挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
半透明なシナプスの恋 作者:藤山素心
25/26

第25話 透明度0%の告白


 イマジナリー・フレンド【ヒューマン】は完成した。

 修一はモニター前の椅子に座ったが、キーボードにも手を置かず眼前のモニターはスリープのままだ。

 あの日を精算できれば、それでいい。
 このプログラムで思い描いた人物がそのまま浮かんでくるなら、もう思い残すことなどなくなってしまうかもしれない。

 久しぶりに脳波電極の付いたネット帽を手にすると、修一は初めてこれを手渡された時のことを思い出した。

 だがあの時に感じた胸の高鳴りを、今は感じることができない。
 今あるのは虚脱と焦燥の入り交じった感情。

 恐る恐るネット帽をかぶり、修一は電極が確実に頭皮に接するよう上から軽く抑えた。
 そこから伸びるコネクターを、田所が軽量設計し直した再生機器に差す。
 静かに電源を入れると小さな駆動音と同時に、LEDの小さな電極が短く瞬き記録準備は完了した。

 修一は目を閉じる。

 そして思い描いたのは、もちろん美紀の姿だった。

 できる限り詳細に、色鮮やかに思い出そうとした。
 記憶の中の美紀は長い黒髪で、その大きな瞳は吸い込まれるように透き通っている。
 ワンピース姿で手を振る美紀。
 それが最初に思い出した姿だった。

 修一は目を開けて記録を止め、震える指先で再生ボタンを押す。
 少し大きな駆動音と共にレンズから光が投影され、眼前にぼんやりと人の姿が浮かび上がった。

 それはピントの合わない輪郭で、人型の塊でしかない。
 モーション・サポートで補正をかけても、個人どころか性別すら特定できない。

「いつもはあんな鮮明に襲ってくるのによ……」

 もう一度目を閉じて思い描いた。

 あの時、アパートの玄関を去って行く時の美紀の後ろ姿。
 それは今さらのように修一の柔らかい部分を握りつぶす。

「くッ――身がもたねぇ」

 修一は今の美紀を思い描いてみた。
 肩口まで切って明るくなった髪と見慣れない事務服。
 変わらない瞳の色。
 穏やかな口元に浮かぶ淡い唇と、一度も触れることのなかったその体。
 そして記録を先程のデータに追記した。

 ふと、再生ボタンの手前で指が止まる。

 そして激しい不安。

 それはこの【ヒューマン】の性能に対するものではなく、自分には美紀のイメージがないのではないかという恐怖だった。

「まさか……な」

 先程より、やや輪郭のはっきりした姿が浮かび上がってきた。
 事務服が視覚的に確認できる。
 全体的な雰囲気は女性を強調していたが、やはり肝心の顔がぼやけている。
 数回の追記ではこの程度が限界。
 知ってはいたが、美紀を脳内で再生し続けるのは辛い。

「もっと具体的に、もっと忠実に……くそッ」

 修一は大脳の記憶システムに嫌悪した。

 人が生きていく上では。
 記憶はいい加減で曖昧で、肝心な所がぼやけたものほど都合がいいのだろうか。

「あ、そうだ」

 哲子が大切に写真立てに入れていた、ボーリング大会の集合写真を思い出した。
 一人ひとりは小さくしか写っていないが、そこにはハッキリと美紀が写っている。
 修一は哲子の机から写真を持ち出し、できるだけ美紀だけに集中して眺めた。

 人はこうして、虚ろになっていく思い出を写真で補完するのだろうか――
 そんなことを考えながら、修一は美紀の姿をしっかりと目に焼き付けて再び目を閉じる。

 イメージの暗闇の中には美紀だけが立っていた。
 その姿は今まで以上に鮮明だ。

 そのまま数分間の記録。
 そしてゆっくりと目を開ける。
 これを20回ほど繰り返し、いよいよ追記は完了した。

 だがやはり、再生ボタンの手前で指が止まる。
 この期に及んで躊躇するのは何故か。

 過去を思い出すのが怖いのではない。
 過去に決着をつけることで、思い出すら消えてしまうかもしれないという恐怖だ。

「バカだな――」

 この筐体の中には、すでに美紀が形作られているはず。
 後は指先1つで呼び出すだけだ。

「――もう後戻りできないのに」

 修一が意を決してボタンを押すと、短い駆動音の後にレンズが光を投影した。


 それは、等身大の美紀。

 眼前に、向こう側の透けて見える美紀が立っていた。


 肩口までの黒髪に事務服。
 幻影の美紀は、わずかだが優しく微笑んでいた。

 全身が鳥肌立ち、悪寒に似た身震いが修一を駆け巡る。
 体を維持していた力が、椅子に溶け出して染み込んでいく。

 それは完成であり終着駅だった。

「やっと戻れたのか、あの頃に」

 目の前の美紀は、柔らかに微笑んでくれている。

 修一はさらに【リアルタイム・モーション補正】をかけてみた。
 脳内のイメージを電極が拾い、わずかなタイムラグの後に半透明の美紀が揺らぐ。

 微笑みながら、美紀が手を振った。

「あぁ……」

 手を振る美紀は、まるで改めて別れを告げているようだった。

 修一は背を正し、幻影の美紀と向かい合う。
 今なら言える。
 幻影の美紀になら、今までどうしても言えなかった言葉を伝えられる。

「美紀……七木田、美紀……」

 その名を告げると、修一の頬を涙が伝った。

 どうして今まで、一度もこの名を呼べなかったのか。
 今ならわかる。
 意識すればするほど呼べなかった。
 本当に好きだったから、気軽に名前すら呼ぶのが怖かったのだ。

