けやきの木
(一)
――かなり、むかし。
ある村のはずれに、ちいさな泉がありました。雪がとけ春になると、となり町へ行く人が多くなります。すると道の途中にあるこの泉で、人びとはみな、ひと休みをするのでした。
「やあ、こんにちは」
「やあ、こんにちは」
泉で出会う人たちは、水を飲んだり、汗をふいたりしながら声をかけあいます。
「春ですね」
「いい天気ですね。ちょっと暑いくらいかな」
ふたりは空を見上げました。
「この分じゃ、今年の夏は暑くなりますね」
「そうですね。暑くなるでしょうね」
泉に集う人はこのような会話をするのでした。
そんなある日、泉のほとりに、けやきのちいさな木を植えた人がいました。何十年もたてば、このけやきの木が大きくなって、夏にはこの木かげで行きかう人たちが休むことができるのではないかと考えて……。
(ニ)
――ちょっとだけ、むかし。
村は大きな町となり、大きな道のそばにある泉には、たくさんのけやきが生えています。一本のけやきの木から落ちた種で育ったのでした。
ある暑い夏の午後。
一頭の牛を連れた若者が、けやきの幹に牛をつなぎ泉の水を飲ませて、休んでいました。
ずっと奥のけやきの木から何やらもの音がするので顔を向けると、地面を掘っている人がいました。老人です。若者はたずねました。
「何をしているのですか?」
「ここの泉は浅くて水の量が少ないから井戸を掘っているんだよ。ここに住む人間は遠く離れた川まで水をくみに行くんじゃけど、井戸さえあれば楽できると思ってなぁ。 わしは生い先が短いけん、急がなきゃのう。
「はははっ、自分のためじゃなくて孫たちのためじゃ。なんせ年寄りは暇でのう。いいや、けやきの木かげがあるから暑くはないわい」
若者は、老人の手伝いをはじめました。
(三)
――そして、今。
高くそびえるマンションの谷間の片すみ。きょうは夏の終わりの『けやき祭り』の日です。
「これが最後のお祭りになるんでしょう?」
幼い弟が、兄にたずねました。
「うん。木を全部切ることになったからね。ここはけやきのせいで中がよく見えないし、母さんたちは喜んでいるよ。古井戸もあるし、物騒な世の中だし、それになんにも使っていない土地があるのはもったいないよ」
「どうして? 涼しいから人がよく集まるじゃない。そういう時おとうさんはいうよね。『けやきの方がよっぽどいい。さいきん町がこんなにも暑いのはクーラーのせいだ。部屋が冷えるよりも大きな熱を外に出す。全体でみるとストーブと同じだ。わがままな考えは他人だけでなく自分も損する』って」
兄は少し考えてから弟にいいました。
「小さい木でいいから一本だけでも残してもらえるよう、おとなの人に頼んでみるよ」
(四)
――少しだけ、未来。
くずれさった建物の中に、一本の大きなけやきの木がありました。空からは酸性の雨が降っています。鉄やプラスチックの大きなゴミの山から、宇宙服のようなものを着た二人がやって来ました。この付近を調べているようです。
「ここもひどいものだな」
「ああ。空気も水も土も、全部やられている」
「ああ。手で拾えるぐらいのゴミならなんとかするがな。だが放射能や化学物質など目にすら見えん。資源も何もない我々には文字通り手のつけようもない。この土地もおしまいだな」
「おい、どうした? そろそろ戻るぞ。ここに長くいると危険だ」
「いや、あんな所に木が見えるんだ」
「ほんとだ。よく生えているな。でも葉が黄色くて、あんまり枝についていない。枯れているようだ」
「いや、枯れてはいない。秋だから、葉が色づいて落ちるんだ。それにしてもすごい生命力だよ」
「秋か。そんな言葉、久しぶりに聞いたな」
(五)
――さらに、未来。
黒い霧がたちこめる冷たく静かな場所。空には低い冬の太陽がかすんでいる。あたりには誰もいない。そこには枯れたけやきの大木があるだけだった。
そのけやきの太い幹には、まるで『黒板』のように平らに削られている部分があった。
文字が刻まれていた。
『もはやこの地上で、いかなる生物もすむことができなくなった。そこで我々は地下に都市を建設しながら生きていくことにした……。
信じられないことだが、このかけがえのない自然をこうまで破壊したのは人類史上もっとも豊かな時代の人びとであった。食料さえろくにない我々が千年先の子孫のことまで考え、何とか生きのびようとしているのに……。
我々は約束する――必ずきれいな自然をとり戻すことを……。そしていつの日か再び地上で生活をはじめることを……。そうだ。その時には記念としてけやきの木を植えることにしよう。
たとえ、何年かかろうとも……』
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