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半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
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第6話 開発部のふたり


 タカギ製作所に入社して2ヶ月が経った。

 六畳一間の寮の自室で目覚めた天井には、いまだ馴染みのない木目が並んでいる。
 カーテン越しに差し込んでくる日差しは暖かく、新しい1日を優しく包んでいた。

 寮に準備してある朝食を摂らず、修一は玄関を出た。
 この時間だと駐車場でラジオ体操が始まる8時15分に到着する。
 そのまま修一と哲子は、開発部の所定位置である一番端のフェンス際でこぢんまりと体操しながら始業ベルを迎えるのだが。

「あぁ?」

 問題はいつもこのあたりから発生する。

「……私、なんかやった?」

 修一は立ち上げたパソコンのモニターを哲子に見せた。

「昨日のバックアップは?」
「やったけど」
「ないよ」

 慌てた哲子はモニターに食い入る。
 いつものフォルダーを開けても昨日のデータはない。

「あれ?」
「……セーブした?」
「あっ……と」
「電源は落とした」
「うん」

 ひっつめ黒髪のメガネ女子は必ず委員長や理系女子だと決まっているわけではない。
 それはただのイメージだ。

 入社式の初日、哲子は自分のことをダメ人間だと告げた。
 そんなことはない、哲子にしかできないなにかがあるはずだと修一は信じていた。

「ごめん、修っぴ」
「サルベージ、ムリぽ」
「ほんと、申し訳ない……」

 哲子は失敗するたびに小さくなって謝った。
 この前も工場の職人に対して腰を折って謝る哲子を見かけた。
 その先輩は激しい口調でグズだ苛つくなどと吐き捨てていたが、修一は哲子に苛つくことはない。
 苛つく人種は身近にもっと蔓延している。

 だが、哲子になにを手伝ってもらえばいいか不安なのは事実だった。
 とりあえずキーボード入力の練習でもしてもらえばいいのか。
 しかし手先の不器用な哲子のこと。
 ブラインドタッチの練習にはかなりの苦痛を伴うだろう。

 無意識にため息を吐き、修一は自分のするべき仕事に戻った。

 取り組んでいる作業は、ひたすら脳波記録を抽出すること。
 父親の友人である神経内科医の三牧(みまき)にもらった中古の脳波記録計。
 それは12本の電極の付いたメッシュのかぶり物。
 それぞれの電極からは細長いリード線が12本、絡まったまま伸びている。
 修一はそれをかぶって目を閉じる毎日を過ごしていた。

 目的は簡単で複雑だ。
 犬なら犬だけ、猫なら猫だけをイメージし、その時の活動脳波を抽出する。
 時には色だけをイメージして、色を考えた時の脳波を記録するのだ。
 一見すると簡単そうだが、それは気の遠くなる作業。
 乱雑に垂れ流される脳波の活動電位の中から、イメージした物に1対1で対応している脳波を抽出することは不可能に近い。

 特に問題だったのは複雑で膨大な演算ではない。
 外からの音が刺激になったり、目的以外の余計なことを考えてしまったり、どれだけ集中しても純粋で単一なイメージ脳波が抽出できないのだ。

 考えてはいけない――ただ思い描くだけ。
 それは人間にとって不可能ではないのかと修一は思うようになっていた。

「犬、犬、犬……イヌ」

 1日8時間以上。
 大きな成果もないまま、毎日この作業が2ヶ月も続いていた。
 時には寮の自室で夜中に試してみたが結果は同じだった。

「ムリくせー」

 相変わらず共通波形は抽出できない。

「どうしたの?」

 ぎこちないタイピング練習を黙々続けていた哲子がモニターから振り返る。

「いや、別に」

 修一が抽出機器を完成させ、平行して出力機器を哲子に作ってもらう。
 それは夢のまた夢だ。

「……だから言ったじゃない。私、ダメ人間なんだって」

 ものは試し。

「やってみない?」

「え?」

 少なくともタイピング練習より、イメージ脳波の抽出の方が開発部にとって有益で前向きだ。

「私がそれかぶるの?」
「そう。これ被ってひとつの物を思い続けるだけ」
「……できるかね私に」
「やりたい?」
「……うん」

 電極の付いたネット帽を被せると、首をすくめていた哲子も嬉々とした。
 やはり開発に直接関係ある仕事の方が嬉しいに決まっている。
 修一は記録装置のセッティングをしながら哲子に念を押した。

「ひとつの物だけをイメージな」
「うん」
「背景とか音楽とか鼻歌とか感想とか、ナシね」
「うん……」

 哲子は限りなく自信なさそうだ。

「じゃあこれ。ヘッドホン」
「うわ、わ、なんか、なんか、キーンとコレ――」
「ハイ集中」
「はい」

 哲子は椅子に座ったまま素直に従った。

「なんか好きな動物ある?」

 への字に口を捻る哲子。

「猫……かな」

「よし。黒い猫、いってみよう」

 哲子が余計な色のイメージを思い浮かべないよう、シンプルな黒猫に指定した。

「真っ白な空間に黒い猫。真っ白な世界、オッケー?」

 これで色の脳波成分は白と黒の2種類だけに絞れる。

「ん」

 哲子はOKサインを指で作って応え、言われるままに眼を閉じてうなだれた。

「真っ白い世界に黒い猫、真っ白い世界に黒い猫……そのままオレがオッケーって言うまで考え続けて」

 そして修一は呪文のように語りかけながら記録機器のスイッチを入れた。

 開発部の中に流れる静寂。

 しかし外ではひっきりなしに金型を叩く音や鉄を削る音が響いている。
 果たしてノイズキャンセリング程度で哲子が集中できるのか。
 それ以前に、哲子が雑念なく黒猫をイメージできるのか。

