「世界の終わりに」:僕と彼女の場合
短編小説「世界の終わりに」の物語の、エピローグ的な作品です。
そのため、本作品をお読みになる場合は、先に「世界の終わりに」を読了されていることを推奨致します。
世界は、救われた、らしい。
どこがどう変化したのか、僕と彼女の周りにいる人たちは、きっと知らない。
でも、僕と彼女は、知っている。
そして、覚えている。
『彼』と『彼女』が、いた事を。
***
「ねぇ、聞いてる?」
僕は、彼女の言葉を聞いていなかった。
論文を明日までに、仕上げなければならない。
留年なんて、絶対にしたくはない。
「ねぇってば」
彼女が、僕の肩を揺する。
さすがに、僕も折れた。
「……何でしょう?」
「おや、ご機嫌が斜めみたいね」
「君は、僕が今、何をしているか、知っている?」
「論文の仕上げ」
彼女は、即答した。
──これだ。
彼女は、知っていて、僕の集中力を乱そうとしている。
僕が留年しても良いのか?
「大丈夫よ」
「論文が? それとも、世界が?」
「両方」
彼女は、にっこり笑いながら、言い切った。
「大丈夫。何のために、世界が救済されたか、考えて見て」
あの日、世界が救済されたあの日から、八年経っていた。
彼女は、大学にすんなりと現役合格し、僕はかろうじて補欠入学した。
そして、僕は、明日までにこの論文を提出しないと、卒業出来ない。
そして、今日は「その日」だった。
「まさか」
彼女はわざとらしく、手で顔を覆う。
「まさか、私の誕生日を忘れた訳じゃないでしょうね」
「忘れる訳ないだろ」
「だったら」
分かっている。
僕らは「その日」、必ず「あの場所」へ行く。
それは、僕らの間での、暗黙のルールのようなものだ。
分かっている。
世界が救済され、その中心にいた僕らは、『彼ら』を犠牲に、この世界に存在を許された。
だから、世界の事象は、僕らを守る方向に、働く。
なぜなら。
僕らは、救われたから。
誰に?
世界に。『彼』と『彼女』に。
でも、現実が、目の前の真っ白なノートPCのスクリーンが、僕がここから離れる事を拒んでいる。
──救いがたいなぁ、僕は。
「分かったよ」
「それも分かってた。あなたが、何よりも大事にしている事──分かってた」
「ちぇ」
僕は悪態をついた。せめてもの抵抗だ。
どうせ、決まっていた事だ。
「じゃ、行きましょ」
「うん」
僕らは、アパートを出た。
そして、向かう。
「あの場所」に。
『彼』と『彼女』がいた、そして消えた場所に。
理由は、シンプルだ。
ただ、忘れない。
それは、約束だ。
僕らが、この世界にいる、存在理由だ。
『彼』『彼女』が消えて、僕と彼女がいる世界。
論文なんてのは、問題じゃない。
大事なのは。
最も大切な事は。
彼女は、僕に腕を絡めてきた。
身長は、いつの間にか逆転し、今では僕の方が高い。
彼女は、上目遣いに、笑みを浮かべて、僕を見つめている。
僕は、そんな彼女を、知らん顔をして、前を向く。
どちらも、言葉はない。
言葉なんて、不完全だ。
どうせ言ったって、気持ちの半分も伝わない。
言わなくても、その半分は、既に知っている。
その場所。
『彼』と『彼女』がいた場所。
そして約束。
『彼』と『彼女』と交わした、僕らの約束。
忘れない事。
そして──
生きて、忘れない。覚えている。
僕らは、決して、忘れない。
そして──
僕たちが救われる事。
幸せに、この世界を、生き続ける事。
だから、僕たちは、その場所に行く。
何があっても。
どんな時でも。
僕たちが、幸せでいられるために。
『彼』と『彼女』がいた、そこの事を、忘れないために。
「ねぇ、今度、家に来てよ」
「へ?」
「お父さんが」
「お、お父さん?」
「会いたいって」
「誰にさ」
「他に、誰がいるの?」
「……」
──な、僕の中にいた『僕』。僕たちは、こんなに救われて。
──幸せだよ。
一陣の風が吹く。
それは、あたかも。
『彼』か『彼女』か。
両方か。
祝福してくれているようだった。
~ 「世界の終わりに」:僕と彼女の場合 Fin ~