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現代短編

寝惚堕(ねぶとり)

作者: コーチャー

 白藤梨香しらふじりかを初めて見たとき、僕はこんなにも美しい女性がいるのだと驚いた。

 二重でぱっちりとした瞳に小さく整った顔。ふんわりとウェーブのかかった栗色の髪は肩口で切り揃えられている。すらりと伸びる手足は白磁のようになめらかで、どこかぞっとする色気があった。有り体に言えば、僕は恋に落ちたのだ。

 その日から僕は梨香と仲良くなるための努力を始めた。梨香が出ている講義があると聞けば、まったく興味のない科目であっても履修し、梨花がサークルに入ったと聞けば、サークルに加入した。そして、梨香の近くにいるようになると徐々に会話もできるようになった。

「隣の席いいですか?」

「今日から一緒のサークルになります。よろしくね、梨香さん」

「今日はいい天気だね。梨香さんは休日なにしているの?」

 僕が話しかけると梨香はいつも微笑んでくれた。そのたびに僕の心は歓喜で打ち震えた。同時に彼女を僕のモノしたい、という欲望が徐々に鎌首をもたげていった。それはいつしか僕の心を埋め尽くし、僕は彼女と知り合ってひと月がたった五月に彼女に告白した。

「君が好きだ。僕と付き合って欲しい」

 梨花は困ったような顔をしたあとコクン、と小さく頷いた。僕はこのとき自分の人生が薔薇色に染まって行くのを感じた。僕が押し切るような形で始まった交際は順風満帆の滑り出しだった。梨花は僕と一緒ならどんなことでも楽しいと言ってくれた。しかし、交際を初めてひと月後くらいから問題が発生した。

 それは、田中友子たなかともこの存在である。彼女は梨香のルームメイトである。聞けば高校時代から同級生らしいのだが、僕は最初からこの知子に好感を持てなかった。糸くずのように細い眼に寸胴の身体。その体からやけに細い手足が伸びている。髪はまともに手入れしないのかいつもダラリと垂れ下がり顔にへばりついている。そのうえ、ぼそぼそと喋るものだから不気味なことこの上ない。

 この友子が僕たち二人を邪魔するようになったのである。カフェテリアで二人で話しているところにいきなり現れて無理やり会話に入ってくる。ひどい時にはデートにもついてきた。うまい具合に二人きりでデートしても午後十時を過ぎると十分おきに「何時に戻るのか」と梨香の携帯に電話を入れてくる。それがたびたび繰り返されるとどうにも腹の虫が収まらない。

「友子さんの事だけど、どうにかならないかな? あんな風にいつも邪魔されると僕としても気分が悪いんだ」

「ごめんなさい」梨香が伏し目がちに僕の顔を伺う。付き合い始めてから初めての口論だ。僕の眼には彼女の戸惑いがありありと見えた。「トモちゃんも別に悪気があるわけじゃないの。最近かまってあげられないから拗ねているだけなんです。気に障ることもあると思うけど、許してあげて。トモちゃんは本当に朝も夜も優しい良い子だから、お願いします。きっと分かり合えると思うから……」

「かまってもらえないからって友達の足を引っ張るなんておかしいよ。普通は応援したり、助けたりするものじゃないかな。それができないのに良い子だなんて僕には信じられないよ」

「……ごめんなさい」

 梨香が繰り返し謝る。うっすらと涙で潤んだ彼女を見ていると、ようやく彼女を自分のものにしたという征服感が出てきて僕は高揚した気分になった。そして、僕はひとつの決断をした。

「梨香。もういいよ。今日はやめよう」僕が話の終わりを切り出すと梨香の顔に生気が戻った。「それで明日もう一度、君の家でゆっくり食事をしながら話そう。友子さんがいるとゆっくり話せないから明日は戻って来ないように言ってもらえるかな」

 僕の下心が薄ら見える提案に梨香は、少しの固まったあと、うん、と小さく頷いた。

 次の日、僕は梨香と友子が暮らすマンションを訪れた。彼女たちの部屋は三階の角部屋で2LDKであった。ドアベルを鳴らすと梨香が緊張した面持ちで僕を迎え入れる。部屋の中はピンクを基調に女の子らしい小物やぬいぐるみが置いてあり、梨香の印象にぴったりだった。それと同時にこの部屋にあの不気味な友子が暮らしているのかと思うと違和感があった。

 僕はできる限り友子の話題を避け、梨香の作った手料理を食べた。彼女の手料理を食べるのは今日が初めてだったがなかなか美味しかった。中でも茄子と鶏肉のトマト煮は絶品で二回もおかわりをしてしまった。梨香はなかなか本題に入らない僕を訝しがっていたが、僕が料理を褒めると頬を赤らめて喜ぶなどいつもの彼女に戻っていった。

 いい具合にお腹いっぱいになった午後十一時、僕は彼女に告げた。

「とても美味しかった。もうお腹いっぱいで動けないよ。今日は泊まって言ってもいい?」

 僕が言うと彼女はびくりと肩を震わせたあと僕を寝室に誘った。

「……私、ちょっとシャワー浴びてくるね。あの、ちょっと恥ずかしいから絶対に部屋の電気つけないでね」

 彼女はそう言うと足早に風呂場へと消えていった。僕は真っ暗な寝室で天井を眺めていた。遠くでシャワーの水音が聞こえる。ザァザァという水音が途絶え、衣のすれる音がする。しばらくして寝室の扉が開いた。彼女が来たのだ。



 友子の部屋に友子が入ったのを確認すると私は自室で小さく息を吐いた。

 我が友ながら友子の趣味はわからない。あんな男のどこがいいのか。

 自分よがりの好意で自分勝手な物語を作り上げ、それを人に押し付ける。典型的な勘違い野郎。友子が彼と仲良くなりたい、と言わなければ私は話すことさえ拒絶したに違いない。

 彼から告白されたとき私は手酷く断ろうかと思っていた。しかし、そうすると彼と知子を仲良くさせるという目標が達せられなくなる。そこで私は彼と付き合ったフリをしながら二人をうまく引き合わせようとした。彼と彼女が話す機会を増やすため、デートには友子を同伴させ、学内では絶対三人で会うようにした。だが、彼はうまく彼女に乗り換えてくれなかった。

 そこで私は彼の下心を使うことにした。それは限りなくうまくいったに違いない。隣室から男女の嬌声が聴こえる。私はイヤーフォンを着けると音楽プレイヤーの音量を上げた。

「友子は本当に朝も夜も優しい良い子……。ああ、気持ち悪い」

 明日の朝、彼はどういう顔をするのだろう。絶望した顔だろうか。それとも……。


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