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半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
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第8話 メガネとプリン


 週末の午後。
 美紀はスマホを置いて自宅アパートを出た。

 なぜ趣味でもないのに、手芸店へ入ったのか分からない。

 自宅にひとりで籠もっているのが無性に寂しくなった訳でもない。
 むしろLINEやメールに縛られて窒息してしまう気がしてならなかった。

 合コンや紹介で知り合った男は何人かいる。
 もう顔はぼんやりして名前も思い出せなかったが、決して良い思い出ではない。
 いかにも人数合わせのために、押し切られて顔を出していた自分を呪うべきなのだろう。

 無目的に、良く言えば今を生きているだけのようだったチャラ男くん。
 露骨にヤリたいだけならまだしも、ドヤ顔で聞かされた自分語りの3時間。
 その延長戦は今もLINEで続き、既読スルーに激昂する始末だ。

 ガリガリに痩せたヒョロ男くんもそうだ。
 神経質そうにいつも爪を噛んで、なにをするにも連絡を求める束縛男。
 確か外資系製薬会社との合コンで、高校の同級生が狙っていた年収800万円くんの友達。
 その連絡が途絶えた時の保険として、仕方なくアドレスを交換させられたのだった。

 そんな端末に手錠を掛けられたまま、部屋に軟禁されるのが美紀は嫌で仕方なくなった。
 だからと言って、どうして手芸のユザワヤに足が向いたのか美紀にもわからない。

 ただ無意識のうちに銀粘土を手にとって見ていたのは何故か。
 自分にはこの、隣の人の中指に光るシルバー・リングのような物が作れるとは思え――

「やだ……修ちゃん?」

「あ?」

 鼓動が一拍、美紀の全身を駆け巡った。

 それほど広くない街。
 その手芸店。
 まさか土曜の午後に修一と出くわすなど、美紀は想像だにしていなかった。

 いや、これは狡猾な女の直感だったのかもしれない。
 無意識のうちに最も出会う確率の高い場所を選んでいなかっただろうか。

「な、なにしてんの?」

「一生懸命、それもやろうかと」

 相変わらず無愛想で目つきも悪い。
 だがそれを補って余る長身。
 紺のジャケットに白いカットソーをチノパンでざっくり穿いただけで普段着を超越してしまう姿。
 間違いなく自作であろう胸元に光るシルバーアクセは、どうやっても人目を引いてしまう。

 それは昔から、なにも変わらない。

「今でも休みの日は銀細工するんだ」

「……やっぱヤメた」

 体裁悪そうに頭をかきながら、修一はじっと美紀を見つめている。

 いつもそうだった。
 考えていることの半分もわからない。
 なにか言葉を待っても、修一は黙って見つめるだけなのだ。

 美紀は会話に困った。
 最近の修一について、なにも知らないのだ。

「そういえば今日、哲子さんは?」
「知らねーよ、休みの日まで」
「……そうだよね。あたしあの人のコト、あんま知らなくて。つい」

 それきり修一は黙ってしまう。

 修一のことを「修っぴ」と呼ぶ女性。
 気にならないと言えば嘘になる。
 だが、この会話はあまりにも場違い。
 そんな自分が美紀はいつも嫌になる。

「ゴメン、邪魔しちゃったね」
「いや、別に」

 それだけ言うと修一は目頭を押さえた。

「え……泣いてるの?」
「な、ワケないじゃん」
「でも目が真っ赤」
「そう?」

 昼休みに社食で哲子を見かけることはあっても、修一を見かけることはない。
 聞いた話だと、開発部に籠もりっぱなしでモニターを睨んでいるらしい。
 なにを作っているのか誰も知らないが、少なくとも美紀が知っている町工場の仕事ではない。

「モニターのせいじゃない?」

「かもね」

 美紀は内側から膨れあがるものを抑えきれなかった。

「メガネ買えばいいのに」
「目、悪くねぇし」
「ちがくて。公園前のメガネ屋さんにもあったよ、PC用メガネ」
「なにそれ」

 美紀はもう衝動を止められない。
 修一のメガネ姿を見たい。

「時間ある?」
「持てあましてる」
「もしよかったら行ってみる?」

「……」

 どうして修一がフリーズしたのか、やはり美紀にはわからない。
 ただ気づいた時にはメガネ屋で、美紀は修一に似合うのは上縁か縁なしかと真剣に悩んでいた。


▽ ▽ ▽ 


 さんざんメガネ屋で悩み続けた結果。

 美紀は修一に細身の上縁メガネを選んだ。
 初めて見る修一のメガネ姿に小躍りする美紀。

「すっ――ごく似合う」

「……そう?」

 午後の日差しの中。
 不慣れなせいか修一は、しきりとメガネをクイクイ気にしている。
 そこでようやく美紀は我に返った。
 これでは客観的に見ても、一人で舞い上がっている哀れな自分が痛すぎる。

