挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

9/26

第9話 夢でしかないパーツの数々


 入社して迎えた最初の夏。

 最後のリターンキーと同時に修一を襲ってきたのは絶望だった。

「は? ふざけんなって」

 響き渡る金属音を背に感じながら、たまらず修一は開発部を出た。

 慎之介が招いてくれたタカギ製作所。
 そこで期待された夢のある物作り。
 そこで初めてできた、哲子という不器用な仲間。

 しかし、修一の存在価値は一瞬で消し飛んでしまった。

「ムリとか……オレ、バカじゃね?」

 眩しいばかりの日差しは、あまりにも皮肉な陽気だった。
 しかし慎之介に伝えなければならない。
 その期待を裏切ったことを。

「サイズのすべて違う7枚の極小非球面体レンズ――」

 そのために修一は、あの場所へ向かっている。

「100マイクロメートル単位で水平に50本の溝の入った極小ガラス――」

 高校生の時、初めて慎之介と出会った河原。

「公差プラマイ0.00005以内に収まるプリズム4個――」

 すべてのきっかけを与えられたあの場所。

「機能性フィルムを挟んだ極薄パネル――」

 それに応えられなかった今、修一はまたすべてを失う。

「プラマイ0.1mmの公差範囲内で直系1.2mmの特殊電球――」

 まるで、美紀を失った時と同じように。


「おーい、修ちゃんじゃないか」


 その声に心臓を鷲掴みにされ、修一は固まった。
 期待に応えられなかった自分が惨めでならない。

 慎之介はいつものように釣り糸を垂れていたが、珍しく自ら竿を置いて歩み寄ってきた。

「修ちゃん、どうした」

 肩に置かれた手が今は重い。
 自分を信じて新しい部署まで用意してくれたこの手に、修一は応えられなかったのだ。

「元気ないな。熱中症か?」

 慎之介の節くれ立った両手が肩を揺さぶる。

「ちげーよ、大丈夫だって」
「まぁ、こっちおいで。川辺に座って風にでも当たろう」

 問答無用で修一は水面の見える川辺に座らされ、クーラーボックスからオレンジ・ジュースを突きつけられた。

 あの頃からなにも変わらない。
 そして修一も変われなかったのだ。

「ほれ飲め。倒れちまうぞ」
「……さんきゅ」

 慎之介はお茶の缶を開け、ひと息に半分を飲み干した。

「ぷはぁ。夏の冷たいお茶はうめぇなぁ」

 冷えたオレンジ・ジュースを握ったものの、修一は口も付けられない。

「どうした。なんかあったんじゃろ? わしの所にわざわざ来るぐらいじゃから」

 なにも言わなくても、慎之介はすぐに察してくれる。

「悪ぃ」
「なにがじゃ」
「イマジナリー・フレンド」

 慎之介は真顔だが落ち着いている。

「話してくれんか、修ちゃん」

 修一は涙をこぼさないよう必死に努力した。
 あの日以来、涙は流したことはない。

「あんなモン、最初から作れなかった。それが今日……やっとわかった」
「どういうことかね」

「実現不可能だった」

 現実を話すのは辛い。
 修一はいっそのこと胃の内容物も吐き出してしまいたい気分だった。

「つまり?」

 最後のリターンキーが要求してきた、イマジナリー・フレンドを完成させるためのパーツ。
 それらはすべて心臓部を支えるために絶対不可欠なもの。
 しかしそれは同時に、現実とは思えない数値の幻獣だったのだ。

