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半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
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第3話 新卒主任と地味女子


 タカギ製作所は従業員30人の町工場。

 野球グランド1個分ほどの敷地には工場の他に事務所のような別棟があり、そこは発注や経理を担当していた。
 たまに開かれる会議もその建物内で行われるらしい。

 広く取られた納品用の駐車スペース。
 朝はラジオ体操の集合場所に、昼休みは従業員がキャッチボールやバレーボールを楽しむ場所になっている。

 同じ敷地内には小さいながらも独身寮があり、修一はあえてそこに入ることにしていた。
 電車で実家から通えないこともなかったが、高校時代の顔見知りに会うのが嫌だった。

「新入社員の千葉くんじゃ。みんな、よろしく頼むぞ」

 ラジオ体操の後、全従業員の前に立たされた修一は無言で会釈した。
 今期の採用は修一だけ。
 簡素に終わるはずだった入社式だが社員のどよめきは止まらない。

「なになに、なにあれ! なんであんなイケメンがウチみたいな町工場に?」
「ワケアリらしいよ」
「前科者? あの目つきはそういうこと? だが、それがいい!」

 慎之介の方針で、この工場には女性社員が比較的多い。
 すぐに夢見て飛び出していく男性社員より、技を身につけた女性の方が長く働いてくれる。それが慎之介の信条だった。

「チッ。あいつ底引き網かよ」
「おれら不戦敗じゃね?」
「素直に一流企業に就職してろっつーの」

 もちろん男性社員の視線は厳しいが、修一はなにも感じない。
 どうせ誰とも仲良くなれないのだから痛みは無用だ。
 その視線に気づくまでは、そう思っていた。

 修一は目を疑った。

「あ?」

 これは冗漫なフラッシュバックに違いない。

 並んだ従業員の一番奥。
 手前の社員に隠れ、肩越しに見えたわずかな視線。

 こんな現実あるはずがない。

「じゃ、工場を案内しよう」

「え?」

「どうした。さすがに修ちゃんでも緊張したか?」
「いや、別に」

 もしもこれが現実なら。
 緊張どころか心の脆い部分は弾け飛んでしまうだろう。


▽ ▽ ▽ 


 どよめいた入社式を済ませると、慎之介は工場を案内してくれた。
 工場内は明るく、大きな窓からは自然光が差し込んでいる。
 鉄くずや煤の黒ずみも思ったほど多くなく、壁はライトグリーン。
 天井が高くて窓のない、蛍光灯が直列に吊された町工場独特の雰囲気ではなかった。

 そこにはいくつもの見慣れない大きな機械や旋盤が見えた。
 あるラインでは鉄を削り、あるラインではなにかが組まれている。
 あるものは数値入力だけで事は進み、あるものは職人の手作業で進められている。
 小口の受注や試作品のワンオフまでなんでも受ける、慎之介の方針が反映された工場の姿だった。

「ウチは今までずっと、クライアントからの受注部品を作り続けてきた。いわゆる下請け工場って、知っとるか?」
「なんとなく」

「中小から大手まで様々な会社から依頼を受けて、自動車や携帯電話、そのほか家電なんかの部品を作る工場じゃな。機械化やオートメーションが進んでも、いまだに日本の町工場で職人
が作った部品の方が精度も高くて信頼がある」

「マジで?」
「長くやってるとな、歯車のかみ合わせを組む前から予測できるようになれる。鉄板のすり合わせなんて、ミリメートルの百分の一まで誤差なく削れるぞ」

 修一にとって町工場は、まったく未知の世界だった。

「なんだって作れる。誤差50マイクロメートルの金属加工に非球面レンズ作成。極小バネ、絶縁加工に耐熱ゴム。修ちゃんのお父さんが使っている脳外科手術用の顕微鏡だって、日本の町工場が作っとるんじゃよ」

 その自信とは裏腹に、ため息をついた慎之介の表情は寂しそうだった。
 一瞬だけ見せた慎之介の表情は、自分の腕に絶対の自信を持つ職人のそれではない。

「でも最近、よく思うのよ。なにひとつ、満足のいく物を作ってこなかったってね」
「今までの話まとめるとスゲーんだけど」

「修ちゃんには金型を作ったり極小ネジを作ったりじゃなく、開発部をお願いしたいんじゃ」

「開発……部?」

 その言葉に修一は耳を疑った。

「修ちゃんには学がある。なんたって工学部の大卒じゃ。それだけじゃない。もう立派なビジョンだってあるじゃないか」
「ここって職人さんが色々な部品を作るとこでしょ?」

「世間が眼を向けないだけで、日本の町工場はなんでも作れる。世界に誇れる技術職人集団じゃということをアピールするために打って出たいのよ」

「人の話、聞いてる? だからって、なによ開発部って」
「アレ作りたいって言ったの、修ちゃんじゃろ」
「……言った」
「じゃ作ってよ、立体ホロなんとか。修ちゃんが開発の陣頭指揮を執って」