「ごめん。なんかメガネ屋の回し者みたいなことして」
「いや、別に」
「外さないの?」
「せっかくだし」

 もともとPC用のメガネ。
 街中でかける理由はない。

「勝手に連れ回して、ほんとゴメン」
「謝んなくていいけど」

 修一はまた無言で美紀を眺める。
 その空気に美紀はいたたまれなくなった。

「じゃ……あたし帰るね」
「電車?」
「え? あ、うん。隣駅。修ちゃんは?」

 修一は黙って駅に向かって歩き出した。

 本当に自分勝手な女だと、美紀はつくづく自分が嫌になる。
 3年も経って、今さらなにかを求めている。
 壊れたガラス細工を接着剤でつなぎ合わせても、その輝きは決して戻らず歪な過去の遺物でしかないというのに。

 ショーウィンドウに映る姿を見てみればいい。
 雑誌から飛び出したような修一と、あまりにも不釣り合いな自分。
 修一の隣はもっと巻いた感じで長身の、スキューバーでも嗜んでそうな読モの指定席なのだ。

「あー、ヤダヤダ……」

「なにが?」

 修一は相変わらず無意識に車道側を歩く。
 その歩幅が大きいことを知ってか知らずか、美紀に合わせてゆっくりと。
 大した会話もないのに、常に肩が触れあうギリギリにキープされた絶妙の距離に美紀の心が躍る。
 メガネ屋の店内では意識しなかった修一のいい匂いが、今は致命的だった。

「あのさ、修ちゃん」

 隣の修一が消え、なぜか花屋の前で足を止めていた。
 慌てて駆け戻ろうとする美紀を、修一は右手で軽く制止する。
 花屋の女性となにやら会話し、店の奥に消えたかと思うとすぐに出て来た。

「これ」

 差し出されたのは1本の赤いバラ。

「や……あの……」

「コンサルト料」

「コン……ふぁ?」

 意味がわからない。

「メガネ、選んでもらったし」

 お礼に赤いバラ一輪などヨーロッパの様式美。
 それを恥ずかしげもなく歩道の真ん中で差し出されて、動揺しない方がおかしい。

 かぁっ、と美紀の顔に火がついた。

「え、ちょ、やだなんでバラ?」
「花屋があったから」
「そんな理由?」

「……そっか」

 無造作にコンビニのゴミ箱へ手を伸ばす修一に、美紀は反射的にしがみついた。

「待って待って待って! 捨てるとかあり得ないでしょ!」
「いるの?」
「あうぅ……下さい」

 渡されたバラを手にして美紀は初めて気づいた。
 修一の胸ポケットにも同じバラが挿してある。
 ぐらっ、と美紀の足元が揺れた。

「なにそれブートニア的な?」
「オマケらしいよ」
「花屋でバラのオマケとかないよフツー」

 気に留める風もない修一を見て、美紀は花屋のお姉さんの心中を察する。

 修一がなにかを言いかけた時、ピピピッと腕時計の電子音が鳴った。

「……なんてタイミングだよ」

 あたりをキョロキョロ見渡した修一は、足早に横断歩道を渡っていく。

「なに、今度はなに!」

 美紀がわけもわからず後をついていくと、修一は可愛げなケーキ屋のドアをくぐった。
 いらっしゃいませの挨拶もうわずる女性店員を尻目に、修一は冷えたショーケースをぼーっと眺めている。

「おねえさん。このプリン、1個」

 あえて「おねえさん」をつけたのに意味はないだろうと美紀は思う。
 それでずいぶん響きが変わることに修一が気づくはずもない。

「え、あ……はい! かしこまりました!」

 修一に見とれていた店員が慌ててプリンを袋詰めする。

「そのままで」

「はい?」

 きょとんとしながらも、店員は必死でマニュアル通りに対応する。

「スプーンはお付けしますか?」
「うん」

 小銭を払ってむき出しのプリンとスプーンを受け取ると、あろうことか修一は店内でプリンのフタを引っぺがした。

「なっ――」

 ふるふる揺れるプリンの表面をスプーンですくい、修一はお構いなしにひと口。

「あ、うめぇな」

「……修ちゃん?」

 呆然とする店内の空気をよそに、修一はタマゴかけご飯をかき込むように買ったばかりのプリンを平らげた。
 じーっと眺めていたかと思うと修一は、空になったプリンの容器とスプーンをショーケース越しに戻してなに食わぬ顔で店員に言う。

