だ。
その知識は、常識的なところから専門的なものまで多岐にわたる。
少なくとも常識レベルの知識を知らない、ということは考えにくい。
ユーミスにも当たれば、その推測も裏付けられるのではないかとも予測していた。
ユーミスは、古代魔族フリークなようだから、一般レベル以上に詳しいことも知っているはずだ。それでも古代魔族の特徴を知らない、ということになれば、ルルの予想は正しいと言えることだろう。
だからルルはその旨、イリスに説明する。
「グランだけ、というより一般的に伝わっていないと考えるべきだろうな。あいつはあれでかなり腕の立つ冒険者らしいから。あいつが知らないのなら、一般的に知られてないと見て間違いないと思う。学者レベルになるとどうか分からないが……それは後で確認しよう」
そこまで聞いて、やっとイリスは納得したようだ。
笑顔で頷き、そして言ったのだった。
「分かりました。聞く限り、私がおじさまの側にいるについて、障害は少ない感じがいたしますわ」
イリスがそう言って、核心に触れる。
そう、ここまでなら、おそらくは問題がないと言えるだろう。
種族的には、なんとかなりそうだ、という意味では。
ただし、イリスがルルの側にいるについては乗り越えなければならない問題があった。
「そうだな。基本的には問題がなさそうだ。今言ったような話から、イリスの種族は人族だ、ということで押し切って、かつ両親がいない孤児だ、と言うことにすれば……けれど、さっきも言ったが、俺には両親がいるからな。一緒に暮らすにはそこを乗り越えないとならないぞ」
いいながら、だけど大した問題でもなさそうだ、とルルは考える。
イリスにこの時代のことをある程度理解してもらえた以上、あとは細かい設定の調整が出来れば、なんとかなりそうではある。
イリスはルルの言葉を聞き、首を傾げた。
「ご両親について、ですか……? そうですわね。私、なにも技能などございませんし、ただ飯ぐらいとしてご厄介になるのもご迷惑ですわよね……」
そう言って、ずーん、と言った様子で落ち込み始めたイリスに、ルルはあわてて首を振った。
「いやいや、そうじゃないぞ。そうじゃなくて……そんなに難しい話じゃないんだ。ただ、いきなり女の子を連れてかえって一緒に暮らしたい、といってはいそうですかとはならないだろう? だから、そこをどうしたものかと思ってな……」
するとイリスは、なんだそんなことか、という顔になってぽんと手を叩き、名案だとでも言うように言ったのだ。
「でしたら、私を小間使いとしてお雇いになられれば!」
それは驚きの提案だった。
けれど、さすがにそれを是とするわけにもいかない。
貴族の家だ。
使用人もいる。だから、出来なくはないのだが、イリスは友人の娘で、相当大事にしていたことを知っている。
そのため、なんとなく、甘やかしたい、という気持ちがルルの心の中にないではないのだ。
だから、ルルは首を振る。
「それはダメだ……手が荒れるだろう」
だから、理由になっているのかなってないのか微妙な言い方になってしまったのも仕方がないことだ。
けれどイリスは納得がいかなかったようで、
「大丈夫です! 私、これでも魔族の末席を汚す立場にあるものですのよ。水仕事くらいで手が荒れたりなどしませんわ!」
確かにその通りなのだが、ルルが言いたいのはそういうことではない。
けれど、なんとも言いようがなく、仕方なくルルはこの問題を後回しにすることにした。
「……まぁ、それは置いておこうか。あとで決めればいいことだ。あぁ、きっとそうだ。とにかく……今俺が住んでいる村に一緒に行ってもらって、母と対面してもらう。それから、どうにかして、受け入れてもらえるように、うまいこと言いくるめよう。あぁ、そうしよう」
とうとう行き当たりばったりの作戦を練り始めたルルに、イリスはため息を吐いて、
「……ですから、使用人でよろしいですのに……」
と言ったのだった。
◆◇◆◇◆
それから、しばらくしてグランが目を覚ました。
「……ってぇな……おい」
イリスに吹き飛ばされたときにぶつけたのだろう、頭や腰をさすりながら起き上がり、そして目を開いてイリスを視認した瞬間、
「……ッ!?」
ずざっ、と思い切り後ずさり、転がっていた大剣を拾って油断なく構えた。