 慎之介の眼は一層輝きを増し、屈託のない笑顔を浮かべた。

「マジで言ってんの?」

「そのために準備したんじゃぞ、会長権限で」

「マジで!?」

 そんな慎之介に連れられ、修一は工場に隣接するプレハブ部屋のドアを開けた。


「あ、おはようございます。高木会長」


 修一はその姿に苦虫を噛みつぶした。

 開発部と書かれたプレートの下がる部屋の中には、年齢不詳の女性がいた。
 1本にひっつめた黒髪に黒縁のメガネ。
 そばかすと言えば聞こえはいいが単なるシミか。
 すすけた紺色のつなぎ服を着た細身の女は、にこりともしないで慎之介に挨拶する。

「修ちゃん。こっちはテツコさん。菅原(すがわら)哲子(てつこ)

 哲子と呼ばれた女は修一を見ても動じない。

「はじめまして、菅原哲子です。よろしくお願いします」

 パッと顔色を明るくするでもなく、軽く頭を下げるだけ。
 修一を前にした女の中では非常に珍しい反応だ。

「ども、千葉です」
「会長。新しい主任さんというのは」
「おう、そうよ哲子さん。前に話してた主任さんってのが、この修ちゃんじゃ」

 馴染まないその言葉に、表情の乏しい修一も顔色を変えた。

「主任?」

「そう」

 慎之介はなに食わぬ顔だ。

「オレ、今日入社したばっかだけど」
「なに言ってんの。職人の世界に入社したばかりもヘチマもねぇ。腕がありゃ、それでいいのさ」
「いや、腕こそねぇし」

 慎之介はこめかみを人差し指で軽く叩いた。

「ここだよ修ちゃん、ここ。開発部に必要なのは頭の中身」
「腕か頭かどっちだよ。だいたい他の人が気分悪いだろ」
「いないよ」

「え?」

「他に人はいない。修ちゃんと哲子さんのふたりで、ウチの開発部なの」
「ふたりでどうしろと……」
「町工場の職人は一騎当千さ」
「どこまで本気で言ってんだよ」

 気にする素振りもなく慎之介は軽く笑い飛ばした。

「じゃあ、後は哲子さん。色々と修ちゃん、あいや主任さんに教えてやってよ」
「はい」
「楽しみじゃな、これからが」

 慎之介は豪快な笑いと共に出て行ってしまった。

 タカギ製作所の開発部は八畳ほどの広さで正方形。
 そこにはパソコンとモニターが2台。
 その他に旋盤台や作業台が壁際に並んでいる。
 そのどれもが真新しく、使われた様子がない。

 ここで何をすればいいのか。
 しかも、たったひとりの同僚は女性だ。

 とりあえず後に残された地味な哲子と修一はお辞儀を交わした。

「ども」
「ども、主任さん」

 哲子に主任と呼ばれ、修一は気まずくてたまらなかった。
 なにひとつ自分の手で作ることもなく、まだなにひとつ完成していない。
 そもそもこの開発部にはふたりしかいないとはいえ、哲子は修一より先に配属されている先輩だ。

「菅原さん。その……千葉とか、修一とかでいいです」
「そうはいきません。私の方こそ部下ですから、菅原さんではなく哲子とかジミ子とか呼び捨てで」
「先輩にそれはマズいでしょ」

 そもそも修一には哲子の年齢が想像つかない。

「だから先輩ではなく年齢性別を問わず、哲子とか社畜とか」
「ちょ、なんかそれ」
「主任さん、工学部の大卒なんでしょ?」
「……いや、今それ関係ないし」
「……」

 はたから見れば、ばかばかしい会話が延々と続いた。

「じゃあ、主任さん」
「なんですか、菅原さん」

「私のことは哲子さん、主任さんのことは(しゅ)っぴ、でどうですか」

「修……っぴ?」

 哲子の間合いが、修一には理解できなかった。

 もしこれが男同士なら。
 高校の入学式に戻れた気がしてならなかっただろう。
 クラスで初めて隣の席になった男子と、どちらともなく始まる会話。
 そんなシーンがあったなら、きっとこんな風にお互いを下の名で呼んでいたに違いない。
 そして男友達らしくエロ話をしながら、ゲーセンに寄って帰る日々もあったはずだ。

 だが相手は女性。
 しかも妙齢。

 修一は考えるのが面倒くさくなった。

「じゃ、それで」
「ではこれから、主任さんのことは修っぴで?」
「いいですよ」
「では私のことは哲子さんで」

 わずかな沈黙が流れた後、哲子は試すように語りかける。

「じゃあ修っぴ。私、お茶入れます」
「すんません……あー、哲子さん」

 湯沸かしポットから上がる蒸気の音。

「変な会話だわ」
「やっぱ、そう思ってんですね」
「なんか私、敬語めんどくさい」
「あ、はい」

 しかし不思議なことに、この哲子という女性からはあの独特の臭いのする悪意がまったく感じられない。
 もしかすると八畳一間で一緒に仕事をしても苦にならないのではないかと、修一は少し期待した。