「おいしかったよ、これ。もう1個ちょうだい」

 ご飯お代わりか、と美紀は叫びたい気持ちをぐっと抑えた。
 ほだされてしまった店員は、たーんとお食べと言い出しかねない勢いだ。

「これ、サービスです。また来て下さい」
「マジで? ラッキー」

 そんなはずあるか。
 このあと店員はレジに自腹を切って売り上げを入れるのだ。
 だが修一は気づいていないと美紀は確信していた。
 昔からそうやって無自覚に色々とまき散らしてきている。

「はい」

 店を出ながら、修一は美紀にプリンを差し出した。

「あたしに? あ、ありがと」
「ウマいよ」
「うん、まぁ、おいしそうに食べてたけど」
「食わないの?」
「ここで!?」

「……」

 修一は無造作に髪をかき上げると、なにも言わずに歩き出す。

「ちょ、待って。どこ行くの?」

「座れるトコ」

 先を歩く修一の背を、美紀はどこか懐かしく追いかけていた。


▽ ▽ ▽ 


 そこは駅の近くにある公園。
 公園とは言っても遊具の1つもない、木と芝生だけが広がる空間。
 ただ、沈みゆく夕日が美しい場所だった。

「じゃ、ここで。ジュース買ってくる」

 数少ないベンチの前で立ち止まった修一が、さっとハンカチをベンチに広げた。

「え、これは?」

「そこに座ってて」

 何度やられても美紀は戸惑う。
 無自覚はある意味凶器だ。

 戻って来た修一は甘いことで有名なオレンジ色の缶コーヒーを口にしながら、美紀がプリンを食べるのを眺め続けていた。
 プリンを食べる姿を見続けられる。
 なんという羞恥プレイ。

「どう? それ」

 修一から渡されたプリンの甘さが、美紀の体を内側から温めていく。

「うん、おいしい。でもなんで急にプリン? 好きだったっけ」

 無造作にかき上げた修一の髪が夕日に映える。

「オレ、ハラ減ってんのが分かんないんだ」

「……?」
「だったら腕時計のアラーム使えばって、哲子さんが」
「それでプリン?」
「いや別になんでも、とりあえず血糖上げとくカンジで」

 それならすべて説明がつくと、美紀は昔を思い出した。
 どうりでいつも、食べたいものを聞いても生返事だったわけだ。

「そっか、そういうことだったのか……ごめん」
「なんで謝んの」

 美紀の心臓が締め上げられた。
 言葉にならない渦をどう吐き出していいか見当がつかない。

「あの頃も、気づいてあげればよかった」

 なにかを言いかけた修一だが、そのまま口を閉じて美紀を見つめる。

 美紀は思い出した。
 いつも期待する言葉は決して修一から聞けないことを。
 だから美紀の方から言葉を選ぶ。
 しかし、決まってどれもが陳腐でキレイゴトになる。

「でも修ちゃんてさ。いつ見ても雑誌から抜け出したモデルさんみたいだし、ショーウィンドウにふたりで映ると笑っちゃうよね」

「なんで」

「前から思ってたんだ。いくらなんでも似合わなさすぎでしょ、隣があたしじゃ」

 いろいろ言葉を選んでも、結局はこの劣等感に落ち着いてしまう自分を美紀は恥じた。
 そしていつも溜め息がこぼれる。

「やっぱりだめだな、あたし」

「ッ!」

 修一が突然フリーズしたまま地面を眺めている。

「修ちゃん?」

 再起動した修一がPCメガネを外して目頭を押さえた。

「ほら。慣れないメガネなんてかけ――」

「また……を……んだ……」

「え?」

 修一の肩が小刻みに震えている。
 その瞳が夕日に潤んでいたのは気のせいか。

「またそれを言うんだ、オレに」

「また?」

 PCメガネをはずした修一の表情は、買ってもらったばかりの大切なオモチャをなくした子供のそれだった。

 ベンチから立ち上がると、修一は美紀にすっと手を差し伸べる。

「ほら」

 その手を取るか戸惑っているうちに、美紀はぐっとベンチから引き起こされた。

「ごめん、修ちゃん。あたしなんか――」

「やっぱ……精算しねぇとダメだわ」

 その言葉を最後に黙って歩く修一の背は、いつもより煤けて見えた。

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