「ぜんぶ夢のパーツ。この意味わかる?」 

 慎之介は視線を川面に映してなにやら考えていたが、おもむろにポケットから手帳とボールペンを取り出した。

「修ちゃん、もう1回言ってくれるか? 年寄りじゃから、ゆっくりな」
「いくら聞いても同じだって」
「いいから」

「サイズのすべて違う7枚の極小非球面体レンズ、それから――」

 慎之介はそれを聞きながら丁寧に小さな手帳に書き留めている。
 その光景は拷問だった。

「他には?」

 言われるがまま、修一は必要な電子パーツをすべて告げた。
 そのうちのどれぐらいが慎之介に意味を持って伝わったか定かではない。

「修ちゃんは開発部に戻ってなさい」

 独り言をこぼしながら神妙に手帳を眺めていた慎之介が、溜め息と共に手帳を閉じた。

「いや。オレ、あそこに帰る意味ないし」
「いいから戻って。わしも後から行くから」

 慎之介は毅然と言い残すと、釣り竿も忘れて立ち去っていった。

「……バッカバカしい」

 後には主を失った釣り具と、居場所を失った修一が取り残されていた。


▽ ▽ ▽ 


 修一が慎之介の釣り竿を持って開発部に戻ると、哲子がしょんぼりと座っていた。

「修っぴ!」

「哲子さん……」

 会わせる顔がない。

「脅かさないでよ! なんか思い詰めてベーリング海へ自分探しのロブスター漁に行ったかと思ったわ!」

「それはないな」

 だが遅かれ早かれ、いなくなることに変わりはないのだが。

「ところでこれ、今日の分だけど」

 哲子はそそくさと、任されたモニターの前に座った。

「もういいよ」
「え?」
「もう、終わり」
「どういうこと? もしかして、できたの? イマジナリー・フレンド」

 いっそ泣ければ楽になれたかもしれない。

「いや、まぁ……哲子さんとは、今日でお別れってことで」

「えぇっ! どういう意味? なんでいきなりサヨナラなわけ!」

 ――さよなら。

 激しいフラッシュバックに襲われた。
 玄関を出て行く美紀の背中が言う。
 最後の言葉を残してドアはゆっくりと閉まった。

 認めたくないが認めざるを得ない失われていく瞬間。
 それが時を越え、形を変えて修一を苛んでいる。
 なにも変えられず、なにも得られなかった。
 そして時間だけが無駄に過ぎていく。
 それは自分だけではなく、誰かの大切な時間を巻き添えにして。

「カンベンしてよ哲子さん」

「そんな急に……ひどいぞ修っぴ!」

「イマジナリー・フレンド作れないのに、オレがここにいる理由ないっしょ」

「できるから! 修っぴになら、できるから!」

 がっしりと修一の両肩を握りしめる哲子。
 どうしてここまで哲子がイマジナリー・フレンドに執着するのか修一にはわからない。
 ただ、人間には喜怒哀楽が必要なことだけは分かった気がする。

 その空気を裂くように勢いよくドアが開かれ、慎之介が戻って来た。

「おう? ケンカでもしたのか」

「会長! 修っぴが……し、修っぴが!」

 きょとんとした慎之介が修一には信じられなかった。

「ヒデぇな慎さん……人の話、聞いてなかったのかよ」
「いや。聞いとったぞ」
「じゃあ決まってるだろ。オレはもうこの開発部にも、この工場にもいられないんだよ」
「うーん……修ちゃんの言いたいことは分からんが、ちょっと見せとくれよ。できたてのイマジナリー・フレンドの画面を」

「どんな拷問よ! 作れないことが分かったって、あれだけ言っただろ!」

 思わず修一の語気が荒ぶる。

「そつまりれは、出来上がったからわかったんじゃろ?」

「これ以上、オレに嫌な思いさせんなって!」

「ちょっと落ち着きなさい。ほれ、深呼吸」

 大きな溜め息が出たことで、修一の肩から少し力が抜けた。
 むしろこのまま脱力して床に溶けてしまいたい気分だった。

「で、どんなになったんかの」

 気の乗らないまま、修一はスリープ状態の画面を起こす。
 慎之介は手近にあった椅子を引きずって来てモニターの前に陣取ったが、その姿は意気揚々と輝いている。

「……これだよ」

 スケールを無視した器械のCAD画面。
 そのアンバランスなパーツの組み合わせは、現実には不可能な組み合わせだ。

「説明してよ。今度は図面で」

「また?」

 傷口に何度も塩を塗られる。
 どうしてあんなに優しかった慎之介が、急にこんな嫌がらせをするのか。
 一番理解できないのは、やはり人間なのかもしれない。
 考えれば考えるほど、修一は気が滅入った。