 初日からいきなり恋愛脳だけはカンベンして欲しかった。

「大学、楽しかった?」

 哲子は唐突だった。

「いや、別に」
「まさか」

 哲子の怪訝そうな表情を見て、修一はなんとなく後ろめたくすら感じた。

「まぁ、オレ以外は楽しくヤッてましたよ。合コンとかサークルとか」

 合コンというキーワードに哲子が強く反応した。

「合コン! それはリア充たちの宴!」

 視界を閃光が走り、修一は思わず眩しさに目を閉じた。

「ッ――」

「どうしたの?」
「いや、別に。時々なるんで」
「で、どうだったの」
「どうって……」

 一瞬で脳裏を横切った美紀の後ろ姿を、修一は努めて強く消した。

 数多くの女性が出入りした中で、ひときわ輝いていた長い黒髪の美紀。
 だが美紀はもう、いないのだ。

「いや、別に」
「あ、そう」

 哲子のペースに修一は激しく戸惑った。
 もうこの会話に興味はなさそうだ。
 適当な相手にはあれほど適当に返せるのに、次の無難な会話を必死に探している自分に修一は動揺した。

「じゃあ、その……えー、哲子さんは何歳?」

 そしていきなり女子の禁忌肢を選択する修一。

「28。修っぴは?」

 即答する哲子も哲子だが、修一には気が楽だった。

「22」
「チッ」
「なにその舌打ち」
「大学ではなにを? すごいことだって会長が言ってたけど」

 哲子は淡々と質問を投げかけたが、どれも嫌な臭いがしない。
 慣れてしまえばむしろ心地よいとさえ修一は感じ始めていた。

「3Dホログラフィー動画」
「なにそれ」
「古いSF映画とかに出てくる立体映写機みたいなヤツ。ほら、空間に映し出すアレ」

 きらっ、と哲子のメガネが輝いた。
 急上昇した哲子のテンション。

「あ、あ、なんとなく分かる、分かる!」
「え?」
「ホントにあれなの!? あれを作ってたの!?」
「いや。これから慎さんと作ろうって話に」
「すご! そんなのここで作れるの?」
「すげぇ食いつき」

 1本に束ねた黒髪メガネの女は真面目で無愛想。
 そんな哲子の第一印象は、すぐに修一の中で崩れ去った。
 そうやって誰にでも見た目のイメージを押しつけ、自分の思う人物像を当てはめる。
 それは修一自身が最も嫌いなやり方だったはず。
 無意識に哲子のイメージを作り上げていた自分を、修一は恥じた。

「お茶入れてくる」

 我に返ったのか、哲子は流しに背を向けた。

「いや、まだ残ってるけど」

 哲子はさっぱり聞いていない。

「じゃあさ。その器械があれば、お、男の子とか、アイドルとか、すすす好きな人とかが」
「哲子さん?」
「ぶわって出てくるわけ!?」

 修一がその意味を理解するのにしばらく時間がかかった。

「あ……そっか。それなら、やり直せるか」
「はい?」
「いや、別に」

 新しいお茶を煎れながら哲子が小さく唸った。

「しかしそれって大発明だわ。それをこの開発部で作るなんて」
「そんなモンじゃないでしょ」

 修一は哲子の言葉が理解できない。
 それは焼け野原に残された、たったひとつの希望。
 発明などと大それた物ではない。

「でもなぁ……私にその手伝い、無理かなぁ」

 不意に哲子の表情が曇った。

「なんで」
「修っぴは知らない。私、もの凄いダメ人間だから」
「そんなに?」

 修一が見て来たダメ人間は、もっと別種の歪んで捻れた人間だ。

「私ね、20歳の時に会長に拾われてここに入社したわけ」
「拾われた」
「それは比喩表現。それから、いくら教えてもらっても旋盤で指切って、危なくてやらせられないって言われた」
「へー」
「続くよ?」
「どうぞ」
「大事な金型を凹ませたり、納品を床にばらまいたり」
「そうですか」
「まだ続くよ?」
「どぞ」
「納期に間に合うようにテキパキ仕事できない。在庫管理になった時も台帳記入の漏れが多くてダメ。お得意様の住所を間違えて発送。どう?」

 修一は今の自分に言える、精一杯の言葉を考えてみた。

「でもオレだって人と話すのはすごく苦手だし、友達もいないし」

 再び視界を閃光が走り、修一は思わず顔を背けてしまった。

「さっきから大丈夫?」

「彼女だって――」

「ちょ、おいこら! 修っぴ!」

 強烈なフラッシュバックは冗漫な記録映画のようで、修一にはそれを冷静に懐古的に感じ取ることはできない。

 時には冷や汗を流し、身悶えしながら過ぎ去るのを耐えるしかなかった。

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