しかし、イリスが特に襲ってくる様子もなく、しかもその隣にルルが腰掛けているのを確認して大きく首を傾げ、遠くから大声で叫んだ。
「……おい! どういうこった、これは!」
「おぉ、なんか勘違いだったらしい! もう襲う気はないってよ!」
ルルも負けじと大声で叫ぶ。
するとグランは、
「はぁ!? ……意味わからねぇよ……しかし、本当にもう襲う気はないみたいだな。殺気がねぇ……」
そうぶつぶつ呟きながら近寄ってくる。
大剣も鞘に納めて背負いなおしてしまった。
もはや戦う必要を感じないようだ。
実際、イリスには起きあがった当初の敵意などもはやかけらもなく、ただニコニコと機嫌良さそうに微笑んでいるだけなので、グランも毒気を抜かれてしまったような気分に陥っているのだろう。
しかし、始めの一撃の強烈さは忘れていないようで、まるで猛獣でも見るような目つきでイリスを眺め、それから質問をした。
「……なぁ、お嬢ちゃん」
「はい。なんでございましょう? グランさま」
「グランさまって柄じゃねぇんだが……まぁいい。なんで俺は襲いかかられたんだ?」
その質問は至極当然のものだった。
何の理由もなく攻撃されてはいかにグランとは言え、たまったものではない。
和解するというなら、せめて理由ぐらいは開示しろということでもあるのだろう。
イリスはそれを理解して、頬を恥ずかしげに赤く染めながら言う。
「それが……お恥ずかしいのですが、いわゆる、勘違い、人違い、というものでございまして……」
「どういう意味だ?」
「グランさまが、一瞬、私の大切な方の敵に見えたのでございます。しかし、改めて見てみれば似ても似つかぬものと……本当に恥ずかしくてございます……こんなことを今さら、とお思いでしょうが、グランさまにおかれましては、本当に申し訳ございませんでした……」
その内容に、グランは少しだけ悲しそうな顔をして、聞こえるか聞こえないかぎりぎりの音量で呟いた。
「その年で、敵討ちか……あれだけの魔術を身に着けたのもそのためってわけだ……血反吐吐く様な毎日だったろうな……世知辛いもんだぜ」
ルルにも、当然人を超える身体能力を持つ魔族たるイリスの耳にもその言葉ははっきりと聞こえていたのだが、二人とも特に言及はしなかった。
グランはそれから、からりとした笑顔を浮かべて言ったのだ。
「分かった! そういうことなら、仕方ないぜ。今回のことは不幸な事故だったってことにしておこう!」
気持ちのいい男だ。
ルルもイリスも、このときのグランを見て、心底そう思った。
「そうしていただけると助かります。ありがとうございます、グランさま」
イリスがそう言って頭を下げた。
グランは、
「だから柄じゃねぇって……」
などと言っているが、機嫌は悪くなさそうだ。
どうやらわだかまり無く遺跡を出れそうだと思い、ルルは安心する。
「和解したところで、とりあえず村に戻るか。この娘……イリスのこともあるからな」
「あぁ……そうだ、その嬢ちゃんはなんでこんなところに?」」
グランのその質問に、ルルが答える。
「グランが寝てる間に聞いたんだが、どうも敵を追っている最中に不幸にも罠にはまってここで眠る羽目になったらしい。どれくらい眠っていたのかは分からないみたいだが、それは調べようがないだろう。両親はすでにいないみたいだな……しばらく話して仲良くなったから、どうにか村で暮らせないかと思ってる」
何一つ、嘘は言っていない。
ただ詳しくは話していないだけだ。
グランはその説明に納得したようで頷いている。
イリスは特に口を挟まない。ルルに任せてくれるようだ。
「なるほどな。罠か。ま、こういう遺跡ならそういうこともあるか。両親がいないっていうのは……あれか、頼る者もいないってことか」
「あぁ」
「となると、そうだな。仲良くなったってんなら、おまえと近いところで暮らした方がいいのかもな……都に行ったって、スラムに行きつくだけだろうし……」
そう言って少し視線が遠いものになったのは、若くして両親を失い、敵を追うことになった身の上を思ってのものかもしれない。
グランは人情に厚いようだった。
そんな風に、相互理解が進んだところで、ルルは言った。
「じゃあ、行くか」
「おう」
「はい、そういたしましょう」
そうして、ルル達三人は、遺跡の外へと足を進めたのだった。