「世界の終わりに」:ある研究者の場合
短編小説「世界の終わりに」の物語の、「施設の研究者」の視点で書いた作品です。
本編で不足していた部分を補完する意味で書き上げました。
そのため、本作品をお読みになる場合は、先に「世界の終わりに」を読了されていることを推奨致します。
私は、世界を、この世界を呪った。
なぜ、彼女は、この世界から、消えなければならなかったのか。
一体何のために、彼女は、この世界に生まれてきたのか。
存在意義。
この世界は、毎秒、何百人もの尊い命が、消えて行く。
彼らの存在意義。
宗教。紛争。
資源。貧困。
そんなもののために、命が、消えて行く。
ある者は、神に祈り。
ある者は、自分を貶め。
こんな世界なら。
世界がなくなれば、良い。
幸いな事に、私は、研究者だった。
資金も豊富に使える立場にあった。
有能な部下、そして環境。
必要充分な条件は、整っていた。
それは、出来ない事では、なかった。
だから、やった。
世界を救うために。
***
「おじいちゃん」
そう拙い字で描かれたそれは、私の似顔絵らしかった。
彼女──孫娘──が、最期まで手に持っていた、その絵。
娘夫婦は孫娘もろとも、交通事故に遭った。
娘夫婦は、即死だった。
唯一の希望は、孫娘だった。
彼女は、頑張ったと思う。
一旦は意識を取り戻したものの、直ぐに昏睡状態に陥った。
そして、もう、意識が戻る事はなかった。
「植物状態は、ご存知ですね?」
その医師は、努めて冷静に、そう言った。
私は、頷くしか出来ない。
私は、医師ではない。
それでも、こう聞くしか出来ない。
「回復の見込みは?」
私は医師ではないが「知識」はある。
その医師の言う言葉の意味する所も、理解している。
だが。
「大変言い難いのですが……」
後は、耳に入って来なかった。
事故の相手に対しては、何の感情も、浮かばなかった。
ただ。
なぜ、この世界は。
この世界は、彼女が生きる事を拒んだのだろう。
そんな世界なら。
数多ある可能性の数だけ存在する、一瞬先の未来。
たった一つ、選択肢を誤っただけで、失ってしまう未来。
彼らは、選択を間違えたのか。
それとも「誰か」が、間違えたのか。
その「誰か」とは、誰だ?
──神様、か。
もし、神が、概念としてではなく、物質的に存在しているのなら、あらゆる間違った選択をし、そして、人が消えて行く。そういう事なのか。
それならば。
世界を。
無数に存在する未来を。
そして今を。
書き換えてしまえ。
私は、悪魔に魂を売り払う決意をした。
もう、戻る事は、ない。
それが、私が取った、選択だからだ。
***
「教授、例の少女の遺伝子から、面白いモノが、見つかりましたよ」
若い研究員の一人が言ってきたのが、始まりだった。
遺伝子。
生命の設計図。
だが、それだけではない。
サルからヒトへ進化したその経緯は、今もって、明確な答えを出せていない。
ミッシングリンク。
その間にある「何か」。
今、まさに、その「何か」を我々は手にしようとしていた。
「これか」
研究室には、上半分が透明なカプセル状の装置と、それに接続されるケーブルで、溢れ返っている。
室内は、映し出されるモニタの明滅で、気が狂いそうだった。
モニタに映し出された「それ」は、明らかに、人間の遺伝子と異なっていた。
数値の問題ではない。
遺伝子等と言う「言葉」で表されるモノでもない。
もっと本質的な何か。
その存在自体が、人間の「それ」と異なっていた。
「もし、これが、本当だとすれば」
「はい。少女──人間の形を取っているだけかも知れませんが、少女は、数万年の刻を過ごしてきたはずです」
「そうか」
「しかし、問題があります」
「少女が、その「存在」が、人間の器に入っている事か?」
「そうです。人間という生命体として、世界に存在する以上、劣化と寿命は、避けられません」
「延命は?」
「我々は、魔法使いではありません。それはこの少女も例外ではありません」
「そうか」
カプセルを見る。
中には、五歳くらいだろうか、少女が、安らかな顔で眠っていた。