「真っ白い世界に黒い猫ぉ……真っ白い世界に黒い猫ぉ。その猫は座ったまま、動かないー、動かない」

 修一は哲子への呪文を続け、そのまま五分が経過した。

「はい、オッケー」
「ぎゃっ!」

 肩を叩かれた哲子は驚いて立ち上がり、勢いテーブルの角で膝を強く打った。

「すげぇ集中力」
「いたたた……うまくいった?」
「さぁね。これを20回は繰り返さないと」
「……大変な作業だね。修っぴはこれを毎日2ヶ月ずっと?」
「そうだけど」

 修一は記録機器からのデータ取り込みに夢中だった。
 もしこれがだめだったとしても工場の職人にお願いする手もある。

「申し訳ない」
「なにが」
「だって私、なにもできないから」
「諦めずに、やってみないと」
「そうかなぁ。だって、修っぴがうまくできなかったことでしょ?」
「……オレだって、なんでもできるワケじゃねぇし」

 哲子はふたたび、自ら脳波電極付きのネット帽をかぶってヘッドホンをつけた。
 それは前向きな意志のようだった。

「わかった。真っ白い世界に黒い猫ね」

「ヨロシク」

 ふたりはそうやって黙々と、5分間の記録と抽出のセットを20回繰り返した。


▽ ▽ ▽ 


 作業を夢中で繰り返していた修一は疲れをまったく感じていなかった。

 今まで大学の研究室でも三牧の実験室でも、疲れ知らずで作業し続けられた。
 日付が変わっても気づかないことが多く、むしろそれが修一の取り柄だった。

「ねぇ。これ、あと何回ぐらい必要?」

 哲子が泣きつくような表情を浮かべている。
 言わんとしていることは修一にもなんとなく理解できた。
 周囲の人間がこういう表情を浮かべる時は、大抵が休憩したいか腹が減っている時だ。

「あ、休憩ね。オレ、お茶煎れるわ」

「かたじけない」

 哲子は椅子にもたれかかって、ぐったりした。
 こういう時に修一は、自分のリズムで仕事を続けたことを少しだけ後悔する。

「修っぴは疲れないの?」
「オレ? なんもしてないから」

 モニターから眼も離さず、修一はキーボードを叩きながら返事した。
 できたばかりの新しい20個の解析結果が待ち遠しくてならない。
 もしかすると、ひょっとするかもしれない。

「いやぁ、でも修っぴは――」

 解析に集中してしまうと、もう哲子の言葉は修一には届かない。

 開発部の中にはキーボードを叩く音。
 ほかには工場からの金属音だけが響く。

「あ!? マジかよこれ!?」

「やはり……申し訳ない」

 にわかには信じがたいが、これは現実だった。

「あった」
「なにが?」
「共通部分、ある!」
「そうなんだ」

 日頃は表情の乏しい修一に激しい動揺と歓喜が渦巻いたが、お茶をすすっている哲子には意味が理解できない。

「ちょ、これ見てみ!」

 修一は椅子から立ち上がり、哲子をモニターの前に引っぱってきた。
 画面に映し出された波形を見せても哲子の表情はいまいちだ。

「う、うん……?」

「ここ。これが20回の記録で抽出できた共通波形。つまり黒い猫をイメージした時の人間の脳波活動! どうよ!!」

「へぇ」

「伝わんない!? これ、伝わんない!?」

 修一は思わず哲子の肩を何度も叩いてしまった。
 がっしりと肩を組み、哲子を引き寄せる。
 そんな喜び方は初めてだったが無意識だった。

「……わからぬ」
「ヤベぇよ哲子さん、マジ天才。たった20回のサンプルでこれか!」

 急に修一は脱力して椅子にへたり込んでしまった。

「ちょ、どうしたの修っぴ!」

 修一は頭を抱えたまま床を眺めてつぶやく。

「オレの演算、間違ってなかった……実はまた、1からやり直しかよとか思ってたんだ……」
「よかったじゃん」
「さんきゅー、哲子さん。マジさんきゅー」
「まぁ、じゃあ……ユアウェルカム」

 しかしこの興奮は修一にとって良くないサインだった。
 修一はこうなると熱病のように我を忘れてしまう。

「イケるな。あとはエンコードとデコードの――」

 すでに修一の中では、関を切ったようにアイディアがあふれ出ている。
 頭の中でバラバラに存在していた複雑な理論は今、1点に向かってすべてが繋がり始めた。

「修っぴ?」
「あ、待てよ。結像するまでのタイムラグって――」
「よかった、うんうん。でも、そろそろ」
「そこで圧縮? 二度掛け?」
「あのさ……」

 哲子は体裁悪そうに尋ねた。

「なに」

「その……お腹すかないわけ?」

 壁掛け時計は昼の12時を過ぎたところだが、修一に空腹感はない。
 しかし誰かの時間に合わせて食事を取らないと、いつも食べること自体を忘れてしまう。

「あ、昼か」
「そう」
「じゃ今日、オレが社食のA定おごる」
「いわんやA定食をや?」

 修一には自信があった。
 それは確信に近い。
 イマジナリー・フレンドは今日、机上の理論ではなくなった。

 そして良くも悪くも、修一から辛いフラッシュバックを遠ざけてくれることになった。


▽ ▽ ▽ 
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