「あ、いや……悪ぃ」

 ひとり言をつぶやきながら、修一は涙をぬぐった。

 そして沈黙。
 いざとなると、なにから伝えればいいのか分からない。

「フツーに、フツーでいい……オレ、OK?」

 意を決して、修一は大きく息を吐き出した。

「どうだった? オレの作ったイマ・フレ。死んだマコー、うまく出せた?」

 幻影の美紀が微笑んでうなずく。
 修一の脳内イメージを汲み取り、忠実に再現している。

「マジ? よかった。でさ――」

 修一は1つ1つ、思いをたぐり寄せた。

「――合コンで知り合ったトキ、憶えてる? あれマジで嬉しかった。うん、けっこうマジで。あんな風にフツーに話せてさ」

 美紀は黙ってうなずいた。

「あと、あの海辺の遊園地も楽しかった。でもホントは、もっと話してたかった。ずっと朝まで話してたかった。別に場所なんて、どこでもよかったんだけど」

 修一は椅子を出して美紀を座らせた。
 実像と美紀のコントラストに差があるが、今は気にもならない。

「あと――」

 修一の喉に言葉が詰まる。
 粘りけの強いそれは、この期に及んでも吐き出されるのを拒んでいる。

「――あの日さ。あの、ほら……オレが、フラれた日……とかじゃなく」

 両手で口元を押さえた修一は、もう一度大きく息を吐き出してつぶやいた。


「好きです」


 どうしても告げたかったひと言が今、時の流れに逆らって現実の言葉となった。

 眼前の美紀は幻影。
 しかしそれは同時に記憶の中の本物でもある。
 その美紀に思いを告げることで、ようやく修一の過去は昇華されていった。

「なんて言うか、うまく言えないけど……オレ、ずっと好きです。理由はわかんないけど、この気持ちが消えない。だからもう、好きじゃない人とキスしたりホテルに行ったりするのは嫌だ。きっとぜんぶ、オレが悪かったんだと思う」

 その言葉は淀みなく修一から流れ出た。
 思いを伝えることは、これほど簡単なことなのか。

 おぼろげな美紀は微笑みながら見つめている。
 その眼差しを真正面から見つめ返すことに、恐怖はない。

「でさ。こんなコト聞くのアレなんだけど……今、つき合ってる人とかいる?」

 自分の言葉に修一は驚いた。

 けっきょく聞きたいことは、あのころ修一を取り囲んでいた女たちと同じことだった。
 あれほどめんどくさく、なぜそんなことを聞くのかわからなかったこと。

 いつもなにしてますか?
 好きな人はいますか? 

 それは、あたりまえの気持ちだったのだ。


「修ちゃん?」


「――!?」


 モーション補正の機能はプログラムにあるが、発声は次のAIシステムに搭載しようとした機能。
 今の時点では実装されていない。
 目を凝らして、目の前で微笑みかけている幻影の美紀を見た。

 それと重なるように、もうひとりの美紀が立っていた。

 それは向こう側の透けて見えない、透明度0%の美紀。
 手を伸ばせば血の通った温かい肌に触れることもできる。

 開発部の入り口には書類を手にして立ち尽くす、現実の美紀が立っていた。

「……美紀」

「え……修ちゃん、今なんて言った?」

 動揺と驚愕、そして恥ずかしさが渦となって修一の脳を埋め尽くす。

 現実の美紀が静かにドアを閉めて開発部に入ってくる。
 それは修一のシナプスが生み出す半透明の残像ではない。

「い、いつから――」

「それより今、あたしのことなんて呼んだ?」

 ぐっ、と修一の胸が詰まる。

「言ったよね。あたしのこと、美紀って呼んだよね」

「……いや、別に」

「修ちゃん。あたし――」

「オレ、慎さん探さないと」

 修一は美紀の言葉を遮った。

 ふたりの間に、永遠に続くかのような沈黙が流れる。
 この沈黙を破る術を修一は知らない。

 美紀が唇を噛んで視線を落とす。

 時刻は午後6時過ぎ。

「修ちゃん、行こう」

 駆け寄った美紀に、修一は手を引かれた。

「あ……」

 触れられた手は温かく、柔らかい。
 それは幻影の美紀ではないことを強く物語っている。

「いいから、行こ」

「どこ行くの」

 現実の美紀に手を引かれた修一が、幻影の美紀をすり抜ける。

 そのまま手を引いて駐車場に向かった美紀は、止めてあった軽自動車のドアを開けた。

「乗って」

 いつになく強い語気で、美紀は慌てたようにキーを回した。

「だから、どこ行くの」 

 ハンドルを握った美紀が修一を眺めながらつぶやく。


「行こうよ、修ちゃん。あそこに行けばきっと――」

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