彼女が、どういった経路で、この研究所に来たのかは、知らない。
上層部は、いつだって、情報を与えてくれない。
情報は、引き出す物だ。
それが、我々研究者だ。
「クローニングを試す」
私は決断した。
「倫理観は、一切無視しろ。外の連中が何を言っても、何も答えるな」
部下たちに、迷いはない。
私が選別した人間だからだ。
彼らが間違える事はない。
もし間違っているのなら、それは、私の間違いだ。
そう。
数多ある可能性の数だけ存在する、一瞬先の未来。
その未来は、今、私が決断した未来だ。
***
少女のクローンは、失敗の連続だった。
いくら培養しても、一瞬たりとも、継続して存在出来なかった。
崩壊。
培養する。
そして崩壊。
この繰り返し。
しかし、成果は、あった。
少女の「それ」は、今、少女が人間の形を取っている事と同様に、今の少女と同じ条件──つまり、同年代の『人間』──なら、「それ」が「存在」出来る可能性がある事が分かった。
移植した場合の拒絶反応の危険性は、高い。
その結果がどうなるか、予測等出来ない。
そもそも、これは、我々の手に余る。
神を創ろうとしている。
人間には荷が勝ちすぎる。
しかし、世界は、私に味方した。
この研究所の親会社が運営している施設に、同年代の男子がいた。
先天性の病で、長くはないと言われていた。
歳は五歳。
性別こそ異なるが『実験』には、格好の素材だった。
私は、もう、戻らない。
決断した選択肢を、決意を曲げる事は許されない。
──全ては、彼女と、世界のために。
『実験』は成功した。
とは言え、少女と全く同じ条件と言う訳にはいかなかった。
些細な事だ、この世界に発生した日付・時刻が異なる。
測定上、少年は、少女より九十日遅く「発生」していた。
この値が、「世界の救済」に、どれ程影響するかは、分からなかった。
しかし、その少年が、最も条件に近かった。
最上の策を打った。
それだけだ。
興味深かったのは、少女の「それ」を移植された少年は、奇妙な『力』を持っていた。
破壊的な、力。
全てを、砕く、力。
そして、少女を抑え込む、力。
偶然なのか、必然だったのか、分からない。
ただ、少女の不完全さを、少年が補う、そんな相関関係が生じた。
あえて言うなら、少女は『扉』。それを封じ、抑えるのが少年──『鍵』。
あまりにも、符号が揃い過ぎている。
出来過ぎだ。
しかし、完全ではない。
人間は、不完全な生命だ。
しかも、脆い。
少年の持つ奇妙な『力』は、好都合だ。
世界自体が持つ見えない力に、対抗し得る可能性があった。
──可能性か。
研究者とは、思えない。
数値で決定出来ない。測定結果が予測出来ない。
全ては、可能性でしかなかった。
前人がいない。
私が進む道には、その先には、誰も、いない。
***
十四。
彼らの中にある「それ」を解析した結果の値。
解析自体は、全体のわずか数パーセントに過ぎない。
届かない。
人間には、届かない領域。
分かっているのは、少女が十四歳になる、その日。
『扉』が開く。
そこには、『鍵』が必要だ。
絶対条件。
なぜなのか、それを知る術はない。
試す事も、出来ない。
シナリオ通りに、進めるしかない。
結果、もし、世界が書き換わり、世界が、数多ある可能性の数だけ存在する未来が、今よりも、より良いものとなるのなら。
おそらく、そこには、私は、いない。
いてはいけない。
私が、決め、実行した。
世界は、そのために、書き換わり、救われる。
なら、私は、そこにはいない。
だが、誰かが、幼い命が救われるのなら、大勢の命が救われるのなら。
──ふん、そんな大仰な事ではあるまい?
そう。
私は、私の家族を救いたいだけなのだ。
人間のエゴだ。
そんなちっぽけな理由でしかないのだ。
だが、カプセルの中にいる少女を初めて見た時、私は、信じようと思った。
あまりに、その寝顔が安らかだったから。
あまりに、儚かったから。
ならば。
──祈ろうではないか。
少女、少年、そして、神に。
願わくば。
『世界を救いたまえ』
と。
~ 「世界の終わりに」:ある研究者の場合 Fin ~