「河原で修ちゃんの言ってたパーツって、どれ?」
「ここに7枚の非球面レンズを入れる。で、6角形のプリズムを通して――」

 慎之介はうなずきながらモニターに食い入っている。
 正直、そんな希望に満ちた顔を修一は見たくなかった。

「――で、立体ホログラフィーの心臓部ができるんだけど」

「修ちゃん、すごいぞ修ちゃん! ついに完成じゃないか!」
「実現不可能なパーツがあればね」
「どれが実現不可能なんじゃ?」
「……もう、いいよ」
「あ、まさか修ちゃん」

 はっ、と慎之介が膝を叩いた。

「なに」
「はっはーん、そういうことか。それでスネてお別れとか言っとったのか」
「スネてねぇし」
「わかってない、わかってないなぁ」
「慎さんこそホントにわかってんのかよ」

「修ちゃんが説明してくれたパーツなら全部作れるよ」

 修一の体内を血液が一気に逆流した。

「……え?」
「そんな馬鹿な、って思ったろ?」

 慎之介は高らかに笑う。
 それは以前に見たことのある、大物を釣り上げた時の笑顔と同じだ。

「修ちゃんさぁ、前にも言ったじゃろ? 日本の町工場は世界一なんじゃ」
「あ、あぁ……いや、でも……さすがにムリじゃね?」

「確かにうちの工場だけじゃあレンズやプリズムは作れん。じゃが、知り合いや他の町工場じゃ、この程度の部品は1点モノで作れるんじゃよ」

「そんな簡単なモン?」
「レンズは伊勢田精密研磨が受けてくれた。プリズムは大北光学、特殊電球は鰐淵電球さんがOKだとさ」
「マジで!?」
「特殊パーツは全部めどが立った。他はもちろん、うちで作る」
「マジか……」

 込み上げてくる驚きと恥ずかしさが入り交じり、修一の顔は溶け落ちそうだった。

「何回でも言うぞ。ここは世界から受注の舞い込む、日本が誇る町工場なんじゃよ」

 確かに慎之介は何度も言っていた。
 無痛針から人工衛星のパネルまで、日本の町工場はなんでも作る。
 それが町工場の真実なら、修一の悲劇は一転して喜劇となる。

「や、なんか……ごめん。オレ、その……」

「もっと自分の知らない世界を知るといい」

「……ごめんなさい」

 修一は素直に頭を下げた。

「だいたい修ちゃんは、なんでもひとりで抱え込みすぎじゃ」
「ごめんなさい」
「誰も修ちゃんひとりに、全部作れなんて言っとらんぞ」
「だから……ごめんなさいって」

 慎之介は哲子の煎れた季節外れに熱いお茶をすすった。

「哲子さん、夏は冷たい麦茶が良かろう?」
「会長」
「なんじゃ?」
「あの、修っぴは……」
「早とちりしただけじゃ。どこにも行ったりせんよ」

「ホントですか! ありがとう修っぴ!」

 勢い余った哲子に抱きつかれ、修一は思わず仰け反ってしまった。

「ちょ、待てこら」

「よかった! 私まだ、ここにいていいんだね!」

 気づくと慎之介が口元を緩めてニヤニヤ眺めている。
 修一にはその視線が恥ずかしくてたまらなかった。

「な、修ちゃん。哲子さんだって立派な仲間じゃろ?」

「……まぁね」

「みんなで力を合わせてこそ、物作りは成り立っとるんじゃ。これから、そのことがもっと良くわかるぞ」

 修一は自分の無知が、思い込みが恥ずかしかった。
 慎之介や哲子――ひいては町工場の存在そのものを信じていなかった。
 それでも慎之介と哲子は顔を見合わせて笑ってくれる。
 こんな無愛想で偏った自分にも、まだ居場所があるのだ。

「よし、ふたりとも心機一転じゃ。そのシケた顔を洗って、蒸し暑い長袖つなぎを脱げ。新しい半袖を事務に申請してきなさい」

「袖まくればいいじゃん」

「いいから。ふたりして新しいの申請して来い。そしたら修ちゃん、いよいよコイツの図面を起こすぞ」

「なにそれ」

「製図じゃよ。うちの製図描きに腕利きがおってな。明日までに修ちゃんなりの設計図を、紙に書くかプリントアウトして用意しといてくれよ」

 慎之介は高らかに笑いながら、修一の背を何度も力強く叩いた。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